Web-Suopei  生きているうちに 謝罪と賠償を!

平頂山事件訴訟最高裁決定に対する弁護団声明

本年5月16日、最高裁判所第三小法廷(上田豊三裁判長)は、平頂山事件で旧日本軍に肉親を虐殺された楊宝山、方素栄、故莫徳勝(控訴審判決後死去)ら中国人原告の日本政府に対する損害賠償請求事件につき、原告らの上告を棄却し、上告審として受理しないとの決定を行なった。

平頂山事件とは、1932年9月16日、中国東北部撫順市近郊の平頂山地区において、当時現地に駐屯していた旧日本軍(独立守備隊第2大隊第2中隊)が、平頂山の住民3000名余を崖下に集めて一斉に機銃掃射を浴びせ、まだ息のある者は一人一人確認しながら銃剣で突き刺すなどして虐殺し、遺体は崖を爆破して地中に隠蔽したという残虐な事件である。平頂山事件は発生直後に国際連盟理事会でもとりあげられるなど、当時から国際的非難を浴びた事件であるが、日本政府は一貫して自らの責任を認めず、敗戦後今日に至るまで、事件の存在自体を公式に認めたことはない。

平頂山事件で家族を虐殺され、その後苦難の生活を生き延びてきた原告らは、日本政府に対して、平頂山事件の事実を公式に認め、虐殺された3000余名の同胞を含めた事件の被害者に謝罪し、謝罪の証として賠償するよう求めるため、1996年8月14日、日本の裁判所に損害賠償請求訴訟を提起した。これに対し、東京地方裁判所(菊池洋一裁判長)は2002年6月28日、平頂山事件を事実として認定しつつも、戦前の政府は損害賠償義務を負わないという国家無答責の法理を採用し、原告らの請求を一切退けた。その後原告らは控訴したが、東京高等裁判所(宮崎公男裁判長)も、2005年5月13日、一審と同様平頂山事件の事実を認定しながら、国家無答責の法理を採用し、原告らの請求を棄却した。

原告らは、何の理由もなく理不尽に虐殺された肉親と3000名余の同胞を想い、自らの残り少ない人生を賭して提訴し、今日までたたかい続けてきた。にもかかわらず最高裁は、原告らの請求に対してまともな審理も行わず、何らの根拠を示すことなく退けたものであって、人権擁護の最後の砦たる最高裁判所の機能を完全に放棄した、極めて不当な決定というほかない。われわれ弁護団は、断固としてこの最高裁決定に抗議するものである。

一審及び控訴審判決で認定された平頂山事件の事実は、動かすことのできない歴史的事実として、最高裁で確定した。これによって日本政府は、事実に基づく政治的・道義的責任を逃れ得ないことは明白である。

われわれ弁護団は、今回の最高裁決定について強く抗議するとともに、今後も日中両国民と連帯して平頂山事件の事実を広く世界に伝え、被害者とその遺族の要求を実現するまで決してあきらめることなくたたかい抜くことを、ここに宣言するものである。

2006年5月17日
平頂山事件弁護団
団長  環 直彌

中国人戦争被害賠償請求事件弁護団
団長  尾山 宏

 

 

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