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戦後補償講座 歴史編

日本軍の中国大陸侵略の歴史(第4回)

 日本の軍隊が中国大陸に侵略して、広い地域を戦場にしました。中国の人たちは自分の土地をとられてはたいへんだから、必死に闘います。泥沼のような闘いが続きます。日本の軍隊は中国の人たちを降伏させることができません。

 1941年になると、日本の政府の中で、さらに戦争を拡大することを考えていきます。ソ連と戦うか、南に進んで行くか、を議論していきます。日本の国は資源が少ないので、資源を確保しなければならない、ところが、日本をとりまくアメリカ(A)イギリス(ブリティッシュのB)中国(C)インドネシアを植民地にしてい たオランダ(ダッチのD)のABCD包囲網が敷かれた、と南進を決定します。戦争をアジアと太平洋に広げていくのです。

 1941年7月には、ベトナムのサイゴンに軍隊をすすめます。仏印進駐です。サイゴンからはフィリピンのマニラ、イギリス軍がいるシンガポール、オランダ軍がいるインドネシアのジャカルタに空襲が可能になります。アメリカなどとの戦争準備ができます。

 そして、12月8日、ハワイの真珠湾のアメリカ軍、マレー半島のイギリス軍を攻撃して、アジア太平洋戦争を始めます。中国での泥沼の戦争をアジア全体に広げていきます。

 最初の半年は、不意打ち攻撃をして、日本軍が「有利」にすすめていきます。しかし、次第に日本の軍隊は劣勢になっていきます。中国大陸では、あいかわらずの戦闘が続きます。南京を占領した日本軍は、日本軍のいうことをきく中国人をたてて、傀儡の「中華民国」政府をでっちあげます。王兆明政府です。

 こんななか、「満州国」とした東北部のハルピン郊外で石井四郎が率いる731部隊が中国人捕虜や農民などをとらえて「人体実験」をしました。病原菌を「育て」これをねずみなどに注射し、町や村に放します。どれだけ効果があるかをこのハルピンの施設で「人体実験」したのです。また、寒い冬に裸で木にしばり、どのくらいの時間で死ぬか、などを実験したり、人体実験をする人を「マルタ」と呼び、人間扱いしませんでした。この731部隊に送られた中国の人はだれ一人帰ってきませんでした。「皆殺し」です。731部隊に送られて帰ってこなかった人の「遺族」が日本政府を訴える裁判もおこされています。この人を731部隊に送ったという元憲兵の証言もでてきました。確かな証拠があります。

 いつまでたっても中国の政府を降伏させられないで、次第に残虐行為がエスカレートしていきます。華北の村では地下トンネルを掘って抵抗する村人に対して、毒ガス弾を使用して、無差別に殺してしまうこともおこります。

 いつ終わるともしれない戦争の中で時が流れます。

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