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戦後補償講座 歴史編

日本軍の中国大陸侵略の歴史(第3回)

 日本の軍隊が南京を占領したのは、1937年12月13日です。当時の中華民国の首都を占領すれば、中国は日本のものと考えていたのでしょうか。しかし、相手の軍隊は日本軍が南京に到着した時にはもういませんでした。戦争はおわりませんでした。おわらなかったどころか泥沼になります。

 相手の中国の内部はどうだったかというと、国民党の蒋介石と共産党の勢力が争っていました。蒋介石は日本軍と戦うよりも共産党の勢力がのびていくことを恐れていました。だから、日本軍が共産党をたたいてくれることを期待する気持ちもありました。中国の人たちが団結して戦う状況ではなかったのです。そこで、共産党は国民党に「日本軍と協力して戦おう」とよびかけます。蒋介石がやっとのことこれに応じたのが、このころです。抗日民族統一戦線です。同じ中国人どおし、意見は違うけれど、日本軍をおいはらうためには力をあわせよう、というわけです。国民党の軍隊と共産党の軍隊がともに日本軍と対決することになりました。特に共産党の軍隊は八路軍・新四軍などとよばれ、日本軍と正面から戦いました。

 戦場は中国東部の農村地帯全体に広がりました。日本軍は占領したところの住民を隔離し、中国軍と接触させないようにします。まだ、日本軍が占領できていない村には、敵に内通する住民がいる、ということで、徹底的な攻撃にでます。住民がいれば、殺し、家に押し入り略奪し、家に火を放ち燃やしてしまう、という作戦です。残滅作戦です。「焼き尽くし、奪い尽くし、殺し尽くす」と中国では「三光作戦」とおそれられていました。1938年にはいっても戦線は膠着状態です。日本軍は山東省・山西省などの黄河流域から、華中の揚子江(現在の長江)下流域の地方で苦しい闘いを続けていきます。この時も日本軍の食糧補給は「現地調達」です。兵士は自分の食糧を確保するのが優先になります。農村に進んだ日本軍の兵士はまず食糧調達に農民略奪をくりかえします。

 この過程で、中国人女性に対しての性的凌辱をくりかえしていくのです。日本軍は現地女性の強姦を防ぐためと称して、日本軍の占領地域に「慰安所」を設置していきます。植民地朝鮮から若い女性を拉致同様にして、中国戦線に連行しました。さいきん、「この女性たちはすすんできた」とか「業者が提供したもので、軍の関与はない」などと恥ずかしいことを言う日本政府の指導者がいて、アメリカ議会でも問題になっています。さらに中国の場合は「朝鮮から連行した」慰安婦ばかりでなく、「慰安婦」の「現地調達」もおこなわれます。現在、名乗りでているのは、山西省と海南省のおばあさんたちですが、中国戦線の多くのところでこれに類することがおこなわれていたのです。

 今回はここまでです。

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