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戦後補償講座 歴史編

日本軍の中国大陸侵略の歴史(第1回)

 日本の軍隊が中国に侵略した歴史を少しお話しましょう。中国で日本の軍隊が何をしたかのそもそもから話していきます。

 日本の政府は19世紀の終わりごろから中国侵略の道を歩みはじめました。1894年に朝鮮の農民の反乱を口実に大陸侵略の足がかりをつりました。日清戦争です。軍隊の力を強くしながら、この戦争で中国を屈服させると、1895年に下関条約により、台湾を奪い、多額の賠償を求めました。その後、日露戦争や第一次世界大戦を通して日本の軍隊は中国大陸に進出しました。日本の企業もどんどん大陸に進出し、中国の人たちから収奪をすすめました。

 第一次世界大戦中の1915年には中国に対して21か条の無理難題をふっかけて中国をおどしました。日本の企業の進出を容易にするためです。中国の人たちは日本企業の進出に反対し、第一次世界大戦がおわったあとに五四運動という反日運動をおこします。

 1929年の世界大恐慌は日本の国内の不景気も広がり「満州は日本の生命線」というスローガンを掲げて、日本の大陸侵略を本格化させます。すでに日露戦争のあと、日本のものとなっていた南満州鉄道の線路を1931年9月18日に爆破させて、満州事変をひきおこします。15年戦争のはじまりです。この事件は中国では九一八事変として日本の侵略戦争のはじまりを象徴するものとして、事件現場には大きな記念碑が建っています。中国の人たちも必死に抵抗しました。今の中国東北部全域に戦場を広げた日本軍は翌年「満州国」をでっちあげます。当然、中国政府はこれをみとめず、国際連盟に提訴します。国際連盟は調査団を派遣し、日本の言い分(あそこに住むのは中国人ではなく、満州人である。日本はこの満州人の独立運動を支援しただけ、日本の鉄道を爆破したのは中国人)と中国の言い分(満州族はいたが自主的な独立運動などはおこっていなかった。鉄道爆破は日本軍の仕組んだもの)の両方を検証し、中国の言い分が正しいという報告書をまとめます。国際連盟はこれを多数決で承認しました。これに不服な日本政府は国際連盟を脱退し、世界から孤立して、軍国主義の道を歩むことになります。

 満州国には清の最後の皇帝溥儀をかつぎだし、日本の傀儡政権をつくります。日本人の進出がどんどんはじまります。不景気で失業した人たちは満州に渡り、中国人の土地を奪いながら開拓団と称して多くの人が移住します。その翌年1932年9月16日、撫順郊外の平頂山村を日本の軍隊が襲い、3000人あまりの村人を虐殺します。平頂山事件です。生き残りの人が今日本政府を相手に裁判をおこしましたが、日本の最高裁は事実は認めましたが、日本政府の責任を免除する判断をしてしまいました。しかし、事実はあるのです。
この先おこる日本の軍隊による残虐事件の見本のようなものです。

 今日はここまでにします。

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