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ぼくの巡礼

2025年4月3日
 「アイロンのある風景」の書写終了。原稿用紙38枚。
2025年3月18日
 「品川猿」の書写終了。原稿用紙81枚。
2025年2月12日
 「日々移動する腎臓のかたちをした石」の書写終了。原稿用紙49枚。
2025年1月21日
 「偶然の旅人」の書写終了。原稿用紙52枚。
2024年12月20日
 「どこであれそれが見つかりそうな場所で」の書写終了。原稿用紙53枚。
2024年12月17日
 村上春樹さんが早稲田大学から名誉博士学位を授与されることになり、大隈講堂で行われた贈呈式・祝賀記念イベントにぼくも参加した。五年ほど前、村上春樹ライブラリーが建設される際に寄付したことがあったので招待されたのだ。信じられないことに、生の村上さんを目撃するのは今年四度目だ。こんな奇跡は二度と起こらないだろう。
 満席となった聴衆は二十代三十代の方もちらほらおられたが、七割ぐらいは五十代以上、男女比は半々、平均年齢は六十といった印象だった。
 入場時に渡された袋にはパンフレットだけじゃなく、書籍『世界とつながる日本文学 after murakami』も入っていた。昨年十月に開催された国際シンポジウムを再現した本である。自分が参加したイベントが書籍化されるのは非常にうれしい。
 前から二列目に座り、式が始まるまで待っていたのだが、講堂前方で学生による弦楽四重奏が奏でられ、会場の雰囲気を温めた。告白するが、ぼくは式の直前まで、優しい音色に誘われてウトウトしてしまった。
 時間が来て式が始まると、授与に当たり総長が式辞を読んだりもしていたが、村上さんが登場してからは、壇上にいるあいだずっと村上さんだけを見ていた。村上さんは威風堂々という態度でもなく、かといって嬉しそうでも、仕方ないから来てやったという風でもなく、なんだか他人事のような、場違いなところに迷い込んで困っているように見えた。
 短いスピーチがあり、締めに「これからもいい小説を書いていきたいと思います」と言った。七十五歳なのでそろそろもう書けないのかなと危惧していたぼくには、それはとても嬉しく響いた。
 村上さんがみんなの前に姿を見せていたのはここまでで、あとは記念イベントとして講演と朗読、生演奏があった。宮脇俊文氏の講演、ロバート・キャンベル氏による朗読、そして永武幹子氏(ピアノ)と鈴木良雄氏(ベース)によるジャズ演奏である。
 朗読と演奏には趣向が凝らされていた。舞台右手にセーターを来てソファでくつろいでいるキャンベル氏がスポットライトを浴びている。彼が横にある小さな書棚から『風の歌を聴け』を手に取り、その一部を朗読する。それが終わるとスポットライトが左手を照らす。そこには永武氏と鈴木氏がいて、小説のなかで使われているジャズ・ナンバー、マイルス・デイヴィスの「A Gal in Calico」を奏でる、という演出だったのだ。そのようにして『1973年のピンボール』の朗読からスタン・ゲッツの「Jumpin' with Symphony Sid」の演奏、『国境の南、太陽の西』の朗読からデューク・エリントンの「The Star-Crossed Lovers」の演奏、『海辺のカフカ』の朗読からジョン・コルトレーンの「My Favorite Things」の演奏と続いた。
 贈呈式の前には村上春樹ライブラリーで長時間過ごした。
 現在、銅版画家の山本容子さんの版画展「世界の文学と出会う〜カポーティから村上春樹まで」が開催中で、そちらをゆっくり鑑賞。山本さんの銅版画はカポーティの『クリスマスの思い出』や『あるクリスマスの』を持っていることもあって以前から親しんでいた。ぼくは銅版画に詳しくないが(どんな芸術にも詳しくない)、それでもやはり原画には原画の説得力を感じた。館内に併設されているカフェ「オレンジキャット」ではドーナツとコーヒーを楽しみ、視聴覚コーナーでは素晴らしい音響セットでサラ・ヴォーンを堪能したりもした。
 感無量な一日だった。
2024年11月25日
 「今は亡き王女のための」の書写終了。原稿用紙34枚。
2024年11月22日〜23日
 高松に旅行したので『辺境・近境』で村上さんが絶賛している「なかむらうどん」と「山下うどん」を食べてきた。「なかむらうどん」を実際に食べたぼくの感想は、今まで食べてきたどれとも違ううどん、ということになる。口に入れた瞬間は少しフワフワした柔らかめのうどんという印象なのだが、噛むとしっかりとしたコシがある。完璧なアル・デンテはもちろん文句なく美味しかった。へんぴな場所にあり、店構えは味も素っ気もない建物なのだが、ぼくが行った平日の十二時半でも数人の客がいた。
「山下うどん」は、本当は「がもううどん」に行くはずだったのだが、行ってみたら臨時休業だった。それで慌ててネットで調べたら車で五分の距離に「山下うどん」があったので事なきを得た。建物の入り口の脇に村上さんが同著に書いているとおり「郵便局集配職員休憩所」という札がかかっていて笑った。肝心のうどんは、「はなまるうどん」よりはコシがあり「丸亀製麺」よりはモチモチ感があった。大満足の逸品だった。こちらもへんぴな場所にあり、店構えも味も素っ気もない建物なのだが、開店時間の八時三十分の時点で二十人以上の客が並んでいた。
2024年11月2日
 「雨やどり」の書写終了。原稿用紙33枚。
2024年10月16日
 「野球場」の書写終了。原稿用紙31枚。
2024年9月27日
 「タクシーに乗った男」の書写終了。原稿用紙32枚。
2024年9月12日
 「レーダーホーゼン」の書写終了。原稿用紙27枚。
2024年8月31日
 「七番目の男」の書写終了。原稿用紙41枚。
2024年8月8日
 「貧乏な叔母さんの話」の書写終了。原稿用紙42枚。
2024年7月22日
 「午後の最後の芝生」の書写終了。原稿用紙50枚。
 書き終わり、ぼくは愕然としている。物語は主人公の「僕」が大学時代にやっていた芝刈りのアルバイトの回想録という構成になっている。アルバイトの最終日、仕事を終えた「僕」は家主の大柄な中年女に娘の部屋を見せられる。この短編小説を読んだことがある方なら誰もがこの娘はもう亡くなっていると理解することだろう。ぼくもそう理解していた。だから作中にそういう一文があるものだと信じながら書写していた。ところがそういう文章はなかった。書き終わったとき、そんな馬鹿なと思い、もしかしたらぼくがページを飛ばして書写してしまったのではないかと疑って頭から読み返してみた。しかしやはりなかった。だから受け取りようによっては娘は亡くなったのではなく、どこか別の場所で暮らしているという読み方もできるだろう。しかし、少なくともぼくにとっては、娘の不在は死を意味していた。ぼくが愕然としてしてしまったのは、一度も「死」という言葉を使っていないにもかかわらず読者に死を感じさせる小説になっている点である。技術的な分析は文芸評論家に任せるとして、一読者であるぼくには驚異の体験だった。
2024年7月3日
 村上春樹さんプロデュースの「村上JAM vol.3」がすみだトリフォニーホールで開催された。これまでは抽選にはずれて涙を飲んでいたが、今回は先着順だったのでチケットをゲットできた。それも8列目ほぼ中央。感激でめまいがしそうだった。
 過去二回のテーマはジャズ、ボサノバで、今回はフュージョン。ジャズ・ピアニストの大西順子を音楽監督に迎え、ジョン・パティトゥッチ(ベース)、マイク・スターン(ギター)、エリック・ハーランド(ドラム)、カーク・ウェイラム(サックス)、黒田卓也(トランペット)が集結した。大西順子をライブで聴くのは四年前に地元入間に来てくれたとき以来で、他のミュージシャンは生で聴くのは初めてである。カーク・ウェイラムは大ヒット映画『ボディガード』でホイットニー・ヒューストンが熱唱する「Always Love You」でソロサックスを担当した大御所だ。
 告白するが、ぼくはフュージョンは詳しくない。普段聴いているジャズはもっぱらビバップで、ハードバップはともかく、モード・ジャズ以降はほとんど聴いていない。せいぜいハービー・ハンコックとウィントン・マルサリスぐらいだ。
 しかしそれでも第一級のミュージシャンが奏でる音楽には説得力があった。カーク・ウェイラムのサックスは躍動し、ジョン・パティトゥッチのベースは跳ねていた。ちなみにセットリストは以下のとおり。
・Jean Pierre
・Tipatina's
・Ana Maria
・Spain
・Direction
・Cantaloupe Island
・Wing and a prayer
・Chromazone
・アンコール Some Skunk Funk
 ぼくは学生時代にドラムをやっていたこともありドラムソロを期待していたのだが、大きなソロは一回しかなかったのでちょっとがっかりしていた。しかしアンコールで再登場するととても長いソロを披露、大いに堪能できた。
 村上さんはこう言っていた。
「生の音楽を聴くのは心に残るんです。たくさんコンサートを聴いてきたけど、みんな少しずつかけらになって残っています」
 確かに心に残ったライブだった。
2024年6月27日
 「チーズ・ケーキのような形をした僕の貧乏」の書写終了。原稿用紙10枚。
2024年6月21日
 「バースデイ・ガール」の書写終了。原稿用紙33枚。
2024年6月16日
 人生三度目の「生の村上さんを目撃する体験」が実現した。早稲田大学で開催された『初夏の文芸フェスティバル』のプログラムの一つに来月公開される村上春樹原作のアニメ映画『めくらやなぎと眠る女』の特別上映会&ポストトークというのがあり、抽選に運良く当選できたのだ。
 映画は村上さんの六つの短編『かえるくん、東京を救う』『バースデイ・ガール』『かいつぶり』『ねじまき鳥と火曜日の女たち』『UFOが釧路に降りる』『めくらやなぎと、眠る女』を融合させた作品で、音楽家でアニメーション作家のピエール・フォルデスが監督を務めた。ぼくは『ねじまき鳥クロニクル』のTシャツを着て大隈講堂に赴いた。
 上映のあと、村上さんとピエール監督と柴田元幸さんが登壇し、柴田さんの進行でポストトークとなった。
 村上さんは柴田さんからの質問に答えて、まず映画の感想として「アニメはあまり興味が持てなくてあまり見ないのだが、これは面白かった」と言った。
 ピエール監督はこの作品の中でかえるくんの声も担当しているそうだが、村上作品に出会ったときのことをこう語った。
「友人に勧められて短編集『象の消滅』を読んだ。とても衝撃的だった。物語、オリジナル性、そしてそのスタイルに」
 そして今回の作品が複数の短編で成立している点についてはこう語った。
「何度も何度もすべての短編小説を読んでいるうちに、いろんな物語や人物につながりが見えてきた植物の根がからみ合うように」
 村上さんは長編小説の映画化と短編小説の映画化についてこう語った。
「長編だと上映時間の関係でどうしても引き算になってしまうが、短編だと監督が何かしらプラスしていけるので嫌いじゃない。何かを足してオリジナルにする、これがぼくが映画に求めていること」
 それに対してピエール監督も「自分のインスピレーションを付け加える解釈が大切」と言った。
 そんな村上さんだが、映画化してほしい長編が一つだけあると言った。それは『アンダーグランド』だった。ぼくはとても驚いた。『アンダーグランド』は地下鉄サリン事件の被害者たちに村上さんがインタビューしたドキュメントである。この作品の映画化は非常にハードルが高そうだが、村上さんとしてはフィクション、ノンフィクション、どちらでも構わないらしい。
 ちなみに『めくらやなぎと眠る女』だが、来月公開ということもありネタバレにならないように気をつけながら書くと、原作が好きな人にとってはとても興味深い作品に仕上がっていると言えるだろう。しかし原作を知らず、または読んではいても特に好きではない人にとってはあまりピンとこないのではないかと想像する。村上作品を一つも読んでないけど映画はすごくよかったという人がいたら、どこがどんなふうによかったのかじっくり聞いてみたい。純粋にとても興味がある。
 せっかく早稲田大学まで来たのだからと、村上春樹ライブラリーにも寄った。館内をゆっくり見学し、併設のカフェ「オレンジ・キャット」でドーナツを食べ、オーディオ・ルームでは素晴らしい音響セットでエラ・フィッツジェラルドの『These Are the Blues』を堪能した。
2024年6月8日
 「神の子どもたちはみな踊る」の書写終了。原稿用紙41枚だった。
2024年5月20日
 「かいつぶり」の書写終了。原稿用紙13枚だった。
2024年5月16日
 村上春樹さんの著書に『辺境・近境』がある。村上さんが世界のあちこちを旅した旅行記なのだが、最終章は神戸となっている。西宮から神戸までを、思い出の地を巡りながら一泊二日で歩いた記録である。
 これに沿った一人旅をしようと思い立ち、敢行した。
 こんなことをする意味はあるのか? おそらくない。単なる自己満足である。行きたくても行けなくなる前に、行けるうちに行くのだ。これはぼくにとってのプロレスなのだ。
 一昨日の夜に深夜バスで出発し、現地に朝着いたらあちこち巡るが宿泊はせず、また深夜バスに乗って今日の早朝に帰ってくる強行スケジュールを組んだ。往復とも深夜バスはウィラーを使った。
 一昨日の夜10時近くに池袋を発ち、昨日の朝7時前に大阪に着いた。西宮駅のマクドナルドで朝食を取り、8時に出発。巡礼のスタートである。
 南口の商店街を抜け、まずは村上さんが小学校低学年時に通った浜脇小学校を見て(あんまりジロジロ見ていると不審者扱いされそうだから一瞬立ち止まって眺めただけ)、それから西宮戎神社を訪問。『辺境・近境』には村上さんが戎神社を訪れたときのことが以下のように書かれている。
「僕は神社の境内に腰を下ろし、初夏の太陽の下であたりを見まわし、そこにある風景に自分を馴染ませる」
 それにならい、ぼくも神社の境内に腰を下ろして小休止を取った。村上さんが二日かけて歩いたコースをぼくは一日で踏破しようとしているので、この長丁場では小休止は重要である。神社は高速道路と線路にはさまれている位置関係なのだが、敷地全体が巨木が生い茂った森の様相を呈しているので喧騒は遮断されていた。
 それから夙川オアシスロードを歩いて御前浜公園に行き、コンクリートの堤防に腰を下ろして感慨に浸った。『辺境・近境』には以下のように書かれている。
「コンクリートの堤防に腰を下ろして、かつてほんものの海があったあたりをじっと眺めていると、そこにあるすべてのものごとが、まるでタイヤの空気が抜けるみたいに、僕の意識のなかで少しずつ静かに現実味を失っていく」
 次に市立図書館を訪れる。市立図書館のことに関しては以下のように書かれている。
「暇さえあればそこに通い、いろんな種類のジュヴァナイルを読書室で片端から貪るように読んだ」
 ぼくはここでは村上さんの著書が置かれている棚を見学したりしてまた小休止を取った。建物は古いが天井が高く、おそらくそのせいでのびのびした気分になれる空間になっていた。
 それから村上さんの母校である西宮市立香櫨園小学校と芦屋市立精道中学校を通ったのち、打出図書館を訪問した。打出図書館は今回のメインの一つだったのだが、ぼくは大きな失敗をしでかした。水曜は休館日だったのだ。ぼくの頭には「図書館の休館日は月曜」と深く刻み込まれているので疑いなく行ってしまったが、ここは火曜と水曜が休館日だったのだ。全体が植物に侵食された建物は謎めいていて興味深かったのだが、残念。仕方がないのでガラスドア越しに中の様子だけ伺って退散した。
 次は阪急「芦屋川」駅から阪急電車の山側の道をときどき回り道しながら西に向けて歩いて神戸市に入った。村上さんがそのようなコースを辿ったと書かれていたからだ。
 ぼくは普段から散歩が好きでけっこうあちこち歩いているが、せいぜい長くても10キロ程度である。だから今回の旅の予習として、一度18キロほどを歩いてみて感覚をつかんでいた。この時点12キロほど歩いていて少し足がガクガクしたが、ゆっくりしたペースを守れば大丈夫だと確信した。
 急な坂道を上がって兵庫県立神戸高校に向かった。校舎をチラ見して、そして「新神戸」駅まで歩き、旅はここで終了した。著書を正確になぞるなら三宮にあるピッツェリア「ピノッキオ」でピザを食べるべきだが、そこは妻と二人で行きたい。神戸は妻といつか訪れようとしている候補地の一つなのだ。だから店の外観写真だけ撮り、サーモンのサンドイッチが絶品だというトアロード・デリカテッセンも水曜日は定休日なのでやはり外観写真だけ収めた。
 スーパー銭湯で疲れた体をゆっくり休め、三宮の街をぶらぶら歩いた。そして深夜バスに乗るまでのあいだ、バー・レストランみたいな店でビールを飲んでのんびり過ごした。バックパッカー並みの貧乏一人旅だった。
 本当にこんなことをする意味はなかったのだろうか?
 当初の目的が何であれ、じっさいに行けばやはり感じるものはある。たとえば芦屋のセレブ加減。西宮から芦屋にかけては「さすがセレブの街」と思わないわけにはいかなかった。豪邸だけじゃなくも集合住宅も多いのだが、デザインが凝っていたり密集していなかったりと空間の取り方にゆとりがあるのだ。ゴミが散らかっている場面には一度も出くわさなかったし、街路樹は綺麗に整備されていた。歩道も広い。この地区を歩いていたときは人ごみとも無縁で気持ちよく歩けた。
 また、歩いているあいだ、不意に神社に出くわすことがあった。そんなとき、ぼくは必ず参拝した。京都ほどではないにせよ、前述の西宮神社や六甲八幡神社、生田神社、三宮神社以外にもたくさんあって、たぶん十箇所ぐらいで参拝した。10円玉が足りなくなって、途中で10円玉を新たに作らなければならないほどだった。
 そしてもちろん、当初の目的である聖地巡礼に関しても思うところがあった。
 歩いているあいだ、ほとんどずっと六甲山系の連なりが目に入った。それも遠くではなく、1キロぐらいの近さで見えるのだ。そしてこのエリアは海も近い。川も何本渡ったか知れない。村上さんはこういう環境で育ったのだ。山と海が近い大磯に現在住んでいるのは似た環境を求めたに違いない。
 精道中学の横の道を通ったときには、教師が授業をしている声が聞こえてきた。神戸高校の校庭では教師が大声で生徒に何かを教えていた。ぼくは気持ちの良いそよ風に吹かれながらこうしたことを微笑ましく思った。やはりぼくにとってこの旅は意味深いものだった。
2024年5月12日
 「UFOが釧路に降りる」の書写終了。原稿用紙38枚だった。
2024年4月29日
 「かえるくん、東京を救う」の書写終了。原稿用紙45枚だった。
2024年4月26日
 早稲田大学大隈講堂で開催された「The Art of the Benshi 2024 World Tour at 早稲田大学」に参加した。早稲田に来ておいて村上春樹ライブラリーをスルーするわけにはいかない。ちょうど「カフカ没後100年記念 『変身』するカフカ展」が開催されていることだし。通算12回目の訪問となった。
 以下のような趣旨の展示会である。
「主人公ザムザが変身した『ウンゲツィーファー( Ungeziefer )』のイメージを探るため、訳者ごとに異なる訳文や装丁画に注目します。また、村上春樹はもちろん、近現代の作家たちや漫画家たちがカフカをどのように作品に取り入れた(=“変身”させた)のか、日本におけるカフカ受容について考えます」
 毒虫のウンゲツィーファーはカフカの指示で本の表紙や挿絵に描かれていない。そのため読者それぞれが想像することになる。じつはぼくも一つのイメージを持っている。もしかしたらぼくと同じイメージの絵と出会えるかもしれないと期待して臨んだ。
 各国に翻訳された本の表紙のいくつかにはウンゲツィーファーが描かれていた。しかしどれもぼくのイメージとは違っていた。それらはコオロギっぽかったりゴキブリっぽかったりしていた。ぼくのイメージは芋虫に近かった。
 ぼくのイメージはちょっとズレているのかなと思いながら進んで行くと(ズレていてもぜんぜん構わないのだが)、まさに芋虫っぽい絵があった。描いたのは手塚治虫さん。やはり日本人の感覚なのだろうか。
 ライブラリーではいつものようにオーディオ・ルームにも寄り、素晴らしいスピーカーでチャーリー・パーカーの『South of the Border』、ビリー・ホリデイの『At Jazz at the Phillharmonic』を堪能した。むろんオレンジキャットでドーナツも美味しく食べた。
2024年4月6日
 「パン屋再襲撃」の書写終了。原稿用紙38枚だった。深いメタファーの作品だと勝手に思っているが、書写してもそれが解明されることはなかった。まあ、解明しようと躍起になっているわけでもないのだが。
2024年3月21日
 「納屋を焼く」の書写終了。原稿用紙42枚だった。いつも思うことだが、この深い作品が42枚で書き上げられたことに驚く。
2024年3月1日
 人生二度目の“村上春樹さん体験”。早稲田大学大隈記念講堂で開催された「村上春樹×川上未映子 春のみみずく朗読会」に運良く参加できたのだ。舞台『神の子どもたちはみな踊る after the quake』のTシャツを着て、快晴のなか(そして花粉が大量に飛び交うなか)心軽やかに出かけて行った。電車のなかで読んでいたのはもちろん村上さんの最新刊『デヴィッド・ストーン・マーティンの素晴らしい世界』である。
 池袋から早稲田大学まで四十分ほど歩き、例によって村上春樹ライブラリーで過ごした(訪問11回目)。オーディオ・ルームでは『THE BEST OF BRAFF』を素晴らしい音で堪能し、オレンジ・キャットではシュガー・ドーナツとキャラメル・ドーナツをおいしく食べた。ただ、ぼくは開演三時間以上前にライブラリーに着いていたからこれらを問題なくこなせたが、今回のイベントの参加者と思われる方たちが大勢来ていて、どこのスペースにも空席はほとんどなかった。
 肝心のイベントだが、夢心地の二時間半だった。プログラムとしては以下のとおり。
 @川上さんの朗読『青かける青』
 Aギタリスト村治佳織さんによる演奏−『イエスタデイ』『ミッシェル』『カヴァティーナ』など
 B村上さんの朗読『夏帆』前半
 ―休憩―
 C小澤征悦さんの朗読『ヘブン』『風の歌を聴け(抜粋)』
 D川上さんの朗読『わたしたちのドア』
 E村上さんの朗読『夏帆』後半
 F四人でのトーク
 G川上さんのおまけ朗読『ノルウェイの森(抜粋)』

 村上さんと川上さんは、川上さんの発案でこのイベントのために書いた新作を朗読した。それぞれ『わたしたちのドア』、『夏帆』である。村上さんは全部読むには長すぎる作品になったので、このイベントのために短くしたと言っていた。それでも長いため、前半と後半に分けたというわけだ。ぼくはてっきり会場からクスクス笑いが起こるような明るい作品だと想像していたのだが、ぜんぜんそんなことはなく、とても深い作品だった。わー、まだこういうのを書けるんだと仰天してしまった。ただしここで内容について触れるわけにはいかない。開演前に館内放送で「今回のイベントではお二人の未発表作品が朗読されますが、内容についてはSNSやインターネットへの投稿はお控えください」と釘を刺されていたからだ。村上さんはときどき手振りを交えて低音のしぶい声で読んだ。
 小澤征悦さんの朗読はさすがプロの俳優で、聞き取りやすい声の明快度も抑揚のつけ方も素晴らしかった。バックでは村治さんが小澤さんに合わせてギターを奏でていて、心地よく作品世界に入って行けた。
『風の歌を聴け』と『夏帆』という、村上作品の一番古い作品と一番新しい作品の朗読を堪能できた素晴らしい夜だった。
2024年3月4日
 「象の消滅」の書写終了。原稿用紙で46枚だった。この深い作品が46枚で書き上げられたことに驚くばかりだ。
2024年2月12日
 「沈黙」の書写終了。原稿用紙で48枚だった。毎度のことだが、たった48枚でこれだけ充実した作品が書けることにため息が出てしまう。
2024年1月17日
 「トニー滝谷」の書写終了。四百字詰め原稿用紙で45枚だった。読後の充実感を考えると、じつに凝縮感のある作品だと思う。
2024年1月15日
 ブルックスブラザーズのダッフルコートを着て十年ぶりに国分寺を訪れ、「ピーター・キャット」跡地とかつて村上夫妻が住んでいた家を見に行った。
 家は集合住宅ではなく戸建てなのだが、土地がホールケーキを十二等分したような変わった形をしている。詳しくは「チーズ・ケーキのような形をした僕の貧乏」(『カンガルー日和』収録)に書かれている。十年前は建物がボロボロのまま無人で残っていたが、今はその家は壊され、新しい家が建築中のようだ。何本もの柱が剥き出しで立っており、屋根も下地が敷かれていた。
「ピーター・キャット」は、十年前はたしかダンス教室みたいなスペースだったと記憶しているが、今は美容院になっていた。
2023年12月11日
「四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」の書写終了。書写して、これが原稿用紙たった10枚ということに驚嘆した。
2023年12月10日
 村上春樹ライブラリーで開催中のイベント「安西水丸展 村上春樹との仕事から」に関連するギャラリートークに参加した。出演者は『SWITCH』『Coyote』編集長の新井敏記さんと新潮社の編集者寺島哲也さん。『1Q84』のTシャツを着て早稲田に赴いた。
 寺島さんが進行役で、安西水丸さんを語る上で欠かせないいくつかのキーワードをテーマにお二人が思い出話を語るという趣旨だった。キーワードの一つ「千倉」では、寺島さんがこんな趣旨の話をした。
「安西さんは『一流の絵画ばかり見て育てば芸術的な感覚が磨かれる。千倉(安西の故郷)は何もないところだけど、一流の海があった』と言っていた」
 また、ふと思い出したようにこんな話もした。
「安西さんは村上春樹さんのことを、ときどき『村上はさあ』と言った。村上さんのことを村上と呼べる人はなかなかいない。和田誠さんも『村上とは言えないなあ』と言って、『村上さん』と言っていた。柴田元幸さんも『春樹さん』とは呼ばず『村上さん』と言う」
 そして寺島さんは、安西水丸さんと和田誠さんが同席していたある飲み会で描いてもらったと言ってスケッチブックを客席に向かって開いて見せてくれた。和田誠さんは三谷幸喜さんの似顔絵を、安西水丸さんは村上春樹さんの似顔絵を描いていた。どちらも簡単な線だけで描かれていたが、じつにお二人らしい画風だった。
 簡単な線と言えば、安西水丸さんの告別式で、南しんぼうさんがこんな意味の話をしていたのが印象的だったと寺島さんは言った。
「水丸さんの絵をそのまま描こうとして驚いた。これ以上線が長くても短くても駄目というところで、線がピタッと決まっていた。尋常じゃない才能だ」
 あるとき寺島さんは、安西水丸さんに「もっとも印象的な仕事は何でしたか?」と訊いたそうだ。水丸さんは『中国行きのスロウ・ボート』と即答したそうだ。
 安西水丸塾の塾生だった信濃八太郎さんと安西水丸さんに師事していた山ア杉夫さんも来ていて、飛び入りで思い出話を語るという一幕もあり、親密な会となった。お二人は水丸さんのことを「安西先生」と呼んでいた。
 そして肝心の展示会だが、ディスプレイの仕方までよく練られた、大規模ではないけれどとてもいい雰囲気の空間になっていた。工房で水丸さんが作品を作っている五分程度の動画も上映されているし、原画ももちろんたくさんあって大いに楽しめた。ファンには必見のイベントだろう。
 もちろんオレンジキャットでドーナツも食べたし、オーディオ・ルームではクロード・ウィリアムソン・トリオ・ウィズ・ビル・クロウの『ニューヨークの秋』を楽しんだ。
 これでぼくが村上春樹ライブラリーを訪れたのは十回になった。
2023年10月28日
 抽選に当たったので早稲田大学国際会議場(井深大記念ホール)で開催される「国際シンポジウム『世界とつながる日本文学 ~after murakami~』」に参加できることになった。『1Q84』のTシャツを着て、池袋駅から軽やかに徒歩で向かった(約40分)。
 オープニング、第1セッション、第2セッションという流れで、10時30分から17時までみっちりプログラムされれていた(途中、13時から14時30分まで昼休憩)。
 一カ月ほど前にこのイベントを知ったとき、是非とも参加したいと思ったのは、登壇者のすばらしさである。

・オープニング:ジェイ・ルービン(ハーバード大学名誉教授)
・第1セッション:「新しい世代の作家にとっての日本文学」
 登壇作家:アンナ・ツィマ、呉明益、柴崎友香、チョン・イヒョン、ブライアン・ワシントン
 モデレーター:柴田元幸
・第2セッション:「表現者にとっての日本文学」
 登壇アーティスト:アミール・クリガー、インバル・ピント、チップ・キッド、ピエール・フォルデス
 モデレーター:岡室美奈子

 以上の登壇者のうち、「いつかこの人のお話を生で聴いてみたい」と切に願っていた方が二人いる。ジェイ・ルービンとチップ・キッドである。
 ジェイ・ルービンはハーバード大学名誉教授で、『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』などの翻訳を手がけている。チップ・キッドは村上春樹作品の米国版すべての装丁を手がけている、伝説的なブックデザイナーである。
 この二人に加え、来月上演される『ねじまき鳥クロニクル』の演出・脚本を担当したアミール・クリガー、同作をアミール・クリガーと共に演出し、振付もおこなったインバル・ピント、さらに来夏に劇場公開されるアニメ映画『めくらやなぎと眠る女』の監督であるピエール・フォルデスの話も聞ける。こんなチャンスは二度とないだろう。
 席は自由席ではなく予め割り振られていた。いい席が当たりますようにと願っていたら、前から三列目のほぼ中央。やったぜベイビー! ちなみに一列目は登壇者たち、二列目は関係者の方たちだった。イヤホンも用意されていて、同時通訳があった。さすが国際的イベント。

 オープニングのジェイ・ルービンの基調講演は話の内容としてはとくに興味深くはなかった。2006年に開催された前回の国際シンポジウム「春樹をめぐる冒険ー世界は村上文学をどう読むか」のときの様子や成果の話だった。だがすぐ目の前で語っているジェイ・ルービンの姿を見られて満足できた。
 続いて第1セッション。テーマは「新しい世代の作家にとっての日本文学」である。プログラムには「村上春樹作品や日本文学に影響を受けた作家をお招きし、ご自身の読書体験や執筆活動についてお話しいただきます」と書かれていた。
 モデレーターの柴田元幸の進行で各作家が語ったのだが、こちらもぼくにはグッとくる話がなかった。唯一、なるほどなと思えたのはアンナ・ツィマの以下の話。
「初めて日本に来たとき、村上作品に出てくる街を期待を持って歩いたけどイメージどおりではなかった。それで理解した。自分は文学上の表現に憧れていただけなのだと」
 そんな意味のことを言っていた。

 昼の休憩のとき、せっかく早稲田に来ているのだからと、村上春樹ライブラリーも訪問し(七度目)、オレンジキャットでドーナツも食べ、オーディオルームにも寄った。かかっていたのはナット・キング・コールの『アフター・ミッドナイト』。

 第2セッション。
 最初に登壇したのはアミール・クリガー、インバル・ピント。お二人ともイスラエル人である。『ねじまき鳥クロニクル』で描かれている暴力と現在のイスラエルの状況を重ね合わせた話に言及するかと思ったが、ほんの少しだけ触れただけにとどめていた。
 続いてプログラムにも記されていなかった、舞台『ねじまき鳥クロニクル』の実際の役者二人による一場面のパフォーマンスがあった。
 次はお待ちかねのチップ・キッド。スクリーンに映像を映しながら、生い立ちや経歴、じっさいに手がけた村上作品のブックカバーの完成までの経緯なんかをユーモアを交えて語った。具体的には『象の消滅』『スプートニクの恋人』『ねじまき鳥クロニクル』『めくらやなぎと眠る女』『アフターダーク』『海辺のカフカ』『1Q84』『ふしぎな図書館』『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』である。
 次はピエール・フォルデス。いろいろ語っていたが、こちらもグッとくるものはなかった。話のあとにアニメ映画『めくらやなぎと眠る女』の10分程度の特別編集版が上映され、それを観られたのが救いだった。
 それから四人によるシンポジウムに入った。テーマは「表現者にとっての日本文学」である。プログラムには「村上春樹作品が文学以外の芸術分野でどのように受容されているのか、どのようなインスピレーションを与えているのか、さまざまな分野の表現者にお話しいただきます」と書かれていたが、正直言って、どの方のどの話もなんだかピンとこなかった。まあ、ぼくの見識がないせいなのだろう。
 結局、ぼくにとってはジェイ・ルービンを見られたこと、アンナ・ツィマの発言に感心したこと、チップ・キッドの話、舞台『ねじまき鳥クロニクル』と映画『めくらやなぎと眠る女』の一部を観られたことだけが収穫だった。登壇者の豪華さを考えると首をひねってしまうが、五つも収穫があったことは大きな喜びである。
2023年10月20日
 ぼくが「大井浩一」という名前を気に留めるようになったのは、たぶん六年前ぐらいだと思う。
 村上主義者のぼくは、著書だけでなく雑誌や新聞記事も見逃さないように普段からアンテナ張っている。新刊が出版される際などのタイミングで、村上さんが新聞社のインタビューを受けることがある。それは各紙に掲載されるわけだが、あるとき、毎日新聞だけがダントツに扱いが大きいことに気づいた。そして署名記事なので記者の氏名が記されている。それが大井浩一。
 ぼくは勝手に、この人はきっと仕事としてだけでなく、ファンとして深い興味を持って記事を書いているのだろうなと思っていた。この人も村上主義者なのだと。だから、基本的に村上作品の解説書のたぐいは読まないぼくが、唯一の例外として、大井さんが書いた『村上春樹をめぐるメモらんだむ 2019-2021』を購入していた。ただ、この人は単なる一記者であり、作家でも文芸評論家でもないのだから、講演などしない、というか、講演する立場の方ではないのだろうと勝手に思い込んでいた。
 そうしたら二カ月ほど前、村上春樹ライブラリーでの公開セミナー「村上春樹文学に出会う#5大井浩一 時代の中の作家像―読者として、記者として」の記事を見つけた。ワオ!
 こうして「山下洋輔再乱入ライブ」のTシャツを着て、六度目の村上春樹ライブラリー訪問となった。
 大井さんが村上主義者ではないかというぼくの予想は的中した。セミナーの案内にこう書かれていたのだ。
「大井さんは1981〜85年に本学(早稲田大学)政治経済学部で学び、在学中、大学生協のブックストアで平積みになっていた『羊をめぐる冒険』を手にして以来、リアルタイムで村上作品を読み続けてきました。のちに全国紙の学芸記者となり、97年刊行の『アンダーグラウンド』に関するインタビューを初めとして、作家本人に会っての取材を十回以上重ねています(講演時に配布された資料では十一回だった)」
 参加者は三十人ぐらい。学生らしき女性もおられたが、四十代後半から五十代前半が中心といった感じ。外国人も五人ぐらいおられた。
 お話しは非常に興味深かった。
 スクリーンに記事や写真を映しながら、いかにして自分が村上さんのファンになったか、群像新人賞選考会の日にどんなニュースがあったかなどを、時代背景を照らしながら誠実に語った。ジャーナリストらしく、示された資料すべてに出典がきっちり記されていた。あとで事実関係を調べるぼくとしては、それが非常に参考になった。
 最後に「ジャーナリストの視点としては、七十年代から八十年代にかけて失われた理性に対応した作家が村上春樹だった」と締めくくった。
 あっという間の一時間だった。
 講演は午後二時からだが、混むかもしれない不安から十一時に行ったら一番乗りだった。講演開始まで音響ルームで音楽を聴いたり(ビル・エヴァンス『ワルツ・フォー・デビー』、レナート・セラーニ&ダニーロ・レア『アマポーラ』、『Pres & Teddy』、エディ・ヒギンズ・トリオ『イフ・ドリームス・カム・トゥルー』)、オレンジキャットでドーナツを食べたりしてのんびり過ごした。
 池袋から村上春樹ライブラリーまで散歩がてら歩いた(約35分)。秋にしては暑い日だったのでけっこう疲れた。
2023年7月13日
 昨年の十月十二日、村上春樹ライブラリーで開催されたイベント「Authors Alive!〜作家に会おう〜」シリーズの平野啓一郎さんの回にはとても参加したかった。しかし抽選に外れて涙を飲んでいた。その記録映像がライブラリーで期間限定上映されると知り、さっそく赴いた(イベント自体は早稲田大学小野記念講堂で開催された)。池袋と早稲田の往復は歩いた。少しでも多くの運動を心がけているのだ。
 平野さんはロバート・キャンベルさんとの対談を中心に、著書『ある男』『本心』『「カッコいい」とは何か』の一部を朗読した。対談では、作品に盛り込む自身の価値観などを忌憚なく語っていた。
 三年前、平野さんの講演会に参加できるはずだった。しかし新コロ騒動により中止になってしまった。そのリベンジにもなってうれしかったのだが、驚いたこともあった。観客がぼく一人だったのだ。上映開始時はもう一人、中年女性がいた。しかししばらくすると立ち去り、ぼくだけになった。その後は誰も来なかった。
 ライブラリーの同じ階で、「Authors Alive!〜作家に会おう〜」シリーズの小川洋子さんの回と村治佳織さんの回(どちらもライブラリーで開催)のダイジェスト版が上映されていた。対談相手が村上春樹さん自身なので、こちらもしっかり全部観た。しかしここも観客はぼく一人だった。
 コロナ明けということで、入館に予約は不要になったし、滞在時間の制限(九十分)もなくなった。なので思う存分この空間に身を浸してやろうと、音響ルームでジャズを聴いたり、ソファに寝そべってこの日記を書いたりして四時間ばかり過ごした。
 音響ルームでかかっていたアルバムは『Pres & Teddy』。これはCDで持っていて何十回も聴いている大好きなアルバムだが、やはりLPをすばらしいステレオセットで聴くというのは、バンドが目の前で演奏しているようで臨場感がある。五度目の村上春樹ライブラリーも至福のひと時だった。
2023年7月
スイス旅行。チューリッヒでドイツ語版『国境の南、太陽の西』を購入。
2023年5月19日
 早稲田大学はこの四月から公開セミナー「村上春樹文学に出会う」シリーズをはじめた。
「さまざまな形で村上文学と関わってきた方々に、村上作品との“出会い”や“絆”について語っていただき、さらに村上文学を読む面白さや文学研究の魅力を来館者と交流し合う空間を作ります」
 という主旨らしい。
 学生じゃなくても参加できるようなので、韓国の小説家&エッセイストであるイム キョンソンさんの講演を聴きに、『1Q84』のTシャツを着て村上春樹ライブラリーに行ってきた。早稲田に行くときはいつもは都電を使うが、今回は池袋から徒歩で向かった。四十分ぐらいかかった。
 参加者は五十人ぐらい。そのうち男性は五人ほどしかいなかった。
『村上春樹のせいで』という著書もあるイム キョンソンさんは、韓国で村上さんがどういう受け入れられ方をしているか、それを彼女がどう思っているかなどをユーモアを交えてざっくばらんに語った。会場は終始なごやかな笑いに包まれていた。彼女が言うには、音楽に例えると、村上さんはビートルズのような存在であるようだ。つまり韓国では村上さんはアイコンとなっているらしい。
 最後の質疑応答で『街とその不確かな壁』の感想を訊かれ、こういう主旨のことを言っていた。
「作家でないと分からないことだけど、長編小説はこれが最後なんだなと感じました」
 なかなかドキッとする発言である。彼女の予感がはずれることを期待するしかない。
 ちなみにいつもは入館のためには事前予約が必要なのだが、五月十五日から二十六日まで、早稲田では「Museum Week」というイベントを開催しており、期間中、学内の各博物館は予約なしで入館できることになっている。事前予約では館内にいられる時間は九十分に制限されているが、予約なしということは好きなだけ居ていいということである。こんなチャンスを利用しない手はない。講演会は午後一時開始だが、ぼくは十二時には入館し、素晴らしい音でジャズを堪能したり(コルトレーン『ソウルトレイン』、ビル・エヴァンス『ワルツ・フォー・デビィ』)ソファで本を読んだり、一階の「橙子猫」でドーナツを食べたりして三時間以上堪能した。
2022年10月1日
 十月一日から来年一月二十二日まで、早稲田大学演劇博物館で「村上春樹 映画の旅」という企画展示会が開催される。公式サイトにはこう書かれている。
「本展では、村上が通っていた映画館や学生時代に読んでいたシナリオ、エッセイや小説のなかに登場する数々の映画、そして小説を映画化した作品、等々に関する数多くの資料を展示します。スチル写真やポスター、台本などの映画関連資料とともに、村上がこれまで見てきた映画をまるで旅の軌跡を辿るかのように振り返る構成となっています」
 村上主義者のぼくが見逃がすわけにはいかない。というより一刻も早く見たい。というわけで初日に、村上RadioのTシャツの上にブルックス・ブラザーズのシャツを着込み、ニューバランスのスニーカーを履き、山陽堂書店のトートバッグを持って見学してきた。
 抜けるような青空で過ごしやすい気候の土曜日、さぞかし村上主義者たちがたくさん来ていることだろうと予想していた。入場制限なんかがあったら面倒だなと心配すらしていた。
 取り越し苦労もいいとこだった。開館は十時、着いたのは十時十分。その時点でぼくが気づいた来館者はたった一人だった。そしてぼくの三十分ほどの滞在中に新たに遭遇した来館者は三人だけ。拍子抜けした。ただまあ、それも分らないことでもない。展示物は公式サイトの言葉どおり、村上作品に登場した映画のポスターやパンフレットが大部分で、村上さん自身に関するものはほとんどない。唯一目についたのは、村上さんの卒業論文の表紙(複製)である。特徴的な丸い文字で「アメリカ映画における旅の思想」と書かれていた。あとはまあ、村上さんがよく通った映画館の写真かなあ。池袋の文芸坐や早稲田松竹なんかはぼくもよく通っていたので何となくうれしかった。書き下ろしのエッセイが掲載されている図録はもちろん買った。せっかく早稲田まで来たのだからと、村上春樹ライブラリーにも予約して寄ってきた(三回目)。新しい展示物が増えているかと期待していたのだが、増えていたのかも知れないがぼくは気づかなかった。ライブラリーに居られるのは九十分なのだが、そのうちの半分ほどを視聴コーナーで過ごした。かかっていた音楽は「セロニアス・モンク・アンド・ソニー・ロリンズ」、日野皓正「Unforgettable」。素晴らしいステレオセットで聴く音楽は心に沁みた。それから館内にあった『セロニアス・モンクのいた風景』をソファに座って読んだ。併設されているカフェでは、もちろんドーナツも食べてきた。
2022年7月14日
 ついに村上春樹さんを生で目撃する日がやってきた。「村上春樹 presents 山下洋輔トリオ 再乱入ライブ」の抽選に当選したのだ。六月十日にメールが来て当選を知ったときにはじつに感慨深かった。
 ぼくが当選したのは「学生応援プレミアムチケット」という枠。一般席は8,800円なのだが(学生席2,970円)、学生を支援するための寄付金込みなので19,800円と高価に設定されている。その枠の抽選に申し込んだのは、むろんそのほうが当選確率が上がると期待したからだ。思惑どおりの結果となったわけだ。
 ライブ当日を迎えるまでの約一カ月は気もそぞろだった。不測の事態でライブが中止になったりしないかという心配もあったし、自分の体調管理にも細心の注意を払った。これまで以上に意識してマスクもした。ライブ二日前にハウスダストアレルギーのぜん息の発作が出てあせったが、症状がひどくなることはなかった。
 こうして七月十二日、ぼくは仕事帰りに早稲田大学大隈記念講堂に向かった。
 入場し、グッズ売り場で今回のイベントを記念して作られた青いTシャツを買い、プレミアムチケット購入者がもらえるグッズをもらった(なんとサイン本だった)。
 あとでニュースを見たら、来場者は千百人ほどだったようだ。平均年齢はよく分らない。二十代から五十代まで偏りなくおられ、男女比も半々ぐらい。これでは強引に平均を出す意味はないだろう。
 席に着いたのは十八時二十分。心臓の鼓動が激しくなり、それを抑えることはできなかった。そして開演時間の十八時三十分、オープニング・アクトの早稲田大学モダンジャズ研究会が『マディソン・タイム』を演奏したあと、一緒に司会をする坂本美雨さんとともに村上さんは現れた。
「こんばんは。村上春樹です」
 村上Radioの冒頭で毎回聞いているこのフレーズが、ぼくが生で聞いた村上さんの第一声だった。感激は最高潮に達した。頭の中がまっ白になりそうだった。
 村上さんは今回のイベントの経緯を話した。
 早稲田大学が学生運動の真っただなかだった一九六九年七月、バリケードで封鎖された大隈講堂から学生たちが担いで運び出したピアノで山下洋輔さんがライブを敢行(それが乱入ライブ)、当時会場となった四号館校舎が現在村上春樹ライブラリーとなっている縁から(当時の四号館と今の四号館は違う建物ではあるが)、同じメンバーで『再乱入ライブ』をやろうじゃないかと思い立って山下洋輔さんに声をかけたということだ。
 そんな話をしたあと、再び早稲田大学モダンジャズ研究会の演奏となった。それが三十分ほどで終わると、また坂本さんと共に登場し、演奏を終えた学生たちに話を聞いたりした。村上さんに話しかけられた学生たちがうらやましかった。
 学生たちが去るとそのままトークのコーナーとなり、小川哲さん、都築響一さん、菊地成孔さんが登場し、五人で当時の学園闘争やジャズをはじめとする音楽の話などで盛り上がった。村上さんは、
「学生時代は音楽を聴いて、バイトしたり女の子とデートして忙しかった。早稲田で何か学んだよりか、ストリートで学んだことの方が多かった」
 と言っていた。
 そして三十分ほどの休憩のあと、五十三年前と同じメンバー(ピア山下洋輔、テナーサックス中村誠一、ドラムス森山威男)による再乱入ライブとなった。
 圧巻のパフォーマンスだった、これぞフリー・ジャズという力強い演奏だった。ライブがはじまるまでは、村上さんと同じ空間にいる感動で音楽にのめり込めないのではないかと危惧していたが、若々しさを失っていない弾けるパワーに魅了された。死ぬまでに一度は山下洋輔さんのライブに行きたいと思っていたので、最高のかたちで実現したわけだ。ぼくの席は前から九列目の右から四番目で、そこはドラムが見やすい位置だったので森山威男さんのテクニックを堪能できた。ジャブだフックだストレートだと言わんばかりの挑発的な演奏の迫力に圧倒された。
 一九六九年の乱入ライブの首謀者であるジャーナリストの田原総一郎さんが駆けつけて来ており、
「すごい迫力! 五十年前と変わらない」
 と客席から大興奮して語った。田原さんによるとそのライブは、田原さんが山下洋輔さんに「一番幸福に感じるときはどんなときだ?」と訊いたら「ピアノを弾きながら死ねたらいい」と言ったので、じゃあ自分がそういう状況を作ってやると思って実現させたものらしい。それが“黒ヘル”グループ「反戦連合」が大隈講堂のピアノを無断で運び出し、敵対団体「民青」が占拠する四号館でライブをやるという形になったわけだ。
 四十分ほどの熱いライブのあと、二十分ほど休憩をはさんで村上さんと山下洋輔さんのアフタートークになった。ところどころではさむ休憩が長いのは、ネット配信をしていることと無関係ではないだろう。村上さんは、
「子供のころピアノを習っていたんだけど、練習が嫌でやめちゃったんです。文章は練習しなくていいんで楽です」
 と笑って言っていた。
 イベントの締めとして最後に山下洋輔さんがソロで「Memory is a Funny Thing」を演奏したのだが、曲のタイトルと同じ文章が村上さんの作品にあると言って村上さんの『ノルウェイの森』の一文を思い入れ深く読み上げた。ところが村上さんが「そんなこと書きましたっけ」と言い、会場は大きな笑いに包まれた。
 坂本美雨さんは、終始村上さんのサポートをしていた。名目上は司会は坂本さんと村上さんということになっているのだが、段取りをあまり覚えていない、あるいは気にしていない村上さんのお目付け役、または秘書的な役を、笑顔を絶やさずこなしていた。
 観客の反応も素晴らしかった。トークのときは物音ひとつたてずに聞き入り、音楽演奏のときはじつに熱い拍手を送っていた(もちろんぼくもその一人である)。そのメリハリの幅が大きかった。
 司会のときもトークのときも、とにかく壇上に村上さんがいるときはぼくは村上さんしか見ていなかったのだが、村上さんは終始このイベントを楽しんでいるように見えた。
 そういう村上さんを見られたことが嬉しかった。何しろ十年以上、講演や村上JAMなど、村上さんを生で見られるイベントの抽選に外れ続けてきた。最近では外れても悲しみより「またか」と他人事のようなクールな感情しか湧いてこない状態になっていた。それがサイン本をプレゼントされ、最後は撮影タイムが設けられたので写真まで撮ることもできた。ぼくにとって、間違いなく人生のハイライトの一つとなった夜だった。
2022年1月29日
 昨年十月のオープン直後に行って以来、四カ月弱ぶりの村上春樹ライブラリー。村上RADIOのユニクロTシャツを着て、ブルックス・ブラザーズのダッフルコートをまとい、タイメックスの腕時計をつけて足取り軽く訪れた。
 ぼくは「10時15分〜11時45分」の枠に予約したのだが、スタッフに訊いたところ、1枠40人まで予約できるのだそうだ。
 まずはオーディオ・ルームに行き、素晴らしい音響のジャズに身を委ねた(『アニタ・オデイ・アット・ミスター・ケリーズ』『ジョー・パス/フォー・ジャンゴ 』)。
 次にギャラリーを訪ね、『蛍・納屋を焼く・その他の短編』を探した。一つ確認したいことがあったのだ。
 映画版『バーニング』のパンフレットには以下の記述がある。
「村上春樹は『納屋を焼く』を書いた時はフォークナーの同名短編は未読だったと発言している。そのせいか初出と新潮文庫版『蛍・納屋を焼く・その他の短編』には『僕』がフォークナーの短編集を読んでいる描写があるが、その部分が「週刊誌を三冊」に変更されているヴァージョンも存在する」
 ギャラリーには著書のすべてが閲覧できるようになっているので、『蛍・納屋を焼く・その他の短編』を閲覧し、問題の箇所が「フォークナーの短編集」になっているのか「週刊誌を三冊」になっているのかを確認したかった。ぼくが持っているのは新潮文庫なので、ぜひ「週刊誌を三冊」バージョンを見てみたかったのだ。しかし所蔵されていた数冊はすべて令和元年に増刷された新潮文庫で、「週刊誌を三冊」バージョンは確認できなかった。
 しかし残念な気分に浸りながらギャラリーをぶらぶら歩いていると、『短編集1980-1991 象の消滅』が目に入った。これはアメリカで発売された短編集の日本語バージョンである。ぼくはふとこれを手に取り「納屋を焼く」が収録されているかどうか、目次を確認した。
 あった。それでソファ席に持っていって問題の箇所を確認したところ、「週刊誌を三冊」バージョンだった。三年間、ずっとモヤモヤしてしたものが解消された瞬間だった。ゾクゾクした。
 再訪のほかの目的としては、何か村上さん関係の資料が増えているかのチェックだった。もしかしたら少しは増えているのかも知れないが、はっきり分るような変化はなかった。少なくともぼくにはまったく分らなかった。
 あとはソファに座って本を読んだり(『ねじまき鳥と火曜日の女たち』)、橙子猫(オレンジ・キャット)でドーナツとコーヒーを楽しんだ。
 九十分は瞬く間に過ぎ去った。
2021年10月10日
 ぼくは安西水丸さんのファンだが、それは村上春樹さんのファンになったことがきっかけだった。本の表紙の絵やエッセイ集での楽しいイラストに魅せられたのだ。しかし、同じように村上さんと一緒にいくつもの仕事をしているが、和田誠さんのことは、村上さんのファンになる前、というより村上さんがデビューもしていない頃からファンだった。星新一さんのショートショートでのイラストが楽しかったからだ。必要最小限の線だけで描かれているところなんかが洗練されている感じがして大好きだった。
 そんな、四十年以上ファンであり続けているぼくが「和田誠展」を見逃すわけにはいかない。東京オペラシティに行ってきた。週刊文春の表紙の原画だけでも見切れないほどの量が展示されていた。言うまでもなく、それは和田さんがそれだけの想像を絶する仕事量をこなしてきたからだ。だからぼくは、村上春樹さん関係や三谷幸喜さん関係など、いくつかテーマを絞って、それらの作品だけはじっくり鑑賞することにした。
 和田さんは映画監督としても素晴らしかった。『麻雀放浪記』はサイコロで1のぞろ目をを二回連続で出す場面をワンカットで見せるシーンをはじめ、映画の手法を尽くした名作である。ぼくの生涯ベスト映画の一本だ。その映画の直筆のシナリオ原稿なんかも展示されていて、大満足の展示会だった。
2021年10月9日
 村上春樹ライブラリー。ネット予約すれば入館できるならチャレンジしない手はない。同じことを考える村上主義者はたくさんおられるだろうから、うまく予約を取れる保証はもちろんない。しかし予約開始日の予約開始時間10時ちょうどにチャレンジしてみたらあっさり取れた。拍子抜けするほどだった。
 行く前には、ネット情報や早稲田大学のサイトや今発売中のBRUTUSなどで、ライブラリーがどんな様子なのか、ずいぶん予習した。あとで「そういう展示物があったのか。ちぇ、見ておけばよかった」などと後悔しないように。
 こうしてユニクロの『1Q84』のTシャツを着て(その上に長袖シャツも重ねたが)、タイメックスの腕時計を付け、山陽堂書店のトートバッグを肩にかけて出かけた。
 予習の甲斐あって、焦ることなく見学できた。定員を何人に絞っているのか知らないが、とにかく入館者が少ないので心ゆくまでじっくり見学できた。予約は10時15分から11時45分までの90分間だったが、充分に堪能できた。あちこちで報道されているとおり、入ってすぐ、村上さんの作品世界のように地下に降りて行くイメージの下り階段がある。そして村上さんの「開かれたものにしたい」という趣旨のとおり、その階段部分に座って本を読んでいいことになっている(ぼく以外にそうしている方は見かけなかったが)。
 もちろん併設されているカフェでシュガードーナツも食べた。とてもモチモチしている手作り感たっぷりのおいしいドーナツだった。写真もたくさん撮った。しかしぼくは写真を撮りに来たのではない。村上春樹ライブラリーの世界に身を委ね、空間を味わいに来たのだ。だから30分近くはオーディオルームでソファに座り、アート・ペッパーを聴きながら『海辺のカフカ』の下巻の最後の方を読んだ。ぼくは音響に関してはまったく詳しくないが、それでもとてもいい音であることが分った。
2021年9月24日
 二月に『MURAKAMI JAM〜いけないボサノヴァ〜』をオンラインで楽しませていただいたとき、村上春樹さんが「1963/1982年のイパネマ娘」を朗読する隣でギターを奏でる女性がいた。村治佳織さん。そのときから、機会があればライブに足を運ぼうと決めていた。チャンスはかなり近くで訪れた。所沢ミューズである。前売り発売日の発売時間にアクセスしたら最前列が買えた。ヤッホー!
 新コロ騒動の発生以来、いろんなイベントが中止になっているので心配だったが、これは実現した。
 とても心地よいひと時を過ごせた。弟の村治奏一さんとの共演もほのぼのと聴かせたい。もちろんそれだけではなく、ここ一番では激しい速弾きで観客を魅了した。メリハリの幅が大きいということだ。アンコールにも二度応えてくれ、最後は映画『ディア・ハンター』の主題曲『カヴァティーナ』。心に沁み渡った。
2021年9月6日
 京都はいつも外国人観光客で混み合っているというのは、この十数年の日本の常識のようになっていた。今、ワクチン接種が進んでいるとは言え、新型コロナ感染の終息は見えず、世界はまだまだ海外旅行がしにくい状況にある。京都も外国人観光客がいないために苦戦を強いられている。だったら、空いている今こそ京都を満喫しよう。妻とそう考えたのが五月。さっそく八月に二泊三日の計画を立てた。二人が行きたいと望んだのは三千院と嵐山の二カ所だけだったので、そこに比叡山と二条城を加え、あとは例によって村上春樹さんゆかりの地をめぐることにした。東京からの往復は新幹線、京都でレンタカーを借りる旅だ。村上さんはエッセイなどで京都の好きな場所のことをいくつか書いている。その中から、以下のことをピルグルメイジとして実行しようと企てた。
・詩仙堂の縁側に座って庭を眺める。
・『はふう』でカツレツを食べる。
・山科の駅から坂道を登って毘沙門堂。帰り道は疎水沿い散歩する。
・粟田口やインクライン、南禅寺あたりが懐かしい。
・上田秋成の墓参り(個人の敷地内にあるので入るのはむずかしいかも)。
・ジャズバー『スロウ・ボート』のカウンターに置いてある『ポートレイト・イン・ジャズ』のサインを確認する。
・きざみうどんを食べる。
 俵屋旅館や貴船「ふじや」に宿泊というのもやってみたかったのだが、(金銭的に)ちょっと無理すれば泊まれるなどというレベルではなく、まったく考えられないレベルだったので諦めた。 ほかにも自分の意思でやめたものはある。インターネットでいろいろ調べているうちに、きざみうどんという食べ物は特別な食べ物ではなく、京都においてもけっこうマイナーなメニューであることが分ってきた。きざみうどんが大人気の名店があるわけでもない。なのでこれはやめることにした。さらに『スロウ・ボート』は、営業しているのかどうかすら不明なのでやめた。電話しても「お掛けになった電話番号は、現在使われておりません」というメッセージが流れるだけだし。
 そして京都に向かった。
 まず南禅寺。水路閣を見物し、インクラインあたりを散策し、かつて石川五右衛門が『絶景かな、絶景かな』と言ったらしい三門に上がってその「絶景」を眺めた。続いて毘沙門堂。計画どおり坂道を登って向かい、帰り道は疎水沿い散歩した。次に詩仙堂。計画どおり縁側に座って庭を眺めた。ぼくたちの他に四人ほどの訪問者がいたが、全員、縁側に座って庭を眺めていた。ここはそうする以外にはないという独特の雰囲気を持ったところだった。
 夕食はホテルから徒歩十五分の「はふう」である。村上さんおすすめのカツレツをついに堪能するときが来たのだ。ここの食事はすごかった。単に美味しいというレベルではない。前菜、スープ、サラダ、メイン、デザート、すべてで質の高い料理をしっかりした量で提供する。コース料理は五千円ぐらい。コストパフォーマンスは最高レベルだ。
 天気にも恵まれ、無事に旅行を終えられたわけだが、一つ、ピルグリメイジ事項について大きなミスをした。上田秋成の墓参をすっかり忘れてしまったのだ。思い出したのは帰りの新幹線のなか。あとのまつりである。
 ジャズバー『スロウ・ボート』はやはり営業していなかった。「はふう」に行くとき、回り道をして店の前を通ったが、それらしい看板は見当たらなかった。
2021年8月21日
 世の中に数独を楽しんでおられる方は多いだろう。ぼくもその一人だ。きっかけは文藝春秋二〇一三年十二月号。数独が載っていて暇つぶしに解いてみたら面白かったのである。それから八年が経ち、今では「超難問」じゃないと面白く感じられないレベルに達した。ではなぜそのとき、滅多に買わない文藝春秋を購入したか。村上春樹さんの新作短編小説「ドライブ・マイ・カー」が掲載されていたからである。じつに間接的ではあるが、ぼくの数独好きは村上さんの影響と言えなくもない。
 というわけで、村上主義者のぼくは映画化されたこの作品をさっそく観に行った。常々思っていることだが、長編小説の映画化はダイジェスト版みたいになってしまいがちなので、原作ファンの期待を裏切ることが多い(村上作品で言うと『ノルウェイの森』)。反対に、短編小説の映画化は脚本や演出にオリジナルを加える余地があるので面白くなることが多い(村上作品で言うと『トニー滝谷』)。幸いにも(と言うべきか)「ドライブ・マイ・カー」は短編だったので、オリジナルをうまく盛り込めている。三十分ぐらいで読める短編を、原作のムードを損なうことなく、やはり村上さんの短編「シェエラザード」のエピソードを織りまぜて三時間まで膨らませた脚本は立派なものだ。原作の主人公は俳優だが、それを俳優兼演出家という設定に変えている。彼はチェーホフの「ワーニャ伯父さん」を、手話まで含めた多言語演劇で演出する。その舞台の進行と映画の物語が絶妙にクロスするという演出も見事というほかない。
2021年8月2日
 先日発売された村上春樹さんの新刊『古くて素敵なクラシック・レコードたち』をけっこう真剣に読んだ。ぼくはクラシックにまったく疎く、この本を今後聴くクラシック音楽の指標にしたかったのだ。とりあえず二枚のアルバムを聴いてみた。まずはアマデウスQによる『ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第14番 嬰ハ短調 作品131』。村上さんはこう書いている。
「どこまでも安らかな気持ちになれる。この美しさは尋常ではない。ブタペストSQが『求道』なら、こちらは『救済』だ。」
 こんなふうに書かれたらファンとしては聴かずにはいられない。来月公開の映画『ドライブ・マイ・カー』の原作にも主人公が愛聴する音楽として登場する曲である。村上さんのようにいろんな人の演奏を聴き比べたわけではないが、ぼくも安らかな気持ちにはなれた。もう一枚は『トマス・ビーチャム ロリポップス管弦楽名曲集』。ロリポップというのは、アンコール向きの軽いクラシック曲のことなのだそうだ。村上さんはこう書いている。
「ビーチャムおじさんはそれらの選ばれた曲を、慈しむように大切に演奏する。このアルバムを聴いていると、心が自然にほのぼのしてくる」
 こちらも同様、こんなふうに書かれたらファンとしては聴かずにはいられない。聴き比べたわけではないが、ぼくもほのぼのした気分に浸れた。ぼくはここ十年ばかり、村上さんゆかりの地を訪れては悦に入っていた。国分寺と千駄ヶ谷の「ピーターキャット」の跡地を訪れたり、『ノルウェイの森』の「僕」と「直子」が歩いた四谷から巣鴨までのコースを小説のとおりに歩いたりといったことだ。
 今回の二枚のアルバム視聴も巡礼と言っていいだろう。

 やはり最近出た村上さんと柴田元幸さんの共著『本当の翻訳の話をしよう 増補版』で、村上さんはこう書いている。「毎年誕生日には、かつてジャック・ロンドンが所有していたワイナリーでいまも作ってる、ラベルに狼の顔が入ってるワインを一本空けるのが習慣になっています(笑)」
 さっそく同じワインをネットで購入し(ぼくにとっては高価だったけど)、いつか何かの記念日に飲もうと思っている。これも巡礼と言っていいだろう。
2021年6月26日
「イラストレーター 安西水丸展」を観に行った。
 これは四月二十四日にはじまった展示会で、当初は開始早々に行くつもりだった。ところがはじまったその日に発表された緊急事態宣言により、会場である世田谷文学館が翌日から五月いっぱいまで休館となってしまった。そのため、実質的な開始は六月一日ということになった。早く観たいと待っているファンは多いだろう。だから混雑が予想される六月初旬は避けた。しかし、ぼくたちが予定したのは混雑しやすい土曜日とは言え、まあ、大々的に宣伝しているわけではないから、コアなファンが来るだけの地味な展示会だとタカをくくっていた。ところが直前の日曜日、二十日のラジオ『村上RADIO プレスペシャル』でこの展示会の様子が五分以上にわたって宣伝されてしまった。村上春樹さんやパーソナリティのお二人が訪問したときの話ばかりでなく、世田谷文学館のスタッフの言葉まで紹介された。
 ぼくは頭を抱えてしまった。これで混雑が約束されてしまった。もっと早く行っておくべきだったと後悔した。ラジオでは、混雑の場合は入場制限もあるとも言っていた。しかし、いつまた緊急事態宣言が発令されて休館してしまうか分らないので、覚悟を決めて向かった。
 ガラガラだった。拍子抜けした。本当にコアなファンが来るだけの地味な展示会だった。もっと混んでなきゃ駄目じゃないかと腹が立ったほどだ。だがもちろん、空いているのはありがたいことで、じつにゆっくりと見学できた。たくさんの原画を観られたことはもちろん嬉しかった。特に『螢・納屋を焼く・その他の短編』の表紙の原画を見られたことは大きな収穫だった。村上さんと水丸さんの関係を示す有名なエピソードがあるからだ。村上さんがこの本のタイトル文字を水丸さんにお願いしたところ、水丸さんはなかなか納得できるものが書けず、結局、最初にメモとして書いた字が採用されたというエピソードである。水丸さんは本の表紙だけじゃなく、紙袋やワインラベルの絵も描いていた。和田誠さんとの合作も描いていた。そしてそれらを楽しんでいたようだ。作品を見ていて、それがじわじわと伝わってきた。展示の仕方にも遊び心があって愉快だった。世田谷文学館はじつに素晴らしい仕事をした。
2021年3月12日
 このあいだの月曜日、村上春樹さんがDJをつとめる「村上RADIO」とユニクロがコラボレーションしたTシャツコレクション全8種が発売された。村上主義者の端くれとして8種類すべてを入手したく、発売当日の昼休みに会社から近い東京駅周辺の店舗に行ったら「当店では取り扱っていない」と三つの店舗で言われて焦った。ネットで様子を調べてみると「オンラインストアでは売り切れ」と書かれたブログも発見してさらに焦りが倍増した。練馬区に勤めている妻にメールして、仕事帰りにユニクロ練馬店に寄ってもらうよう依頼した。『1Q84』があったら買ってきてもらおうとしたのだ。
 練馬店は取り扱っていたようで、帰宅したら『1Q84』のTシャツが目に飛び込んできた。ヤッホー。そして翌日、うまい具合に日本橋に仕事で行くことになったので、一駅足を伸ばしてユニクロ銀座店に行くと、全種類、充分な量が陳列されていた。他の客もおらず、ゆっくり見られて購入できた。
 めでたしめでたし。
2021年2月14日
 村上春樹さん関係の抽選に今まで当選しことがないので、今回の『MURAKAMI JAM〜いけないボサノヴァ〜』に落選したときも「またか」と結構あっさり受け入れられた。しかしありがたいことに、今回はオンライン配信があった(有料:三千五百円)。
 第一回村上JAMに続いて、音楽監督は今回も大西順子さん。ほんの三カ月前、地元で大西順子トリオのライブを楽しませていただいたばかりだ。そのトリオのメンバー、ベースの井上陽介さんとドラムの吉良創太さんも今回のライブで演奏しており、iPad の画面に見つけたときは大興奮した。
 スペシャルゲストとして小野リサさんが登場。昨年十二月のある土曜日、川越図書館に行くか所沢ミューズでの小野リサさんのコンサートに行くかを当日まで迷いながら川越図書館を選んでしまった愚か者はぼくです(図書館での収穫物は大いにあったが)。
 さらにギターリストの村治佳織さんと山下洋輔さんも登場し、実にぜいたくなひと時を味わえた。
 しかし何といっても嬉しかったのは村上さん自身による自作「1963/1982年のイパネマ娘」(『カンガルー日和』収録)の朗読である。オンラインとはいえ、朗読しているところを見るのは初めてなので大いに感激した。
 同時に、やはりこの場で味わいたかったなと苦い気持ちもあった。
2021年1月30日
 村上春樹さんがどこかのエッセイに書いていた、「TOKYO Whisky Library」に行ってきた。
 エッセイでどのように表現していたか思いだせないし、はっきりと店名まで紹介しているわけではなかったが、ここ以外にない店なので断言できる。
 ぼくはウィスキーに詳しくしないので(どんな酒にも詳しくないが)、公式サイトに載っていたメニューで予習して行った。恥をかかないように。
 ラフロイグは七年と十年の二種類しか知らなかったのだが、もっとたくさんあることを知った。そのメニューに載っているものがすべてなのかどうかは知らないが、ラフロイグだけで十九種類あった。さすがライブラリー。ぼくは「ラフロイグ・フォーオーク」というのをストレートで飲んだ。いつもモジョで飲む七年ものとどう違うのか、正直言って分らない。ただ村上春樹さんゆかりの店で飲んだ満足感は大きい。
 ところでその数日前、秋にオープン予定の「村上春樹ライブラリー」の工事現場を見てきた。早稲田の図書館で調べものがあったので寄ってみたのだ。イラストによる完成予想図を見たことがあるが、完全にその印象どおりで、工事も着々と進んでいるようだった。とてもワクワクした。
2020年11月22日
 村上さんが「村上Radio」で、青山の「Body & Soul」というジャズクラブに何度か行ったという話をしていたので赴いた。
 椎名豊さんライブ。存じ上げないジャズ・ピアニストだったので、You Tubeで予習した。その結果、広瀬潤次さんというドラマーに魅せられ、店に予約するときには「ドラムが見やすい席を希望します」とリクエストしてしまった。舞台の配置上、それはピアノが見やすい席から真反対に位置する。椎名さん、ごめんなさい。
 ライブはじつに心地よかった。広瀬さんの華麗なスティックさばきも堪能できた。四人の息の合い方に一体感があった。奏者どうしだけでなく、客とも親密な一体感が感じられた。店も居心地の良いところで、また来たいと思わせた。
2020年11月14日
 ジャズ・ピアニスト大西順子。村上春樹さんがこの方のことをエッセイや『村上さんのところ』に書いたり「村上Radio」で音楽をかけたりしていたので、いつの間にかぼくの「死ぬまでに見たいライブ」リストのトップに躍り出ていた方。そんな方の生演奏をついに聞くチャンスを得た。
 以前、調律師の木裕さんの著書『調律師、至高の音をつくる 知られざるピアノの世界』において「クラシックは再現の芸術、ジャズは即興の芸術」と学んでいたが、まさに即興の芸術を堪能できた。ぼくはまだジャズの生演奏をたくさん聴いているわけではないが、今まで観たジャズ・ライブのなかで、もっともジャズの魂に触れた気持ちになれた。
2020年8月30日
 大磯に行った。村上さんがエッセイで絶賛していた井上蒲鉾店(三年ぶり二度目の訪問)で蒲鉾とさつま揚げとはんぺんを購入した。夕方帰宅し、早い時間からビールとつまみを堪能した。つまみは言うまでもなく蒲鉾とさつま揚げとはんぺんである。
2019年11月28日
 早稲田大学井深大記念ホールで開催されたイベント「村上春樹と国際文学」に参加した。定員400名の抽選に応募して当選したのだ。
 二部構成になっていて、第一部は舞台『海辺のカフカ』の一場面の特別上演(演出:井上尊晶 出演:木場勝己、マメ山田、塚本幸男、土井ケイト)と、新潮社の寺島哲也さんとナカタさん役の木場勝己さんの対談。第二部はパネルディスカッションで、テーマは「村上春樹と『翻訳』」(司会:柴田元幸 パネリスト:川上未映子、マイケル・エメリック、辛島デイヴィッド)。
 まずパネリストの三人が、順番に基調講演(というほど大げさなものではないが)を行った。
 最初は川上さん。完全では<BR>ないが、話はだいたい以下のとおり。
 村上さんから受けた影響には、「私の世代(川上さんは現在43歳)が受けた影響」と「私個人が受けた影響」の二つがあると考えている。
 私の世代が受けた影響というのは、ひとことで言うと、作家としてのあり方ということになるだろう。村上さんがデビューした頃の日本は、文壇というものが幅を利かせていた。村上さんはそういう文壇と距離を置き、外国に住んで作品を書いた。文壇に加わらないデメリットを跳ね返し、一つの達成を成し遂げたと思っている。
 ただ、こんなふうにして風通しをよくしたものの、では具体的にその影響を受けた作家がいるのかと言うと、モデルはいない。
 私個人が受けた影響としては文章技術で、それは二つある。一つは情景描写の技術(それを説明するために『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』と『ノルウェイの森』の一節を朗読)で、もう一つは情報のまとめの技術(それを説明するために『羊をめぐる冒険』と『ねじまき鳥クロニクル』の一節を朗読)である。
 このように文芸界に及ぼした文章技術の影響は大きいが、ただこれも、影響を受けた作家は具体的にだれかと言うと、やはりモデルはいない。
 村上さんとはそういう存在である。今後も個の作品が世界で取り上げられることはあるだろうが、村上さんのような大きな影響力を持つ作家は出ないだろう。(司会の柴田さんはそれを「まねのできない最大のモデル」とまとめた。)
 次に辛島デイヴィッドさんがだいたい以下のような話をされた。
 英米で作家になるには、以前は、まずワークショップに参加して短編をいくつも書き、(それが認められて)エージェントと契約し、そして短編でデビューというのが一般的だった。
 それが今では、作品に力があれば長編か短編かは無関係に出版できるようになってきている。それは村上さんが切り開いたことだと考えている。
 最後のマイケル・エメリックさんはとても誠実な方なのだろう、用意してきた原稿を読み上げるようにこんな話をされた。
 村上作品を原文から読むために日本語の勉強をはじめたという人は、じつはそう多くない。村上さんには、日本語に向かわせるのとは違う、もっと大きなものがる。
 そしてマイケル・エメリックさんは、最後の質疑応答の中で、ご自身の体験として、こんなエピソードを語った。
 ある文芸イベントで、インドネシアの人が、自分の国ではセックス・シーンは禁止なので、『ノルウェイの森』もセックス・シーンはカットされているという人がいた。
 ぼくはセックス・シーンのない『ノルウェイの森』って、いったいどんな作品なのだろうと疑問を抱いた。そして理解した。世界中で『ノルウェイの森』は読まれているが、それぞれ違う作品なのだと。だがそれでも『ノルウェイの森』は世界中の人を引き付ける。それは村上作品が、文体や日本語習得などといったものを超えた、もっと大きなものだからだ。
 その話に川上さんも共感し、「世界中の人が違う場所で同じ月を見ているよう」と表現していた。
 とても有意義なひと時だった。大ファンが語る熱い説得力があった。
2019年9月30日
 ドキュメンタリー映画『ドリーミング村上春樹』の公開記念イベントに参加した。『風の歌を聴け』の上映と、『ドリーミング村上春樹』の主人公にして翻訳家のメッテ・ホルムさんと『風の歌を聴け』でデビューを飾った室井滋さんによるトーク・ショーである。
 百席程度の客席はもちろん満席、男女比はだいたい同数、二十代の若い方もちらほらおられたが、平均年齢はざっと四十代後半といった印象。
 メッテさんは表情もしゃべり方もとても穏やかに、
「翻訳では、できるだけ作家が書いたものをそのまま伝えないといけない。作家が使っている色と同じ色を出したいんです」
 と語った。そして「映画の場合は新しい世界を作る。それが違いますね」と続けた。
 室井さんは学生時代に自主映画に多数出演していたらしい。それらはPFF(ぴあ・フィルム・フェスティバル)に出品されていたらしい。それで当時審査員だった大森一樹監督の印象に残って『風の歌を聴け』の出演につながったというエピソードをお話しされた。
 村上さんのデビュー作『風の歌を聴け』には冒頭に「完璧な文章はない」という一文があるが、メッテさんは、
「完璧な翻訳はないです。それはやっぱり夢」
 と言った。そして日本語から直接デンマーク語に翻訳しているわけではなく、ドイツ語や英語を仲介してデンマーク語に落とし込んでいると説明した。
 室井さんがメッテさんに、翻訳に悩んだときは村上さんに訊くのかと尋ねると、
「訊きますが、だいたい答えてくれません」
 と会場を笑わせた。「村上さんも、自分が翻訳者だからよく分っている。彼は『あなたが読んでることを翻訳してください』と言います。でも、バカらしい質問にはよく答えてくれます」
 そう言ってさらに会場を沸かせた。
 最後に、「村上さんの小説と出会っていなかったら、長く翻訳を続けることはなかった。一番好きな作品は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』」と語った。
2019年6月22日〜28日
 6月22日から28日にかけてスウェーデン・ノルウェー旅行をし、スウェーデン語版『象の消滅』とノルウェー語版『ノルウェイの森』を購入した。
『ノルウェイの森』は三年前のイタリア旅行でイタリア語版をすでに買っているが、やはりノルウェーに来たのだから『ノルウェイの森』だよなと思って買った。ちなみに村上さんの著書は書店では「ロマンス」のジャンルの棚に置かれていた。
 そのノルウェー語版『ノルウェイの森』、購入した場所は2010年に村上さんが招待されて講演したオスロの「文学の家」である。「文学の家」は書店とカフェとイベント会場が一緒になったところで、決して大きくはない建物だし本のラインナップも豊富とは言えないが、手作り感たっぷりの親密な空気に満ちていた。ノルウェーには読書に熱心な方が多いのか、オスロの街中あちこちで書店を見かけた。たいていの書店で新刊コーナーに『騎士団長殺し パート1』が平積みされていた。
 そして村上さんが「文学の家」に招待されたときに宿泊したホテルブリストルにも二泊した。ロビーには書棚がたくさんあって、厳かなサロンというような重厚な雰囲気が漂っていた。スタッフたちはとても親切で、いつも笑顔を絶やさなかった。
 旅行中、行きたかったけど行けなかったイベントがある。
『村上JAM』である。企画が発表されたときは何とか当選したいものだと心の底から願ったものだが、五月下旬に発表された開催日は六月二十六日だった。それはオスロの街を散策している日である。あっさりとあきらめ、応募すらしなかった。
 しかしまさに『村上JAM』が日本で開催されているその時間、ぼくはバーレ・ジャズというジャズ・カフェにいて、一階のCD売り場でノルウェー・ジャズのCDを買い、二階のカフェで外の景色を眺めながら村上さんの『雑文集』を読んでいた。それは妻の買い物を待っていた一時間ばかりのことで、これはこれでなかなか満足度の高いものだった。
 オスロ国立美術館が休館だったのは残念だった。ムンクの『叫び』とともに『メランコリー』を観賞したかったのだ。『メランコリー』について、村上さんはエッセイで、
「その主人公の顔は僕にとてもよく似ていると、何人かのノルウェイ人に言われた。オスロの美術館に行って実物を見てみたんだけど、うーん、そんなに似てるかなあ?」
 と書いているので実物を確認したかった。しかし原画は観賞できなかたが、ムンク美術館がある地下鉄トイエン駅の改札を抜けてすぐの階段の壁で見られた。安西水丸さんが描く村上さんの絵に似ていると思った。
2019年5月13日
 銀座シックスにある蔦屋書店で開催されたイベントに参加した。翻訳家・柴田元幸さんのトークイベント『本当の翻訳の話をしよう』である。村上春樹さんとの共著『本当の翻訳の話をしよう』の刊行記念イベントで、先着五十名の枠に運よくはいれたのだ。
 村上さんとの共著なので、もしかしたら村上さんも飛び入り参加されるのではないかと期待している参加者も多いと予想したのだろう(ぼくもその一人だ)、柴田さんは冒頭、「今回のイベントに“もう一人”は来ません。ぼく一人です」と言って会場をなごませた。
 そして村上さんのことを語った。
 柴田さんは、デビューして間もないころの村上さんが朝日新聞に書いたスコット・フィッツジェラルドについてのエッセイ(おそらく一九八〇年十一月十二日夕刊に掲載された「フィッツジェラルドの魅力−自分の精神を映す鏡 書くことの姿勢を学ぶ」だと思われる)を読んで、
「この人は世間の評価に流されず、自分の考えでやっていく人なんだな」
 と思ったと言った。
 というのも、当時のフィッツジェラルドには「過去の人」という風潮があったかららしい。村上さんのエッセイにはそうした視点はなかったということなのだろう。
 そして柴田さんは、村上さんのことを「一匹狼を嗅ぎわける能力に長けているなあと思っている」と加えた。
 そのあと、このイベントのために訳したというフィッツジェラルドの短編『真珠と毛皮』を約四十分にわたって身振り手振りで朗読した。訳すのにずいぶん時間がかかったんじゃないかと思ったが、ほとんど一晩で訳したそうだ。脱帽。
 最後はサイン会。アカデミックなひと時だった。
2019年1月29日
 村上作品の書評や解説書のたぐいはまったくと言っていいほど読んでいないが、ネットで偶然にも『村上春樹と《鎮魂》の詩学〜三人目のガールフレンドと958,816枚目のピザをめぐって〜』と題された講演会をたまたま発見し、会場も会社から徒歩五分ということになれば、これも何かの縁かと気まぐれを起こすこともある。
 講演者は、京都大学大学院人間・環境学研究科准教授の小島基洋氏。失礼ながら存じ上げなかったが、今回のテーマどおり『村上春樹と《鎮魂》の詩学 午前8時25分、多くの祭りのために、ユミヨシさんの耳』という著書もある方である。参加者は三十名ほどで、平均年齢は四十代後半といった感じ。三分の一ぐらいが女性だった。ぼくは若者がたくさん集まるのかと想像していたのが、二十代と思しき人物は女性が二人ばかりおられるだけだった。
 それはともかく講演内容。
 神戸時代の村上さんの実像に迫ろうという趣旨だったのだが、凄まじい調査力だった。『羊をめぐる冒険』の最後の場面になっている神戸にある砂浜や『辺境・近境』に書かれているピノッキオというピザ屋の写真や動画がスクリーンに映し出されたが、いかにも自分で撮った写真や動画だった。自分で足を運んだということだ。他にもあちこちの作品のあちこちの文章を取り上げては当時の村上さんをあぶり出そうと試みていた。まるで刑事が容疑者のアリバイを崩していく過程を見ているようだった。
 そこに浮かび上がった村上像が真実かどうかは分らないが、その深く読む熱意には感心しないわけにはいかなかった。
2018年11月22日
 国内最大級の文芸イベント「国際文芸フェスティバルTOKYO」のなかで、「伝説の編集者・翻訳者が語る、世界文学が生まれる現場」と題したトークショーに参加した。
 登壇者は、『羊をめぐる冒険』を編集し、はじめて村上春樹を英語圏に紹介したエルマー・ルーク氏、その『羊をめぐる冒険』など、いくつもの村上作品を翻訳紹介しているアルフレッド・バーンバウム氏、そして『坂の上の雲』など幅広い翻訳を手掛けるジュリエット・ウィンターズ・カーペンター氏。進行役は芥川賞作家の小野正嗣氏。まったくすごい顔ぶれで、当然ながら二百席ほどの開場は満席。報道陣もいくつか来ていた。
 小野氏の進行は素晴らしかった。ご自身が作家だからなのかもしれないが、三人の登壇者にじつに的を得た質問を投げかけていた。
「翻訳していて苦労することは?」
 という問いに、ジュリエット氏はこう言った。
「文法どおりに訳すことがいい翻訳だとは思わない。忠実とは何か、ということだと思う。日本語で流れている文章を英語に訳したとき、文法どおりだったとしても、流れなくなるのでは忠実ではないと考えている」
 バーンバウム氏はこう言った。
「日本語では淡々とした繰り返しの表現がよく見られる。日本語ではそれで深みが出て問題ないが、英語では飽きられてしまう。だからそれを避けるために形容詞ではなく動詞をよく使う」
 また、小野氏の「作家と翻訳者との距離感をどうしているか」について、ジュリエット氏はこういうエピソードを話した。
「村上作品に出てきた『水玉模様』という言葉をどう訳すか困ったとき、私は村上さんに直接訊きましたが、エルマー氏には『それは作家ではなく翻訳者が決めることだ』と言われた」
 バーンバウムが披露したエピソードはこういう話だった。
「村上さんは、自分も翻訳をする人だから翻訳者の気持が分る。だから翻訳者に対してとても自由を与えてくれる。だがそうじゃない作家もいる」
 最後に質疑応答の時間が設けられたので、一番に挙手してバーンバウム氏に尋ねた。
「先ほどバーンバウムさんは村上さんの文章は英語的だとおっしゃいました。私は村上作品は日本語のリズムがとても重要だと思うのですが、英語的な文章なら、その日本語を英語に置き換えてもリズムは損なわれないと思いますか?」
 バーンバウム氏の回答はこうだった。
「普通に読みやすいように訳しているだけ」
 肩すかしを食ったような気分に陥った。ぼくの質問はここ数年ずっと抱き続けている疑問だった。それを翻訳者から直接聞けるチャンスだったのだが、本人はリズムのことはまったく念頭に置いていないようだった。何だかかえって謎が深まってしまった気がした。
 とはいえ、とても重要な数々の話を伺えて最高に充実したひとときを過ごせた。
2018年10月20日
映画『ハナレイ・ベイ』鑑賞。
2018年6月22日〜27日
 スイスに旅行。ドイツ語版『ダンス・ダンス・ダンス』(16.90スイスフラン)と、スイスの赤い国旗がデザインされたマグカップ(6.90スイスフラン)を購入。赤いマグカップは書斎で使っているらしく、サイト「村上さんのところ」などで書斎の写真に写り込んでいた。ただ購入したのはすごく似てはいるがまったく同じというわけではない。筒の部分のデザインは同じなのだが、把手の形が違うのだ。今は作られていないのかもしれない。
2018年5月26日
新宿の「DUG」でビールを飲んだ。
2018年5月19日
新宿の「DUG」でビールを飲んだ(よく行った店らしい)。
2018年4月21日
「Rainy Day」にて、柴田元幸さんのトーク&朗読会「朗読の爆発!」に参加。出演者は川上未映子さん、管啓次郎さん、古川日出男さん、バリー・ユアグローさん、伊藤比呂美さん、あと飛び入りでリン・ディンさん。進行役は柴田元幸さん。
2017年12月24日
村上さん、安西水丸さんの好きな日本酒「〆張鶴」を飲んだ。
2017年月11月8日〜10日
奈良を旅行。矢田寺の宿坊、「つるべずし弥助」の鮎料理、「綿宗」のうなぎ料理を堪能(書籍未収録エッセイ「奈良の味」で紹介されていた)。
2017年10月29日
代々木上原のドーナツ屋「ハリッツ」に行く(「村上さんのところ」で紹介されていた)。
2017年10月1日
サントリー登美の丘ワイナリーに行く(一九八二年の書籍未収録エッセイ「ウイスキーとビール」でここを訪れたことを書いている)。
2017年月7月30日
大磯にある井上蒲鉾店に行く(どこかのエッセイでこの店の蒲鉾を絶賛していた)。
2017年6月17日
「Rainy Day」にて、村上さんの翻訳の師匠、柴田元幸さんのトーク&朗読会に参加。
2017年3月25日〜29日
 フィンランドに旅行。ヘルシンキにも行ったので、いくつか巡礼してきた。
『ラオスにいったい何があるというんですか?』から
・アキ・カウリスマキ監督の兄弟が経営するカフェ・モスクワに行った。しかし18時のオープン時間を30分も過ぎているのに店内に人がいる気配はまったくなく、オープンする雰囲気ゼロなので去った。村上さんは本書で、カフェ・モスクワでいくら待っても注文も取りに来なかったエピソードを披露しているが、ぼくの場合は店に入ることすら叶わなかったわけだ。「まあ、そういう(適当な)店だからさ」ということのようなので仕方ない。
・ムーミンマグを買った。
・エテナ港に行った。
『村上さんのところ』から
・アカデミア書店でフィンランド語訳の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を購入した。他に『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』が平積みされていたし、他の書店でも『海辺のカフカ』と『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』が平積みされていた。しかしぼく個人の印象としては、ベストセラー作家扱いではなく、話題の作家、という程度の印象だった。
・DIGELIUS MUSICというレコード店でフィンランド・ジャズの中古CDを2枚買った(店の主人にオススメを選んでもらった)。
・旅行前の予習として、CDでシベリウスの交響曲をコリン・デイヴィス指揮のボストン交響楽団の演奏で何度も聴いて体に染み込ませた。
2017年3月5日
小田原方面をドライブ。『騎士団長殺し』の舞台のあたりを鑑賞。
2017年2月18日
「Rainy Day」にて、村上さんの翻訳の師匠、柴田元幸さんのトーク&朗読会に参加。
2016年9月18日
 神宮の京都造形芸術大学で開催されたイベント「The Tokyo Art Book Fair」で、“東京するめクラブ”の一員、都築響一さんの「ロードサイド・ライブラリー 貧者の電書」と題されたトークイベントに参加。その帰り、かつて「ピーター・キャット」があった、現在「ADONE」になっているイタリアンでワインやラクレットなどを堪能。
2016年9月3〜5日
 一度やってみたかった宿坊体験を福井県の永平寺で実現した。曹洞宗の大本山というだけあって観光気分で行ったらバチが当たりそうな荘厳な雰囲気が漂っている。宿坊は一泊二日コースと三泊四日コースがあるのだが、ぼくは一泊二日を予約していた。
 午後三時に入山。案内していただいた雲水さん(お坊さん)によると、その日の宿泊者は110人ぐらいだが、最大では300人ほど受け入れ可能とのこと。ひと月ほど前から坐禅の正しいやり方なんかをネットで調べて何度か練習していたが、ぼくの体は非常に硬く、ほんの二分程度の練習でも股関節が壊れそうだった。ところがじっさいには、お尻の下に敷くクッションが厚いため、しびれも痛みも覚悟していたほどではなかった。右肩を警策(きょうさく)でパシッと叩かれる体験もできたし(叩いてもらう気まんまんで臨んだぼくは、参加者中、最初に叩いてもらった。想像していたよりも痛かった)、眠くなるに違いないと心配していた説法も興味深かった。精進料理はとうぜん量は少ないが、手間のかかった仕上がりでおいしかった。朝のお勤めのときの、大きな木魚を叩きながらの雲水さんたちの般若心経の合唱には迫力があった。他の寺がどのような体験をさせてくれるのか知らないが、永平寺は宿坊体験をしたい人にはオススメできる。
 宿坊体験ならもっとアクセスのよい所もたくさんあるのに、何ゆえに永平寺を選んだかと言うと、例によって村上春樹さんが関係してくる。1983年に雑誌の企画で永平寺で一泊二日の宿坊体験をした。そのレポート記事を読んで「宿坊体験をするならここにしよう」と決めていたわけだ。
2016年8月7日
タイメックスの腕時計を購入。(「海外旅行に持っていく携帯品リストを公開します」(『夢のサーフシティー』収録)より)
2016年7月3日
 ちひろ美術館で開催された「村上春樹とイラストレーター」という展示会で、新潮社の寺島哲也さんによる「担当編集者が語る村上春樹の作品とイラストレーション」というトークイベントに参加。
2016年6月26日
 神楽坂にあるラカグで「新潮社写真部のネガ庫から」という写真展を見学。ネガ庫に保存されている大量の写真のうち、五十人の作家を選んだ展示会で、未発表の村上春樹さんの写真を鑑賞。
2016年5月22日
村上さんの翻訳の師匠、柴田元幸さんとスティーヴン・ミルハウザーさんによる、東大で開催された朗読会に参加。
2016年4月2日〜9日
イタリア旅行。ミラノでイタリア語版『海辺のカフカ』、フィレンツェでイタリア語版『ノルウェイの森』購入。
2015年12月29日
『ノルウェイの森』の「僕」と「直子」が歩いた四谷から駒込までのコースを歩いた。約十キロの距離を、ドトールでの休憩十五分を除くと一時間五十分で歩いた計算になる。駒込では小説のとおり、駅の近くでそばも食べた。
2015年5月
「村上さんのところ」で紹介されてからというもの、青山方面に行くたびに表参道の「カフェ・ラ・ボエム」に訪れて仔牛のカツレツを楽しんでいた。それが2017年2月に店のサイトを見たら、仔牛がポークチョップに変更されていた。
 と残念がっていたら、再度4月にサイトを確認したら仔牛に戻っていて、嬉しくてその日のうちに店に向かった。
2014年9月20日
千駄ヶ谷の元ピーター・キャット跡地見学。現在は「ADONE」というイタリア・レストラン。
2014年7月21日
国分寺の元ピーターキャット跡地見学。








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