新潮 2025年5月号 「武蔵境のありくい」 |
BRUTUS 2024年9月1日号 談「村上春樹さんのTシャツ、またまた増えたようです。」 |
文学界 2024年8月号 トーク「音楽とデザインの幸福なコラボレーション」。5月17日に村上春樹ライブラリーで開催されたギャラリー・トークの文字起こし。 |
新潮 2024年6月 創刊120周年記念特大号 「夏帆」 |
イラストレーション 2023年9月号「村上春樹と装丁・植物を描く」 エッセイ「僕の本の装丁のこと」 |
MONKEY vol.30 2023年6月15日 『最後のドアを閉めろ』(トルーマン・カポーティ作)の翻訳のあと、この文章に対する簡単なエッセイ「カポーティ・ショック」。インタビュー「カポーティは僕にとってとても大事な作家」。 |
新潮 2023年7月 「疫病と戦争の時代に小説を書くこと」(2023年4月27日に米ウェルズリー女子大で行った講演原稿) |
週刊朝日 2023年6月9日 特別インタビュー「村上春樹が語った 60〜70年代、音楽、若者へのメッセージ」 |
MONKEY vol.29 2023年2月15日 「レイモンド・チャンドラーの説く秘書の心得」の翻訳のあと、この文章に対する簡単なエッセイ。 |
文藝春秋 2023年2月 インタビュー「僕とクラシック・レコード」 |
BRUTUS「合本 村上春樹」 2022年10月25日 BRUTUS 2021年10月15日号、11月1日号の「特集 村上春樹」を再編集したムック。合本オリジナルインタビュー「村上春樹、あれから1年を語る」収録。 |
文学界 2022年11月 インタビュー「村上春樹さんに、モダン・ジャズ以前のジャズについて聞く」 |
芸術新潮 2022年6月 インタビュー「『和田誠レコード・コレクション』を村上春樹ライブラリーが収蔵するまで」 |
COURRiER JAPON 2022年5月1日 インタビュー 村上春樹「僕は基本的に『理想主義』というものを信じている」 |
COURRiER JAPON 2022年1月22日 インタビュー「村上春樹が語る『一人称単数』 フィクションとノンフィクションの狭間で」 |
SWITCH 2021年12月 インタビュー「レコード蒐集家の願い(心地よい音を求めて)」 |
T JAPAN The New York Times style magazine 2021年11月27日 インタビュー「村上春樹が始めた、未来への場づくり」 |
BRUTUS 2021年11月1日「特集 村上春樹 下『聴く。観る。集める。食べる。飲む。』編」 インタビュー〈聴く〉。続『古くて素敵なクラシック・レコードたち』(1 シェーンベルク 「三つのピアノ曲」作品11、2 シューマン ピアノ協奏曲
イ短調 作品54、3 ドヴォルザーク ピアノ五重奏曲
イ短調 作品81、4 ペルゴレージ 「スターバト・マーテル」、5 モーツァルト クラリネット五重奏曲
イ長調K.581、6 ショパン スケルツォ第3番
嬰ハ短調 作品39、7 チャイコフスキー 交響曲第4番
ヘ短調 作品36、8 シューベルト 弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」ニ短調
D810、9 ベートーヴェン ピアノ協奏曲第3番
ハ短調 作品37、10 ベルリオーズ 「イタリアのハロルド」作品16、11 ハイドン 弦楽四重奏曲「五度」ニ短調
作品76の2、12 プーランク 「スターバト・マーテル」FP.148、13 モーツァルト ヴァイオリン協奏曲第3番
ト長調 K.216、14 モーツァルト ヴァイオリン協奏曲第5番
イ長調 K.219、15 メンデルスゾーン 「真夏の夜の夢」作品61、16 メドニコ・スカルラッティ ピアノソナタ集(現代ピアノ編)、17 メドニコ・スカルラッティ ピアノソナタ集(ハープシコードなど編)、18 シベリウス 交響曲第2番
ニ長調 作品43、19 ヒンデミット 交響曲「画家マティス」、20 ドヴォルザーク チェロ協奏曲
ロ短調 作品104、21 ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第11番 変ロ長調
作品22「大ソナタ」、22 フォーレ ヴァイオリン協奏曲第1番
イ長調 作品13)。村上さんのあたらしい居場所『村上RADIO』(番組で紹介した全楽曲)。BRUTUS
1999年6月1日号掲載「ハワイでのトライアスロン参加ルポ」、1982年6月1日号掲載「ジョン・アプダイクを読むための最良の場所」「帽子を脱ぐところ」「スパゲティー工場の秘密」、1980年12月1日号掲載「〈ピーター・キャット〉訪問記」再録。インタビュー〈観る〉。インタビュー〈集める〉。インタビュー〈食べる。飲む〉。 |
BRUTUS 2021年10月15日号「特集 村上春樹 上『読む。』編」 インタビュー。エッセイ「うちの書棚から」。村上春樹の私的読書案内(51
BOOK GUIDE)。BRUTUS 1984年4月15日号掲載の「三つのドイツ幻想」(『螢・納屋を焼く・その他の短編』収録)、エッセイ「日常的ドイツの冒険」再録。 |
LifeWear(ユニクロのフリーペーパー)2021年春・夏 インタビュー「村上春樹に26の質問」 |
週刊朝日 2021年2月12日 特別インタビュー「どんな状況でも人は楽しめるなにかが必要です」。グラビア。 |
週刊ダイヤモンド 2021年1月16日 スペシャル・インタビュー「誰もが間違う世界を何が救うのだろうか?」 |
文学界 2020年11月 インタビュー「村上春樹さんにスタン・ゲッツとジャズについて聞く」 |
ナンバー 2020年7月16日 インタビュー「走ること、書くこと、大きなヤカンについて」 |
ENGINE 2020年7・8月 エッセイ「レンタカー、良くも悪くも」 |
illustration 2020年 6月「特集 和田誠」 エッセイ「あとを埋める人はいない−和田誠さんのこと」 |
CREA 2020年5月 CREA〈するめ基金〉熊本、活動とイベントのご報告 |
an an 2020年3月11日 村上ラヂオ特別編「ビフかつと猫」 |
文藝春秋 2020年2月 第81回文藝春秋読者賞「受賞の言葉」 |
SWITCH Vol.37(2019年11月) 「音」と「オーディオ」にまつわるロングインタビュー |
文藝春秋 2019年10月 「至るところにある妄想」〜バイロイト日記 |
ENGINE 2019年10月 「村上春樹さん、新旧ポルシェに乗る!」インタビュー。エッセイ『ポルシェ356スピードスター、エトセトラ』。 |
文學界 2019年9月 ロングインタビュー「暗闇の中のランタンのように」 |
スカイワード 2019年9月 「ポーランド」。2020年12月 立教大学トラベルライティングアワード2020。 |
新潮別冊 2019年夏 「かえるくん、東京を救う」 |
波 2018年11月 インタビュー「『我々の見慣れた世界のすぐそばにある、もう一つの世界』について」 |
Pen 2018年10月15日 エッセイ「ヘリンボーンのスーツ」 |
ENGINE 2018年10月 編集者との対談「幻の37号車ルノー・カングーは、なんと村上春樹さんのところに行っていた!(後編)」 |
ENGINE 2018年9月 編集者との対談「幻の37号車ルノー・カングーは、なんと村上春樹さんのところに行っていた!(前編)」 |
POPEYE 2018年8月 インタビュー「村上春樹さんとTシャツの話」 |
BOOKMARK 2018年春 ジェフ・ダイヤー著『バット・ビューティフル』についてのエッセイ |
文藝春秋 2018年1月 エッセイ「『場の力』を発揮する雑誌」(特集「文藝春秋と私」の一つ) |
カーサ ブルータス特別編集「音のいい部屋」 2017年12月25日 「村上春樹さんの『音のいい部屋』を訪ねました」 |
週刊文春 2017年7月20日 エッセイ「想像を絶した驚嘆すべき達成」 |
MONKEY vol.12 2017年6月15日 4月開催の「本当の翻訳の話をしよう」の模様と柴田元幸氏との対談「翻訳の不思議」 |
CREA 2017年4月 「CREA〈するめ基金〉熊本」支援金の使い途の報告 |
MONKEY vol.11 2017年3月15日 エッセイ「アンデルセン文学賞のこと」受賞スピーチ全文(日本語と英語) |
CREA 2016年12月 「東京するめクラブ」より、熊本再訪のご報告 |
Lumi&Matka(北欧旅行マガジン)vol.19 「シベリウスとカウリスマキを訪ねて」(『ラオスにいったい何があるというんですか?』収録)抜粋 |
アルネ 2016年9月 エッセイ「カラスの考え方」 |
イラストレーター 安西水丸 2016年6月17日 エッセイ「もうここにはいないとわかっていても」 |
MONKEY vol.9 2016年6月15日 インタビュー「短篇小説のつくり方」 |
文藝春秋 2016年6月 エッセイ「ベルリンは熱狂をもって小澤征爾を迎えた」 |
新潮 2016年6月 「ウィチタ渦巻きスートラ(抄)」(アレン・ギンズバーグ氏の翻訳) |
an an 2016年4月20日 村上ラヂオ特別編「いったいどんな夢を見るのか?」 |
Coyote No.58 Spring 2016年3月15日 エッセイ「水丸さんと最初に出会った頃」(2019年3月15日、ムック「安西水丸
おもしろ美術1年生」再録) |
IN POCKET 2016年1月 エッセイ 私の一冊「鉄仮面(上下)」 |
波 2015年8月 エッセイ「ジェイ・ルービンのこと」 |
イラストレーション緊急増刊「安西水丸 青山の空の下」
2014年7月 「村上春樹との仕事 1981-2011」「対談再録(イラストレーション
No.26)」 |
週刊朝日 2014年4月18日特大号 エッセイ「描かれずに終わった一枚の絵」 |
an an 2013年12月18日 村上ラヂオ特別編「読むことについて語るときに、村上春樹さんが語ること。」 |
ニューズウィーク日本版 2013年5月21日 日本人が知らない村上春樹 |
考える人 2012年11月 小林秀雄賞「受章者インタビュー」 |
ダ・ヴィンチ 2012年10月 メールインタビュー「村上春樹×80年代生まれ Q&A」 |
波 2012年7月 エッセイ「スズキさん的な世界のあり方」 |
COURRiER JAPON 2012年1月 村上春樹に会いに東京へ旅するということ |
Jazz JAPAN vol.16 2011年12月1日 「村上春樹さんへの3つの質問」 |
VOGUE JAPAN 2011年4月 インタビュー「村上春樹が語る、作品と地下と“私”」 |
イラストレーション 2011年3月 「特集 安西水丸 村上春樹との全仕事1981-2011」 |
Sports Graphic Number DO 2011年3月 インタビュー「僕は走り続けていた」。そうだ、ランナー村上さんに聞いてみよう。 |
オール読物 2011年1月 するめ映画館「天才画家たちの哀しみ」 |
ユリイカ 2011年1月臨時増刊号 メールインタビュー「魂のソフト・ランディングのために―21世紀の『物語』の役割」 |
ダ・ヴィンチ 2011年1月 Book of the Year 2010 総合ランキング1位受賞コメント |
ミステリマガジン 2011年1月 「カンザス州マンハッタンから来た娘」(翻訳本「リトル・シスター」のあとがきを雑誌用に抜粋加筆したもの) |
月刊モエ 2011年1月 インタビュー「村上さんに絵本について聞きました」(2012年2月号に再録) |
Sports Graphic ナンバー ドゥ 2010年秋 「ランの哲学」。“ラン年表”。 |
COURRiER JAPON 2010年11月 インタビュー「ノルウェイにて」 |
考える人 2010年夏 ロングインタビュー |
モンキービジネス 2010年夏 インタビュー「サリンジャー、『グレート・ギャツビー』、なぜアメリカの読者は時としてポイントを見逃すのか」 |
COURRiER JAPON 2010年5・6月合併 インタビュー再録(05,12/1、06,2/16、07,10、09,7) |
an an 2010年3月3日 エッセイとインタビュー |
ダ・ヴィンチ 2010年1月 Book of the Year 2009 総合ランキング1位受賞コメント |
波 2010年1月 エッセイ「面白くてやめられなかった3つの理由」 |
an an 2009年10月21日 「村上ラヂオ特別編」ができるまで |
COURRiER JAPON 2009年7月 インタビュー「僕の小説は、混沌とした時代に求められる」(2010年5・6月合併号に再録) |
モンキービジネスvol.5 2009年5月 インタビュー「成長」を目指して、成しつづけて |
文藝春秋 2009年4月 インタビュー&受賞スピーチ「僕はなぜエルサレムに行ったのか」 |
週刊文春 2009年1月1・8日 インタビュー「翻訳は究極の精読です」 |
PLAYBOY 2008年12月 「女房にバカにされたくないから、それ以上のものを書こうと思ってた」 |
本の雑誌 2008年5月 「2008年、私のマル秘新作」特集の一つ |
ミステリが読みたい! 2007年11月(2008年版) 特別寄稿エッセイ |
本の話 2007年11月 インタビュー「『走る』ことを軸にした僕の個人史」 |
COURRiER JAPON 2007年10月 (インタビュー「ぼくは自分の国から逃れることはできない」(2010年5・6月合併号に再録) |
考える人 2007年春 「村上春樹氏への15の質問」 |
中央公論 2006年11月 「突然の知らせ」(雑誌企画「谷崎潤一郎賞と私」の一つ) |
文藝春秋 2006年4月 エッセイ「ある編集者の生と死―安原顯氏のこと」 |
COURRiER JAPON 2006年2月 インタビュー「初めて明かされるハーバードの一日」(2010年5・6月合併号に再録) |
COURRiER JAPON 2005年12月 インタビュー「村上春樹 NYタイムズに語る」(2010年5・6月合併号に再録) |
アルネ 2005年10号 企画「村上春樹さんのおうちへ伺いました」 |
文學界 2005年4月 インタビュー「『アフターダーク』をめぐって」 |
別冊ステレオサウンド 2005年6月25日 インタビュー「音楽を聴くということ」 |
文學界 2005年4月 インタビュー「『アフターダーク』をめぐって」 |
本 2004年10月 エッセイ「あれから25年」。新人賞を取ったときの詳細。思い出。 |
中央公論 2004年9月 エッセイ「レイモンド・カーヴァー、我が文学的同行者」 |
文學界 2004年9月 デイヴィッド・ケイニー氏、ケイ・ボネッティ氏のレイモンド・カーヴァーへのインタビュー解説 |
エスクァイア日本版 2004年9月 インタビュー「いい音楽を聴くように、あるいはいい音楽を演奏するように。」 |
本の雑誌 2004年8月 「村上春樹ロングインタビュー」 |
PAPER SKY 2004年 No.10 インタビュー「心の旅」 |
Title 2004年5月 東京するめクラブ |
フォーサイト 2003年11月 対談「京都での対話(下) 河合隼雄と村上春樹が語り合った2日間」 |
フォーサイト 2003年10月 対談「京都での対話(上) 河合隼雄と村上春樹が語り合った2日間」 |
文學界 2003年6月 『キャッチャー・イン・ザ・ライ』訳者解説 |
文學界 2003年4月 インタビュー「『海辺のカフカ』を語る」 |
出版ダイジェスト 2003年3月11日 村上春樹×柴田元幸「『キャッチャー・イン・ザ・ライ』刊行記念対談『ライ麦畑でつかまえて』新訳を語る」 |
Vogue Nippon 2003年2月 「村上春樹がニューヨーカーに語ったこと」 |
ダ・ヴィンチ 2003年1月 Book of the Year 2002 総合ランキング1位受賞コメント |
Invitation 2002年12月 「NYで作家たちは何を語っているか」 |
波 2002年9月 インタビュー「『海辺のカフカ』について」(『少年カフカ』での特別インタビューの抜粋) |
&and(西部ガス発行)2001,winter, no.102 僕がいた場所6「とてもフラットな土地で」 |
Newsweek日本版 2001年10月10日 インタビュー「勝者も敗者もいない戦争になる」 |
&and(西部ガス発行)2001,autumn, no.101 僕がいた場所5「ニュージャージ州プリンストン」 |
&and(西部ガス発行)2001,summer, no.100 僕がいた場所4「カウアイ島の雨」 |
NAVI 2001年6月 「村上春樹さんは、なぜスポーツとドイツ車が好きなのか?」 |
&and(西部ガス発行)2001,early summer, no.99 僕がいた場所3「親密な街としての神戸」 |
Newsweek日本版 2001年5月30日 インタビュー「春樹と歩くアンダーグラウンド」 |
CREA 2001年4月 村上春樹、最新作を語る「Sydney!」 |
&and(西部ガス発行)2001,spring, no.98 僕がいた場所2「東京ジョギング事情」 |
AERA 2001年2月19日 村上春樹が語る「五輪的な退屈」 |
an an 2001年1月26日 連載って大変なんです |
&and(西部ガス発行)2001,early spring, no.97 僕がいた場所1「机の前で」 |
中央公論 2001年1月 テス・ギャラガーへのインタビュアー「レイ・カーヴァーが求めていたもの」 |
an an 2000年11月17日 遠くの知らない街で |
ダ・ヴィンチ 2000年11月 エッセイ『またたび浴びたタマ』創作秘話 |
ナンバー プラス 2000年October 「世の中にオリンピックくらい退屈なものはない、のか?」 |
週刊朝日 2000年7月21日 メールインタビュー |
GQ JAPAN 2000年6月 レイモンド・カーヴァー作『どれを見たい?』の翻訳後にこの作品発掘の経緯に関する短い文章 |
GQ JAPAN 2000年5月 エッセイ「『必要になったら電話をかけてくれ』について−グランタからのコメント−」 |
ユリイカ 2000年3月臨時増刊号 Eメール・インタヴュー「言葉という激しい武器」。単行本未収録作品年表。 |
中央公論 2000年2月 アメリカ文学の現場から第7回「月曜日は最悪だとみんは言うが火曜日だって同じくらいひどい−作家トム・ジョーンズの世界」「私は…天才だぜ!」 |
中央公論 1999年12月 アメリカ文学の現場から第6回「薪割り/レイモンド・カーヴァー」「カーヴァーの遺作短編によせて」 |
中央公論 1999年10月 アメリカ文学の現場から第5回「ノガーレス−オブライエンの新しい世界」「ノガーレス/ティム・オブライエン」 |
中央公論 1999年9月 アメリカ文学の現場から第4回解題「ジョン・アーヴィングの世界(改訂版)/ジョン・ポール・ニューポート」 |
マリ・クレール 1999年9月 インタビュー「僕が翻訳するわけ」 |
本の話 1999年6月 エッセイ「グレイス・ペイリーの中毒的『歯ごたえ』」 |
中央公論 1999年6月 アメリカ文学の現場から第3回解題「私の中のヴェトナム/ティム・オブライエン」 |
BRUTUS 1999年6月1日 ロングインタビュー「村上春樹はなぜ走るのか?僕の今の文体は、走ることによって出来たと思う」 |
中央公論 1999年4月 アメリカ文学の現場から第2回「グッド・レイモンド/リチャード・フォード」 |
中央公論 1999年2月 アメリカ文学の現場から第1回「誰がレイモンド・カーヴァーの小説を書いたのか?/D・T・マックス」 |
波 1999年1月 エッセイ「僕はそれを『エイゾー的なもの』と呼ぶ」 |
週刊文春 1998年12月3日 インタビュー「若者はなぜ『救い』を求めるのか」 |
マリ・クレール 1998年11月 インタビュー「マーク・ストランドをめぐる考察」 |
文藝春秋 1998年11月 河合隼雄氏との対談「「ポスト・アンダーグラウンド」をめぐって麻原・ヒットラー・チャップリン」 |
本の話 1998年10月 「時代の精神の記録 林郁夫『オウムと私』について」 |
来たるべき作家たち 海外作家の仕事場1998(ムック) コメント |
文藝春秋 1998年4月 ポスト・アンダーグラウンド「はじめに」 |
波 1998年4月 エッセイ「村上春樹の旅、『辺境・近境』超ダイジェスト」 |
CREA 1997年12月 『若い読者のための短編小説案内』をめぐって−「この短編小説を、僕は百回読んだ」 |
波 1997年12月 エッセイ「尻尾の先まで個人的なジャズ」 |
文藝春秋 1997年8月 エッセイ「二千人の『アンダーグラウンド』」 |
現代 1997年7月 河合隼雄氏との対談「地下鉄サリン事件と日本人」 |
週刊現代 1997年3月22日 インタビュー「僕の地下鉄サリン事件」 |
本の話 1997年1月 「階段から落ちる」 |
ダ・ヴィンチ 1996年12月 インタビュー「トラウマのクロニクル」を語る |
国際交流 1996年10月 「翻訳することと、翻訳されること」 |
週刊文春 1996年10月24日 『心臓を貫かれて』村上春樹が語る「背筋が寒くなるほど怖い本」 |
ダ・ヴィンチ 1996年9月 人気作家の「健康」実践法 |
世界 1996年5月 河合隼雄氏との対談「村上春樹、河合隼雄に会いにいく第2夜 無意識を掘る”からだ”と”こころ”」 |
世界 1996年4月 河合隼雄氏との対談「村上春樹、河合隼雄に会いにいく第1夜 「物語」で人間はなにを癒すのか?」 |
This is 読売 1996年4月 著者インタビュー『ねじまき鳥クロニクル』で第47回読売文学賞・小説賞を受賞 |
Swing Journal 1996年3月 ジャズ・アネクドーツ−バック・ステージ逸話集最終回。エッセイ「訳者短信」。 |
Swing Journal 1996年2月 ジャズ・アネクドーツ−バック・ステージ逸話集第11回。エッセイ「訳者短信」。 |
Swing Journal 1996年1月 ジャズ・アネクドーツ−バック・ステージ逸話集第10回。エッセイ「訳者短信」。 |
波 1996年1月 エッセイ「しみじみとジャズを聴きたくなる本」 |
Swing Journal 1995年12月 ジャズ・アネクドーツ−バック・ステージ逸話集第9回。エッセイ「訳者短信」。 |
新潮 1995年11月 メイキング・オブ・『ねじまき鳥クロニクル』 |
Swing Journal 1995年11月 ジャズ・アネクドーツ−バック・ステージ逸話集第8回。エッセイ「訳者短信」。 |
Swing Journal 1995年10月 ジャズ・アネクドーツ−バック・ステージ逸話集第7回。エッセイ「訳者短信」。 |
Swing Journal 1995年9月 ジャズ・アネクドーツ−バック・ステージ逸話集第6回。エッセイ「訳者短信」。 |
Swing Journal 1995年8月 ジャズ・アネクドーツ−バック・ステージ逸話集第5回。エッセイ「訳者短信」。 |
Swing Journal 1995年7月 ジャズ・アネクドーツ−バック・ステージ逸話集第4回。エッセイ「訳者短信」。 |
Swing Journal 1995年6月 ジャズ・アネクドーツ−バック・ステージ逸話集第3回。エッセイ「訳者短信」。 |
Swing Journal 1995年5月 ジャズ・アネクドーツ−バック・ステージ逸話集第2回。エッセイ「訳者短信」。 |
Swing Journal 1995年4月 ジャズ・アネクドーツ−バック・ステージ逸話集第1回(翻訳のみ) |
太陽 1995年3月 「最後の挨拶」 |
小説新潮 1994年12月 「連載の終りに」(「さよならバードランド」連載(3月号から12月号まで全10回)終了) |
太陽 1994年11月 「往復書簡」 |
季刊アート・エクスプレス 1994年夏 エッセイ「神話力、1963、1983、そして」 |
小説新潮 1994年3月 「連載のための前書き」(「さよならバードランド」連載開始) |
週刊文春 1994年3月17日 「アメリカについて ずっと考えていたこと」 |
エスクァイア日本版 1993年10月 『月曜日は最悪だとみんなは言うけれど』 |
すばる 1993年3月 対談「芭蕉を遠く離れて−新しい日本の文学について」。エッセイ「ジェイ・マキナニーとの対話について」。 |
広告批評 1993年2月 「村上春樹への18の質問」 |
新潮 1993年1月 訳者後記「『ブラックバード・パイ』について」 |
週刊文春 1992年12月10日 「『国境の南、太陽の西』村上春樹はハーレクイン・ロマンスだ」。「村上春樹『国境の南、太陽の西』を語る」。 |
マリ・クレール 1992年10月 「スコット・フィッツジェラルドの幻影 アッシュヴィル、1935」 |
PLAYBOY 1992年6月 インタビュー「ガイジンによる、ガイジンのためのムラカミ・ハルキ」 |
リテレール 1992年夏 エッセイ「『書評』は文体」 |
文學界 1991年4月臨時増刊号「村上春樹ブック」 聞き書「この十年」 |
NAVI 1991年2月 「メルセデス・ベンツとBMWをめぐる冒険」 |
マリ・クレール 1991年2月 書評ガートルード・スタイン著『三人の女』 |
中央公論 1991年1月 「優しい諦観と温かいまなざし」(テス・ギャラガー著『馬を愛した男』の書評) |
SAPIO 1991年1月10日 インタビュー「90年代のキーになるのは、原理や主義を打ち立てていくモラリズムだと思う」 |
週刊文春 1990年12月13日 談話『本当の戦争の話をしよう』 |
波 1990年9月 談話「辺境を旅する」 |
マリ・クレール 1990年8月 翻訳『でぶ]』『レイモンド・カーヴァーのこと―彼はケーキを手にして、それを食べた』 |
エスクァイア日本版 別冊 1990年7月 「友よ、違う、この『ドゥードゥリン』ではない」 |
文學界 1990年6月 エッセイ「『レイニー河で』について」 |
ユリイカ 1990年6月 レイモンド・カーヴァー作「ナイト・スクール」の解説 |
Newsweek日本版 1990年2月1日 「村上春樹、自らの世界を語る」 |
AERA 1989年11月21日 インタビュー 村上春樹「世界を目指す」 |
文藝春秋 1989年11月 書評「エンペラー・オブ・ジ・エア」 |
新潮 1989年10月 「上質のくせ玉」(ポール・オースター著『幽霊たち』の書評。『ブックレビュー02
誘う書評、闘う書評』(1989年12月25日発行)再録) |
ユリイカ 臨時増刊号 1989年6月 ロングインタビュー「山羊さん郵便みたいに迷路化した世界の中で」(インタビュアー:柴田元幸)。「飛行機−あるいは彼はいかにして詩を読むようにひとりごとを言ったか」(NADIR
1987年秋号に掲載されたあと加筆したもの) |
新潮 1989年4月 「レイモンド・カーヴァーの早すぎた死」 |
文藝春秋 1989年4月 大インタビュー「『ノルウェイの森』の秘密」 |
小説新潮1989年3月臨時増刊「アメリカ青春小説特集」 ティム・オブライエン「ゴースト・ソルジャーズ」の「訳者ノート」 |
DAYS JAPAN 1989年3月 インタビュー「なぜ『僕』の時代なのか」 |
翻訳の世界 1989年3月 インタビュー「僕が翻訳をはじめる場所」 |
ハイファッション 1988年12月 「僕にとっての、原風景」(ランダム・トーキング35) |
TOUCH 1988年11月8日 「両親、恩師、友人たちが初めて語ったベストセラー作家の青春 村上春樹氏変人から常人への軌跡」 |
文學界 1988年10月 レイモンド・カーヴァー著『ささやかだけれど、助けになること』―「訳者から」 |
ハイファッション 1988年10月 「僕に、似た人」(ランダム・トーキング33) |
par Avion 1988年7月 ティム・オブライエン作「兵士たちの荷物」とレイモンド・カーヴァー作「箱」の翻訳の前書き |
par Avion 1988年1月 ロングインタビュー'88年1月12日 ローマ |
ロングインタビュー'88年1月12日 ローマ 本の紹介 |
L'E 1987年11月 「投函されなかった手紙をためしに詩にしてみたもの」 |
文藝春秋 1987年10月 訳者インタビュー『ワールズ・エンド(世界の果て)』を語る |
文學界 1987年10月 レイモンド・カーヴァ―の十編の詩―訳と解説 |
nadir 1987年秋 「僕は詩を読むようにひとりごとを言っていた」 |
青春と読書 1987年9月 エッセイ「『オクトーバー・ライト』の放つ光」 |
別冊小説現代 1986年12月 インタビュー「私は、こういう町で、育った−早川龍雄」(構成
村上春樹、イラスト 安西水丸) |
マリ・クレール 1986年11月 エッセイ「奇妙に心地よい太陽が照る場所」 |
IN POCKET 1986年10月 「村上春樹による村上春樹」 |
別冊小説現代 1986年9月 インタビュー「私は、こういう町で、育った−稲越功一」(構成
村上春樹、イラスト 安西水丸) |
ハイファッション 1986年9月 「『嫌だ』の構造。」(ランダム・トーキング20) |
文學界 1986年7月 エッセイ「異郷の人々−ポール・セローの作品について」 |
マリ・クレール 1986年7月 インタビュー「ジョン・アーヴィングの長編『熊を放つ』は青春小説の最高傑作だ」 |
別冊小説現代 1986年6月 インタビュー「私は、こういう町で、育った−石井基博」(構成
村上春樹、イラスト 安西水丸) |
ハイファッション 1986年6月 「机とか椅子とか秘書とかについての考察」(ランダム・トーキング18) |
波 1986年6月 対談「アーヴィングが世界を見れば」 |
PLAYBOY 1986年5月 インタビュー |
ハイファッション 1986年4月 「自転車と天丼が好きです」(ランダム・トーキング17) |
ナンバー 1986年3月5日 エッセイ「難民エイド」 |
群像 1986年3月 エッセイ「落下傘」 |
小説現代 1986年2月 エッセイ「走る音楽・走らない音楽」 |
群像 1986年2月 エッセイ「日本長期信用銀行のカルチャー・ショック」 |
エンマ 1986年1月25日 村上春樹のギリシャ移住計画(後編) |
エンマ 1986年1月10日 村上春樹のギリシャ移住計画(前編) |
群像 1986年1月 エッセイ「新聞について」 |
文學界 1986年1月 「物語の力について」(村上氏によるジョン・アーヴィング氏へのインタビュー。1991年4月増刊号に再録)。エッセイ「怒りとその響きかた」。 |
月刊カドカワ 1985年12月 インタビュー「『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で谷崎潤一郎賞を受賞 |
太陽 1985年12月 ぶらり横町横歩き「東京 原宿」 |
中央公論 1985年11月 「苦情の手紙・その他の手紙」(昭和六十年度谷崎潤一郎賞受賞) |
週刊朝日 1985年11月1日 谷崎賞受賞式の記事(本人の言葉を含む) |
ビックリハウス 1985年11月 終刊号に寄せたコメント |
プレイガイドジャーナル 1985年10月 インタビュー「村上朝日堂訪問記」 |
NEXT 1985年10月 インタビュー |
IN POCKET 1985年10月 村上龍氏との対談「作家ほど素敵な商売はない」 |
文學界 1985年8月 インタビュー「『物語』のための冒険」 |
マリ・クレール 1985年8月 インタビュー「世界とは凝縮された可能性でつくり上げられたコーヒーテーブルである」。「パン屋再襲撃」。 |
メンズクラブ(及びボックス) 1985年7月 J・プレス短篇集C「ピクニック」 |
週刊宝石 1985年7月12日 「ヤクルト応援していたら、いい気持ちになっちゃってね」 |
波 1985年6月 エッセイ「小説における制度」 |
大コラム Vol.2 個人的意見(小説新潮臨時増刊1985年夏号) 「村上春樹ロングインタビュー」。トルーマン・カポーティ「無頭の鷹」(翻訳のみ)。 |
ハイファッション 1985年6月 「編集者いろいろ」(ランダム・トーキング12) |
メンズクラブ(及びボックス) 1985年6月 J・プレス短篇集B「象」 |
サントリークォータリー 21号 1985年6月30日 スコット・フィツジェラルドの幻想4「ホワイト・ベア湖と『冬の夢』」 |
翻訳の世界 1985年5月 中田耕治氏との対談「翻訳に「個性」の時代、到来」 |
メンズクラブ(及びボックス) 1985年5月 J・プレス短篇集A「“THE PARTY”」 |
BRUTUS 1985年4月15日 「明解作家辞典『サニーサイドの三四郎』」 |
メンズクラブ(及びボックス) 1985年4月 J・プレス短篇集@「ホテルのロビー牡蠣」 |
プレイガイドジャーナル 1985年3月 「職業としての小説家12 ミック・ジャガーは偉い」 |
プレイガイドジャーナル 1985年2月 「職業としての小説家11 自分のカヌーを自分で漕ぐことについて」 |
ハイファッション 1985年2月 「一人旅の女の子について」(ランダム・トーキング10) |
プレイガイドジャーナル 1985年1月 「職業としての小説家10 仕事を断るのはとてもむずかしいことである」 |
新潮 1985年1月 「レイモンド・カーヴァーと新しい保守回帰(ニュー・コンサーヴァティズム)の波」(P333、P413の写真は村上氏撮影) |
プレイガイドジャーナル 1984年12月 「職業としての小説家9 引越しと小説家の社会的地位について」 |
PENTHOUSE日本版 1984年12月 (「古くて新しいアメリカ紀行 オールディーズ・バット・・・イン・USA」) |
ハイファッション 1984年12月 「BABY,IT'S A LONG WAY」(ランダム・トーキング9) |
プレイガイドジャーナル 1984年11月 「職業としての小説家8」 |
サントリークォータリー 19号 1984年11月15日 スコット・フィツジェラルドの幻想3「ザ・ロックヴィル・ピルグリメイジ」 |
プレイガイドジャーナル 1984年10月 「職業としての小説家7」 |
マリ・クレール 1984年10月 「ジョン・アーヴィング氏とセントラル・パークを6マイル走ることについて」 |
ハイファッション 1984年10月 「世代論とかいろいろそういうことについて」(ランダム・トーキング8) |
プレイガイドジャーナル 1984年9月 「職業としての小説家6」 |
プレイガイドジャーナル 1984年8月 「職業としての小説家5」 |
IN POCKET 1984年8月 「BMWの窓ガラスの形をした純粋な意味での消耗についての考察」 |
ハイファッション 1984年8月 「ハウスキーピングとはいったい何であるのか?」(ランダム・トーキング7) |
プレイガイドジャーナル 1984年7月 「職業としての小説家4 対談についていろいろ」 |
波 1984年7月 談話「僕の中で踊る小人」 |
小説新潮 1984年7月 エッセイ「今日はここまで」(往復書簡 糸井重里−村上春樹) |
小説新潮 1984年夏臨時増刊号“大コラム” 「デニス・ウィルソンとカリフォルニア 神話の傲慢な死」 |
プレイガイドジャーナル 1984年6月 「職業としての小説家3」 |
ビックリハウス 1984年6月 エッセイ「人はなぜ千葉県に住むのか?」第8回 |
翻訳の世界 1984年6月 エッセイ「ペーパーバック・ライフE」 |
プレイガイドジャーナル 1984年5月 「職業としての小説家2 村上智彦の妖術と『海』の廃刊」 |
翻訳の世界 1984年5月 エッセイ「ペーパーバック・ライフD」 |
朝日ジャーナル 1984年5月25日 連載討論7「若者たちの神々 村上春樹」(筑紫哲也氏との対談) |
平凡パンチ 1984年5月21日 標本箱−村上春樹「ハードコア・こんにゃく」 |
ビックリハウス 1984年5月 エッセイ「人はなぜ千葉県に住むのか?」第7回 |
プレイガイドジャーナル 1984年4月 「職業としての小説家1 しめきりと原稿料」 |
ビックリハウス 1984年4月 エッセイ「人はなぜ千葉県に住むのか?」第6回 |
文藝春秋 1984年4月 エッセイ「『先生』と呼ばれることについての考察」 |
翻訳の世界 1984年4月 エッセイ「ペーパーバック・ライフC」 |
an an 1984年4月27日 エッセイ「旅行好きの猫」(「作品 1979-1989
D短編集 II」収録)。「スパゲッティー工場の秘密」。 |
BRUTUS 1984年4月15日 エッセイ「日常的ドイツの冒険」 |
平凡パンチ 1984年4月2日 男のライフスタイル−村上春樹 解答なき 聞くだけ人生相談 |
ビックリハウス 1984年3月 エッセイ「人はなぜ千葉県に住むのか?」第5回 |
ビッグサクセス 1984年3月 「人生はハードボイルド。そういうことだ」 |
翻訳の世界 1984年3月 エッセイ「ペーパーバック・ライフB」 |
non・no 1984年3月20日 エッセイ「夢の描写と欲望の輸出入について」 |
ハイファッション 1984年2月 「往く雑誌、来る雑誌。」(ランダム・トーキング4) |
ビックリハウス 1984年2月 エッセイ「人はなぜ千葉県に住むのか?」第4回 |
イラストレーション 1984年2月 安西水丸氏との対談 |
翻訳の世界 1984年2月 エッセイ「ペーパーバック・ライフA」 |
GORO 1984年2月23日 安西水丸氏との対談「男と女の関係って、未知の部分の緊張感がないとダメだね」 |
ビックリハウス 1984年1月 エッセイ「人はなぜ千葉県に住むのか?」第3回 |
PENTHOUSE日本版 1984年1月 「最近の評論は単なる本音のぶちまけあいばかりだ」 |
翻訳の世界 1984年1月 エッセイ「ペーパーバック・ライフ@」 |
ハイファッション 1983年12月 「若く見えることについて。」(ランダム・トーキング3) |
ビックリハウス 1983年12月 エッセイ「人はなぜ千葉県に住むのか?」第2回 |
PENTHOUSE日本版 1983年12月 「最近のコンサートについての疑問や文句」 |
鳩よ 1983年12月 「Bフラットってほっとするね。」 |
クロワッサン別冊 1983年12月24日 「出産するからということに甘んじてはいけない」 |
an an 1983年12月23日 エッセイ「男には、黙って差し出すうな重がいちばん!?」 |
週刊平凡 1983年12月15日 ホノルル・マラソンに挑戦 |
平凡パンチ臨時増刊 1983年12月3日 「平凡パンチ」には特有の”ニオイ”があった |
ビックリハウス 1983年11月 エッセイ「人はなぜ千葉県に住むのか?」第1回 |
月刊カドカワ 1983年11月 エッセイ「カシミアのセーターとオン・ザ・ロック」 |
宝島 1983年11月 インタビュー「ムラカミ・ワールドの秘密」 |
群像 1983年11月 エッセイ「制服を着た人々について」 |
PENTHOUSE日本版 1983年11月 「1960年代前半はポップソングだったね」 |
クロワッサン 1983年11月10日 書評(「最近面白い本読みましたか」コーナーの一つ) |
PENTHOUSE日本版 1983年10月 「音楽騒音を世の中にばらまく車について」 |
週刊現代 1983年10月22日 “自然”を食べよう! |
エッジ 1983年10月11日 「高貴な野蛮人 ジム・モリソン」 |
マダム 1983年9月 村上春樹氏の「自分のことは自分でやる」 |
新潮 1983年9月 エッセイ「ロックのレコードにおける誤訳の研究」 |
PENTHOUSE日本版 1983年9月 「町のレコード屋さんは煙草屋さんと同じ」 |
サントリークォータリー 16号 1983年9月20日 スコット・フィツジェラルドの幻想2「スコット・フィツジェラルドとアラーの闇」 |
PENTHOUSE日本版 1983年8月 「レコード・コレクションのありかたについて」 |
海 1983年8月 インタビュー「CLOSE UP」 |
ハイファッション 1983年8月 「私は何故パーティーを憎むようになったのか?」(ランダム・トーキング1) |
PENTHOUSE日本版 1983年7月 「ぼくはなぜ口笛を憎むようになったか?」 |
LEE 1983年7月 エッセイ「私はなぜ運転免許を持たないのか。自動車は人間にとって本当に必要なんだろうか」 |
Can Cam 1983年7月 「村上春樹にとっての雨」 |
海 1983年7月 エッセイ「最初の短篇集」 |
an an 1983年7月8日 エッセイ「いま京都へ行くんだったら、すぐ山奥に入り込んでしまうほうがいい。ゆっくり、おいしいものでも食べながら。」 |
朝日ジャーナル 1983年7月1日 「これぞ小説という鮮やかな筆つかい」(『コンラッド中短編小説集』の書評) |
DoLiVe 1983年6月 「幻の作家デレク・ハートフィールドのこと
「六月にしては暑すぎる」をめぐって」 |
PENTHOUSE日本版 1983年6月 「雪の札幌とウイスキーとスタン・ゲッツと」 |
DoLiVe 1983年5月 「IFから始まるスティヴン・キングの小説はゾクゾクするような面白さ」 |
波 1983年5月 書評「暗闇を流れる一筋の血 中上健次著『地の果て
至上の時』」 |
PENTHOUSE日本版 1983年5月 「ビーチボーイズを通過して大人になった僕達」 |
流行通信 1983年5月 「僕は最新情報を知らない」 |
海 1983年5月 エッセイ「レイモンド・カーヴァーについて」 |
太陽 1983年5月 「あなたにも書ける“ロマンス小説” ハーレクイン小説創作講座」 |
平凡パンチ 1983年5月30日 創作作法対談(坂本龍一氏との対談) |
クロワッサン 1983年5月10日 道下匡子氏との対談「あるとき、いちばん嫌いな人を好きになってしまった!」 |
DoLiVe 1983年4月 「たまにゃ辞書片手にペーパーバックを! ピアニスト・ゲイリーグラフマンの自伝」 |
太陽 1983年4月 「精進料理とひっぱたき棒」 |
群像 1983年4月 エッセイ「記号としてのアメリカ」 |
COSMOPOLITAN 1983年4月 インタビュー「ノージェネレーションの作家 村上春樹」 |
ハイファッション 1983年4月 「TVピープル」(短編小説「TVピープル」とはまったく別のエッセイ) |
週刊文春 1983年4月21日 「『ガープの世界』の可能性」 |
幻想文学 第3号(1983年4月1日) インタビュー「羊をめぐる冒険−ぼくらのモダン・ファンタジー」 |
新潮45+ 1983年3月 エッセイ「俺たちだって脱脂粉乳」 |
M.G.PRESS 1983年3月 エッセイ「誰がE.T.を殺したか?」 |
マダム 1983年3月 エッセイ「新興住宅地の「女の子」たちへのお願い」 |
群像 1983年3月 エッセイ 「ホットケーキの味」 |
Studio Voice 1983年3月 インタビュー「羊をめぐる冒険」(後篇) |
イメージフォーラム 1983年3月 トム・ダーヴィス著『ときにはハリウッドの陽を浴びて』書評「小説とシナリオの差異」 |
装苑 1983年3月 グラビア「楽しく絶望を語りたい」 |
ザ・テレビジョン1983年3月18日 エッセイ「ウォーク・ライト・イン」 |
FM fan 1983年3月14日-27日 音のあとりえ 「『芦屋』発『ジャズ喫茶』経由『作家』行き」 |
ザ・テレビジョン 1983年3月5日-11日 エッセイ 「テイク・ミー・トゥ・ナイト」 |
メンズクラブ 1983年2月 エッセイ「IDENTITY 正しい自分の見わけ方」 |
Studio Voice 1983年2月 インタビュー「羊をめぐる冒険」(前篇) |
群像 1983年2月 エッセイ 「正月の味」 |
中央公論 1983年2月 エッセイ「『E.T.』をE.T.的に観る」 |
週刊現代 1983年2月5日 「スタンダールは中一で読んだ。書きたかったのは20代の喪失感です」 |
朝日ジャーナル 1983年2月4日 私の読書日記「村上春樹5 仕事がらみ」 |
メンズクラブ 1983年1月 エッセイ「WINDFALL 正しいお金の拾い方」 |
小説現代 1983年1月 思い出の一曲「酒とバラの日々」 |
群像 1983年1月 第四回野間文芸新人賞「受賞のことば」。エッセイ
「奈良の味」。 |
現代 1983年1月 巻頭グラビア。野間文芸賞受賞の言葉 |
日本読書新聞 1983年1月31日 インタビュー 「アナログで書かれた『物語』」 |
朝日ジャーナル 1983年1月28日 私の読書日記「村上春樹4 娯楽風純文学」 |
朝日ジャーナル 1983年1月21日 私の読書日記「村上春樹3 ふたつの書棚」 |
サントリークォータリー 14号 1983年1月20日 スコット・フィツジェラルドの幻想1「1906年・ニューヨーク・シティー・タイム・トリップ
フィッツジェラルドを映像的に読む」 |
朝日ジャーナル 1983年1月14日 私の読書日記「村上春樹2 なつかしい味」 |
朝日ジャーナル 1983年1月7日 私の読書日記「村上春樹1 書評嫌い」 |
女性セブン 1983年1月1日 著者インタビュー |
メンズクラブ 1982年12月 エッセイ「CIGARET 僕は今禁煙中である」 |
クロワッサン 1982年12月10日 「男と女の違い。それは、女とは寝るかもしれないという可能性があるくらいですね。」 |
ナンバー 1982年12月5日 エッセイ「ジョギング雑感」 |
現代 1982年12月 エッセイ「なんとなく暗い話」 |
メンズクラブ 1982年11月 エッセイ「SUGNATURE 正しいサインのしかた」 |
メンズクラブ 1982年10月 エッセイ「DATA 正しい情報の集め方」 |
海 1982年10月 エッセイ「ヴィデオテープの登場」(ペンネーム「牧村拓」) |
本 1982年10月 エッセイ「優しさを身につける−私の雑誌論」 |
TODAY 1982年10月 「『優しい男』なんて存在しない」 |
an an 1982年10月8日 インタビュー「people 村上春樹」 |
メンズクラブ 1982年9月 エッセイ「TAXI 正しいタクシーの乗り方」 |
季刊アート 1982年AUTUMN エッセイ「小手先の『感性』は空しい」 |
non・no 1982年9月20日 インタビュー「若い世代を、'70年代のほろ苦い青春に誘惑する小説家」 |
メンズクラブ 1982年8月 エッセイ「COURT 正しい女の子の口説き方」 |
クロワッサン 1982年8月10日 エッセイ「音楽が聴こえてくるレコード・ジャケットでないと」 |
ナンバー 1982年8月5日 エッセイ「エアロビック・ダンスとは何か?」 |
日刊アルバイトニュース 1982年8月2日号〜7・8日号 インタビュー「嘘の歌・ほんとうの歌」 |
ミセス 1982年8月 エッセイ「何故夫は食卓で話をしたがらないか?」 |
文藝春秋 1982年8月 エッセイ「ウィスキーとビール」 |
メンズクラブ 1982年7月 エッセイ「BASEBALL ナイターの正しい鑑賞法」 |
マダム 1982年7月 エッセイ「マイ・スニーカー・ストーリー」 |
海 1982年7月 「アーヴィングのインタビューについて」 |
ナンバー 1982年7月5日 エッセイ「動物ジャケットのすべて」 |
海 1982年7月 エッセイ・シリーズ「同時代としてのアメリカ」〜「用意された犠牲者の伝説−ジム・モリソン/ザ・ドアーズ」 |
ユリイカ 1982年7月 川本三郎氏との対談「R.チャンドラー あるいは都市小説について」 |
メンズクラブ 1982年6月 エッセイ「SOLICITOR 勧誘員の正しい撃退法」 |
Jazz Life 1982年6月臨時増刊 インタビュー「村上春樹」 |
すばる 1982年6月 エッセイ「卑猥と良識について」 |
群像 1982年6月 エッセイ「新人賞前後」(雑誌企画「新人文学賞の二十五年『受賞のころ』」の一つ) |
BRUTUS 1982年6月1日 エッセイ「ジョン・アプダイクを読むための最良の場所」。「帽子を脱ぐところ」。「書斎奇譚(全作品1979-1989
D短編集 U」収録)」。「スパゲッティー工場の秘密」。 |
メンズクラブ 1982年5月 エッセイ「MOVIE 正しい映画の観かた」 |
ナンバー 1982年5月20日 エッセイ「オーディオという名のスポーツ」 |
海 1982年5月 エッセイ・シリーズ「同時代としてのアメリカ」〜「都市小説の成立と展開−チャンドラーとチャンドラー以降」 |
太陽 1982年5月 エッセイ「坂下のおでん屋コンボイ」 |
すばる 1982年5月 エッセイ「北方領土と『ベルリン日記』」 |
朝日ジャーナル 1982年5月21日 エッセイ「すごくグロテスクな茶番」 (雑誌企画「どう見る英・ア軍事対決」の一つ) |
すばる 1982年4月 エッセイ「マンハッタン・トランスファーと絞首刑について」 |
GORO 1982年4月22日 対談「村上春樹VS糸井重里」 |
朝日ジャーナル 1982年4月2日 天野郁夫氏、樋口恵子氏との対談「大衆化した「大学」はどこへ行く」 |
すばる 1982年3月 エッセイ「文庫本と女性作家について」 |
広告批評 1982年3月 「僕が「僕」にこだわるわけ」 |
海 1982年2月 エッセイ・シリーズ「同時代としてのアメリカ」〜「反現代であることの現代性−ジョン・アーヴィングの小説をめぐって」 |
すばる 1982年2月 エッセイ「豊田四郎・オールナイト四本立て」 |
an an 1982年2月26日 エッセイ「小説のことばの本質とは、あくまで嘘をつき通すことだ」 |
朝日ジャーナル 1982年2月5日 エッセイ「青山学院大学−危機に瀕した自治とキリスト教精神」 |
すばる 1982年1月 エッセイ「北海道におけるゲイ・タリーズ」 |
with 1982年1月 大森一樹氏との対談「SEXしないことが、『優しさ』か!」 |
朝日ジャーナル 1982年1月1日・8日 「意識過剰は力がないから」 (雑誌企画「『日本回帰』の深部へ」の一つ) |
キネマ旬報 1982年1月上旬 『告白』の映画評− 「ハード・ボイルド風少数民族小説の映画化」 |
Hot Dog Press 1981年12月10日 「風の歌を聴け」対談村上春樹VS.大森一樹 |
宝島 1981年11月 インタビュー「幻想のアメリカ少年は中産階級の友が好きだった」 |
海 1981年11月 エッセイ・シリーズ「同時代としてのアメリカ」〜「方法論としてのアナーキズム−フランシス・コッポラと「地獄の黙示録」」 |
文學界 1981年11月 エッセイ「友だちと永久運動と夏の終り」 |
現代 1981年11月 「女優・真行寺君枝−透き通った存在感の魅力」 |
平凡パンチ 1981年11月2日 立松和平氏との対談「原作者対談・映画ってなんだ!?」。「&マーク派バルーン感覚・・さりげ族・・・」。 |
BRUTUS 1981年10月15日号 エッセイ「都市部限定公開映画『風の歌を聴け』は、一級のプライベート・フィルムだ」 |
ビックリハウス 1981年10月 「PHOTO JUNCTION」(『村上春樹全作品 1979〜1989
D短篇集U』掲載時のタイトル「あしか」) |
太陽 1981年10月 エッセイ「八月の庵 僕の「方丈記」体験」 |
早稲田文学 1981年10月 「パン屋襲撃」(早稲田文学 1991年再録) |
海 1981年9月 エッセイ・シリーズ「同時代としてのアメリカ」〜「誇張された状況論−ヴェトナム戦争をめぐる作品群」 |
文藝 1981年9月 エッセイ「麦畑」 |
キネマ旬報 1981年8月下旬 エッセイ「『風の歌を聴け』の映画化によせて」 |
中央公論 1981年8月 エッセイ「専門家の話」 |
家庭画報 1981年8月 「架空の都市には夢と幻想といかがわしさがあふれている」 |
ユリイカ 1981年8月 エッセイ「ドゥ・ワップ・ララバイの時代 」 |
海 1981年7月 エッセイ・シリーズ「同時代としてのアメリカ」〜「疲弊の中の恐怖−スティフン・キング」
|
TODAY 1981年7月 エッセイ「鏡の中の夕焼け」 |
別冊暮しの設計 1981年7月10日 エッセイ「僕の背後の小さな風景」 |
女性セブン 1981年7月2日 エッセイ「弱さを露呈しながらなおかつ読者をひきつける作家スコット・フィッツジェラルド」 |
季刊アート 1981年SUMMER 往復書簡「村上春樹・東京 ⇔ 京都・佐々木マキ」 |
太陽 1981年6月 映画評 「モノクロ画面に燦然とかがやく四つの教訓に、僕は感動した。」
『エレファント・マン』 |
早稲田文学 1981年6月 短編小説「鹿と神様と聖セシリア」 |
別冊宝島24「道具としての英語 読み方編」 1981年6月25日 エッセイ「英語の小説を読むための幾つかの方法」 |
小説アクション 1981年5月30日 「1981年3月に起こった極めて個人的な出来事」 |
太陽 1981年5月 映画評 「バルト海の底で僕を待ちうけていた鰻たちに関する「テーゼ」。」
『ブリキの太鼓』 |
芸術新潮 1981年5月 エッセイ「『描かれたニューヨーク展』によせて ニューヨーク・ステイト・オブ・マインド」 |
太陽 1981年4月 映画評 「防衛庁の隣で、階級的なにっかつポルノを観る。」『OL縄奴隷』 |
太陽 1981年3月 映画評 「キューブリックの『シャイニング』は「恐怖」だけが輝いていた。」
『シャイニング』 |
太陽 1981年2月 映画評 「四千メートルの海底からひきずり出される四万六千トンの夢。」『レイズ・ザ・タイタニック』 |
女性セブン 1981年2月19日 著者インタビュー |
BRUTUS 1981年2月1日 エッセイ「1981年のミソロジー」 |
MORE 1981年2月 著者インタビュー |
図書新聞 1981年1月31日 作家の作家的体験「冬が夢を育くむ」 |
太陽 1981年1月 映画評 「くだらない男は撃ち殺せ! 八〇年代の女はタフにならねば。」『ハンター』と『グロリア』 |
平凡パンチ 1981年1月26日 インタビュー「都市感覚の小説家」 |
小説現代 1980年12月 村上龍氏との対談「一九八〇年の透明感覚−村上龍Vs.村上春樹」 |
太陽 1980年12月 映画評 「中産階級的光輝に充ちた映画青年の「哲学」が脈打つ。」『ヒポクラテスたち』 |
BRUTUS 1980年12月1日 ピーター・キャットの紹介(ピーターキャットのカウンターに座る村上春樹さんなど貴重な写真) |
SFマガジン 1980年11月臨時増刊号 エッセイ〜私の好きな一冊 |
太陽 1980年11月 映画評 「カーター→カントリー・ミュージック。人気歌手が唄いまくる。」『忍冬の花のように』 |
旅 1980年11月 「1980年の贅沢な旅」 |
太陽 1980年10月 映画評「完璧な「書き割り」の平面に、ボランスキーの才気がひかる。」『テス』 |
クロワッサン 1980年10月25日 「14人の男を惑わす女のしぐさ」コーナーの回答者の一人 |
ビックリハウス 1980年9月 短編小説 「蚊取線香」 |
太陽 1980年9月 映画評 「歌舞伎町のゲームセンターで時折感じる”リアリティー”。」『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』 |
文學界 1980年9月 短編小説 「街と、その不確かな壁」 |
海 1980年9月 エッセイ「ピンボール後日譚」 |
太陽 1980年8月 映画評 「こんな立派な映画をお子様になんぞ観せておくのはもったいない。」『少年の黒い馬』 |
ハッピーエンド通信 1980年8月 書評「中年を迎えつつある作家の書き続けることへの宣言が、『ガープの世界』だ」 |
キネマ旬報 1980年8月下旬 『オール・ザット・ジャズ』ボブ・フォッシー監督と話題のミュージカルをめぐる9人の評言の一つ−「まさにニューヨークの雰囲気」 |
太陽 1980年7月 映画評「「やさしい」映画を作ろうとするほど映像はデモニッシュになる」『ツィゴイネルワイゼン』 |
ハッピーエンド通信 1980年7月 書評 「マイケル・クライトンの小説をよんでいると「嘘のつき方」から「エントロピーの減少」まで思いめぐらしてしまう」 |
週刊現代 1980年7月3日 インタビュー「いま、若者の合言葉『村上春樹、読んだ?』」 |
ハッピーエンド通信 1980年6月 書評「ル・カレ・ファンとして、涙また涙の『スマイリーズ・ピープル』」 |
キネマ旬報 1980年6月上旬 『影武者』をめぐる13人の評言の一つ−「神話の持つダイナミズム」 |
ハッピーエンド通信 1980年5月 書評「『ウルトラ・ヴァイオレンス』の作家、ハリーランソンのSFを読む」。高橋千尋氏との映画月評
『出逢い』。 |
女性セブン 1980年5月1日 村上春樹(記事だが本人の言葉を含む) |
ハッピーエンド通信 1980年4月 書評「自意識をそぎおとした戦争小説『ノー・ビーグルズ・ノー・ドラムズ』を読む」。 |
ハッピーエンド通信 1980年3月 書評「アメリカン・ホラーの代表選手−ステフン・キングを読む」 |
キネマ旬報 1980年3月下旬 『ヤング・ゼネレーション』の映画評−「親子間のジェネレーション・ギャップは危険なテーマ」 |
ハッピーエンド通信 1980年2月 書評「『ジェイル・バード』で、戻ってきた、キルゴア・トラウト」。翻訳「失われた三時間」(F・スコット・フィッツジェラルド)欄外にフィッツジェラルドに関する紹介文。 |
JAZZ TIMES 1980年1月号 エッセイ「昔から主張のない子供だったけど・・・幾分腹を立てつつ書いてみた」 |
ハッピーエンド通信 1979年11月 わが青春の、アメリカ文学紀行四「リチャード・ブローティガン著『アメリカの鱒釣り』より」 |
週刊読書人 1979年11月5日 「無国籍の世代の近ごろ」 |
カイエ 1979年8月 インタビュー「私の文学を語る」。エッセイ「フィッツジェラルドについて」。 |
週刊朝日 1979年5月4日 インタビュー 「群像新人文学賞=村上春樹さん(29)
は、レコード三千枚所有のジャズ喫茶の店主」 |
週刊現代 1979年4月26日 「軽快な感じ」新人登場、群像新人賞の“三十歳”(記事だが本人の言葉を含む) |
ジャズ批評別冊「ジャズ日本列島」1975年版 アンケートへの回答 |
ジャズランド 1975年8月 インタビュー「ジャズ喫茶のマスターになるための18のQ&A」 |
ワセダ 第9号(1969年4月) エッセイ「『問題は一つ。コミュニケーションがないんだ!』―'68の映画群から」 |