史上初めての
悲惨な校舎内 事件

 6月8日に発生した大阪教育大学付属池田小学校に男が侵入し、児童・教師を殺傷した事件は、日本の教育史上初めて教師のいる教室内で児童が次々と刺され倒れるという悲惨なものでした。私たちは、被害に遭われ亡くなられた児童のご家族に深く哀悼の意を表すとともに、ケガを負われた児童と教師、その家族の方々に心からお見舞いします。
 安全でなければならない学校教育施設内で、この様な凶行が行われたことに全国民が大きな衝撃を 受けましたし、早急な対策を求める声が強まっています。

助長された
無防備な学校

 1999年12月の京都市伏見区・市立日野小学校校庭で放課後に起きた児童殺害事件において、当該小学校の校長が「開かれた学校という理念が考え直さねばならない」という趣旨の発言をしていました。文部科学省から市町村教育委員会まで、この政策を推進する立場で学校への指導と施策を行ってきましたが、この発言は、現場からの率直な警鐘でもありました。
 10年、20年単位で見ると学校への訪問者が格段に増えています。それは、学校教職員からの視点に立てば、かつてはあった外部者への警戒感が事実上薄れてしまい、来校者の存在が当たり前になっている中で、次々と学校開放の施策が打ち出され続けてきたことへの当然の反応だといえます。
  吹田市議会の働きかけで実現した市立山手小学校と同桃山台小学校の地域交流室も、利用者の動線と児童の動線がクロスし、入り口も分離されない、トイレも共用とするなど、今回の事件を教訓にするなら、あまりに本来の主人公である児童・生徒の安全を考えるならば、無防備と言えます。低いフェンス、開放廊下、生け垣緑化など多くの学校でも、施設的な対策のないまま、横並び一律で開放事業を押し進めてきたことも問題です。
  「社会の学校への絶対的善意」を前提にした「開かれた学校」政策は、結果 として無防備な学校を助長することになっています。

求められる
高度の安全配慮

 行政側の論理はともかくとして、児童・生徒という発達途上の青少年を親から預かる学校教育施設では高度の安全配慮が求められていますし、社会全体としては当然そうした安全対策は行われていると考えられています。社会は学校に対して、こと安全については第一義的な厳しい基準での管理運営を求め、教育行政にも同様の執行を求めています。親の立場からすれば、学校と家庭は、まず安全だから、通 学や放課後の時間帯の危険性に注意をすればと言う、これまでの考えを覆されたのです。
  しかし、このHPでも明らかにしているように、安全神話は崩れたのです。私たちは、神戸・淡路大震災の被害の実態を目にし、良好な維持管理の前に災害から子どもたちの命を守るため、耐震工事の早急な実施の必要性を問いましたが、この事件により犯罪から児童・生徒を守る課題も緊急の課題であると認識しました。

枚方市の学校のフェンス

 枚方市の大部分の学校で見られるのは、このタイプのフェンスです。1スパン単位 が一体になっており、ビス止めで固定されているため、丈夫でメンテナンス性に優れています。乗り越えようとしても、足がかかりにくい為、防犯性に優れています。

 吹田市の学校のフェンス

吹田市の多くの学校は、昔からあるカラー番線を編んで作られる網タイプのものです。上部の枠に手が届くと、編み目に足がかかりやすい為、乗り越えやすいものです。また、一本の線が切れると、縦に開口部が出来てしまいますので、容易に破られる恐れがあります。

管理体制強化より
手厚い人員

 文部科学省は、二十数年前の主任制導入に始まり、副校長制や教頭二名制など管理体制強化の路線を押し進めてきました。
  現場からの強い声にも関わらず生徒数の減少を理由にあらゆる職種の人員削減が進み、教職員の負担増を生み出し、それがまた管理職の負担に跳ね返る悪循環に教職員の高齢化も加わって事態は深刻です。現場管理の強化で問題を解決できると考え、管理職を増員するだけでは、問題解決にならないばかりか、現場への信頼感を欠いたそのような現実認識こそ問われなければなりません。
 少子化の中でクラス数が減少することは、少数の教師・職員でも同じ学校行事を準備しなければならないため、一人あたりの負担はまし、任務を重複して担うため時間不足や仕事の持ち帰りが、常態化しています。
 確かに、副担任制やT.T、養護担当複数配置等の動きもありますが、その歩みは部分的で全体に広がるにはかなりの年数がかかることが予測されます。
  学校の日常運営に重要な役割を果たす、事務職員を引き揚げようとする試みや安全で快適な教育環境整備を担う校務員の削減が、国と自治体の手で進められています。

学校現場にまかせ
人と予算を

 中央教育審議会は、学校長への権限委譲と学校の独自性を今後の課題としています。いくら学校長の権限委譲と独自性の発揮を求めても、人員と財政、地域と行政のバックアップがなければ、その目的を果 たすことは出来ません。 学校現場から施設改善の要望が上げられても、教育委員会への予算増額は、担当職員の数は抑えられた状態ですから、きめ細やかな対応は出来ません。それぞれの学校の事情は異なり、少ない人員で少額の工事まで行おうとすることには無理があります。教育委員会は、長期的な営繕計画に基づいた改修工事や一定規模の修繕工事に専念し、細やかな改良・修繕工事は、予算を学校現場に下ろすべきです。
  大阪府の堺市や奈良県の奈良市の様に、200万円、100万円といったお金を学校現場に施設整備費として配分し、その執行について校長に権限を委ねることが必要です。吹田市では、学校への予算配分には、そうした費目がありません。
 今回、防犯体制が問題となっていますが、 施設条件がバラバラな上に老朽化という大きな課題を抱える吹田の学校で有効な防犯設備を整備するには、各学校と地域の特性に応じた個別 の課題整備を行う必要があります。

有効でない
警備員の配置

 大阪教育大学の付属6校では、警備員を配置することにしましたが、学校施設としては第一級の内容を持つ国立の学校だから可能であり、予算もとれたものと思われます。
 多くの公立小・中学校では、低いフェンスや生け垣緑化、複数の校門があり、おまけに吹田市では開放廊下校舎が60%を超えるため、これらの施設整備をしないままの警備員の配置だけでは有効な安全策はとれません。

総合的な対策と
施設の防犯化

 加害者の人格障害にしても新しい問題として社会全体の制度的な対応なしには、解決になりません。競争と経済効率の論理の下で、弱者や敗者の切り捨てが当たり前になり、反社会的感情がこの様な形で噴出することは、増えることが予想されます。
 そうした中で、学校がとりわけ発達途上の児童・生徒が学び、生活をする場所としてどのように安全と快適性を確保するのかが問われています。
 「開かれた学校」の理念の下で、学校を訪れる人の数はさらに増えようとしていますが、今回の事件でも男性教諭が子どもを守るために立ち向かったことは、学校の職員配置・年齢構成といった人的環境の大切さを改めて示唆しています。
 警報ベルの設置や緊急電話の増設、門扉やフェンスの見直し 、開放性と防犯性を統一した校舎配置、来訪者受付と事務所の設置、外来者進入路と児童生徒活動部分の分離など、短期に取り組まねばならない課題とヨーロッパ先進国並の万全な防犯を考慮した設備整備を目指す長期的課題を共に着手する必要があります。

吹田の問題点 開放廊下校舎
 吹田の学校施設の防犯面から見た、大きな問題点と言えば、開放廊下校舎が半数以上を占めることです。
 右写真に見られるように、各階段が直接校舎の外部に出られるようになっているため、閉鎖型校舎の外部者を下足室等でチェックする安全対策 は有効ではありません。