これまでの足跡 05年11月


05/11/28(月)
 今日歩いた時に、昨日の「地球だい好き 環境新時代 佐賀発 白砂青松が消えていく」の視点で見ると様々気付くことがあった。

上2枚はジョギングコース51番地点から52番にかけての海側。クロマツがほとんどない部分だ。
ここは他の木も生えていないから整地し、腐葉土を取り払ってクロマツを植林してはどうだろうか。
ジョギングコース48番地点北側 健康づくりのみちNo.2とNo.3の間
上2箇所はどちらもクロマツがほとんどない場所、特に右写真の場所はニセアカシアばかりが50本
ほど生えている。このような場所も整地し、クロマツ植林に充てたらどうだろうか。

05/11/27(日)
 今朝早く山下達郎のテーマソング「フェニックス」に乗って「地球だい好き 環境新時代 佐賀発 白砂青松が消えていく」が放送された。全国に100以上もある海岸の松林の中で、唯一、国の特別名勝に指定されている「虹の松原」。景観の国宝ともいわれているそうです。年に76万人が景観を見るために訪れているといいます。海が近く米作りが出来なかったこの土地に緑をもたらそうと、初代唐津藩主がクロマツの植林を始めたのだそうです。以来400年経って広葉樹との競争に敗れてクロマツが廃れてきたのです。このことは松林のごく普通の成り行きなのだそうです。番組では「松と人間とは守り守られる関係だ」と説明していました。
 この番組は風の松原にとっても示唆に富む内容が多かったので、あとから映像を交えて紹介していきたい。


05/11/22(火)
 友人の受賞祝賀会で、Y君から「自分も風の松原を歩いてみようと思い、君のホームページを覗いたがよく分からなかった。初めて松原を散歩する人にも役立つページを作ったら」と言われ、なるほどその通りだと思った。
 私自身も、歩き始めた頃にインターネットで探したものだったから、Y君の要望に応えるページを作らなければならないと感じた。(今は別の作業に取り組んでいるので、その作業が終わったらこのホームページのリニューアルに取り組もう)


05/11/19(土)
 今日午前10時すぎ仕事中に電話が鳴った。「チャンネルをNHKに」というものだった。すぐにテレビをつけたら「佐賀発 白砂青松が消えていく」という番組の途中だった。仕事の手が離せなく、あとからNHKのホームページを見たら、下のページにあるように再放送は11月27日午前4時30分から59分までと出ていた。広葉樹がクロマツの敵であることは知っていたが、枯れ落ちた松葉も富栄養化の原因になっているとは知らなかった。虹の松原で松葉かきをしている姿が印象的だった。


05/11/17(木)
 これまで、研究紀要(昭和39年度から41年分)のPDFファイル化という作業に熱中していて、このページを更新する時間がなかった。その作業が一段落(裁断してもよい紀要が底をついたので)したので、このページを更新しようとしたら12日ぶりだった。

 今日の北羽新報「松くい虫被害が大幅に減少」という記事が出ている。新聞のリード文によると、今年の被害木は1650本、前年度に比べ3分の1以下に減少、米代西部森林管理署は「薬剤散布の成果が出ているようだ」と話しており、被害木は今年度中に処置する方針だという。

 今朝は非常に寒く、母がディサービスに出発する前は庭が霰(あられ)で白くなる天気だったが、時には青空が見えるなど安定しない空模様だった。晴れ間を見てトリムランニングコースを一周したが、広葉樹の枯葉が散ったためか、林の中の見通しが良くなったと感じた。

1200m地点 1400m地点
1600m地点 1800m地点

 1200m地点は左側(海側)の林が薄い。1400m地点は真ん中の空がスカスカ。どちらもクロマツの本数が少ないためだろう。1400m地点から左へ曲がる道に赤い測量地点のリボンが続いている。今冬には、健康づくりのみちNo.2地点とつながるチップ道の工事が始まるだろうと予想している。

 北羽新報では「松くい虫被害木が減少」と報じていた。確かに黄色いハチマキを結んだ被害木は少ない。しかし、陸上競技場脇トイレ後ろでは被害木が5本もまとまっている場所があった。この場所に残っているのはいずれも100年以上になる高齢林だから惜しい。このままだと10年もたたないうちに車道に面して、下刈り作業をしている部分(下の地図の@〜DA〜Bで囲まれた部分)のクロマツの本数は数えることが可能なほど少なくなってしまうのではないか。近いうちに現在のクロマツの本数を数えておこう。

水色の部分が明治期以前に植林された高齢林の一部
黄色いハチマキの被害木が5本 幹を削って確かめたが松ヤニが出なかったのだろう

05/11/5(土)
 昨日、我が家のインターネット接続環境が故障し、復旧に手間取り、11月3日の伊藤忠夫氏の記事の要約が遅れているが、今日5日の北羽新報の『晩秋から初冬へ』という特集の2回目として「風の松原」が写真入りで掲載された。
 web版北羽新報には載っていないが見出しは「紅葉に染まり、林内華やぐ」だ。本文の出だしが気になった。書き出しは、 

 能代市民の自然遺産である「風の松原」。四季折々の表情を見せる松原は晩秋の今、黒松に絡むツタなどが紅葉し、華やいだ雰囲気に包まれている。

 だが、「能代市民の自然遺産」とはどういうことか? 現在は自然遺産と言えば白神山地のような人工を加えない場所をいう場合が多い。自然遺産には「自然のままにしておけば変化しない」という誤解も生じる。
 風の松原は強い風で吹き荒れる砂浜に、加藤景林が登場する以前から、人々が1本1本クロマツを植えて作り上げた人工の松林であり、ブナのような自然更新が出来ない林であることを強調してもらいたい。風の松原は能代市民にとって貴重な遺産である。しかし、人々が作り上げた遺産であり、自然遺産ではない。
 伊藤忠夫氏の『砂防林はどこへ行く』には、「せっかくの努力でクロマツが松くい虫の被害から守られたとしても、自然に放置するといずれはクロマツ林はなくなってしまう。」と書かれていることを、掲載した北羽新報の担当者が知らないはずはないと思う。
 それにしてもクロマツに絡まるツタは華やいだ雰囲気だった。 

     
11/5 今日は10時過ぎから2時間ほど歩いた。天気もよく、散歩したり走ったりしている人も多かった

05/11/3(木:文化の日)
 1日は秋田行き、2日朝は雨、今日3日は十二湖で歩くため風の松原には行かなかったが、十二湖リフレッシュ村で昼食をとっている時に風の松原で歩いている人に出会った。「最近、風の松原を歩いていますか」と言われた。今は強い雨が落ちているが、明日朝は晴れの予報なので歩いてみよう。

去る10月29日と31日の2回に分けて、伊藤忠夫氏の『砂防林はどこへ行く−松と日本人−』が北羽新報の文化欄に掲載された。webページには掲載されないようなので、要約を紹介しよう。伊藤氏は能代市の出身である。それ以上はわからないが、内容からすると渟城第一小学校の学区域、終戦当時に松根掘りをした世代のようだ。

 司馬遼太郎氏は「日本は松の国である」と述べたと言うが、能代は「クロマツのまち」といえる。新成人のアンケートでも「風の松原を誇りに思う」と答えた人が多く、能代の遺産が次代に引き継がれる思いがして有り難い気持ちである。クロマツはアカマツに比べ潮風に強い。このため昔から海岸砂防林や防風林として植栽されており、今日では天然木と造林木の区別がつき難くなっている。万葉集には松に関連した歌が81首ある中で、海浜のクロマツの歌が21首ある。羽衣伝説や高砂の翁と媼の松葉掻きなどは白砂青松が背景となっている。日本三景といわれる場所では何れも松が自然景観の主役となっている。松は奈良・平安の昔から日本文化の自然観や精神文化を培い、浜辺のクロマツ林は海岸線の原風景として親しまれ、息づいてきた。
 弥生時代の昔から松は日本人の暮らしに密接に関わっており、第二次世界大戦の折には飛行機の燃料にするために松根油が使われたりした。私も風の松原で松の根を掘り上げる作業に動員された。乾留釜からわずかに滴り落ちる油が、自分たちの流した汗のように感じられた記憶が残っている。
 しかしクロマツは何と言っても砂防林としての役割が大きい。「その昔能代は 北風が吹き荒れて 砂を巻き上げ家を埋めて とても皆を困らせた。ありがとう砂防林 あの努力忘れない 今も能代を守ってくれる 700万のクロマツよ・・・」。これは渟城第一小児童会の作詞になる「ぼくらのまつばら」で、今も歌い継がれている。
 森林にはストレス解消や免疫力の増進などの癒やし効果があることから、健康増進やリハビリテーションに役立つ森林療法(フォーレストセラピー)が全国的に試みられている。風の松原の国有林でも16年度から4ヵ年計画でセラピーロード(森林療法道)の設定が行われている。
 クロマツ海岸林の味覚風景として親しまれ、採集の楽しみを与えてくれたキノコがめっきり少なくなってしまった。これは広葉樹が侵入し、土が富栄養化し、ドクベニタケやクロハツタケなどの悪玉キノコ菌に駆逐された結果である。もはや白砂青松の昔ながらのクロマツ砂防林の姿は見られない。これは全国の海岸林に共通の現象である。
 海岸林が全国的に減少、消滅の危機に瀕しているが、その原因は工場やレジャー施設、道路などの開発とともに、松くい虫の被害や広葉樹の侵入がクロマツの生育を圧迫しているからである。風の松原での広葉樹の侵入は、沿岸部に港湾や工業団地などが設置されたため、内陸部のクロマツ林が広葉樹の成立に適した環境になったことと、昔のように落ち葉掻きや下刈りなどが行われなくなったためである。広葉樹が大きくなるとクロマツは光不足で衰退し、広葉樹林に交代してしまう。この樹種交代(遷移)は自然現象であるため、せっかく努力して松くい虫の被害から守られたとしても、自然に放置すると、いずれクロマツ林はなくなってしまう。

伊藤忠夫氏は要約すればこのように書いてきたあと、結論として次のように書いている。

 これをくい止めるには広葉樹を伐採したり、下刈りを続けて遷移を止め、伐採跡地や松枯れ跡地にはクロマツ苗を再造林する必要がある。大変なことではあるが、それをしなければ原風景の海岸林の景観も、独特の貴重な生態系やキノコ相も失われてしまう。
 現在、筑前8松原をはじめ各地の有名松原で白砂青松の海岸林を取り戻そうとの運動や、日本列島を松の回廊でつなごうという構想も生じている。
 風の松原でもセラピー利用を一つの機会に、遺産でもある本来の砂防林の姿への回帰を目標に据え、ともに携えて頑張っていただきたいと思う。

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