風の松原を歩く これまでの足跡05年2月

最終更新 2005/3/4

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05/2/27(日)
 昨日26日はある会合に出席するために秋田市まで高速バスで行った。途中森岳を過ぎ、二ッ森に出る手前、高速道路下を広域農道が通過する付近だった。風景が変だ。よく見るとここでも松くい虫の被害を受けたと思われる松林が2〜3箇所見られた。

 今日は風の松原に行く途中、能代税務署に寄ってみた。国税庁のホームページを見ると、2月と3月には日曜日でも確定申告の相談に応じている税務署があるというので寄ってみたのだが、休日用のポストに向かった足跡がひとり分だけ残っていた。税務署には明日申告書類を持って行こうと思い、そのまま風の松原へ。3番地点近くの、付近の人が作ったゲートから入った。(1月9日の写真12参照)
工事現場はどうなっているかと見ると、A地点(写真1)では出来たばかりの歩道両脇の材木のボトルが浮いている。なぜだろう。
 42番地点(写真2)にはトイレまで出来て、工事の中心になっていることがわかる。実際、日曜日にもかかわらず作業が行われており、作業中の音は42番地点から北側(50番地店側)から聞こえていた。今日も42番地点から海側(Y地点方面)に進んだ。この道にも作業車用のわだちが出来ており、途中2箇所に南側への作業道路が出来ていた。2本のうち海岸に近い方を進んだが、途中で写真3のような状態に。作業車は雑木をなぎ倒しながら進んだのだろう。途中で道がなくなってしまったので、足跡を頼りにジョギングコースを進んだら、到着した場所は40番地点海側だった(写真4)。

写真1 写真2
写真3 写真4

 40番地点からジョギングコースを進んで休養広場まで来ると、3人が休養しており、私の後からひとり歩いてきていた(写真5)。
私は大森稲荷神社側に左折。ここは歩道にチップを敷く工事が終わっていて、歩くとふかふかした感じがする。C地点には工事用機械がおいてあった。C地点からB地点にかけてはまだ工事中で、雪にもかかわらず、真っ黒な土がむき出しの場所も見られた。

写真5 写真6

 このあと900m地点から池の周りの様子を見たが、最近の足跡はなかった。そこで池から南側に入ることをあきらめて、15番地点まで進み、M地点やP地点から池方面へ進む足跡を捜したが発見できなかったので、そのまま車道にでて戻ってきた。

 忘れていたが、今日27日の北羽新報1面に、24日発行の『広報のしろ』に書かれていたことが報道されている。2月24日に紹介した向能代在住の人と同様な松林の所有者が市内で約230人いるということも書いてあった。


05/2/24(木)
 19日夜にある会合に出ていたら、その中の1人(向能代在住)が、「海岸に松林を持っている人に」という通知が来て、松くい虫防除を国の費用でやってくれるというので、自分の家に松林があることがわかった、と話していた。今日(2月24日)発行の『広報のしろ 第1067号』(テキストファイル)13ページに「松くい虫被害先端地域特別対策事業」(pdfファイル)として書かれていた。始めの方は普通の文章だけだが、pdfファイルの方は紙面をそのまま読めるので、できればPDFファイルで読んでいただきたい。この地図を見れば、17年度事業計画区域とされている向能代や浅内地区の松林には国有林、県有林の中に民有林が含まれていることがわかった。
 2月28日、3月1日、3月2日に各地区で説明会が開かれるが、該当する住所は下記の通り。

17年度事業計画区域
竹生字古沼、古沼丸谷地、天神谷地、須田字藤山下浜、藤山谷地添、立子道、鷲長根、青山下タ浜、落合字下台、大開字砂留山、鳳凰岱、五雲岱、海詠坂、河戸川字下西山、西山下、浅内字茨島山、留山、砂山

05/2/21(月)
 今朝の北羽新報にこんな記事が載っていた。

3日松くい虫被害予防剤樹幹注入 風の松原に守られる人々の会
 この見出しで、能代市の風の松原に守られる人々の会は、3日午前10時から風の松原内で松くい虫被害予防のための薬剤樹幹注入を実施する。松くい虫被害から黒松の老木を守ろうと行われるもので、当日は風の松原いこいの広場に集合した後、薬剤提供企業から技術指導を受けながら注入作業に取り組む。同会は一般市民にも参加を呼びかけており、当日集合場所へ。と書かれていた。

 これまでも風の松原に守られる人々の会の「一般市民にも参加を呼びかけ」に応じて枯れ枝集めなどに参加してきたし、1本数万円といわれる薬剤注入には関心があるが、3月3日にはかつて勤務した学校の卒業式に出かけることにしているし、午後からは別の会合への参加も予定しているので、「残念!!」という思いだ。卒業式の方は、今の校名での最後の卒業式になるはずなので、是非とも出席したいのだ。

 さて今日は久しぶりでフルコース以上歩いた。所要時間は1時間20分。0番地点から逆コースで歩き始め、54番→50番→42番→Y地点→X地点→35番→23番→22番→いこいの広場→5番地点→0番地点。これだと70分以内で歩ける距離なのだが、今日は道路コンディションが悪かった。
 18、19日と飲み会が続いた夜はみぞれや雨が続いており、市内の道路の雪はほとんど消えたが、松原内の道路は凍ってツルツルだった。更にY地点からX地点に進む港湾道路の歩道は、歩いた人がほとんど見られないため、雪の深いところが多く、長靴が雪に埋まってしまうほどだった。

写真1 56番地点では除伐した木の山を運び出すトラック 写真2 52番から50番方向を見る 
多くの雑木やニセアカシアが除伐された
写真3 49番地点近くの作業本部? 写真4 49番から48番に向かう上り坂は凍っていて歩けない
写真5 44番からは海側へ工事用道路?が出来ている 写真6 湾岸道路の歩道は長靴の深さを測ったら20センチもあった
写真7 休養広場では歩道工事が始まっていた 写真8 砕石で固め、平らにしてからこの上にチップを載せる?

05/2/19(土)
 今日は先日(17日)、池から南方向(南西か?)に向かう足跡に気付いたので、それを確かめようと歩いた。足跡をたどっていくと、始めは小径だったが、途中からクロマツの間隔が広くなり、国有林との境界を示す標識も見られた。はっきり三叉路とわかる場所もあり、遠くに砂留山の人家の様子も見えるのだが、そちらに進む足跡は見られなかった。私が辿った足跡はその道を外れ、道ではないと思われるクロマツ林の中を抜けて続いていた。たどり着いたところは15番地点から砂留山に向かう小径のジョギングコースから150mほど砂留山側に入った地点だった。もう少し雪が少なくなってから再調査の必要有り。


05/2/18(金)
 今日は午後、夜と会合があるので散歩は朝のうちにとばかり、好天にも誘われ、7時半頃に出かけた。外に出ると新雪が1センチほど、もしかしたら・・・と思ったが、昨日と同じA地点に着いてみると、案の定、真っ白で新しい歩道の様子が全くわからなかった(写真1と2)。

写真1 昨日の写真1・2と同じA地点 写真2 A地点脇にチップ?の袋多数あり

 昨日のは午前中の写真だったから、この部分の仕事は昨日のうちに終了したらしく、重機も小型ローダーも見えない。きっとこの部分の工事は完成したのだろう。青いシートが一つも見えないが、完成した歩道をシートで覆い、そのシートを新雪が覆い隠したということはないだろう。
 A地点を見た後は久しぶりに42番から35番への道路を通り、30番から13番へ抜け、トリムランニングコースを通って0番地点まで行ってきた。


05/2/17(木)
 新しい地図が出来たので、この地図に従って、今日のコースを説明していこう。この地図は、書いている途中で何度も手直しをしたので、あちこちにムラが出来ていて痛々しい。また現在工事中の区域の表示も不鮮明になっている。あとで清書しなくちゃ。
 D番近くの鳥居脇から入り、1100m地点で右折。工事の音は大森稲荷神社裏手CDEF地域から聞こえる。トリムランニングコース1700m地点を過ぎてから左折。すると56〜55番地点にかけて切り出された雑木の山が続く。54番地点手前を左折しA地点に着く。すでに新しい歩道にチップを敷く工事が始まっていた。写真1は手前がA地点。道路端に角材を並べ(実際には角材の上に丸みを帯びた、角材の半分くらいの厚さのものが乗っているが)、そこにチップを敷き詰めている。写真1ではまだ道路右側の角材しか見えないが、写真2を見ると道路左側にも角材が置かれ、重機の奥の方にはチップが敷き詰められた上に小型ローダーが置かれている様子がわかる。

写真1 写真2

 その後、Y地点近くまで進み、歩道に出る手前を左折。始めは2月1日に歩いた時と同様に写真7(2月1日)の地点までは間違いなく進んだ。2月1日に迷った地点から今日は逆方向に進んだので、迷っていないはずだったが、やはり迷ってしまっていた。X地点と35番地点の中間(若齢林と中齢林の境目付近)に出るのに今日は16分間を要した。距離はおよそ700mと思われる。その途中、ジョギングコースでいえば42番地点から40番地点の海側も除伐作業が行われていた。休養広場(この表示が抜けていた、35番地点と同じ)とC地点の間に重機がいたので、休養広場 → F地点 → C地点 → D地点と進んだ。CDEF地域で除伐作業が行われたあとがはっきりと残っており、D地点までは雪上車でまた道幅が広げられていた。
 大森稲荷神社脇からは池の周りを回って戻ってきたが、池から南方向に進む足跡が一人分見つかった。ここを歩く人を見たことがないし、私も歩いたことがないので、第6版には書いていないので後から確かめてみなければならない。


05/2/16(水)
 昨日から「散歩コース略図 第6版」作成に本腰を入れ、昨夜遅くwebページに載せることが出来た。今朝になって載せたページを見ていると、間違いや不満な点が多く、今朝から何度も手直しをしている。
 午後から中央公民館で会合があったので、その会合が終わってから市立図書館に寄ってみた。「能代市の地図を見たい」と話したら、カウンター奥から大判の「ゼンリン住宅地図」を出してきて、カウンターで見てくれという。表紙にはコピーは1ページの半分までしか許可できないと書いてある。作成は2004年10月だった。2003年9月に引っ越した我が家もちゃんと表示されている。これなら信頼できると思い、松林のページを開いてみたら、家が一軒もないのに住宅地図にしっかりと載っている。しかも松林の中にもすべて地名があるのだ。一番驚いたのは「麒麟ヶ原」という地名だ。この地名が松林の中だけにあることに疑問を感じた。

 小学校1年か2年の頃の遠足で「キリンガハラ」に行ったことがある。また、小学校6年生になる頃、能代の中心部(当時)が丸焼けになる大火があり、焼け出された人たちを収容するための住宅が数箇所に出来たが、その一つが「キリンガ原住宅」だった。そこに大塚君という友人(「蟻の子クラブ」という子供会の代表者だ。現在は子供会といえば町内や小学校単位だが、その当時は希望者が自分の意志で加入し、奉仕活動を行う子供会もあった。当時の能代駅の花壇の世話も毎日やっていた。ある年の11月3日文化の日には県民会館で秋田県知事から表彰されたこともある。)の家があったので、何度も遊びに行ったことがある。現在のいとく通町店の裏側、現在の町名では松美町2、3、4、5、10番の部分だ。そのころ現在の第2保育所(松美町11番地)のあたりには家畜市場があったのではないか。家畜市場はその後、向能代に引っ越していった。

 そういう「麒麟ヶ原」という地名が、今日作った地図では黄色「若齢林」のLON22で囲まれた部分や、緑色「中齢林」の22QP15で囲まれたあたりに残っているのだ。木材高度加工研究所や広域交流センターは「海詠坂」だが商業卸団地の大部分は「仙遊長根」、そのすぐ北側は「五雲岱」(卸団地の一部が五雲岱に入っている)、22番への入口になっている浦田電気や赤塚自動車のあたりが「鳳凰岱」、15番地点への入口になっている青葉園通りを真っ直ぐ入った場所が「砂留山」となっていた。

 更には、松林の中の小径も描かれている。小径は現在のものよりもずっと詳しい。私がこれまで「ここに道があったのではないか」と推測した場所には、ほとんど道が描かれている。


05/2/15(火)
 「風の松原 散歩コース略図 第6版」作成のためにあちこち歩き回っている。第5版を作成したのが8月12日、その後から、風の松原に守られる人々の会が作成した「ガイドマップ」を見たので、今回はガイドマップを参考にして作業を進めているが、冬の雪道のためか、ガイドマップにある小径を歩いている人が少ない(またはいない)という事情もあって、いこいの広場南側の池の更に南西の小径は記入できない。今日は松林の中を歩いた後で車で陸上競技場前から鳳凰岱の松林への入口と思われる場所までの距離を測ったら1.9kmだった。
 車道から入るには、砂留山から入るには、風の松原郵便局近くの鳳鳴会館(写真1)前から松林に向かって進んで行くと突き当たりに写真2のような階段が出来ている。ここを入ると、15番地点に出る。
 鳳凰岱の悠々倶楽部脇から松林に向かった場合は、赤塚電気前、又は浦田電気脇から入ると22番地点に出るのだが、車を駐車しておく場所がなかったので、実際には歩くことが出来なかった。また、入る道を1本間違えて大友看板の道路を入った時は風の松原に入る道は見つからなかった。

写真1 写真2

05/2/13(日)
 今日は11時過ぎにスタート。日曜日だから工事は休みだろうと思ってスタートしたが、大森稲荷神社付近まで進んだところで、トリムランニングコース1400mを過ぎたところで1600m付近で2台の重機が動いているのが見えたので、1400m地点を左折。10日と同じようなコースを進む。休養広場から27番地点まで進んだが上空は青空なのに白神山地付近だけが雲に隠れて見えない。13番へ抜ける途中から左折、普段はあまり通らない道だが、大森稲荷神社裏に抜ける道を進んだ。数人の足跡が付いている。きっと工事中で進入禁止の道を避けて歩いている人が増えているのだろう。
 帰りにジャスコ脇の国道101号線では白神山地がくっきりと見えた。その後クルマで八森町まで出かけたが、進む方向が少し違うと見えるやまなみがまるで異なっていることに気がついた。海側は雲に隠れているが藤里側はくっきりと見える。風の松原中央通りから見える山並みは海側、ジャスコ脇の国道101号線から見える山並みは藤里側ではないかと予測される。


05/2/12(土)
 10日から12日までは天気予報どおり雪、昨日も今日も朝から除雪。我が家のすぐ近くに児童公園があり、そこが雪捨て場になっている。距離は1往復100m位か。昨日も今日も朝1時間以上雪捨てをしている。
 ところが、今日の午後に風の松原に行って見ると、雪の量が思ったほど増えていない。風がない時には積もるが、大抵は吹雪だ。そういう時には風のために飛ばされて、松原内に雪は残らないのだろう。
 今日は午後2時に自宅から歩き始め、自宅帰着が午後3時8分。連日の雪にもかかわらず、雪道は何人もの足ですっかり踏み固められている。出会った人は2人だけ。雪道は確かに狭くなっている。23番地点から30番地点にかけては以前に比べて道が深くなっていたが、写真では上手に表現できなかった。明日はメジャーを持参して測ってみよう。なお、23番地点から30番地点までは雪道が複線になっているが、30番地点から35番に向かう道は一本だけ(それが写真2でわかるだろうか)。35番地の先は進入禁止になっているので、散歩する人たちがそこを通らないように心掛けているのだろう。

写真1 10番地点 14:15
歩いてくる人が一人見える
写真2 29番と30番の中間 右折すれば13番へ 14:39
こちらも歩いて来る人が一人見える

 今日の北羽新報には次のような見出しで記事が出ているが、このことは以前にも紹介したと思うので、きっと正式に決定したということなのだろう。

市民ボランティア大会
風の松原 5月8日開催決める 協議会総会で 2区画で枯れ枝など収集
 風の松原ボランティア協議会の総会はこのほど、能代市総合体育館で開かれ、風の松原を守る市民ボランティア大会を5月8日に開催することを決めた。(以下省略)

 前にもこの記事を引用したはずだが、「風の松原ボランティア協議会」という組織があることは気が付かなかった。
この総会には約30人が出席、会長には国有林退職者協議会能代支部長を選んだとも書いてあるが、どういう組織の集合体なのかはわからなかった。


05/2/10(木)
 今(2月10日午後9時)は吹雪いているが、今朝は風が全くなく雪が降っていたので朝のうちに風の松原に出かけた。風の松原到着午前7時ちょうど(写真1)。すでに足跡がたくさんある。今日は歩いてきたが家からここまで10分。ここ数日トリムランニングコースに入ったことはなかったが、仕事開始前だからいいだろうと中に進んだ。足跡は1人と1匹だけ。1400m地点から整備中の道路に入ると坂を登り切った両側に大きな袋がいっぱい(写真3と4)。

写真1 赤い鳥井脇の駐車場 写真2 1200m付近
写真3 写真4

 袋はこの場所だけでなく新設される道路のあちこちに置かれている。

写真5 写真6

 こんなにたくさんの袋を新設道路沿いに置いてあるとすれば、これは道路の歩道部分に敷き詰めるチップではないか。もっと小さな別の袋も写真に撮っているがここには載せなかった。写真5の地点は丁字路風になっており、右に進む道も出来るのかもしれない。
 今日は写真6の先、大森稲荷神社脇の道路と接する場所まで進み、休養広場に出た後、27番地点まで進み、そこから左折、13番地点に出て戻ってきた。

写真7 年賀状にも使用した27番地点 写真8 12番地点 今日会った人は一人だけだった

 27番地点では年賀状にも使用した場所を撮してみた。あの時は8時半だったが今日は7時半。まだ色彩が出ていない。写真のできばえでは、まだ午前7時からの散歩で写真を撮るのは早すぎるのかなと感じた。
 昨日は午後3時半にスタートしても12人と2匹に出会ったのに、今日出会ったのは写真8の女性1人と1匹だけ。そういえば、27番地点に残っている足跡は私の長靴よりも小さい女性の足跡が一つだけ、23番方面に向かって歩いていた。


05/2/9(水)
 午前中に八郎潟町に行く用事があった。天気予報では雪又は雨だったが、実際は曇り。能代市の気温は1度、八郎潟町では3度。午後になって散歩に出かける頃は今にも雨が降りそうだった。写真データを見ると、大森稲荷神社近くを歩いているのが15:24分。戻ってくる3人と犬1匹に出会う(写真1)。その後10番地点で戻ってくる2人に出会う。写真2では1人に見えるが近づいてから女性2人であることがわかった。先日は同じ地点で、1人が来たと思ったのに実際は男5人が1列に並んで歩いていることがあった。

写真1 大森稲荷神社手前で3人に会う。 15:24 写真2 続いて10番地点で2人に会う。 15:30

 午後も3時半過ぎという時刻になってもこんなに多く歩いている人がいるとは驚きだった。このころは雨が降り始めたばかりで傘を差していない人もいたが、その後に出会う人はみな傘を差していた。29番地点を歩いていた男性は透明のビニール傘、31番地点で出会った2人は傘で女性であることがわかった。

写真3 29番地点を歩いてくる男性 傘を差している 15:53 写真4 31番地点を来る女性2人と犬1匹 15:57

 私はその後、休養広場から大森稲荷神社脇を通り、車に戻ったのが14:15分。途中ですれ違った散歩者は12人と犬2匹。私も日に一度は歩かないと落ち着かないが、同じような病気の人がたくさんいるのだ。先日は用事があって隣の町内の自治会長さんに会いに行った。初対面の人のはずだったが、会ってみると春から風の松原で何度も出会ったことのある人だった。


05/2/8(火)
 今日は写真1の右下に立て札がある通り、トリムランニングコースも進入禁止になっていたが、1300m地点の松くい虫被害木が気になったので1300m地点まで行ってみた。1200m地点付近では写真2のような太いクロマツ被害木(直径35センチ)も切り倒されていたが、1300m地点でも被害木は除伐された後だった。写真4が1300m地点の松くい虫被害木だろう。

写真1 写真2
写真3 写真4

 木の切り口もクロマツとニセアカシアでは色からして明らかに異なっていた。写真5は大森稲荷神社境内に積まれたニセアカシア。
 写真6は新しく整備される道路のメインストリートになると思われる部分を望遠で撮した。直線部分が400m位か?

写真5 写真6

  今日の散歩は、大森稲荷神社脇から休養広場を通り、船泊まで直進。左折した足跡があったので、その後をたどり、500m程進んだ地点から左折、アカマツ林の脇から13番地点へ直進するコースを歩いた。大森稲荷神社から鳥居脇まで所要時間45分。いつもと比べて歩く距離がちょっと少なかったが、午前中にやるべき仕事がまだあったので仕方がない。

 今日の北羽新報文化欄に能代市桧山出身の野呂貞雄氏の「私の昭和20年」という文章が載っている。1行11文字188行の長文だ。その中に、戦時中松の根から油を採取した話が書かれているので紹介しておこう。風の松原でも松根油を採るために松の根を掘った場所が残っている。3番地点内側にある(写真参照)だ。

     私の昭和20年     野呂 貞雄 (緑色太線部分が引用)
<書き出しの部分>
 今年(2005年)は太平洋戦争終結60周年。人間の節目で言えば還暦にあたる。文藝春秋2月号はこれにちなんで特集を組んでいる。これにあやかるわけではないが、私も昭和20年を回顧してみたい。(中略)
<野呂氏のその時の立場>
 まず3月までは国民学校5年生。ガソリンなどの燃料は極端に不足し(これが戦争の一因ともなった)、戦争に出撃する軍用機のそれとて例外でない。
<当時の政府の方針>
 そこで政府は松の根から油を採取して(松根油と称した)、軍用機を飛ばすことになった。わが草深い桧山の地に松根油工場が建設されたのは同年2月から3月にかけてである。あの年の冬は前年と同じく豪雪であった。山間部だからなおさらである。基礎工事の前に建設予定地を除排雪しなければならない。その作業がわれら5年生の男子生徒にまわってきた。(中略)
<国民学校5年生の仕事>
 懸命に働いて3日くらいで作業は完了した。軍の建設隊は20人くらいで分散民宿し、突貫工事で建物と施設を完成させた。
<採取方法>
 油の採取方法は松を蒸気で蒸してしぼりとるのである。一定量がたまれば航空燃料として出荷される。(中略)
<後日談>
 なお、この松根油は超高空を飛ぶ場合、油質がすぐれていたという。敗色濃厚になったあのころ、軍用機も底をつき、どれほど役に立っただろうか。
<野呂氏の疑問>
 話は前後するが、松の根は木の枯れかかったものなのか、または成長途中の根を掘ったものなのか私にはわからなかった。生木だったら資源は資源はたちまち枯渇するだろうから、たぶん後者かもしれない。農家の人々は続々と集めてきた。かくして工場はめでたく稼働し、終戦まで続いた。
 (後略)


 2月4日撮影の写真

 この場所の10月30日の写真はこちら

05/2/7(月)
 インターネットでフリー素材を検索し、アニメーションgifを探し出してこのページに貼り付けた。ジョージ君のアイコン工作室の中に「アニメ人間大行進のぺージ」というのがあった。赤いトレーナーの歩く姿が気に入った。そんな作業をしているうちに実際に歩く時間がなくなってしまった。


05/2/5(土)
 いこいの広場を9時56分スタート。ジョギングコースやトリムランニングコースでは必ず工事現場に出会うので、今日は写真1の道をどこまでも真っ直ぐ、港湾道路まで歩くことにした。往復4.5キロほどだ。写真2は右折すればエナジアムパーク入口に続く小径だが、足跡はほとんどなかった。
 写真3は港湾道路との交差点。10時24分着。ここまでに数人とすれ違ったが、港湾道路から入ってきた足跡はほとんどないし、港湾道路口にいつも駐車している場所には一台の自家用車もなく、雪のため駐車できる場所も見あたらない。先ほどすれ違った人たちも、きっと私と同様、写真3まできて引き返したのだろう。
 引き返してから吹雪に見舞われた。青森県津軽地方では地吹雪ツアーというのがあるそうだが、帰途はほとんど吹雪。能代の吹雪は下から吹き上げる雪だが、今日はまさにその通り。
 写真4(これまで何度も足跡に登場させた、見慣れた20番地点)から左側の道路を通った。先人の足跡がまばらにしかないので、歩くのに時間がかかる。プールの中を歩く運動があるが、あれと同じくらいのダイエット効果があるかもしれない。
この小径は夏はほとんど人が歩かないので、写真5のように小松があちこちで自生している。しかし、クロマツが成長するためには太陽の光を多く必要とするので、これらの小松が周りの松林のように成長するのは難しいことだという。
 13番地点からジョギングコースに戻ったが前がほとんど見えないほど吹雪が激しい。写真6は11番地点から10番地点に向かう場所だが、50m先の人がこんなにかすんでいる。写真1の地点まで来たのは10時52分。今日のコースは約1時間だった。

写真1 写真2
写真3 写真4
写真5 写真6

05/2/4(金)
 今日も昼休みの時間をねらったのだが、ちょっと早すぎた。大森稲荷神社の鳥居から入ってまもなく大きな音が聞こえたのでトリムランニングコース1100m地点に向かった。すぐその内側が今日の現場だった。写真1の中央に写っている重機で雑木の整理をしており、その後側にはチェンソーを手にした人が2人いて、黄色や青のハチマキをした木を切り倒していた。先日は1600m地点付近で実施していたので、1300m地点に3本ある松くい虫被害木はすでに除伐されただろうと思っていたが、今日はまだ健在だった。

写真1 トリムランニングコース1100m地点付近 写真2 トリムランニングコース1300m付近

 トリムランニングコースでは、先ほど写真1で散歩者とすれ違ったので通行できると思っていたが、1700m地点先の三叉路に着いて、標識を見たら今歩いてきた道も進入禁止だった。そこで、この先は55番地点から42番地点に進み、そこから50番地点を通って戻ってくることとした。42番地点まで進むと、写真4にあるとおり、予想通り40番地点方面へは進入禁止になっていた。

写真3 トリムランニングコース1700m地点三叉路 写真4 42番地点十字路
写真5 50番地点に置かれた角材 写真6 51番地点付近の道路には砕石が敷かれた場所も

 50番地点付近には、3箇所にボルトの穴をあけた角材が積まれていた。これは何に使うのだろうか、楽しみだ。チップを敷く歩道の縁にでも使うのか。それとも標識用か。また道がぬかるんでいる場所には砕石が敷かれているところもあった。そういえば、前回この道を通ったのは1月20日、その時は50番地点〜54番地点まではトラックやブルドーザーには使用されていなかった。


05/2/1(火)
 今日は、昨日見た足跡から新しい小径を見つけることと、工事の邪魔にならないように昼休みに歩くことを目標とした。42番地点の先の港湾道路に出るためには陸上競技場から真っ直ぐ西に進むのがよいので、陸上競技場前から11時45分にスタート。スタート直後に右手の木の枝に鳩がとまっているのを見つけて撮影。

写真1 陸上競技場前入口から11:45スタート 写真2 スタート直後右手の木に鳩がとまっていたいた

 55番地点を左折したあと、昨日の写真14の地点に昨日の立て札はなく、路面を掘り下げられて整地されていた(写真3)。昨日の立て札は後になってからトリムランニングコース1400m地点で見つけた。今日は42番地点の十字路から40番方面に向かう場所にも「御遠慮お願いします」立て札があったので、予定通り直進。港湾道路に出る。写真4ではここまで12分かかっているが、そんなにかかる距離ではない。途中で写真を6枚撮しているので、その分の時間ロスがあったのだろう。
 ここまで今日の足跡が付いていたのでその跡をたどろうとしたが、足跡は右(下浜方面)に向かっている。昨日私が左から入ってきたので、その跡も残っているが、今日の足跡は最初左(火力発電所方面)へ数歩歩いてすぐに引き返した跡がある。

写真3 昨日の写真14の地点 写真4 港湾道路に出る 11:57

 私も少し引き返し、休養広場方面に向かう道を捜す。しかし今日の足跡は一つもない。そこで数日前のくぼみが見える道を進むことにした。写真5は木と木の間隔が広く、作業用の通路があったはず。数日前の足跡があるが、途中で見えなくなり、木と木の間隔の広いところを捜しながら

写真5 夏にはトラックかブルドーザーが通ったはず 11:59:11 写真6 道路の進む方向に倒れた松もある 12:02:39
写真7 道路中央に標識のある場所もある 写真8 皮がすっかる剥げた松を発見

 途中には写真7のように測量標識のようなものが見られる場所もあったが、松くい虫被害木(写真8の中央)を見つけて撮影しているうちに広い道を見失ってしまった。

写真9 12:13分 休養広場から船泊に向かう足跡を発見 写真10 あの明るく見える部分が休養広場脇

 南に向かって歩いているうちに休養広場から船泊方面に向かう足跡を発見。14分間歩いたことになる。休養広場まで行ったが、車なし、重機なし、車輪跡だけが残っていた。12時15分だから昼食休憩時間なのだろう。休養広場から大森稲荷神社脇を通り、トリムランニングコース1100m地点から陸上競技場に向かう。1300m地点の被害木はまだ残っていたが、その先の「野鳥のみず場」付近で除伐が行われていた。ここも昼休み中で作業員の姿は見えなかった。

写真11 1400m地点に立て看板が(昨日はなかった) 写真12 野鳥の水場付近の雑木・被害木が除伐された

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