風の松原を歩く これまでの足跡 05年9月

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05/9/30(金)
 今日は陸上競技場脇へ。車を駐めたら目の前がスッキリとしていた。この数日の間に誰かがニセアカシアを除伐してくれたのだ。そこで今日はA地点からB地点に向かう小径から歩き始める。
 ここはB地点内側に「風の松原の蟻地獄」と名札のついた松根を掘り起こした穴が幾つかあるので、「蟻地獄小径」とでも名付けようか。上の地図も作り直さなければ・・・。

写真1 9/30 陸上競技場脇のスタート地点 写真2 9/22に撮影した写真1と同じ場所
写真3 9/30 風の松原の蟻地獄 写真4 9/30 H番地点近くのサルスベリ

 写真3の蟻地獄付近も、B地点も草が刈り取られてきれいになっている。これはボランティアの仕事ではなく、市役所の人が定期的に草刈り機で作業をした結果だと思う。
 H番地点付近のサルスベリはこれまで写真を載せる機会がなかったが、8月中旬から咲いている。10月まで咲き続けるだろうから百日紅という日本名の漢字のとおり、100日も咲き続けることになる。サルスベリは、田代球場のサルスベリが好きで、今年も8月10日の「がんばれ鷹巣高校」のページでサルスベリを紹介している。9月23日に田代球場に行ったときもまだ咲いていた。その時も「やはり百日紅なんだな」と感じていた。

写真5・6 9/28付け北羽の記事になったあずまや
写真7 テーブルの上にはローソクの跡が残る 写真8 テーブルの下にもゴミがいくつか

 35番地点付近(休養広場)のあずまや。9月28日付け北羽新報に報道された場所は取材の後に後清掃されたと思うが、テーブルのロウソクの跡はそのまま、テーブル下にも、あずまや右後ろの柱下にもゴミが残っていた。ゴミ袋を持っていなかったので回収しなかったが、これからは汗ふきタオルでなく、ゴミ袋を持参しなければならないのか。


05/9/29(木)
 昨日早朝からバス旅行に出て、今日午後5時過ぎに戻って来て、夕食後昨日と今日の北羽新報を読んだ。昨日の北羽新報にこんな記事が出ている。「癒しの空間で癒されず」という横見出し。その他の見出しをつなげると、“風の松原でゴミのポイ捨てが横行、利便性向上の一方で利用マナー低下憂慮”となる。記事の一部を紹介すると、

 さらに、24日午前には日本海側を南北に走るサイクリングコースの中間付近にあるあずまや周辺でスナック菓子の袋や吸いがらが入ったカップ酒の瓶などが散乱しているのが見つかり、松原を散策しているグループが自主的に拾い集めて1カ所にまとめた。しかし、翌日には、同じあずまや周辺にカップ麺の空容器や缶詰の空き缶などが投げ捨てられており、見つけた男性利用者の1人は「テーブルにはロウソクを燃やした跡もあった。夜に来て飲み食いしたんだろうが、もし火事にでもなればどうするのか」とまゆをひそめる。

と報道されていた。


05/9/26(月)
 今朝散歩したら、いつも出会うKさんに「久しぶりですね」と言われてしまった。しばらく会っていなかったからね。昨日は山本地域振興局主催の「松くい虫防除シンポジウムーこの松をみんなの力で未来までー」に参加するつもりだったが、全県駅伝に鷹巣高校も参加するというので能代市役所前から潟上市、秋田市へと移動したので参加できなかった。その様子は9月26日の北羽新報に詳しく報道されている。
 今朝の散歩では、一生懸命歩いたつもりだったが、ほとんど汗をかかなかった。それほど朝の気温が低くなっているのだ。つい先だってまでは、朝の散歩から戻るとすぐにシャワーを浴びたり、下着を取り替えたりしていたのだが。
 今朝は7時頃自転車で戻ってくる人に何人も出会った。

写真1 落葉した桜の木(葉がほとんど残っていない) 写真2 きっとキノコ狩りの帰りだろう
写真3 アカマツ林にも自転車が置かれている 写真4 ここにも自転車 しかし持ち主は近くにいないようだ

05/9/22(木)
 このページを一週間近くも更新していなかったことに気が付かなかった。パソコンの写真フォルダーを点検してみると、17日は母校の式典があったので散歩せず、18日は散歩したが、19〜20は小旅行のため、朝は小坂町で散歩していた。
 21日と今日22日は男鹿街道脇の道路の雑木除去作業に参加していた。
 男鹿街道脇と言っても国道筋ではない。上の地図でM地点からロケット実験場に向かう道路のことだ。
 実はサン・ウッド近くのE番地点からS番地点〜M地点の道路は以前は毎日自動車が通る車道だった。これから調べてみないと分からないが、平成元年頃までは自動車で通行出来たと思う。そのため、今でもN番地点付近には交通事故で亡くなった人の供養塚があり、時々花やお菓子がお供えされている。
 昨日今日とも午前9時半開始予定だったが、昨日9時頃には既に作業が始まっていた。

写真1 9/21 午前9時30分 写真2 9/21 午前10時58分

 雑木除去作業という名前だったが、道路の脇のほとんどがイタチハギだった。道路脇から5mほど入ったところまで作業したが、イタチハギ以外の木はほとんどなく、ウルシだと思って私が切ろうかどうか迷っていた木は、他の人に聞いたら、「この枝には翼が付いているからウルシではなくヌルデだ」と教えてくれた。そこでヌルデを4〜5本切った。
 作業範囲はし尿処理場手前までだったので、午前11時にはほとんど終了。刈り取った枝を縄で結わえて道端に並べた。22日朝9時半に市役所の作業トラックが運びにくるという話だったが、22日朝9時10分に着いたときには、トラックが2台来て運び去ったという後だった。

 今日22日は朝に松林を散歩した後で作業に行ったのだが、朝散歩している時、健康づくりのみちNo.2付近でクロマツが折れているのを発見。どうしてこのような折れ方をしたのだろうか。
 三号線I地点付近ではキノコ採りの自転車を発見。昨年はこの場所に自転車を10台も発見した日もあった。昨日、今日と作業現場でもキノコ採りの人たちを見ているから、もうそんなシーズンになったのだ。今日の作業終了後、キノコ採りの人に会ったので、コダシの中を見せてもらったら、ハツタケとイクジがコダシ半分まで入っていた。

写真3 写真4
写真5 写真6

05/9/16(金)
 昨日見たニセアカシアがチラチラと目について今日は長靴を履いて36番地点に出かけた。写真1は36番地点の手前であるが、左側をこちらに向かっている白いトレーナーを着た2人の右側あたりからニセアカシアが目立っている。ススキの白い穂も増えてきたので標識が目立たないが、歩道の右側を北に向かって歩いている紺色の服を着た人のちょっと手前あたりが36番地点の標識だ。6時15分頃に写真1の地点から作業を開始して、写真2(37番地点)までニセアカシアの芽欠きを終了したのが7時40分ころ。
 これまでは早朝でも作業をすると汗でびしょ濡れだったが、今日はそれほど汗をかかなかった。後でテレビで今朝の能代の最低気温を見たら11度だった。今年は暑い夏が長く続いていたが、わずか半月ほどでこんなに涼しくなってしまったのだ。

写真1 休養広場近くから36番地点方向を撮す 写真2 右手に見えるのが37番地点の標識

05/9/15(木)
 今日は昨日とはうってかわって素晴らしい天気。それでいて気温は低い。会う人ごとに「涼しいですね」というあいさつが交わされていた。
 私は@番からジョギングコースを一巡してニセアカシアの多いところを確かめた。

写真1 I番地点はニセアカシアの枝が多く入れない 写真2 K番地点はニセアカシアの密生地
写真3 これもK、枝が邪魔になるので折られている 写真4 M番地点 ここはニセアカシアではなくイタチハギ
写真5 中央右の標識は25番。海側だけニセアカシアが密集 写真6 26番地点 ここにはニセアカシアがない。
写真7 27番から29番までは両側にニセアカシアが見えない 写真8 30番地点右側 ここはトゲのないニセアカシア
写真9 36番地点 東側には一杯ニセアカシアが残っていた 写真10 39番付近でも東側の枝が折られている
写真11 45番付近はすべて切り倒したつもりだったが 写真12 52番付近にも枝が伸びすぎて折られた枝が多い

05/9/14(水)
 今朝は散歩に出かけようとしたが、今にも降りそうな天気模様。様子を見ているうちに強い雨となった。風の松原では雨の日も風の日も歩いている人がいるそうだが、私はそんな元気はない。ニセアカシアも先日48番地点まで芽欠きをしたので散歩に支障のある場所は減ったはずだ。(38番地点から42番地点の様子を見るのを忘れていた)。
 日当たりのよい場所の太いニセアカシアは元気そのものだが、その他の場所のニセアカシアは根元が腐って倒れやすくなっているものも見られる。一箇所から10数本も芽を出している中に、元気で太いもの、細く頼りないもの、早くから鋭いトゲを残して枯れているものが混じっており、ニセアカシアの生態がよく分からない。

 今日は、Wordで作成した地図に21番から60番までの数字も入れることに成功した。これで、一文字も手書きで書き加えることなく地図を作成し、PDFファイルに変換することが出来たので、そのファイルと差し替えておく。Ver8.3版のできあがりなのだが、「Ver8.3」という文字を書き忘れてしまった。これでPDFファイルを拡大表示してもしっかりと読めるはずだ。


05/9/10(土)
 昨日午後、近くの「いとくスーパー」に買い物に行った。何気なくチラシがたくさん並んでいるコーナーを見たら、「松原新聞」というのがあった(写真1)。写真1は表だけ載せたが、裏には「松原の歴史」や「松原の土の仕組み」、「クイズ」、「鳥のためにも」、「私たちに今できること」、マンガ「松 食うな」などが載っている。渟城第一小5年1組発行だが、内容がしっかりしている。今度できたサン・ウッド内の「風の松原案内所」にも置いてもらったらどうだろうか(すでに実行しているだろうな)。
 風の松原について勉強した、このような人たちから案内ボランティアを担当していただいたらどうだろうか。(案内所には案内人はいるのだろうか)

 今日は、昨日歩いて感じたジョギングコース36番地点から37番地点のニセアカシア芽欠きを実行した。昨日は37番地点から38番地点と書いたが、今朝行ってみたら、36番地点以前から道路脇にニセアカシアがニョキニョキと生えている。下の写真1と2は同じ場所だった。昨日は37番と勘違いしていたのだ。

写真1 (昨日の写真5のコピー) 写真2 今日の作業終了後の写真(右端が36番標識

 今日5時半頃から7時半頃まで2時間の作業で100mくらいを芽欠きしたことになる。作業したのは道路海側の日当たりの良い斜面だけ。東側はまた別の機会に。
 写真3は37番地点から作業を終えた場所を振り返って見た。37番地点から10mほど残ってしまった。ここは日当たりが良いだけに、ニセアカシアの幹も太くなっており、背丈も伸びていた。

写真3 37番地点の標識(左端)から今日作業した場所を見る 写真4 この見える範囲の右側が今日の作業箇所

05/9/9(金)
 
今朝は陸上競技場脇の駐車場に車がたくさん駐車している。競技場内ではテント張り作業が始まっている。そういえば今日は市内小学校の陸上競技大会の日だった。台風通過後の雨だった昨日と違って、今日は好天だが、小学生には日差しが強すぎるかもしれない。

写真1 朝6時半だというのにテント張りが始まっている 写真2 「火の用心」のポスターがなくなっている
写真3、4 足元に白い物体。毎日散策している人から「はえとりきのこ」だと教えていただいた。

 59番地点から50番地点へと逆回りに進み、35番地点から健康づくりのみちをNo.1に戻るという4q強のコースを歩いたが、台風の被害と思われる場所は見られなかった。「被害」はニセアカシヤの葉が道路に散り落ちていることぐらいか?

写真5 37〜38番地点ではニセアカシアが我がもの顔に
伸びている。芽欠きをしなければならない
写真6 健康づくりのみちでは台風の影響で路上に
ニセアカシアの葉が散らばっていた
 

 先日からサン・ウッド入口でなにやら工事をしていたが、新しい門柱に「風の松原案内所」と見えたので、会議が終了してからお昼頃サン・ウッドに寄ってみた。門柱には「風の松原案内所」、入口の両脇には下の2本の絵柄を貼った柱が立っていた。正午ごろのため太陽光が強すぎ、写真の出来栄えがよくない。あとからもう一度撮影に来なければならない。下の写真は不鮮明だが、左の柱には「日本最大級 風の松原」、右の柱には「黒松七百万本 風の松原」と書かれていることが分かる。私は9月2日と3日の項で、「760haに700万本」 というのは変だと書いたが、やはり700万本もあるはずはないので、このように大きく書かれるようになると、能代市役所の観光宣伝関係の人たちに、なぜ「760haに700万本」と書いているのか、本当にそう考えているのかなどを説明してもらわなければならないと思う。


05/9/7(水)
 今朝は日本海に台風14号がやってくるというのに白神山地がくっきり青々と見える。赤信号で停止している時にパチリと一枚。陸上競技場脇に着いても穏やかな様子は変わらない。能代工業のグラウンドもハッキリと見える。このまま台風の被害がなければよいのだが、NHKの予報では昨年の台風16号や、1991年の台風19号と同じく秋田県地方を直撃するという。


05/9/6(火)
 4日(日)あたりから急に涼しくなった。4日は東京で集中豪雨があったり、超大型の台風14号が九州を直撃したりと秋めいてきた。今朝の風の松原もススキやコスモスで季節感が出てきた。台風14号は6日午後10時現在下関市から日本海に抜けたところだ。昨年の台風16号と同じようなコースをとっている。とすれば、昨年のように風の松原でも倒木が多くなるかもしれない。

 実は3日朝も倒木があった。健康づくりのみちNo.2からトリムコース1400m方面を見ると、松の木が倒れているように見えたが、近づいてみると枝に沢山の葉がついている木、広葉樹だ。木の根元が裂けているように見える。2日夜は強い風もなかったはずなのに、なぜ倒れたのだろうか。

 9月5日の秋田魁新報12面の「えんぴつ四季」欄に「風の松原を走る」という文章が載っている。書いた人は鹿角市十和田在住の78歳の女性。先月、東北サイクリング大会の秋田県大会が能代市の風の松原で開催され、それに参加した時のことを書いている。文章からすると、はまなす画廊付近から八竜町まで走ったようだ。


05/9/3(土)
 当初の予定では今日は「秋田はまるごと博物館」に参加するはずだったが、急遽合川時代の同僚の告別式に出席することになった。そのため今朝はいつも通りの散歩。陸上競技場脇に着いた時に雨がポツリときたので傘を持っての散歩となった。昨日の「760haに700万本」に対する疑問が頭から離れず、クロマツの間隔に注視して歩いた。

 陸上競技場脇はクロマツの高齢林区域。明治期に植林された老木ばかりだ。写真1は陸上競技場のすぐ脇。高齢林とか老木と言っても直径は30センチほど。木と木の間隔としては左から2番目と3番目の木の間隔が2メートル。3番目の木とそのすぐ右の木の間隔は2.5メートルだった。メジャーを持参したが手を離すとすぐに巻き戻ってしまう。写真を撮していて、基準になるものがあれば良いと思ったが何も見つからなかった。このホームページを作成しながら、傘を持って歩いたことを思い出し、傘の長さを測ったら90センチだった。傘を置いて撮せばよかったのだ。
写真1 高齢林地区のクロマツの様子 写真2 この2本の幹の真ん中から
真ん中までの距離が根元で90センチ
写真3 健康づくりのみちNo.1地点付近。このように4本まと
まっているのは珍しい。根元の間隔は1.2〜1.5メートル。
写真4 写真3と同じクロマツを別方向から撮影

 写真1、2は高齢林だが、写真3、4は健康づくりのみちだから昭和18年の火災の後に植林したものかもしれない。それでも60年は経っている木だ。(しかしこの後の部分まで作成してみたら写真9、10とはクロマツの太さが違いすぎるので、ここは火災での焼失を免れた場所だろう。明治か大正10年頃の植林かもしれない。)
 その後、健康づくりのみちNo.5地点(写真5)から西側(海側)地点へ向かう小径(写真6)に入る。
 写真7と写真8は同じ木を別方向から撮したもの。木の間隔は1メートル以下のところはない。この付近は米代西部管理署資料により作成した風の松原概略図(能代市史特別編自然所収の「図環−28」)によると昭和19年頃植林か?

写真5 写真6
写真7 写真8

 更に海側に進み、R地点付近になると、写真9、10のようになっている。この地点は昭和28年植林(42年前)となっている。写真10の一番左手前の木は直径15センチ。次の間伐された木の幹は8センチ。その次の木は直径12センチだった。木と木の間隔は1メートルから1.2メートル。
 クロマツ林の奥に緑の帯が見えるのは、写真7、8の地域と写真9、10の地域との間にクロマツとニセアカシアが一緒になって密生している地域があるからだ。

写真9 写真10

 クロマツとニセアカシアが競争している地域は写真11、12のようになっている。

写真11 写真12

05/9/2(金)
 今朝は4時頃に目が覚めたときまだ雨が降っていたのでゆっくり寝ていたが、ちょっと気になったことがあった。
 それは、能代市の観光案内パンフレットに「風の松原は東西幅1q、南北総延長14q、面積は約760haで、東京ドーム163個分の広さです。厳しい海風による飛砂を防ぐために江戸時代から植栽されてきたもので、今では700万本もの黒松林となりました。全国的にも類を見ない規模の雄大さと景観が評価され、様々な名声を得ています。」「でらっと のしろ」から引用

 雨のため散歩には行かなかったもののインターネットで「風の松原」を検索すると、どのページにも「760haに700万本」と書かれている。それは能代市のホームページを参考にしたものか、もっと確かな資料があるのかどうか分からないが、「760haに700万本」で疑問を感じないのだろうか?

 「760haに700万本」ということは、1ha(100メートル四方)に 9200本のクロマツが植えられていることになる。もっと小さな範囲で考えると、1メートル四方に0.92本(約1本)あることになる。コスモスなどの細い花が1メートル四方に1本だったら分かるが、細い木でも直径10センチ以上もある木が、しかも枝が広がっている木が1メートル四方に1本ずつ立っていれば、木と木の間を歩くこともむずかしい。

 早朝の散歩をしなかったので、上の疑問を解決するために、松の苗木を植えている場所に行ってみた。場所はロケット実験場の南側「能代風力発電所」の前だ。ここには出力600キロワットの風車が24基設置されている。

写真1 写真2
写真3 写真4

 写真1は風力発電の風車だが、24基全体を撮影することはできず、手前に5基残ってしまった。風車のすぐ手前が松の幼木。更にその手前のすだれを巻いたように見える部分がクロマツの苗木だ。風を避けるため竹か何かで垣根を組んでいる。垣根の杭の間隔は1.5メートル。端に1メートル間隔の部分もあるので、1つのマスは南北10メートル、東西5メートルだった。写真3で分かるように、このマスの中に10本ずつ4列、40本植えられていた。
 写真4はロケット実験場近くの道路脇。クロマツの間隔は1.5メートルくらい。下の方には枝はほとんどない。

 クロマツの植林の仕方についてはこのページが詳しい。昭和30年前後の作業の仕方だが、今から50年前だからすべて人力作業だった。

 きっと営林署の台帳に、何年度にはどこどこの垣根に何本のクロマツを植えたかが残っているのだろう。その台帳の合計本数を760haの広さに変換した結果が「760haに700万本」なのではないか。明治時代までに植林された高齢林や、昭和20年までに植林された中齢林の場合には間伐などが行われているはずだから、その場所で10メートル四方とか100メートル四方の区域を設定して調べてみればおもしろい結果が出るのではないかと思う。


05/9/1(木)
 今日は一応完成した5種類の地図(「中心部または後谷地部分」、「クロマツの植栽年度」、「主要道路・防火線等」、「s18火災焼失区域」、「高齢林・中齢林・若齢林」)を、何十年も毎日風の松原を歩いているという歩楽男(ふらお)氏に点検してもらおうと、27番地点から46番地点までを往復した。そして7時過ぎに40番地点付近で会うことができた。「休養広場付近に伝言板でもあればいいなあ」と何度も思った。
 歩楽男氏は季節によって歩くコースが異なっているということで、私が点線にしてしまったV〜WやNo.3〜Sに抜ける小径も春彼岸から5月一杯は歩いているということを伺った。

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