memorandum
 
我家の葬送案
新・郡山市長
2024年を振り返る
長兄逝く
六華寮に春が来た
いずれ買物難民に
ホモデウス
宇宙論のつまみ食い
御巣鷹事故から38年
いずれ買物難民
ビッグ・クエスチョン
シンギュラリティ
夏のバカンス
簡易葬の実践


 長兄逝く
  
  2024年11月3日、妹よりTEL、兄貴の死を知る。
 昭和13年5月生まれ、87才。
   
  改めて、我が兄弟の生誕を確認する。
(1)長兄 昭和13年5月22日
(2)次男 昭和16年7月6日
(3)長女 昭和18年11月28日
(4)3男  昭和22年2月12日

(1)父   明治43年4月23日
(2)母   大正4年10月16日

〇兄の記憶
・戦後2拾数年か、父、兄と3人で東京に!
 父の商売(薬店)の道具調達だったようだ。
・満員列車に窓から入った記憶
・上野駅の地下ホームでの浮浪児の記憶
・東京の電車の揺れで兄がモドシ田記憶。
・乗り合わせていた人が対応してくれたこと。
・中学校の体育の時間、走り幅跳びで意識を失ったこと。
・後年、ボートでの「キス釣り」に誘ったが、途中ボートの揺れに途中で中止になったこと。
・後年、家族で佐渡旅行を計画したが、やはり途中で中止されたこと。 
   ・割町での出来事
  やはり、父と割町の親戚宅に、兄と二人で畑の耕しを、途中で投げ出し海岸まで。
 

新潟での確認!
 金沢大学(薬学部)を出て、最初の任地が新潟市。

  ●金沢大学・薬学部    
   昭和32年の入学、