俯瞰図socio-economic macro-data on → 第二次ベビーブーム世代

    ・生息状況:出生(出生数/出生地)、生存と死亡(人口/全人口に対する構成比/居住地域/死亡率/自殺率)、結婚出産

    ・仕事の状況:就業/失業/非労働業界、職種  

    ・家庭環境:母親の世代父親の世代兄姉家電製品普及率、  

    ・教育環境:進学率大学受験競争倍率先生の日教組加入率先生の世代分布、   

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                          ©Tirom,2003
第二次ベビーブームの出生数 ― どれくらい生まれた?
第二次ベビーブーム世代の出生数

出生数の最新速報→平成15(2003)年人口動態統計年間推計
上図のデータソース最新版→『人口動態統計上巻』『人口動態統計中巻』『人口動態統計下巻
資料所蔵機関検索→ここから
     

60年代以降だけみると、
第二次ベビーブームは
出生数の頂点。
しかし、戦前と比べると、
たいしたことはない。 

 「第二次ベビーブーム」っていうけれども、どれくらいブームだったのだろう?と思って、調べたのが、20世紀100年間の日本における出生数の推移(左図)。

 確かに、第二次ベビーブームは1960年代以降の出生数の頂点にあたる。第二次ベビーブーム期の年間出生数200万は、1961年の年間出生数150万程度、現在の年間出生数120万前後と比べれば、かなりの数である。

 しかし、戦前の出生数と比べてみると、「第二次ベビーブーム」の出生数は取り立てて騒ぐほどの水準にはない。大正後期から昭和初期にかけての出生数は、第二次ベビーブームの出生数と同じかそれ以上の水準に、ほぼ毎年達していた。

 おそらく、きわめて長期的に見れば、明治末から昭和末までの全体が、ベビーブームとでも呼ぶべき、爆発的な人口増加期だったのだろう。そして、この最後の時期が、いわゆる「第二次ベビーブーム」だったのだろう。違うだろうか。

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第二次ベビーブーム世代の出生地 ― どこ生まれが多い?

 現住所(2000年)の分布 

 やっぱり多い東京・大阪生まれ。
 といっても、せいぜいそれぞれ1割程度

 「1970年の全国出生数」に対する「1970年の都道府県別出生数」のシェアを示したのが左のグラフ、「1975年の全国出生数」に対する「1975年の都道府県別出生数」のシェアを示したのが右のグラフ。

 71−74年のデータは入手できなかったが、70年と75年を見比べると、埼玉生まれが北海道生まれを追い越した以外、大きく異なる点はないので、この間に、大きな変動はなかったのだろう(と信じたい)。

 結果。東京・大阪生まれが多いのは、やっぱりという感じだが、それぞれ一割程度しかなく、「東京一極集中!」などと言えるほどの迫力はない。三番・四番の神奈川・愛知県になると、5%程度まで簡単に落ちて、その下は、5%,4%,2%台の県と続く。こうしてみると、第二次ベビーブーム世代は全国に意外と分散して生まれてきたのだなあ、と思いがちだが、そういうわけでもなさそうだ。

昭和45(1970)年生まれの出生地分布

昭和50(1975)年生まれの出生地分布

 第二次ベビーブーム世代の半数近くが
 三大都市圏生まれ

 行政単位としては別でも、我々の実際の活動・感覚からすると、東京・神奈川・千葉・埼玉、京都・大阪・兵庫は、不可分である。したがって、この二つの都市圏をまとめて、シェアを見るほうが、実態に即しているといえるだろう。東京・神奈川・千葉・埼玉を首都圏として、京都・大阪・兵庫を京阪神として、それぞれ一つにまとめたのが右図である。

 こうしてみると、同世代の四人に一人は首都圏生まれ、同世代の四割が首都圏・京阪神の二大都市圏生まれ、同世代のほぼ半数が、首都圏・京阪神・名古屋の三大都市圏生まれである。第二次ベビーブーム世代の出生地分布は「東京一極集中」ではないが、「二大都市圏寡占」ぐらいには言えそうだ。第二次ベビーブーム世代は全国に分散して生まれてきたわけでは決してない。

昭和45(1970)年生まれの出生地分布
昭和50(1975)年生まれの出生地分布

 鳥取・島根・高知生まれが、
 第二次ベビーブーム世代3大レア・アイテム

 また、3%,2%,1%などというレベルではなく、第二次ベビーブーム世代を「ほとんど出生させていない」県があることにも気づく。(右表)

 少ない方を見て行くと、一番「いない」のが、鳥取生まれ。

 1970年生まれ全国1,934,239人のうち、鳥取生まれは僅か7,998人(みんな知り合いだったりして…)で0.4%にしかならない。1975年生まれについて見ても、全国1,901,440人に対して鳥取生まれは8,755人。少し増えたが、これでも全国の0.6%。

 鳥取についで少ないのは、島根・高知生まれで、1970年生まれのうち、島根生まれは0.5%(10,539人)、高知生まれは0.6%(11,842人)、と全国の同世代の1%にも満たない(1975年生まれもほぼ同様)。このような1%未満の県は鳥取・島根・高知を含めて17もある(70年生まれ・75年生まれともに)。

 

出生数が1万五千人未満の県(1970)

県名  出生数   対全国比

香川  14,522    0.80%

佐賀  13,187    0.68%

山梨  12,269    0.63%

福井  12,181    0.63%

徳島  11,852    0.61%

高知  11,842    0.61%

島根  10,539    0.54%

鳥取   7,998    0.41%

 

出生数が1万五千人未満の県(1975)

県名  出生数   対全国比

佐賀  13,085    0.68%

福井  12,421    0.65%

徳島  12,020    0.63%

山梨  11,872    0.62%

高知  11,842    0.62%

島根  10,939    0.57%

鳥取   8,755    0.46%

 大雑把に見て、山陰・四国・北陸出身者は、第二次ベビーブーム世代に極めて稀少な存在である(右図)。

 以上の検討を総合すると、第二次ベビーブーム世代の出生地分布パターンは、1.出生者の四割を占める2大都市圏、2.出生者の数パーセントずつに分散した多数の県、3.ほとんど出生者のなかった17の県、からなる三層構造をなしている、ということになりそうだ。

 

 

 

 第二次ベビーブーム世代の出生地分布は、
 高度成長期に進行してきた趨勢が
 行くところまでいったあとの
 僅かな揺れ戻し

 以上見てきた第二次ベビーブーム世代の出生地分布は、長期的趨勢のなかで、どのように位置づけられるのだろうか。

昭和45(1970)年生まれの出生地分布 昭和50(1975)年生まれの出生地分布

 下の帯グラフは、1935年生まれから2000年生まれまでの出生地分布を示したものである。戦争の被害のためもあってか、終戦後、大都市圏生まれのシェアは、戦前の水準から低下していた。流れが変わったのは、昭和30(1955)年。首都圏・京阪神・愛知の三大都市圏生まれのシェアが急速に膨張。そして、その絶頂が昭和45年(1970)年。これ以降、90年代まで、三大都市圏生まれのシェアは、再び、停滞ないし収縮に向かう。

 この三大都市圏生まれのシェアの収縮・停滞期のはじめにあたるのが、70年代前半の第二次ベビーブーム世代であるといえよう。

出生地分布の世代間比較
出生地分布の世代間比較
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    ・生存と死亡(人口/全人口に対する構成比/居住地域/死亡率/自殺率)、結婚出産

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    ・家庭環境:母親の世代父親の世代兄姉家電製品普及率、  

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