
斜平山城砦群 なでらやまじょうさいぐん
15~16世紀に芦名氏との間で緊張が高まった際に伊達氏が斜平山一帯に築いたとされる城砦群。片倉山館、愛宕山館、羽山館、笹野山館、赤芝館などが確認されている。現在は山林で、愛宕神社や羽山神社などの奥宮が鎮座している。▼遺構や見所
■ 片倉山館跡 ■
城砦群の一角の片倉山館は片倉小十郎(景綱)の居城と伝わるが、正しくは片倉氏が整備担当した砦に名前が残ったものと考えられている。曲輪内部は現状は草木に覆われているため周囲に残る土塁も写真に撮ると何が何だかわからなくなるレベル。
■ 片倉山側の堀切跡 ■
片倉山館と愛宕山館の間の尾根には堀切跡が二か所あり、画像は片倉山側の堀切で、堀切自体は風化で緩くなった感じだがそこを通る土橋が今も山道として使われている。
■ 愛宕山側の堀切跡 ■
片倉山館と愛宕山館の間の尾根には堀切跡が二か所あり、画像は愛宕山側の堀切で、この堀切は横堀に連結している。愛宕神社里宮の裏から登ってくる道がこの堀切で合流するため、元は里宮と奥宮を繋ぐ参道だったのかもしれない。
■ 愛宕山館跡(愛宕神社) ■
標高555mの愛宕山の山頂が愛宕山館の曲輪で、愛宕神社の奥宮が鎮座しているが、この神社の創建は807年とかなり古い。愛宕権現は軍神として武士に崇められていた為、むしろ神社のあった場所を曲輪として取り込んだのかもしれない。
■ 愛宕山館の土塁 ■
神社の周囲にはL字に近いコの字状の土塁が残っており、神社自体山頂の削平地の北に寄り過ぎているため、もしかすると北と南で曲輪が別れていたのかもしれない。
■ 愛宕山からの景色 ■
愛宕山は麓との比高が約300mあるため、米沢市街が一望でき絶景である。ここを抑えると米沢城の動きが手に取るように見える為、城砦群が築かれた理由もわかる気がする。
▼歴史
- 年月日出来事城主・城代・持分・守備
- 1494年伊達家の内乱で伊達尚宗を支援するため芦名盛高は三千の兵で会津から長井荘へと攻め込んでおり、早ければこの頃に砦が築かれたかもしれない。伊達氏
- 1505年芦名家の内乱で芦名盛滋が伊達家の元へ落ち延びており、和睦が成るまで緊張が高まった可能性がある。伊達氏
- 1585年伊達政宗は長井荘から会津の桧原へと攻め込んだものの撃退されており、城砦群はこの頃に芦名氏の反撃を恐れて築かれたという説が有力。伊達氏
▼詳細情報
最終訪城日 | 2018年11月3日 |
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別名 | - |
前身 | - |
前身の築城年代 | - |
築城・普請開始 | 15~16世紀 |
築城完了 | 15~16世紀 |
築城者 (設計者) | 伊達氏 |
分類 | 山城 |
規模 | - |
標高 | 標高:660.2m、比高:約400m (※斜平山で最も高い笹野山) |
文化財指定 | - |
現存建造物 | - |
復元建造物 | - |
模擬・復興建造物 | - |
遺構 | 土塁、空堀、堀切、郭跡 |
標柱・説明板 | 見当たらず。麓のハイキングコース図には名前だけ記載あり。 |
現状 | 山林、愛宕神社、羽山神社 |
イベント | - |
注意事項 | 片倉山~愛宕山間の山道は急斜面のため注意。 |
場所 | 山形県米沢市遠山町 |