
金ケ崎城 かねがさきじょう
前身は坂上田村麻呂が築いた白糸柵とされるが定かではない。中世に小野寺宗道が居城とした川崎城の説もあるがこれも定かではなく、否定的な意見もある。近世には仙台藩の要害の一つとなり重臣が入れ替わりで配置されたが、1644年に大町定頼が移されてからは明治維新まで大町氏が治めた。現在は諏訪公園と住宅地、畑、雑木林。伊達21要害の一つ。▼遺構や見所
■ 二の丸跡 ■
二の丸跡の大部分は現在は公園の一部となっており、草地が広がっている。西側の沢を利用した外堀以外は埋められて土塁も崩されている為、境界がやや判り辛い。大手門や裏門のあった位置付近には民家が建っている。あと、北上川の浸食で本丸、二の丸の川側はやや削られている。
■ 二の丸土塁跡 ■
二の丸の東側には土塁跡と思われる盛り上がりが確認でき、盛り土の外側が二の丸跡より少しだけ低くなっているので恐らく堀を埋めた跡と思われる。
■ 本丸と東館の間の堀跡 ■
民家が建っている本丸跡と畑や空き地になっている東館跡との間に窪地が出来ており、位置的に内堀を埋めた跡と思われる。なお、画像の奥が東館の曲輪跡。
■ 小路と外堀跡 ■
江戸時代の絵図を見る限りでは大庭曲輪付近では外堀沿いにカーブして小路が通っており、この辺りは舗装もされず比較的旧情を残している。画像の左が小路で、右が外堀跡、右の斜面は大庭曲輪の土塁の跡。
■ 外堀跡(金堀沢) ■
二の丸の西側の外堀は金堀沢を利用したもので、ここは今も旧情をよく残している。そこそこ深さもあるため、要害としては申し分ない。
■ 片平丁・旧大沼家 ■
片平丁にある中級家臣の大沼家の武家屋敷で、主屋、厩、厠が並ぶ三ツ家形式の建物となっている。町指定有形文化財。
開館:1月~12月
時間:9:00~17:00
休館日:火曜日、水曜日、年末年始
入館料:無料
場所:岩手県胆沢郡金ケ崎町西根達小路31
■ 土合丁・旧大沼家 ■
土合丁にある中級家臣の大沼家の武家屋敷で、喰い違い四間取りの主屋が残っている。町指定有形文化財。
開館:1月~12月
時間:9:00~17:00
休館日:月曜日、火曜日、年末年始
入館料:無料
場所:岩手県胆沢郡金ケ崎町西根表小路16
■ 金ケ崎要害歴史館 ■
金ケ崎要害と大町氏の歴史資料を展示している。
開館:1月~12月
時間:9:00~17:00
休館日:月曜日(祝日の場合翌日)、年末年始
入館料:200円、高校生以下無料
場所:岩手県胆沢郡金ケ崎町西根達小路2-1
▼歴史
- 年月日出来事城主・城代・持分・守備
- 802年坂上田村麻呂によって白糸柵が築かれる。坂上田村麻呂
- 1051~1062年安倍貞任の叔父の金為行が居城とし、後に貞任の娘の白糸前が住んだと伝わる。金為行
- 16世紀和賀の小野寺氏の川崎城を金ケ崎城の前身とする説がある。『金ケ崎町史』小野寺氏
- 1569年和賀氏の傘下の小野寺宗道が川崎城を居城とた。『小野寺旧記考古史録』小野寺宗道
- 1573年九戸政実の軍勢が胆沢郡に侵攻して川崎城を攻撃したが、小野寺宗道はなんとかこれを撃退した。『小野寺旧記考古史録』小野寺宗道
- 1582年九戸政実の軍勢が再度侵攻し、小野寺宗道は葛西氏の派遣した援軍と共に九戸勢相手に激戦を繰り広げたが、敗れて葛西領へと逃れた。『小野寺旧記考古史録』小野寺宗道
- 1590年奥州仕置により金ヶ崎は木村吉清の所領の一部となったが、同年10月に「葛西大崎一揆」が勃発して金ヶ崎を含む旧葛西領の大部分が一揆勢に制圧された。?
- 1591年蒲生氏郷と伊達政宗により「葛西大崎一揆」は鎮圧されたが、木村吉清は所領没収となり、旧葛西大崎領は伊達政宗に与えられた。?
- 1601年伊達政宗の命で桑折景頼が岩谷堂要害より移されて新たに金ヶ崎の領主となり、金ケ崎要害が整備された。桑折景頼
- 1614年桑折景頼は伊達秀宗の後見として宇和島藩へと移ることになったため、金ヶ崎は仙台藩へと返上された。桑折景頼
- 1615年伊達家の留守宗利が一関城より移されて新たに領主となった。留守宗利
- 1629年留守宗利が水沢へと移されたため、金ヶ崎は仙台藩直轄地となった。実際は新たに領主として推挙された藩士が居たようだが、強く固辞されたため決まらなかったようである。『伊達世臣家譜』留守宗利
- 1644年伊達家の大町定頼が藤沢城より移されて新たに領主となった。以後は大町氏が代々の領主を勤めて明治まで続いた。大町定頼
- 1869年戊辰戦争後、仙台藩の所領は召上げられ、胆沢郡は上野沼田藩に預けられる。この時に要害は廃城となり、大町氏は仙台へと移った。大町殖頼
▼詳細情報
最終訪城日 | 2019年7月13日 |
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別名 | 金ヶ崎要害、胡桃館 |
前身 | 白糸柵、川崎城 |
前身の築城年代 | 802年 |
築城・普請開始 | 1596~1615年頃 |
築城完了 | 1596~1615年頃 |
築城者 (設計者) | 桑折景頼? |
分類 | 中世平城 |
規模 | 東西180m×南北250m |
標高 | 標高:54m、比高:- |
文化財指定 | 町指定史跡、町指定有形文化財(武家屋敷) |
現存建造物 | 武家屋敷(10軒) |
復元建造物 | - |
模擬・復興建造物 | - |
遺構 | 土塁、空堀、水堀 |
標柱・説明板 | 二の丸跡、武家屋敷西端、白糸まちなみ交流館に説明板あり、大庭跡に城址碑あり |
現状 | 諏訪公園、住宅地、畑、雑木林 |
イベント | - |
注意事項 | 非公開の武家屋敷もあるので見学する時は注意 |
場所 | 岩手県胆沢郡金ケ崎町西根白糸 |