
若松城 わかまつじょう
元は1384年に築かれた蘆名氏の居城の黒川城跡で、1592年に蒲生氏郷が大改築して近世城郭に作り変えた平城。後に会津藩の藩庁となった。現在は本丸と二の丸は鶴ヶ城公園で、三の丸跡には博物館や運動公園がある。総構えは市街地化しているが、城門跡や土塁などが部分的に残っている。『日本100名城』の一つ。▼遺構や見所
■ 天守閣&鉄御門(外観復元) ■
城の中心部には天守閣が聳えており、蒲生氏の時代には7層だったと伝わるが、加藤氏の時代に5層で建て直されて幕末まで残った。明治時代に天守閣は解体されるが、1965年に鉄筋コンクリート製で鉄御門と共に再建された。2011年には改修されて瓦も当時の赤瓦に吹き替えられ、外観が復元された。
時間:8:30~17:00(16:30締切)
休館日:年中無休
入館料:410円、中学生以下:150円
■ 干飯櫓&南走長屋(復元) ■
天守閣から南には走長屋(多聞櫓)が続いており、途中の鉄御門より先は南走長屋と呼ばれ、その先には兵糧庫であった干飯櫓が建っている。この部分は2001年に忠実に木造で復元され、内部には足軽人形などが置かれて籠城戦の臨場感が味わえるようになっている。干飯櫓は2階建てだが、訪れた時は2階が立ち入り禁止だったのが残念だった。天守閣と同じ有料区域。
■ 茶室「麟閣」(現存) ■
若松城では貴重な現存する当時の建造物で、16世紀末頃に千利休の遺児の小庵が蒲生氏郷のために建てた茶室と伝わる。廃城後、茶室は指月庵宗久に払い下げられて移築されるが、1990年に城内へ再移築されて元の位置に戻された。
時間:8:30~17:00(16:30締切)
休館日:年中無休
入館料:210円、中学生以下無料
■ 本丸月見櫓跡 ■
本丸と帯郭の周囲には7つの櫓が設けられていたが、復元された干飯櫓以外の櫓は今は櫓台の石垣を残すのみとなっている。
■ 出丸と水堀 ■
本丸の北と西にある出丸は総石垣造りの頑丈な郭で、いずれも周囲に大きな水堀を配置していた。水堀は本丸、出丸、二の丸でほぼ繋がっており、城の内堀を形成している。
■ 本丸廊下橋 ■
本丸と出丸の間は土橋で繋がっているが、本丸と二の丸の間だけは廊下橋で繋がっており、籠城戦の時には橋を落として道を切断する構造になっている。老朽化のため2018年には修理を実施している。
■ 三の丸東照宮跡 ■
三の丸の南側にはかつては東照宮が祀られていたが、戊辰戦争で焼失した。
■ 三の丸堀跡 ■
本丸、二の丸の堀は良く残っているが、三の丸の堀は大部分が埋められてしまっており、博物館裏ではその埋められた箇所を生垣で囲っている。
■ 三の丸堀 ■
三の丸の堀は南側に辛うじて埋められていない箇所が残っているが、当時の絵図を見るとここも水堀だったようなので、現状ではある程度埋まって底が浅くなった状態である。
■ 桜ヶ馬場跡 ■
出丸の外側にはかつて馬場があり、ここに桜が植えられていたため、「桜ヶ馬場」と称したという。現在は鶴ヶ城会館とその駐車場になっており、一応桜も僅かにある。
■ 甲賀町口門跡 ■
若松城の総構えにあった17の城門のうちの一つで、その中では唯一石垣が現存している。かつてこの上に時鍾があったため、取り壊しを免れたという。
■ 天寧寺土塁 ■
若松城の総構え東側の土塁で、若松城で現存する総構えの土塁の中では最も規模が大きい。現在は周囲は住宅地で車道に面しているが、土塁の上に桜の木が立っている為、春には綺麗な風景になる。
■ 惣堀跡(総構えの堀跡) ■
現在「會津風雅堂」の駐車場がある場所にはかつて総構えの堀があったが、その堀の跡を地面の色を変えて表している。GoogleMapで「會津風雅堂」で検索して航空写真表示にするとそれがよくわかる。
■ 十八蔵橋の惣堀 ■
総構えの南町口にはかつて十八蔵橋が架かっており、今はもう橋が無いが、橋を架けていた惣堀が部分的に残っている。若松城の惣堀跡の中ではここが一番わかりやすく残っている。
■ 諏訪神社土塁 ■
若松城の総構え西側の土塁で、若松城で現存する総構えの土塁の中では天寧寺土塁に次ぐ規模で残っている。なお、土塁の内側にある諏訪神社は当時から今までずっと同じ場所に鎮座している。
■ 大町口門跡 ■
若松城の総構えにあった17の城門のうちの一つで、今は遺構は残っていないが、跡地に標柱と説明板が立てられている。車道がここで不自然に折れているのもその名残である。
■ 大町口付近の堀跡と土塁跡 ■
「野口英世青春広場」自体はかつての惣堀跡で、画像の奥にある野口英世像のある少し高くなった土台は土塁跡である。なお、ここの広場の花壇には東京都の発掘で出土した江戸会津屋敷の石垣が使用されている。
■ 御三階櫓と御殿の玄関 ■
廃城後に本丸にあった御三階櫓は阿弥陀寺に移築されて御堂となり、この御堂の入口に御殿の玄関が移築されている。移築で合体改造されているが、現存する貴重な城の建物である。
■ 天守閣からの景色 ■
天守閣からの眺めは絶景で会津盆地がよく見渡せる。画像は猪苗代方面の景色で、磐梯山の勇壮な姿がなかなか絵になる。
■ ライトアップ ■
城内では天守閣を中心にライトアップを21時まで実施しており、春には夜桜、秋には紅葉などと共に楽しめる。おすすめなのは冬の「絵ろうそく祭り」の時で、この時は天守閣から眼下の景色も楽しめる。
■ 会津武家屋敷 ■
家老の西郷家を再現した屋敷と関連資料館等がある複合観光施設。
開館:1月~12月
時間:9:00~16:30(12-3月)
時間:8:30~17:00(4-11月)
休館日:年中無休
入館料:850円、中高生:550円、小学生:450円
場所:福島県会津若松市東山町大字石山字院内1
■ 県立博物館 ■
三の丸跡にある福島県の博物館。
開館:1月~12月
時間:9:30~17:00
休館日:日曜祝日の翌日、年末年始
※ただしGWとお盆は休館日無し
入館料:280円、高校生以下:無料
場所:福島県会津若松市城東町1-25
▼歴史
- 年月日出来事城主・城代・持分・守備
- 1384年蘆名直盛が築いた小田垣の館(東黒川館)が城の始まりとされる。蘆名直盛
- 1589年6月「摺上原の戦い」で蘆名軍を撃破した伊達政宗は、蘆名義広が退去した黒川城へと入城した。この時、政宗の家臣は黒川城を小さく粗末な城と述べている為、現在とは別物の縄張りの城だったことが伺い知れる。伊達政宗
- 1590年奥州仕置により伊達政宗は会津を召し上げられ、代わって蒲生氏郷が伊勢国より陸奥国会津42万石に移封された。蒲生氏郷
- 1592年蒲生氏郷は黒川城を近世の織豊系城郭に作り変える為に新たに大改築を実施した。また、この時に「黒川」の名を氏郷の故郷に因んだ「若松」に改めた。蒲生氏郷
- 1593年新たに穴太積みの石垣や7層の天守閣を備えた近世城郭が完成する。蒲生氏郷
- 1598年家中の騒動により蒲生秀行は減封の上で下野国の宇都宮に移され、代わって会津には上杉景勝が120万石で入った。上杉景勝
- 1600年6月上杉景勝は上杉征伐のため会津に向かった徳川家康を迎え撃つ準備を整えるが、家康は下野国小山で反転して関ケ原に向かった為、後背の憂いを絶つため最上領へと攻め込んだ。上杉景勝
- 1600年9月「関ヶ原の合戦」で徳川家康の東軍が勝利したため、西軍に与していた上杉軍は最上領から撤退し、徳川家康に降伏した。上杉景勝
- 1601年9月上杉景勝は減封されて会津を没収され、蒲生秀行が再び会津に返り咲いた。蒲生秀行
- 1611年8月慶長の「会津地震」が起き、城も天守閣が倒壊する等の甚大な被害を受ける。また、地震で3700名が亡くなったという。蒲生秀行
- 1627年1月蒲生忠郷が嫡子が居ないまま亡くなった為、会津は召し上げとなった。なお、蒲生家は取り潰しを免れて弟の忠知が引き継ぎ、伊予国の松山へと移された。-
- 1627年5月会津には入れ替わりになる形で、伊予国の松山から加藤嘉明が移された。加藤嘉明
- 1639年加藤明成によって崩れた天守閣が5層で再建され、城も出丸を増築するなど改築された。加藤明成
- 1643年加藤明成と家中の不和が原因で騒動が起こり、明成は改易され、会津には代わって保科正之が移された。保科正之
- 1648年冬季に水分を吸った瓦が氷結膨張して割れるため、城の瓦が水分を吸い難い赤瓦に葺き替えられた。保科正之
- 1696年保科正容は松平姓と葵の御紋の使用を許され、以後は松平氏を称した。そして会津松平家は幕末まで会津藩の藩主として続いた。松平正容
- 1868年4月「戊辰戦争」では新政府軍に対抗して会津藩を中心とする奥羽越列藩同盟が結ばれ、会津では新政府軍を迎え撃つ戦いが始まる。松平容保
- 1868年9月新政府軍が会津の城下に攻め込んで約一か月に渡る籠城戦が繰り広げられるが、列藩同盟も各地で敗北して援軍も見込めないため、9月22日に松平容保は降伏した。松平容保
- 1873年城は「廃城令」には該当しなかったが、建物は払い下げた一部を除いて全て取り壊された。陸軍省
- 1930年国指定史跡となる。会津若松市
- 1965年天守閣が鉄筋コンクリート造りで外観復元される。会津若松市
- 1990年移築されていた茶室「麟閣」が本丸の元の位置に再移築される。会津若松市
- 2001年南走長屋と干飯櫓が復元される。会津若松市
- 2011年天守閣が改修されて外観も江戸時代の赤瓦になる。会津若松市
▼詳細情報
最終訪城日 | 2019年4月20日 |
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別名 | 鶴ヶ城、会津城、会津若松城 |
前身 | 黒川城、東黒川館、小田垣館 |
前身の築城年(築城者) | 1384年(蘆名直盛) |
普請開始 | 1592年 |
築城完了 | 1593年 |
築城者 (設計者) | 蒲生氏郷 (曾根内匠) |
分類 | 近世平城 |
規模 | 東西2km×南北1.5km(総構え) |
標高 | 標高:238.2m、比高:- |
文化財指定 | 国指定史跡 |
現存建造物 | 茶室「麟閣」、御三階(移築) |
復元建造物 | 天守閣・鉄門(外観復元)、干飯櫓・南走長屋(復元) |
模擬・復興建造物 | 廊下橋 |
遺構 | 石垣、土塁、水堀、空堀、井戸 |
標柱・説明板 | 北出丸の外側に城址碑が2つあり。説明板は北出丸外や本丸帯郭等にあり。 |
現状 | 鶴ヶ城公園、県立博物館、運動場、市街地 |
イベント | 絵ろうそくまつり(2月)、桜まつり(4月)、会津まつり(9月) |
注意事項 | - |
場所 | 福島県会津若松市追手町 |