
塚原館 つかはらだて
14世紀末に富田祺祐が隠居所として建てた居館で、後に分家の富田義実の居館となった。1561年に義実は蘆名氏方の反乱に加担したため処刑され、館は本家の持ち分に戻った。現在は市街地。▼遺構や見所
■ 堀跡 ■
館跡は今は市街地に埋もれており、掘割の一部が残っているだけだという。その堀の一部は今は水路になっており、街中を不自然に横切っていた。
▼歴史
- 年月日出来事城主・城代・持分・守備
- 1370年蘆名氏家臣の富田祺祐に新たに塚原村が知行される。-
- 14世紀末富田祺祐は隠居所として塚原館を建てて下荒井から居を移した。また、塚原村に菩提寺として願入寺を新たに創建した。富田祺祐
- 1404年富田祺祐が亡くなり願入寺に葬られる。後に寺は移転するが埋葬地は「塚原壇」として今に残る。-
- 1532年富田実持の娘を娶って婿入りした松山義実は富田家の塚原村を分与され、塚原館に移り住んだ。富田義実
- 1553年富田義実は蘆名盛舜の庶子の氏方への所領の分与を蘆名盛氏に迫るが却下される。富田義実
- 1561年蘆名盛氏が長沼氏討伐に向かった隙をつき、富田義実は蘆名氏方を担いで反乱を起こした。だが、乱はすぐに鎮圧され、捕まった富田義実と嫡子の義祐は処刑された。富田義実
- 1580年頃富田隆実が一時この館に住んでいたと伝わる。富田隆実
▼詳細情報
最終訪城日 | 2019年4月21日 |
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別名 | - |
前身 | - |
前身の築城年代 | - |
築城・普請開始 | 1370~1404年頃 |
築城完了 | 1370~1404年頃 |
築城者 (設計者) | 富田祺祐 |
分類 | 中世平城(居館) |
規模 | 東西54m×南北65m(主郭跡のみ) |
標高 | 標高:206m |
文化財指定 | - |
現存建造物 | - |
復元建造物 | - |
模擬・復興建造物 | - |
遺構 | 堀跡 |
標柱・説明板 | 「漆器蔵會津野/珈琲蔵ぬりの里」の前に城址碑と説明板あり |
現状 | 住宅地、商業施設 |
イベント | - |
注意事項 | - |
場所 | 福島県喜多方市天満前 |