
泉館 いずみのたて
築城時期は定かでは無いが、相馬氏の譜代家臣である泉氏の居城と伝わる。現在は山林と雷神社。▼遺構や見所
■ 本丸跡 ■
丘の頂上が本丸跡でそこそこの広さをもった曲輪になっているが、恐ろしいことに大部分が密集した笹薮に覆われており、画像の箇所だけが唯一草刈りされて見えるようになっている。ちなみに南西側に虎口が確認出来るが、藪のせいで通行できなくなっている。
■ 雷神社 ■
主郭の一部だけ草が刈られている理由は雷神社がある為で、櫓台と思われる周囲の土塁よりも幅の広い場所に小さな御社が鎮座している。由緒は不明だが、東北電力の所有になっているので、電気に絡めて祀られたものだろうか。
■ 帯郭跡 ■
本丸の周囲の1段低い場所には帯郭があり、ここもある程度の広さを持っている為、何か建物があったのかもしれない。主郭や麓と違ってあまり藪化していないので辛うじて移動はできる。
■ 横堀と土橋 ■
横堀は腰郭より低い南側に見られるが、画像の周囲以外は藪に埋まって内部が見えない為、全体像は不明。土橋はもしかすると神社の参道の為に後から出来たものかもしれない。
▼歴史
- 年月日出来事城主・城代・持分・守備
- 1323年泉胤康が主君の相馬重胤に従って下総国から陸奥国行方郡に下向する。-
- ~1568年泉胤定が泉館を居館としており、この頃までには築城されていたと見える。泉胤定
- 1568年泉胤定が後継ぎが居ないまま亡くなった為、田村氏一族の中津川大膳亮の子の左京亮を泉家に迎えて跡を継がせた。そして左京亮は泉胤政を称した。泉胤定
- 1597年牛越城築城の際に、相馬義胤と泉胤政の人夫奉行同士が諍いを起こし、これが原因で義胤に不正の嫌疑をかけられた胤政は館に火をかけて出奔した。泉胤政
- 1598年相馬義胤は泉氏の旧領を家臣の岡田宣胤に与えており、宣胤は岡田村から泉村へ本拠地を移している。ただ、宣胤が住んだのは館腰平館とも伝わっており、焼失した泉館は再建されなかった可能性がある。岡田宣胤
- 1611年相馬氏の中村城の完成に伴い、岡田氏を始めとする相馬氏重臣は城内の屋敷に移された。そしてこの時に泉館は廃城となった。岡田宣胤
- 1973年6月1日指定史跡に指定される。東北電力
▼詳細情報
最終訪城日 | 2019年3月24日 |
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別名 | 泉山館 |
前身 | - |
前身の築城年代 | - |
築城・普請開始 | 14~16世紀頃 |
築城完了 | 14~16世紀頃 |
築城者 (設計者) | 泉氏 |
分類 | 中世丘城 |
規模 | 東西100m×南北40m(本丸のみ) |
標高 | 標高:48.7m、比高:約45m |
文化財指定 | 市指定史跡 |
現存建造物 | - |
復元建造物 | - |
模擬・復興建造物 | - |
遺構 | 郭跡、土塁、横堀、虎口跡 |
標柱・説明板 | 麓の車道沿いに標柱あり |
現状 | 雑木林(藪)、雷神社 |
イベント | - |
注意事項 | - |
場所 | 福島県南相馬市原町区泉字舘前 |