
船岡館 ふなおかだて
築城年代は不明だが、蘆名氏家臣の松本氏代々の居館と伝わる。現在は神明社と田畑、及び住宅地。▼遺構や見所
■ 主郭土塁(神明社) ■
主郭は耕作地化により原型を留めていないが、土塁の一部が神明社の境内として現存している。この土塁はL字になっているため主郭南東隅の土塁と思われる。ただ、1961年頃の航空写真を見る限りでは隅ではなく横矢の部分のようにも見える。
■ 主郭跡 ■
主郭はかつては約100m四方を土塁と堀で囲まれた方形居館だったが、現在は外郭との境界も曖昧になるほど失われている。なお、旧屋敷村(現在の杉屋下屋敷)、旧杉内村(現在の杉屋村廻)は松本氏の家臣が住んでいた外郭跡である。
■ 外堀(赤沢川) ■
外郭の周囲も堀で囲まれていたようだが、東端部の段丘崖では赤沢川を外堀としていた。ここ以外の三方の外堀は圃場整備でほぼ失われており、下屋敷付近に空堀の断片と見られる窪地があるくらいだった。
▼歴史
- 年月日出来事城主・城代・持分・守備
- 中世信濃国からやってきた松本氏の祖先が船岡館を築いたとされるが定かではない。松本氏
- 14~15世紀頃松本氏は会津の地頭となった蘆名氏に当初は反発していたが、やがて降って家臣になったという。松本氏
- 1429年松本伊豆が松沢寺を建立する。寺は一度廃れるが、松本図書の代に再興する。 『松沢寺』松本氏
- 1511年伊藤忠景の田畑を瓜生氏へ売却した際の証人に松本宗輔がなっており、蘆名盛高名義で証文が発行されている。 『秋田藩家蔵文書』松本宗輔
- 1528~1531年松本源兵衛が居館とした。 『会津古塁記』松本源兵衛
- 1538年この頃には黒川城に集住していたようで、黒川大火に松本図書(舜輔)の屋敷も巻き込まれて焼失した。松本舜輔
- 1574年松本図書助(氏輔)は蘆名盛興の軍勢に従って出陣し、安積郡福原で田村清顕の軍勢と戦い討ち死にした。『塔寺八幡宮長帳』松本氏輔
- 1584年6月蘆名盛隆に冷遇された松本行輔は栗村盛胤と共に反乱を起こし、盛隆が出払っていた黒川城を占領した。だが、城はすぐに奪還され、行輔は討ち死にした。『異本塔寺長帳』松本行輔
- 16世紀松本氏の後は小嶋備中が新たな館主となった。 『会津古塁記』小嶋備中
▼詳細情報
最終訪城日 | 2019年4月21日 |
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別名 | 鐙摺柵 |
前身 | - |
前身の築城年代 | - |
築城・普請開始 | 不明 |
築城完了 | 不明 |
築城者 (設計者) | 松本氏? |
分類 | 平城 |
規模 | 東西700m×南北400m |
標高 | 標高:285m |
文化財指定 | - |
現存建造物 | - |
復元建造物 | - |
模擬・復興建造物 | - |
遺構 | 土塁、堀跡 |
標柱・説明板 | なし |
現状 | 神明社、民家、田畑 |
イベント | - |
注意事項 | - |
場所 | 福島県大沼郡会津美里町杉屋 |