今週のお題「大金を積まれれば重い腰も軽くなるかも」

 

昭和48年、東京生まれ。酒と煙草と音楽と女をこよなく愛す。大東文化大学政治学科卒業後、社会人となるが挫折。以後、自由気ままにラヴ&ピースな日々を送る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

セカンドライン……

 ニューオリンズでの葬式はブラスバンドが演奏し、派手に賑やかに行う。そのブラスバンドをファーストライン、その後ろについて回る群集をセカンドラインと呼ぶ。

 また、ニューオリンズ独特のハネたリズムをセカンドライン・ビートと言う。 

 

 

 

第三回 Believe

 

 

 先日更新された田中いずみさんの「エモーショナルX」"祈りと死 PART2"において、公開質問状があげられていた。

 その内容は「何を、何故信じるのか」というものであった。

 その公開質問状に答えるつもりで自分なりの回答を探してみたのだが、どうも釈然としない。

 とりあえず「信じる」をexcite辞書「大辞林」 第二版 (三省堂)で調べてみる。

 

    しんじる 【信じる】(動ザ上一)
    〔サ変動詞「信ずる」の上一段化〕「信ずる」に同じ。

 

 サ変動詞?昔、文法でやったような……?わからんがまあいいか。

 「信ずる」を調べてみよう。

 

    しんずる 【信ずる】(動サ変)[文]サ変 しん・ず

    (1)疑わずに本当だと思い込む。心の中に強く思い込む。
    「おのれの―・ずる所に従って行動する」「サンタクロースを―・じている」

    (2)疑うことなく、たよりとする。信頼する。
    「―・じていた友人に裏切られる」「わがチームを―・じている」

    (3)神仏などをあがめ尊び、身をまかせる。信仰する。
    「仏教を―・じている」「神を―・ずる人」


 なるほど。おそらく田中さんの問うところの「信じる」は(1)か(3)だろう。

 

 (2)は普通に生まれ育っていれば普通にある感覚である。たとえば家族に対して「信じる」ことの出来ない人は家庭においてすら安心できる場所がないということであり、常に周囲を警戒し疑っているということである。


 昔読んだ手塚治虫の「ブッダ」に登場する、ある教祖は「私の教義は『疑うこと』である」と言う。曰く「信じるから裏切られたときに大きく落胆する。疑っていれば裏切られたときのショックは少なくてすむ。」ということである。(記憶によるものなので原文とは異なる)

 結局、その教祖は弟子に「それでは私たちもあなたを信じません。」と言われ、弟子たちを失ってしまう。

 

 「信じる」に対する言葉は「疑う」であるが、果たして「何も信じない」という人が「全てを疑っている」のかどうかと考えると、それは違うのではないか。

 

 「信じる」⇔「疑う」

 

 この二つの言葉の間には多種多様な感情があることだろう。

 「うちの子に限ってそんな事はないと信じてます」などと良く聞くが、「信じたい」という願望や「信じなければ」という使命感、そして「疑い」、様々な感情が相まった上で、「信じる」という一言に集約されているだけなのだ。それを数値化できるとしたならば100%ということはありえないはずだ。

 

 

 「信じる」という事を考えたとき、真っ先に浮かぶ曲がある。

前回取り上げたビートルズの「Let It Be」が発売された年、1970年に発表されたジョン・レノンのソロアルバム「ジョンの魂(原題:John Lennon)」収録の「God」という曲である。

詞の全文はこうである。

 

   GOD

 

God is a concept

By which we measure

Our pain

I'll say it again

God is a concept

By which we measure

Our pain

 

I don't believe in magic

I don't believe in I-ching

I don't believe in Bible

I don't believe in tarot

I don't believe in Hitler

I don't believe in Jesus

I don't believe in Kennedy

I don't believe in Buddha

I don't believe in Mantra

I don't believe in Gita

I don't believe in Yoga

I don't believe in kings

I don't believe in Elvis

I don't believe in Zimmerman

I don't believe in Beatles

 

I just believe in me

Yoko and me

And that's reality

The dream is over

What can I say?

The dream is over

Yesterday

I was the Dreamweaver

But now I'm reborn

I was the Walrus

But now I'm John

And so dear friends

You'll just have to carry on

The dream is over

 

    神

 

神とは概念である

それにより我々は痛みを量る

 

もう一度言おう

神とは概念である

それにより我々は痛みを量る

 

 

僕は魔法を信じない

易占いを信じない

聖書を信じない

タロット占いを信じない

ヒットラーを信じない

イエス・キリストを信じない

ケネディを信じない

ブッダを信じない

マントラを信じない

ギーター(インドの書物)を信じない

ヨガを信じない

王たちを信じない

エルヴィス・プレスリーを信じない

ボブ・ディランを信じない

ビートルズを信じない

 

僕は僕だけを信じる

ヨーコと僕だけを

そしてそれだけが現実だ

夢は終わった

何を言えばいいのだろう?

夢は終わったんだ

昨日までは

僕は夢の語り部だった

でも今、僕は生まれ変わった

僕はセイウチだった

でも今、僕はジョンだ

親愛なる友人たちよ

あなた方もその現実を背負わなければ

夢は終わったのだから

(訳詞はテキトーなので、気になる方はこっそりお教え下さい)

 

 20代のほとんど全てをビートルズに費やしたジョンは、30になる年にこの曲をリリースした。この詞での「信じない」は単純に、信じていたものを信じなくなったのではなく、新たな決意であると感じる。

 今まで信じてきたものを捨て去ってでも、自分とヨーコを信じるという決意。

 言い換えれば、ヨーコと自分を何よりも深く愛し慈しむという決意だろう。

 奇抜な行動から批判の的となっていたジョンが「それでも自分の、ヨーコと自分の思いを大事にする」という決意から「信じる」「信じない」という表現を用いたのではないだろうか。

 そう捉えると、やはりここでの「信じる」も文字通りの「信じる」ではなく、様々な想いが詰まっている。

 

 

 だらだらと「信じる」という言葉について考えてきたが、公開質問状へのうまい回答が見つからない。

 

 強いて言えば、家族を信じる。恋人を信じる。仲間を信じる。友を信じる。師を信じる。

 

 天皇制は信じない。天皇は信じる(そのお人柄が人よりも卓越しているという事において。実際にお会いしたことはないので、メディアを通じた印象として)。マルクス・レーニン主義は信じない。オカルトは信じない(かなり好きではあるのだが)。

 

 こうして見ると、私が信じるものは「人」である。

 「物」はいつか壊れる。

 「制度」や「思想」「主義」などは時代とともに変質する。そしていつしか時代の流れから取り残され捨てられてしまうものも少なくない。

 

 では何故「人」を信じるのか。それはあくまでも限定された範囲の「信じる」だからである。

 ある人に、金は貸せるが仕事は任せられない。金銭面では信じることができるが、仕事能力は信じられない。その人について信じられるか信じられないかを、全面的にではなく部分的に選別しているのである。

 その選別は特に理論的なだけではなく、感情に拠るところも大いにある。部分部分を切り取り、時・場所・(相手に対する)感情・気分その他諸々で判断する。全体を総合して「信じる」ことの出来る割合の大きい人が、私が今後も付き合っていきたい人だったりもする。

 

 しかし結局のところ、私が「人」を「信じる」のは「信じたい」という願望を少なからず持っているからであろう。

 

平成15年12月26日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

第二回 Naked

 

 

 先月、ビートルズの最新アルバムが発売された。
最新アルバムとは言っても、1970年に発売された「Let It Be」の焼き直しである。
 当時発売された「Let It Be」にはメンバーは関わっていなかったため、録音した当時のコンセプトを元に再構築したのが今回の「Let It Be...Naked」である。

 大学時代、ビートルズのコピーを中心にバンドをやっていた俺にとって、この「Naked」は実に新鮮に感じた。
 このアルバムの中から当時やっていた曲「Get Back」「Dig A Pony」「Two Of Us」「I've Got A Feeling」「One After 909」「Don't Let Me Down (オリジナルのLet It Beには未収録)」「I Me Mine」「Let It Be」、これらの曲がバンドサウンドで蘇った感じなのである。(こうしてみるとほとんどの曲をやってたなぁ……)

 コピーをしていた当時は、ビートルズの中期・後期はオーバーダビングを駆使しているため、バンドで表現するのが難しいと自分たちは思っていた。
 しかし、バンドでやりやすい曲ばかりをやっているとレパートリーがすぐに行き詰まるため、あえて中期・後期の曲に挑もうとする事も多かったのである。

 「Let It Be」も例外ではなく、ビートルズのメンバーが関わっていない分、プロデューサーのフィル・スペクターがオーケストラを入れたりエコーを多用したりして、「芸術作品」と言えるような音に仕立て上げていた。
 その音はバンドサウンドからはかけ離れていたのである。

 それが今回の「Naked」では、ビートルズのメンバー4人の音+セッションに参加していたビリー・プレストンのオルガンのみとなり、最低限のバンドサウンドに蘇った。

 しかしこの「Naked」、一つだけ気に入らない事がある。売り方だ。
 「Naked」発売に際し、「生まれ変わった」「本来の姿で」「もやが晴れたようだ」等の美辞麗句を並べ立てて元の「Let It Be」を批判するような売り方をしているのだ。

 先述したとおりこのアルバムは「焼き直し」である。目新しいものは、過剰なアレンジを排除した演奏したままの雰囲気、曲順、Don't Let Me Downの追加とMaggie Mae・Dig Itの削除、その程度ではないだろうか。
 先ほど「新鮮に感じた」と書いたが、自分がたまたま音楽を演る人間であり、しかも「Let It Be」の曲の多くを演っていたため、演る側からサウンド面を「新鮮に感じた」のであり、アルバム自体は焼き直しに過ぎない。
 にもかかわらず、元の「Let It Be」を批判して、「こちらが本物だ」と思わせるような売り方をするのは、現在の消費社会の縮図なのではないだろうか。

 もし人に「Naked」を買うべきかと問われたら、その人が「Let It Be」を持っているなら「買う必要なし」と答えるだろうし、両方持っていない人にどちらがいいかと訊かれれば「Naked」と答えるだろう。その程度のものだ。(自分も含め)よほどのファンでない限りは両方持つ必要はないだろう。
 録音・編集技術が進化して、いくら音がクリアになろうとも、もともと良い曲は良いのだ。それ以上でもそれ以下でもない。

 そんなことをごちゃごちゃと考えながら、今夜は久しぶりに「Let It Be」を聴いてみるとしよう。
 時を隔てて生まれ落ちた双子の「Let It Be」「Naked」に想いを馳せながらグラスを傾けるのも悪くない。

 

Let It Be ……

 1970年5月、ビートルズが事実上の解散をしてから発売された。録音時期は69年発売の「Abbey Road」よりも前。メンバー内の不協和音を払拭するためにポール・マッカートニーの呼びかけで「ライブへの回帰」を目標とした「Get Back Session」が始められ、その音源を編集したのが本作。

 結局ライブは実現されず、その代わりにロンドンのアップル本社屋上で「ルーフトップ・ライブ」を行うにとどまり、セッションの音源はそのまま放り出され、ビートルズは実質的に最後のアルバムである「Abbey Road」レコーディングのためにスタジオへと戻っていく。

 放り出された「Get Back Session」の音源は、ジョン・レノンに依頼されたプロデューサー、フィル・スペクターの手によって選曲・編集が行われ「Let It Be」として完成する。ビートルズのメンバーは全くこのアルバムには携わっていない。

 今回発売された「Let It Be...Naked」は、セッション当時の「オーバーダビングを排除したライブ演奏」というコンセプトに基づき、オーバーダビングや余分なエフェクトを排除して当時の臨場感を再現した。

 

 

平成15年12月3日

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

第一回 Risorgimento!連載陣に物申す!

 初めまして。Danny!と申します。
丸三家パスタ編集長と縁があり投稿させていただくこととなりました。
ペースを守って投稿を続ければ連載陣に昇格させて頂けるとの事ですが、果たしてどうなる事やら・・・

 さて本題に入ります。
 この「連載陣に物申す!」という大仰なタイトルは、編集長と差しで呑みに行った時に色々とRisorgimento!についての感想を述べていたところ、編集長から「君の第一回目の投稿は其れを主題にし給へ」という御下命を賜りましたので、このようにしました。
 なかなか連載陣には感想・意見・要望などが届かないとのことなので。(編集長が伝えても実感がわかないらしく、反応が鈍いそうです)

 というわけで、上から順に見て参ります。

 


 

「連帯と孤立」 「山椒雑記」 三澤浩一

 

雑感

 三澤さんの文章は素晴らしく、私のように運動に関わっていない人間にもわかりやすく面白い内容だと思います。
 特に「山椒雑記」は我々一般人にも馴染みのある事柄や、ご自身の個人的エピソードについて、短いながらも鋭く、時にはユーモアを交えて、歯切れの良い文をお書きになっています。
 一人の民族運動家としての思考に触れられる、貴重な連載の一つです。

要望

 難しい漢字にはルビを振っていただければと思います。
 「日本人なら読めて当然だろう」とお思いになられるかも知れませんが、私も含めて最近の若者の活字離れは著しく、読めない漢字が多いとすぐに敬遠されてしまいます。
 「多くの人に読んで貰いたい」という編集長の思いは、漢字が苦手な人を置き去りにするようなものではないと思います。
 ルビを振っていただけると、より多くの人に読んで頂けるのではないでしょうか。

 

 先ほども申しましたが内容が面白いので、更新を楽しみにしております。

 是非この機会にパソコンを導入して、さらにマメな更新をお願いします!(笑)

 

 

「大日本愛国日記」 ヒコ

 

雑感

 これは単純に面白いです。人気があるのもうなずけます。ついニヤリとさせられてしまいます。
 ヒコさんが見て感じたものをそのまま一枚絵で切り取ってらっしゃるのですが、一見感情的・主観的でありながら、実は自らをも絵の素材とするような一歩引いた視点で表現なさっている、そこが誰からも「面白い」と評されるところなのではないでしょうか。

 

要望

 背景によって見えづらい文字色(緑・水色等の明るい色)があります。私のおんぼろパソコンだけなのでしょうか?(笑)
 もちろんデザイン的な部分を考慮されてのことなのでしょうが、なるべく文字の部分は読みやすいようにしていただけたらなと思います。

 

 

「探訪 銀河蒼茫の世界」 「フトヤセ」 丸三家パスタ

 

雑感

 まず「探訪 銀河蒼茫の世界」ですが、こちらは編集長ご自身の獄中体験を元に、野村秋介氏が獄中で詠んだ句集「銀河蒼茫」について、氏が句を詠んだ時の心情を推察するという形式をとっており、一般的な句の解説よりもさらに掘り下げているという印象を受けます。
 これを読むと野村秋介氏の人柄により深く触れることが出来ます。
 獄中体験を持ち、野村氏の直近にいて人柄を良く理解していた編集長だからこそ書ける内容なのではないでしょうか。
 「フトヤセ」の方は、編集長の日々が赤裸々に語られ、一体どれだけの酒量なのかと心配できる楽しいページです。体にはくれぐれも気を付けて下さいよ!(笑)

 

要望

 旧仮名遣いはちょっと……。
 先日、酒の席でも申しましたが、広く読んで欲しい、一般の方々にRisorgimento!を広めたいということであれば、その垣根を少しでも取り払う努力をしなければならないと思います。
 もちろん美しい文体だと思いますし、歴史・文化の継承を思えば旧仮名遣いで書き通すことは必要かとも思いますが、その分この連載を読んでくれる人は少なくなるのではないでしょうか。
 とはいえ、内容的にも旧仮名遣いがぴったり合うと思いますので、旧仮名遣いで今まで通り書きつつ、現代仮名遣いのページも用意するというのが良いのではないでしょうか。執筆に加え、編集・更新作業も大変だとは思いますが、仕事の合間にお願いします(笑)。

 

 

 

「寝た方がいいよ、寝れば転ぶ心配なし」 本多菊次朗

 

雑感

 こちらは本多さんの心象風景を詩で表現されています。
 本多さんの詩には絶望と希望、無情と愛情、寂しさと優しさという一見相対するものが人間の中に当たり前に存在し、それらが交わり合い反発しあってその時々の感情を形成しているという、誰の中にもある微妙かつ激しい心の振り幅を絶妙なコントラストで描いています。
 初めて読んだときには、かなり暗い印象を受けたのですが、何度か読み直すと同じ詩が別の顔を見せてきます。読み手の心境の変化によって受ける印象が変わってくるのだと思います。
 

要望

 気になるところは(本多さんの詩作とは関係のないところなのかもしれませんが)、文字のサイズをもう少し小さくした方がいいのではないかと思います。

 私の使用しているパソコン(解像度1024*768ピクセル)では、勝手に改行されてしまうところがあります。詩とは改行・行間も含めての表現だと思いますので。

 

 

 

「心の鍵穴」 高橋愛

 

雑感

 タイトル通りに高橋さんの「心の鍵穴」にぴったり合った事、逆に全く合わなかった事をエッセイや詩として書いています。
 格式張った文章ではなく、素直な感情をストレートに書いているところに好感が持てます。
 

要望

 一番新しい稿で小泉批判を行っていますが、こうした政治・社会に対する率直な意見をもっとズバズバ言って欲しいと思います。
 高橋さんのように民族主義を勉強している若い人(それも女性)の考え方というのはあまり表に出て来ないような気がします。かなり貴重な存在です。もっともっと批判を恐れず強気な発言をお願いします。
 それと、蛇足かもしれませんが、「いう」を「ゆう」と表記されるのにはちょっと抵抗があります。意図的な表現であるなら変える必要はないのかも知れませんが。私は「ゆう」と書くと訂正された世代なもので・・・・・・。

 

 

 

「エモーショナルX」 田中いずみ

 

雑感

 短い文章ながら様々なエピソードを盛り込み、一見散漫でありながら根底に流れるテーマを貫いている、実に奥深い文章です。

 ふわふわっとやわらかく広がっていくミルククラウンのような文は、科学的雰囲気と神秘的な雰囲気を溶かし込んで鮮やかに魂のグルーブを紡ぎ出していらっしゃいます。
 

要望

 田中さんには是非ともロックへの熱い思いを大いに語っていただきたいと思います。

 私も音楽大好き!なもので……。

 

 

投稿陣

 

雑感

 まず、山崎一弘さんの「アンチ負け犬の思想」ですが、運動家としてのご自身の考え方を率直に述べておられます。また、一人の運動家の回想録といった趣の文も載せてらっしゃいます。

 私は連載第一回の「超大国の欺瞞」が好きです。

 普段、テレビ等ではあまり耳にしない痛烈なる米国批判を行いつつ、日本の若者に「目覚めよ!」と檄を飛ばしてらっしゃいます。痛快な文章です。

 

 次に大熊雄次さんの「スカジャン親爺のお小言」。

 こちらはご自身が参加なさったイラク反戦運動のレポートや、ご自身と親しい人々との人間味あふれるエピソードを細やかに描いておられます。

 私の好きな話は「徹ちゃんの憂鬱」や「吉野家で朝食を」です。

 大熊さんの事を全く知らない私にも短編小説として読めるテンポの良い文、情景が目に浮かぶ細やかな表現に惹き付けられます。

要望

 お二人に共通して言える事なのですが……、更新して下さい!

 内容・文章は、お二人ともに素晴らしく、次回の更新を心待ちにしております。

 せっかく内容の良い文章を掲載されているのですから、月2回でも3回でも更新して下さい!1ファンからのお願いです!是非、連載陣へと返り咲いて下さい!(笑)

 

 


 

 

 以上、言いたい放題書き綴ってしまいましたが、いかがでしょうか。

 Risorgimento!全体を読んで感じるのは、つまらない内容が見当たらないという事です。どれも文章がうまく、内容も面白いと感じました。

 全体としての今後の課題は、更に読みやすくてインパクトのあるページレイアウトを模索していくといったところでしょうか。

 編集長!これからも頑張って下さいね!あまり酒に呑まれる事なきよう(笑)

 

 それでは、今後ともよろしくお願いします。

 

平成15年11月7日