エモーショナルX
   
 

 

 

 

     
 

ここのところの毎日、、。

立花隆さんの臨死に関する本はおもしろかったです。
これを読むとやはり臨死体験した人が最後に見るものや恍惚感、幸福感は 脳の作用であり、最後に残された神の恩寵のようでもあり。。臨死に近いSM体験や、拷問、修行などでもこのすごいエクスタシーはおこり、だからこそSMや修行は繰り返されることもあるそうです。(ただし極めて危険な状態)。

ただ立花さんは断定しませんでしたが、やっぱり生は一度限りのものっていう気が 素直に淡々としてきました。

一度きりしかない生の、一度きりしかない瞬間。

いいときも悪いときも自然にながれ 一度だけ、、。

そして最後には圧倒的な美と恍惚と幸福な映像に包まれて死んでいけるとしたら、なんだか苦しいときも頑張って生きよう、と思いました。
一度きりだから思い切り大切に味わってこの命を生きたい、、そんな読後感想の残る不思議な本でした。
余談ですが、私の好きな小説に 田辺聖子さんの ジョゼと虎と魚たち、というのだあるのですが、その最後の場面でジョゼという主人公の女の子が恋人といるその瞬間をーいつか終わるかもしれないけどそうなってもいい。今 私たちは死んだモンになっている、、−と幸福を表現する、その言葉が浮かんできました。

あと2冊は映画になっているナイロビの蜂、とダヴィンチ。コード。

ナイロビ〜のほうは さすがにル・カレ。最後が甘くない。

ダヴィンチは、色々な知識、、たとえば左翼はなぜ左というか、とかいう知識が増えておもしろいですが内容は私はあまり好きではないです。ちょっと不潔な印象、、ル・カレとあえて比べると 本として下品な感じがしました。ただし たしかにおもしろい。また、キリストの解釈ー人間か神かーがいろいろでるのは極めて自然なことだと思うし、神については他の宗教、無宗教も含めてもっといろいろなことが話されてもよいと思うのですが、、しかしこれは宗教心が無い故か、、ウーン。。五味太郎さんの この頃思うこと、のなかにある<もし神がいたらそうとうへんなやつだと思う>の絵なんていいなあ、と思うけど、、でも実在しない神はやっぱり私の中にいて、神の恩寵、なんていう言葉を使用しているわけで。とすると私のいうこの主語の神は あなたとは違うのかも!!

ライブ感想は、、勝井祐二さん、沼澤 尚さん、森 俊之さんのセッションがすばらしかったです。大人の男の骨太の音。
ここでも一瞬で消えていく音に、幸福と恍惚を感じました。

明日から6月です。


この頃大好きなシンガーソングライター
鈴木 祥子さん。

若いときはアイドルだった。
ある日 渡された歌詞を もう歌うのが嫌だった。
自分の本当を歌いたい、と願った女性。

40代、女の恨み節を歌いたい、といった。

LOVE,painful love。

鈴木 祥子、と名付けられた最新アルバム。
それ以外にも”不安なブルー””舟””Happiness””3月のせい”etc,,.

”真っ直ぐな人”−サポートでヴァイオリンを弾く勝井祐二の言葉。

その真っ直ぐは心に突き刺さる。
女性が男性との恋愛で経験するあらゆる感情の表現者。


   ーONEー

U2が来日する。

一日しかない公演。
音楽関係者に言わせるとそれは何億もの赤字覚悟の公演だ。
普通は2〜3日やってやっと元がとれるくらいのレベルのコンサートだという。

メンバーの本気さ。
それを2005年5月にシカゴで行った公演DVDに見た。

リーダーのボノは”絶対に貧困はなくせる。今、必要なのは宇宙へ行くことじゃない。この地上で満足に生きていけない人のことを考えることが先じゃあないのか?”と語りかける。
何度も何度も 訴える。
安全に暮らせること。家族への想い。母国アイルランドへの、想い。人間への想い。”ONE"!!v

その中でボノは自分の歌を信じている、と語り、代表作としてあげたいくつかの曲名、、すべて一種の闘争歌である。

私とボノはほぼ同い年。
高校時代すでにロンドンの一部ではその名を聞いた。
その後数年、欧米ではIRAの活動が活発だったこともあり、U2は過激ロック組織とみなされていた。
マンデラが危険人物として挙げられていた時代だった。
その頃に欧米で感じた政治状況。ドイツには壁があった。そしてU2を好きだということはまるでテロリストといわんばかりの目にさらされることだったかつてのイギリスの状態。

ボノの言葉は変わらない。根底の想いは、ダブリンの17くらいの高校生だったときから変わらない。だからこそファーストアルバムの曲を今日も歌う。LP"BOY"。
今ボノが語る言葉は アメリカ人にとって、くさくないのだろうか。
日本人にとってはどうだろう、、。
”かわらないよ、、”とあきらめてきたことが ”もしかしたら変わるかも、変えられるかもしれない”と思えるように人々の気持ちがなってきているのだろうか。

3年くらい前、17才だった息子が”一番好きなバンドはU2"だと言った。”歌詞がすごい。今のバンドはなんでこういう歌詞を作れないのかな”。私はとても驚いたのを覚えている。知り合いのミュージシャンに言ったら苦笑しながら”政治状況が違うもんな〜。” 一瞬おいて、でもそれは逃げなのかな、、とも付け加えた。

このDVDで最もすごい、と思ったのは コンサート前の映像。
ホテルからでてきたボノはファンに取り囲まれ、写真をとったりしている。
有名人が有名人として存在するとき、アメリカでは常に死と隣りあわせだ。特に、シカゴ、だ。
自然体のボノ。自然体のファン。握手、抱擁。
ボノは人間を信じている、と思った。

話は変わるが 昨日スピルバーグの”ミュンヘン”を観た。
事前に”標的は11人”という極めて優れたノンフィクションを読んでいた。その文章のゾッとするような国家の行い。さすがに映像では表面をなぞるのが精一杯、という感はあったが この作品を導入としてこちらの本を読む人が出るなら大いなる意義があったと思う。
それに ユダヤ人、−祖国を捨てたと映像の中では非難されるユダヤ系アメリカ人、のスピルバーグが問いかけたものーその痛切さがわかる。
ひょんなことからアラブの革命家と同泊を余儀なくされ、相手もまた心から国を欲しがっている、と知ってしまったときの主人公の動揺。

憎しみは憎しみしか産まない。もういいかげんやめにしないか、というスピルバーグは本気だ、と思った。イスラエルへの、アメリカへの、同胞、そして自分のルーツへの呼びかけ。もつれきった糸。憎しみと血の糸。
絶望。お互い苦しんだ。話せば動揺や嫌悪しつつもわかることがある。それは何故?同じ人間だからだ。言葉がわからなくてさえも泣く悲しみは通じるじゃないか。違う解決方法をとること。まず人間を信じること。それが出来るはずだ、という気持ち。自分の身内が死んだとき、辛いのは同じ。子供がかわいいのも同じ。国が欲しいのも同じ。ならばなんとか必ず出来る!今のやり方や価値観じゃ永久に駄目!

このままではいけない。僕たちは人間としてそれを変えられるはずだ!
U2,スピルバーグ、双方からそんな声が聞こえた。それはイマジンでレノンが夢見た世界でもある。そしてその妻、小野洋子はオリンピックで平和を願った。(蛇足だが彼女が日本人なのが私は誇り高い。)

この頃書店に行くと”日本崩壊”(経済的なメルトダウン)がおこる、とうるさいくらい。そしてアメリカの信頼できる経済学者が”次にメルトダウンするのは日本、その後ユーロ、アメリカもゆっくり崩壊していくだろう”と論理的に予言している。
大きな変化!。
既成の価値観が終焉にむかっているのだと思う。
ガルブレイスが言っている。”もし先進国の人たちが少し生活の快適さをがまんできるなら世界はみんなで生き延びるに十分だ。私は人間にはそれができる、と信じている。”

日本の若者は足りることを どうも上の世代より知っている気がする。
日本はきっと大丈夫。メルトダウンしても エコノミックアニマルと揶揄された時代と違う何かを彼らはみつけてくれるだろう。
"ミュンヘン”を観に来ていた高校生、カップルたち。日本人には多分おそろしくわかりにくいアラブ対イスラエルの争いを見て”なんかわかんなかったけど、、”といいながら泣いていた男の子達。
そしてきっとたくさんの若者がU2の公演にもやってくるだろう。

45になったU2のメンバー。私も今年45になる。
あと多分20年くらいは 本気をかけて次の世代に希望を残していけるだろうか。

人種、宗教、イデオロギー、そしてそれぞれの歴史や文化。
それをお互いに大切にしながら それでも人間という種として一緒に生きていける時代をつくっていきたいと願っている。


ヘミングウェイの’海流の中の島々’を読んだ。
死後みつかった原稿なので 他の作品に比べるとヘミングウェイ独特の研ぎ澄まされた文章という感じには欠ける。だが そこには生きたヘミングウェイの体温があるように思った。

生きるということのとてつもない孤独感。人間の複雑さ。おもしろさ、おろかさ、、。

それでも人は生き抜いて死んでいかねばならない。
パパヘミングウェイからその勇気をもらった。
人は命果てるその日まで 戦い抜くことができる。
どんな困難や悲しみも 乗り越えて生きていくことができるはずだ、と。


ずーっと更新しなくてすみません。いろんな事があったこの1年。そして11月も忙しく過ぎています。
11月5日、6日は恵比寿リキッドのROVOライブに行きました。特に6日の演奏は圧巻でした。音楽が癒やしをくれる、という体験を初めてしました。
 この日の朝、ROVOのメンバーは共通の深い友人を亡くしていたそうです。
静かに始まった本番は 涙が燃えあがったような音でした。神が音に降りたような、と何人もの人がコメントした不思議な 美しいライブでした。
 11日は少し年上の美人キャリアウーマン、ともに離婚歴ある主婦2人と神楽坂で飲み会を。いろいろな修羅場をくぐり抜け、「自分が枯れてはいけない。自分は木。少しでも頑張っていれば必ず水をくれる人はいる。」。励まされました。
そして昨日は あるライブで出会った友人の絵の個展。彼女の友人で、渋さしらズ、というジャズのユニゾンに参加されていた泉 邦宏さんのライブもありました。泉さんとは共通の知人がいたりもしたので すっかり仲良しになりました。来ていた人も多彩でしたが実にいいお酒。
30代の終わりから50半ばの方にたくさん会えた今年です。
みんな いろんな事があり、今も抱えながら優しく逞しく生きていました。
泉さんと話していてわかったのですが、現在私がよく行くライブのミュージシャンは、かつてRCサクセションのメンバーだったり関係者だったりしたようです。 先日 久保講堂ライブの音源が復元された彼らの今の姿。
若い時も素晴らしかったけれど今はもっと素敵だと思います。太めになったりしているけど昔よりずっとかっこいい。それはなんなのでしょう、、。
ROVOのライブが見せた、若者にはとても真似出来ない繊細さを含んだ 思いを浄化してほとばしらせた演奏の骨の太さ、、。
日本は若者文化と言われてきました。 そういわれてきた若者達は今、中年です。
しゃべっているうちに、音を奏でるうちに見えてくるそれぞれのさりげない個性や生きてきた歴史。
普通の面白くもない外観のサラリーマンがいました。話しているうちに、いたずらっぽく語りだした竹の子族時代と今の秘めた内面。 かっこよさが輝きだした瞬間。
 優しくなることや笑顔の尊さを知り行われる和顔愛語。人を傷つけないための協調の大切さ。それを身をもって知り実践し、なお忘れずに熱く秘められた情熱や遊び心の豊潤。みずみずしさ、純粋さ、深い優しさ。
 大人になる素敵さをみせつける、そんな世代が日本にも再び蘇ってきた、、そんな実感です。若者文化、と揶揄された世代はしっかり文化を握りしめながら生きてきたんだなあ、と感じます。私も頑張って生きたい!大人って男も女も素晴らしい!!たくさんの生き抜く勇気をもらったな、としみじみ振り返った晩秋です。 明日はやはり50半ばの劇団ひまわりのプロデューサーが渾身をこめて作りあげた‘コルチャック先生’を観に札幌へ飛びます。コルチャック氏の故郷ポーランドでも絶賛された劇を演出した砂岡 誠さんも真心、という言葉がぴったりな方なのです。


昨日の震度5の地震は怖かった。
 私の住んでいるマンションでも エレベーターが止まりまだ復旧していない。昨夜は11時過ぎて いくつものメールが来た。よく見ると 受信は地震直後から午後5時くらい。メールも電話もかなりつながりにくかった。
 ニュースでは「首都圏の脆さを浮き彫りにした」と言っていたが 本当にそうかな?震度5強で大きな被害が出なかった東京はすごい、と思うけど。電車が点検で遅れたり エレベーターが止まったりするのは リスク管理がきちんと出来ているからだと思う。脆いのは 便利さになれてしまった人間のほうだとしたら、、これはかなり怖い。 編集長から 地震の備え、についてアンケートがきた。神戸の震災のとき 細かいお金がなくてパンを一万円で一個買ったりした、と聞いたので なるべく小さなお金を持つよう心がけたり、ロスアンゼルスの停電で真っ暗闇が恐ろしいと聞いたからミニ懐中電灯を持ち歩くとか、、。そんなことはしていても、これ、という備えはしていない。 神戸でも 新潟でも やはり最後は貯金、といわれた。家なんてつぶれたらおしまいだもんね、、。少しお金を貯めなくちゃ、、。 でも 後になって届いた、心配してくれる家族や友人の暖かいメールを見ると、状況はともあれ生きてさえいれば、なんとか生き延びてはいけるんじゃないか、という気がした。



春になると 死をいつもよりまじかに感じる。
桜が咲くせいだろうか。

来年は桜が見られるだろうか。
年をとると そう感じるようになった、という人がいる。

生きて再びあえるだろうか、もしかしたら今生の別れかもしれない、、
そう思いながら別れを告げること、、老いていくとはどんな気持ちのするものなのだろう。

だいぶ前になるが エレクトリックヴァイオリニストの太田恵資さんと勝井祐二さんにうかがった話。
お二人ともスタートは幼い頃からのクラシック。
でもともにクラシックヴァイオリンの世界では落ちこぼれだった。
しかし現在、幼い太田さんに”ヴァイオリンはやめて他の楽器をやれば?”といった熊本の恩師の第一の出世頭は太田さんで 今では恩師の自慢のたねであるという。
勝井さんの恩師は昨年なくなった。
ちょうど彼の率いるバンドがアルバムをだした時だった。
勝井さんはホームページの中に”このアルバムを表現の恩師に捧げます”と書いた。
だが実をいうと彼は恩師に最後まで自分がヴァイオリンで身をたてたことを報告に行けなかったのだといった。
アルバムをだす都度、送ろうか、と迷って結局最後までできなかった、と。

生きて生まれる人の縁の不思議。
評価してもらえた、もらえないにかかわらず、あの人と出会わなかったら今の自分はきっとないという確信。
一人の人間のささいで平凡な一生が、実は次の世代のなかに生きるという凄さ。

桜は毎年無言で咲く。
そして 散る。
誰かの胸に 今生の美しさを残して。

もし明日この世が終わるとしても 私は今日も樹を植える。
”樹を植える男”の最後の台詞のように淡々と生き、死んでゆく沢山の人たちが、きっと明日を作るのだろう。本人さえ知らない場所で 魂は引き継がれてゆくのだ。

日本の春は 終わりと始まりの相関関係を思わせる この世であってこの世でないような 夢のような季節である。

   ”初夢”

一人でいれば 自分の血の色を探さない。
お茶を飲む。リビングでも庭のなかでも。
暖かい人たち。多くは望まず 深淵から遠く離れて。
飽きればそっと自分の結界の向こう側へ戻るだけ。
結界線の存在は 誰も知らない。
苦しみは持ち帰らずに。自分色を守る。どんな色?私の血の川。だあれも知らない。私も?。

結界線の向こうの私の部屋。いたのは小鳥。
ゾロアスターの世紀の少し前に 神はやってくる。
光と影を従えて。小鳥を連れ去り ひとりぼっち、幼い頃の私を映すため。
映像の中、、。
一人を信じた。自分を守るために。誰にも涙を見せないように。だって涙は血の分身。体液は私だけの川。

鳥の世紀は始まる。
きらめく光が真実を照らす、血の川に氾濫を、闇に星たちの太古の光が天の川をつくる。満ちる刻。手を掲げる神の化身。朝の光を呼ぶ。
素手を焼くことを恐れない芸術の神よ。
その痛みと肉と血と叫びの焔は 鳥の世紀の祈りの調べとなり光と暖かさを聴くものに運ぶだろう。熱いのは神だけ、、痛いのはあなただけ。
それなのに 何故?偉大なる魂の呻き声だけが 祈り。

神の姿をみし者は死ぬ。
私は恐れ 部屋に鍵をかけるのに、、忍び込む、、幾重もの光、降りてくる闇。ひとりなら死んでもよいではないか、絶望を歓喜に変えることができるぞ。神のささやきが聞こえ 彼はナイフを放り投げる。

私は手離す。偽りの部屋の鍵、そこにいた自分を。

いつも思ってきた。
私は一人。心臓から流れる音は誰にも聞かせない。

大切な人の手にあるのは炎。扉は溶ける。
私が抱いたのはナイフ。
心臓を切り裂いて死を覚悟するとき初めて知る安堵の声。
自分自身の声を初めて聴く夢の中。

炎で私を焼いて。白い灰に変えてもいいから。
一人にしないで。あなたの血の一滴に変えて。
光と影の巨大なグラディエーションの中で
その腕の中で、
その祈りの中で、
私は死ぬ。
初めて孤独という絶望の痛みを知り、
叫び求める。
”I MISS YOU !”
胸から血が噴き出し 涙が川になり 昼の青で見えなかったとしても
そのとき私は再生するだろう。聖なる体液が洗い流す天の川の中で、
自分は一人でも生きられるかをたえず問いかける畏れを抱くものとして。そのナイフのエッジの上、炎の祈りを唱えながら。
大晦日 火の上を素足で渡る僧侶の映像みたいに?、、。
いいえ、現世の中を生身の女として、
血の色を抱く人間として。
明けまして おめでとう。

新年のご挨拶が遅れてすみません。
めずらしく詩ができました。
今年は酉年。
私の敬愛する井筒 俊彦先生のゾロアスターのお話が好きです。
光と闇のグラディエーション。対比ではなく、、。

ロックグループQUEENのボーカリストが信仰したといわれる 鳥をシンボルにした古代からの炎の教え、ゾロアスター教。


そして今年2月、私の大好きなピック2ハンドが”グラディエーション スカイ”というアルバムを出します。

本年が皆様にとって飛翔の年となりますことを願っています。
いつもありがとう。。


このところU2の新譜にはまっている。

何かがふっきれたようなストレートなロック。
官能的な曲たち。

U2は以前 IRAとの関係を疑われたこともあるアイリッシュロックバンドだ。今回の歌詞は政治的ではないが あえてその想いを前面にださない大人の歌、という感じがする。

先日 高村薫さんの”リヴィエラを撃て”を読んだ。
IRAのスパイとして生きる青年の話だ。
生まれながらにして そう生きるしかない人生。
その中での色々な愛情の形。
人って、人生っていったいなんだろう。

そして小説でなく現実に今日もそういう運命をもって生まれ来る子供がいる。

結成25年目のU2が根底に持ち続ける想い。
アイルランドの闘争は根底に宗教問題を抱える。その争いの種になった二つの宗教を父母それぞれがもっていたリーダーのボノの出生。

今回の曲は その多くが父または母に捧げられている。
アルバム自体は”父に捧ぐ”とボノはいう。

人間の生命と運命、それを見つめながら彼らは歌う。
アルバム名は”核爆弾の解体方法”。


この頃 とても気になっていることがあります。

蜘蛛についてなのですが、蜘蛛に、生まれつき働き者と怠け者がいるそうです。
種類によるわけではなく、同じ親の子でも両方いるらしい、、。
遺伝でなく、先天的ということね、、。

おんなじ親の子のなかでのパーセンテージはどうなってるのかな、、。

どういうことかというと、よい子蜘蛛は夜になるとちゃんとおうちをしまうの。
でも 怠け者は そのまんま。
朝、よい子は再びおうちを作ります。
しかし 怠けは、ほころびの補修のみ。
で、そのつけが、、。
よい子のほうは 粘着力があるから 虫がよくかかる。
しかしレイジーさんは、、粘着力が落ちてご飯にありつけないはめに。。

蜘蛛は親があーせい、こーせいって言わないじゃない!?
ということはこの性質の差は個人差だよね、生まれつきの、、。       

人間もそうだとしたら、、。。。

昨日 テレビでesという映画をみました。
環境や与えられた役割で 人間がどんなふうになってしまうか。
人間の無意識や阿頼耶識の領域は すごいものです。
催眠術で 人殺しもすることがあるくらい、、。                  
 
親がどんな良い人でも、サイコパスは生まれるという。

先天性と環境、、。

私たちは いったい いかなる生物なのだろう、、。
自分は本当にこういう人間なのだろうか、、。
不思議だ。


”BGMはオフコースの’言葉にできない’”

この
間中、"MONSTER"という漫画にはまっていました。

人間のさまざまな深層心理が引き起こす恐ろしい世界。
それを影で操る美しい少年。対立して戦う双子の片割れの少女。
悪魔の化身と化した少年を助けた医師ー命を救うのは善なのか悩み、、。

東西の壁が崩れた直後のドイツを舞台にナチスを連想させつつも あまりにも切ない物語。

人間というのは多分全員が内にモンスターを抱え、悪魔と天使を抱いているのだと思います。
複雑で カオスに向かってしまう存在。
ただ不思議なことに そのことを自覚している人と していない人がいるようです。

今、とても魅力的な友人たちの多くが さまざまな過去を持っています。悪口や悪評を聞くこともあります。でも私は彼ら、彼女らが大好き!人を傷つけた分、自分も傷ついて。表面の肯定ではなく、本当に肯定しあうためには戦いも必要だとあえて立ち向かう姿勢。
もちろん生まれながらの悪人や、心が痛まないサイコパスもいると思いますが。
私が好きなのはとてもひたむきなのに、不器用で、思いっきり傷つけ傷ついてしまったことのある人。尾崎豊の曲のような、、そんな思いができる人は厳しいけれども優しい。自分の理想をきちんともっている、美学のある人。ただこういう人にはこちらも同じエネルギーで対峙する必要があるので 表面の幸せな関係をのぞむ人にはやっかいなのだと思います。自分の意見と生き方のある人のパワーの強さは、他に依存したい人にはきつい。もちろんどちらがよいとは言えません。それぞれの生き方の見つめ方やスタンスはそれぞれの人のもの。幸福観もまた。好みにすぎません。でも私は傷ついても何かを突き詰めたり求めたりする事、する人が好きで。

正義とか善はわかりやすいーそう感じます。心をとりあえず癒してくれたような気にさせてくれる。

口当たりはいいのですが、風みたい。選挙公約とか、宗教、、??
でも わかりにくいものを内に抱いて、人を傷つけない配慮をするほどに大人の友人たちをみていると、出会いや経験は凄いものだと思うのです。

彼らはモンスターをかかえてうめき、人をむやみにもう傷つけない為に一人だけでそれを飼いならす術をしり、自分をみつめ、人の悲しさや弱さを許して手をさしのべる。

かつて私がつらいとき、”夜が永久にあけない気がするときはいつでもメールして”といった彼女。”私にはあるよ、そういう夜、、”。たおやかなその女性のうちにある戦いのすさまじさを垣間見た瞬間。

明けないでほしいと願った夜ーforever loveという歌のように。
押しつぶされそうな悲しみに 明けることを切望した夜。

さまざまな夜を教えてくれた出会いや別れや誤解や邂逅や、、
積み重なる思い出が痛いものでも、平穏無事よりあなたに会えてよかった、体験できてよかった、と思います。

モンスターを癒したかにみえた青年はどこに消えたのでしょうか。
彼は今 何を思い、彼に出会った人々は今、何を知ったのでしょうか


CHEERS! NO.2

故郷がない気がする。
そんな私の心癒す場所は、空港であり、ホテルである。
私もロバート・ハリスのような”EXILE"なのだろう。

私にとって最も好きな空港はカイロ空港。
そしてホテルは、帝国ホテルだ。

この前 友人と帝国ホテルで落ち合い 食事をすることにした。
イタリアンか中華にしよう、と言っていた。
友人は化粧室に行き、私は隣にあるイタリアンのメニューをのぞく。
そのほんの2〜3分、、。

突然、逢わなくては、お礼を言わなくては、と思う人の記憶が思考の海に紛れ込んできた。CALLINGされた、気がした。

その人は後ろにあるフランス料理店”レ・セゾン”のソムリエとウェイターを兼ねる男性だった。

彼と出会ったのはもう5年くらい前。
一年にたった一度くらいフレンチが食べたい時、小食の私でも思い切り楽しめるメニューをプロデュースしてくれるのが彼だった。

オークラ派と帝国派。
私は帝国派だ。
オークラは素晴らしい。しかし 私にはほんの少し優しすぎる。

彼は帝国ホテルらしい、ある種すっと距離感のある、けれども暖かい思いやりに満ちた人だった。

去年7月、私は大切な友人をフレンチで接待したい、と思った。
しかし その人はドレスコードを守ることを拒否することが予測できた。
そのとき 私は彼に手紙を書き、その旨を知らせて予約していただいた。その日は彼の公休日であった。彼の分まで任を受けた方が 夢のようなサービスと機知を見せてくださった。のちに接待した人から”非日常的な素晴らしい体験だった”というメールをいただいた。

”そのときのお礼がまだだったわ、、”
私は友人に”フレンチにお礼を言いたい人がいるの”と告げた。
友人も”いいわよ。”というのでフレンチへ行くことになり、、。
彼は個室を担当していたが、挨拶にきてくれた。
私は7月のお礼をのべた。

その日は不思議な日だった。
私はほかの会合の用事があり 新宿へ行くはずだったのだが 急にハイヒールの足が痛くなり、近くの帝国ホテルで休むことにした。
少し前に”会いたいね”というメールをくれたこの友人を思い出し、新宿は行けそうにないのでキャンセルし、彼女にメールした。
彼女は”今、その近くにいたのに、、”といった。出不精だから来ないだろうな、と思ったのに来る、という。驚いた。

私たちはしゃべりすぎ、気付いたら最後の客で、周りでは清掃が始まっていた。椅子を立ったそのとき、彼が椅子を引き、出口までエスコートしてくれた。
”今日お会いできたのが不思議です”という。
”今日が僕がこのホテルで過ごす最後の日だったのですから、、”
彼は専門学校を卒業後、精一杯走ってきた、といった。
その姿の誇らしさ、素敵さは私を魅了した。
”このへんで少しじっくり自分をみつめるために外国へ行くんです。少し違う業種の勉強もしてみたいのです。”
31歳。決断するなら今しかない、と思ったのだろう。

”おめでとう、ですよね。またぜひお会いしましょう”
私は言った。幼い頃から海外で育った私に別れぎわ こう教えてくれた人がいた。”地球は丸い。二人の人間が歩き出せば きっとまたどこかで逢える”
レ・セゾンの出口の花のアーチ。
私たち二人が降りる階段の入り口ー私が振り向くとアーチの下の彼は深深とおじぎをした。ロゼシャンパーニュにも似た満開の花の中、みえなくなるまで 顔をあげなかった。
”私たちは彼の最後の客だったんだね、、”友人が言う。”いい夜だった。来てよかったよ、、。帝国ホテルもいいね”−彼女は、オークラ派だった。


昨夜 故アイルトン・セナの特集番組をみた。 絶頂期に、同じチームにいながら口もきかないほど敵視したライバルのプロスト。けれど 引退したあと解説者として報道ブースにいた彼にセナはマイクを通じて語りかけた。「君がいなくて寂しいよ」。  

ライバルだからこその絆。

同時期やはりF1に日本人初のドライバーとして乗った中嶋 悟。彼もまた一時期セナのチームメイトだった。「セナはとても優しかった」そして こう続けた「でもそれは僕が決してライバルになりえないとわかっていたからかな」。

ギリギリの所で生きる仕事。その世界で命を張った人間の言葉だ、と感じた。

PICK2HANDの新曲のプロモーションビデオを見た。

2年前、出会った頃、彼らは戸惑いをまとっていた。本当に この音楽という雲のようにつかみどころのない世界で生き抜くのか、否か、、。息つまるような真摯な問い。  

そして今ここにあるのは色々な想いを乗り越えた末の覚悟と決意。青く彩られた映像と音。


生き抜くのが大変な世界で 沢山のことを見つめて 取り込んで 乗り越えていってほしい。何があってもこの`青´をわすれないで、、と願う。     

5月12日、彼らが「命をかけて作った」と背水の陣を敷く中で決断し、造り上げたCDが発売される。 生きる世界を選び生き抜いていくことは 簡単ではない。荒波に飛び込んでいく息を飲む瞬間。かつてセナが、プロストが、そして自分の力を認識しながらも挑戦しつづけた中嶋がみせた世界。

私はただ祈ることしかできない。チアース、、前途が光に満ちていることを願って旅立つ若者達に今宵`乾杯´。


 

友人のイギリス人から、密教について質問を受けていた。
司馬遼太郎の空海伝を読んだ。
空海と最澄の確執の生々しさ、事業としての宗教と男の野望、そして密教の底にある思想がインドの”カーマスートラ”と知り驚く。あの愛の技巧についての教えと比叡山の荘厳さが 結びつかない。

私は 日光のいろは坂の元である涅槃教の文句が好きだったが”色は匂えど散りぬるを、、浅き夢みし酔いもせず”とはうーん、そういうことか、、と納得。

宗教というものの奥の深さを知った気がした。

このところ立原正秋を少し読んだのだが、立原も渡辺淳一も読むと妙な気になる。
性的に優位なのが男として重要だと思っている感じに違和感があるのだ。
”女に肉の悦びを教える”ことが重要みたいに思っている。
重要じゃない、とはいわないが、それほど重要でないかも、、。
だって我が友はみんな”ねた男は思い出さないねえ。もう完結しちゃってるし、思い残しないでしょう。好きだったのにそうなれなかった人には幻想があるから想いが残る”というし、私もそう、、。

密教の深い教えはわからない。僧侶のほとんどが男性のなかで、その教えはどんなものなのだろう、、。

ただ涅槃経の”浅き夢みし、酔いもせず”は恋愛を抜けた後の女性にもよくわかる気がする。

若い頃 私の理想の男性はキリストと立原の小説の禁欲的な青年”冬の旅”の主人公であった。
女性は性よりも 母性をかきたてる男性が好みかもしれない、と思って、そこに深い河の深淵をみる思いがする。
王子様は性的であってはかっこよくないのだ。好きなら自分にだけ性的であってほしいのが女性なのである。

しかし 現実にそんな男性はいないだろう。
同じように 立原の描く女性もいないであろう、いたとしても多分そう見えるだけだろう。
”男が純粋だという女が、女の目からみて純粋だったことはない”という山田詠美さんの言葉は 深い。
恋愛はおそるべき幻想か?。


現在の私は、夏目漱石の小説”それから”のラストさながらの心境である。

去年、突然 住んでいるマンションのオーナーが死去された。
で その後、相続をされた奥様が権利放棄。
あまりに多額の借金を残して、輸入会社社長の夫が死んでしまったからである。

このマンションも最初から債権物件だったらしく、管財人の弁護士から突然競売にかける旨宣告された。

債権者はみずほ銀行。
根抵当で10億も貸したらしい。いわゆる不良債権っていうやつだ。
まさか自分の身にそんなニュースもどきの災難が降りかかるとは、、トホホである。
しかも 敷金も返却義務なしとかで、泣き寝入り状態、、。
おまけに競売になり落札されたら 強制的に出なければならない!!

土地ー建物が担保の不良債権は、借家人がいるため容易に売却できないー競売にしてもトラブルが多く高く売れないーとのことで、つい先ごろ、”落札後は強制退去できる”よう法律が銀行寄りに改正されたらしい。もし いすわれば、裁判所の執行官と警官に強制的に退去させられ、銀行は”迷惑を受けた”から不良債権分を損金に計上する事ができるようになるという。銀行にはお得、借家人には、一切の権利がない、というなんともやりきれない悪法なのだ。
これでは 部屋を借りる時には、相手の資産状況をこちらも調べなければ安心できない、ということになる。

で、今、大騒ぎになっていて、でも 子供が受験中で動く事もできない状況のなか悪戦苦闘中(涙)。
生きていると いろんなことに遭遇する、、。

このマンションの大家さんだった故人はとてもいい人で、輸入していたワインを季節ごとに送ってくださり、お礼をいうと”借りていただいているのですから、当然です”という腰の低い方だった。多分 最後は心労から亡くなられたのだと推測される。。
とてもお金持ちにみえた。
人間は 外見からは計り知れない苦労をもっているのだなあ、と思うと同時に、
生き抜いていくことはやはり大変なことなんだな、と感じさせられる事件だった。

それにしても 信用して貸し付けた自分の非を すべて他に転化させる銀行の姿勢と、銀行を守るために 店子の権利を剥奪する法律を作った政治には怒りを禁じえない。

日本の政治は やはり企業のために存在しているという現実を突きつけられ唖然としている。


BELIEVE&LOVE

あけまして おめでとうございます。

DANNY!さん、お返事を ありがとうございました。
”信じたい”、という思いが 信じる行動をおこす、のは
辞書では1の解釈にあたるのでしょうか。

それは 祈りのような、願いのような、とても大切な人間としての根本で、
子供のとき 親に愛されなかったりすると 人というものを愛したり、信じたり出来なくなりやすい、、。
すっと 2の解釈に入れる人は きっと 根本で人やこの世界の”よいもの”を信じていて、安心してアイデンティティーを持てる”愛を知る人”なのでしょう。
人は 基本的には もの凄い情報量をインプットできるん量をもつ脳で感情さえも産み出す。情報自体は まねをして覚えてゆくもの、学習で覚えていくものだといわれます。
だから 愛されたり、信じられたりした経験が無いと、そのやり方がわからない。
 そして行動や価値観、思考回路のアウトプットの仕方、表現方法は 文化によっても違う。

私がよく 自分は異質かも!?、と思うシチュエーションの一つに、この”信じることと裏切ることの感覚の違い”というのがあります。
 岸田 秀さんは ”日本人は 人を信じ、欧米人は概念を信じる傾向がある”といいます。
 教育を西欧で受けたからか、よく理由はわからないのですが、私が”信じる”という時、やはりそれは”概念”に向けられているのだ、と感じるのです。
 私は無条件では人を信じない。
信じるときは、その人の持つ概念が 自分と同じか、もしくは違ったとしたらどう、どこが違うのか、知らなくてはならない、と思うのです。
だから 討論し、対決し、突き詰めて、相手の考えを知る。考え方の回路を知る。その 回路と、それにみあった行動をその人がとるかどうか、とれるのならば信頼、もしくは信じます。
わりにビジネスライクな割り切りと理論性の上にあるもの。

個人的には ここに在ること、いつか死ぬこと、そして 自分のバックボーンとしては 理想を信じている。自分の、理想。
アインシュタインの”自分の理想を信じることが 物理の出発点だ。
それを 証明するのが 私の物理学の信念”と語った感覚に近い そんな理想。先に 理想ありき。
家族、友人、恋人、仲間、という対 近い人間については きっと 信じる、という感情ではいない。多少、ふくんではいても。
 疑うと信じるは一対で(私にとってはです)疑い、対立し、討論した先に違いを認識して 信じる、、それは 愛情ではなく、信頼です。
私には 00を尊敬する、00に好意をもつ、もたない、という表現も、どちらかといえば こちらのなかま。いいかえれば、なんらかの大きなその人のやり方や考えかたを 認識する、知る必要がある。
昔 吉行淳之介さんが”嫌いは 好きの反対じゃない。反対は 好きじゃない、だ”といわれましたが、”嫌い”は私にとっては だからつきあわない、ということにはならない。嫌いだからこそ つきあったりする必要もある、と思っています。相手を認めてはいるから 信頼はしている。ただ 立場がちがう、とおもうし、感覚が異質だ、と思うこと。
だから よく話したこともなく”尊敬している”とか、”00さんはあなたを好きだっていってた”(恋愛感情でなく人間として、のニュアンスで)といわれると 複雑。
いつか 私に裏切られた、と思うのではないか、、と。どこを、なにをもって、そう感じたのかな、御自分のなかの 幻影ではないのか、と。まさしく1の思い込み。 もちろんうれしいのですが 期待をうらぎらなきゃいいがな、と自分で自分が不安。。
 裏切り、というのは だから私にとっては”好きじゃない”になったときかもしれません。いいかえれば その人の考え方に あるいは 行動と考えの隔たりに疑問ができて、問い詰めても、逃げられた時は”もう いいや”と思う、、その瞬間、自分も裏切り、相手も同時に私の信頼を裏切った、、。

さきほど 身近な人は信じているわけではない、といったのは、もちろん 言い争ったり、討論して認識する部分はあるけれども多分私はそこに赦し、を忍び込ませる。どんなに異質でも あきらめたり、もういいや、ができないとき、、裏切れないとおもい関係を持続させようとしてしまう相手は ”愛している”のだと思います。自分の勝手では断ち切れないもの。縁。
信じていれば、裏切りや疑いは付いてまわる。それはある意味、とても自立した厳しい、だから尊い関係。お互いの自律性や覚悟がいる。人間的な理性の関係。
尊敬と幻滅、好きと嫌いも 感覚として、もしかしたら恋愛感情もやはりこちらなのかもしれません。いいかえれば 何かあったら あきらめられる。。

でも 私にとって”愛”は 断ちたくても断てない、裏切られてもなおその相手の何かを信じつつ”けてしまうとき、それはもはやその人を”信じている”−だから00してほしい、期待に応えよ!、といえないものになってしまう。。

信じる、のは あくまでも 自分で量って自分に決定権があるもの。
愛する、は きっと自分ではなく 相手に、もしかしたら その相手にさえない不思議なものに決定権がある、というか、、脳が人間のすべてなら そんなものないけれどーだとしたら偉大なる偶然性の支配、なのかもしれませんね。

ただ 私個人としては 英語の”believe in”はの日本語の”愛”に近い気がしています。反対に”fall in love”が好き、”trust” が”信じる”に。
このあたりは言語哲学上、英語ではその言葉や付くものによって”神と契約された言葉には責任がついてまわる”。その延長線上に”in”のついた”believe”、逆に”fall in”のついた人間感覚化した”love”(単独のときは違いますが)があると思われます。
またbelieve inは 契約言葉から来てるゆえ、かなり強い愛、と思います。決意を含んだ、命かけるような。やはり一神教の言葉、という気がします。”I’ll
 love”(単独使用)といったとき、”I believe in00”という時、そこには 命やその人の人間性がすべてかかる。
ただ loveには 固有名詞が続くけれど、believeには基本的に続かない。
I believe inYOKO.といったら それは 人間としてのヨーコでなく 神的概念としてのヨーコを信ずる、ということになるので、普通はyou.。
そんなことから推測すると やはりbelieveよりloveのほうが人間に近い言葉なのでしょうね。 
普段もloveは色々多様しても、めったにbelieveは使わないし。特にinつきでは。
ジョンのヨーコへの思いと決意はかなり強いですね!
そして あるかないかわかんないものでなく そこにあるものを背負え、というのは自分を信じろ、自分のなかに神はいる(ヨーコも自分のなかにいることも含めて)
自分を愛せ、みつめて 受け入れて前進しろ、愛し信じるものがいるだろう、その絆を信じてゆけ、自分が能動的に信じるんだ!、重くても!(carry on,はかなりの重荷を背負う、特に心的なもので)。、そんなメッセージと宣言を感じました。

私にも”信じる”というと思い出す歌があります。
尾崎 豊の”汚れた絆”。
運命に選ばれるようにであった二人が 語り合ってわかりあった末、その立場を演じるようになっていってしまう。裏切らない為の必死の裏切り。
分け合う寂しさに震えた二人、そして 疲れて、お互いを愛しているのに、どこかで赦しながら信じているのに、別れざるを得なくなる。互いが 優しく、誠実すぎて、思いやりすぎて、引き止めることが出来ない。
 これは 恋愛歌ではありません。
彼を 精一杯支えようとしてその天才性の前に立ちすくんでしまった彼の唯一のマネージャーだった鬼頭氏へあてた歌だったといわれています。
”今は汚れた絆も 何も変わらず信じてる。
俺たちの輝き 奪われぬように”
私は 彼の歌のなかで、この曲の歌詞が一番好きです。

理想も信頼も 今は泥にまみれ、信じているのか、裏切られたのか、それとも逆なのか それさえわからない。でも 君をあの頃絶対的に、演じながらも信じていたし、絆を今も信じている。
この歌は 鬼頭氏への彼の自分勝手な赦し宣言で、まぎれもない”愛”の歌だ、と思うのです。

ともあれ、私も信じるためのお互いの壺をおとさぬように支える努力、信頼のための討論、そして 赦し交わる縁深き人との愛、自分の理想や夢を信じ、実現証明して現実化し、その概念から現実になった信頼、愛、汚れて重くともcarry onしていく一年としたいと思います。ただ 討論しようとすると得てして否定している、とか 裏切り、と捉えられがちなのが 難しい。相手をしりたかったりしなければ 私もめんどくさいことは避けたい性質なのですが、、。
初めに言葉ありき、という西欧と(多種多様な人種や文化が入り乱れがちなゆえ、誤解しないように、だとおもうけれど)、沈黙は金、の日本は言葉への感覚が少しちがうのでしょうね。いい、悪いでなく。
西欧では言語哲学が盛んですが、日本ではひとりも該当者、言語哲学者がいない。ただひとり名のあがる時枝誠記氏もどちらかといえば言語教育学的ですし。
私の 先生はイギリス人の言語哲学者なので、私も今、日本語でそれができないか勉強しています。
ダニーさん、また 色々教えてくださいね。
では!
 
       2004年初のエモーショナルX


追伸:考えてみると 英語では
    1の意味がbelieve in
    2がtrust−これはどちらかというと その絆を信じる、ような感覚でしょうか。
    3がのめり込むような感覚のfaith in
のような気もいたします。

道元は 弟子なぞいらない、といいました。
今、曹洞宗で行われる修行は 彼のきれいずき、潔癖症にもとずいていて、別に道元自身は”こうしろ”といったのではない、と解釈するかたもいます。彼をしたった人が師と仰ぐ人の真似をした。道元自身は 極めて個人的感覚の強い人だったらしい。もちろん どの説が正しいのかは 相手が故人なのでわかりませんが。
 キリストも弟子を信じていた様子はない。裏切られることを知っていたのですから。父なる神は信じていたのかな。最後に”なぜ見捨てるのか”と問いかけても、”御手にゆだねます”という、、。
ただ なだいなださんによると、キリストは今日では精神病者に分類されてしまうだろう、というか、精神病なのだそうです。ノイローゼでなく 脳の機能障害としての純然たる病。仏陀もそうではないか、と。事実、こういった素晴らしい人が 精神科に入院していることがあるらしい。マホメットはそれに比べるとかなりきちんとしていて、だからこそ自らを神とは言わなかった。どちらかというと聡明な支配者。
 もちろんどの方も故人ゆえ、真偽のほどはわかりませんが、、。
親鸞も 弟子を人間として大切にはしていたが 信じなかった。いつか裏切られるのを承知していたふしがある。
その彼が 若い頃、自らの師を”地獄に落ちようとも信ずる”という。
”地獄におちようとも”−人が人を信じるのは とてつもなく難しい、と私は思うのです。人は人をその人としてみることが困難で、ほとんどの場合、自分をそこに投影している気がするのです。幻想を信じるのか、それとも自分のなかにある理想の自分を信じているのか。それとも 清濁あわせもった人間として信じ、自分が信じたその責任を最後は自分でとり一人で地獄をみる決意の上で信じきるのかーこの場合は裏切られても、なお信じぬく、信じた自分をまた信じる、凄絶な決意がある、、だから親鸞は弟子にそれを求めず、自分(親鸞)を信じることではなく天のなすがままに唱えること、それでしか”救われない”といった気がします。
救われたい、という人には 信じぬくーそれはまぎれも無く信じた自分が最後には自分で責任を取る覚悟のうえで、相手もまた人間という魑魅魍魎の存在であると知っていてもそうせざるを得ない凄みーには耐えられない事を知っていたのではないでしょうか。そしてただの人間である自分がその重さを引き受けるのも、やはり地獄をみることだ、ということさえも。
演じることをきらう道元や親鸞は 自身で信仰の対象となることを拒否していたのでしょう。”我を信じよ”などという恥知らずなことはいえない、と自戒していたのでは、、。

ヒトラー、麻原、その他現代の神、カリスマは演出、演技性が必要。
普通の人間なら 最初はうれしくとも そのうち とまどうのでしょう。売れたアイドルなどのように”私はそんな人間じゃない、それはイメージ、幻想だ”と思うようになるのでは。それに耐えられるのは かなりずぶとい人間か、もしくは人を限りなく赦そうと決意した孤独な人間か、、。

”人は天涯孤独な存在で、だから人を愛するとか、信じるなんて本来は蛮行、、それでもそんな素晴らしい瞬間ー非現実の一瞬をもつことができたなら、それが生きた、といえる瞬間なのかもしれない”というようなことを ある作家の方が述べておられました。その”瞬間”がまぎれもなく存在したことの確かさ、それが自分にしか起こらなかったことの素晴らしさ、、。確かに信じられるじぶんだけのと刻、相手といた、という時間があったまぎれもない事実。一瞬だけかもしれないけれど、真実があったと自分が信じる思い出。

信じる、というのはあくまで能動的、自分の個人的な行為。

それが 概念で、いかようにも自分の勝手に解釈できる都合よいものであっても、信じたなら最終責任を取るのは自分で、相手や概念には全く責任はない、のではないでしょうか。
人は 自分のなかの自分を信じる。
それが縁でもこじつけでも 信じた自分自身を信じる、、。
この公開質問状に個人的に返答くださったかたがいて、その方は、そんなふうに述べておられました。信じた自分がわるいんです、でもその自分を信じるしかない、と。

人は自分を信じたい、もちろん人を信じたいと願う、、また 裏切らない概念を信じてみる、、。

やはりそれは”祈り”なのでしょうね、、。

ダニーさんが 信じたい、と思う気持ちを、願いをもっていること、、素晴らしいことだと思います。

また岸田秀氏は、人は自我を支えるために自覚しなくとも必ず何かを信じているとも、、。そして それを手放すのは死よりも恐ろしい心の基盤で、そこを突かれたとき人は逆上して死んでもいいから戦おうとする。なんせ本能の壊れた人という種の最大のよりどころだから。ゆえに人はみな狂信的本質をもつ、のでしょうか。

人間は どんなに魑魅魍魎でもその底に祈りをもつ、、。
でもそれは極めて個人的なもので、命と一体になったもので、だからこそブッシュのように”キリスト教徒として00”と押し付けや脅しにしてはならない、と思います。つながる目的で、つなげる目的では使用不可!もちろん 自主的に聖地へ行ったり、勉強会を開くのはいい。でも 押し付けや強制はご法度だと思います。信じ方はそれぞれ違う。人間が違うように、、。あるいは人と人の関係が表面的にどんなに似ていても、違い、それぞれがスペシャルなつながり、瞬間であるように。

サン・テグジュペリの言葉ー”神などいなくてもかまわない。しかし 神を信じることは、人に神性を与える”
姓に”サン=聖”がつくーかつて祖先にいらしたのでしょうーらしい一言で、私はこれがとても好きです。

かなり厳密論となりましたが、神との契約語を口にする時、人は罪を考え慎重になる、という西欧言語哲学行動論を日本語でやるとどうなるのかも含めて、2004年は考え続けてみたい、と思っています。八百万の神を持った日本文化のなか、かつては(古代ー平安くらいまで)信じる、愛するなどがどんな言葉で表されていたのか。(その後は武士文化に以降して、近代的な日本語と大和の感性が入り乱れ、交わって、現代につながるような気がするので。信じる、は日本においては武士の文化、もちろんその中心の天皇を敬う文化と大きくつながっているのだと思います。では、額田王、の時代とかはどうだったのか、、知りたいです。言葉のかぐわしい時代、源氏物語とかも、、。それが今の日本人とどうつながっているのか。この一つの言葉をもとに解明していきたいのです)
まず 感情があふれでる大和言葉を古事記や万葉集、古今和歌集あたりでさぐってみます。
長い追伸をすみませんでした。
そして 本当に、色々な方からの それぞれの想い、を教えていただけると幸いです。思想や哲学は どれが正しく、どれが間違っているか、と言う物ではない、と思います。また感情があるのですから、理論的破綻があっても構わない。
”自分の、信じる”ものなのですから、、。
アインシュタインの相対性理論だって、完璧ではない。
サルトルだって、ソ連を支援したりして 完全ではない。
現代最高の理論哲学者といわれるゲーデルも”何かを証明することは その証明しようとしていることのなかではできない”
ウィトゲンシュテインも”論じられぬ事について、哲学は沈黙せよ!”−神や、何故生きるか、といったことを普遍で論じることはできない、それは極めて個人的な大切なストーリーにすぎない、と、、いっているのですから。

ただ 私は 日本語が好きで、美しい、と思っています。
日本語の言語から、やはり文化、哲学をみすえたい、、西欧の先輩がたには怒られそうですが、日本語なら もしかしたら 大切なストーリーを普遍化できるような気がして、、。
では、今年もよろしくお願いします!
                   2004  1月3日  8AM

 


"まぼろしの世界”

ジョー・ストラマーというミュージシャンがいた。
イギリスのパンクが頂点を極めていたあの頃、その頂の一つにこの男はいた。
パンク界きっての紳士だったといわれた彼の優しい表情を、ハービー・山口氏の一枚の写真が捉えている。

まぼろしの世界、というのは 現在の日本におけるalternative&underground music界のリーディングミュージシャンたちの集まるレコード会社のレーベル名の一つだ。創設者は 勝井 祐二、鬼怒 無月の両氏である。

そのレーベル名がとても好きだ。
音楽や ライブの真髄は 流れ出たそのときの時間、気持ち、ゆれ、、。即興性にあると思う。一度しかない瞬間。それをCD化するのは 時間をカプセルに閉じ込めるようなものだ。
二人が 何故”まぼろしの世界”と命名したのかは わからない。
だが 彼らが即興を愛する、また その闘いに挑む強さを持つ音楽家であるのは確かだ。しかし それを あえてかんつ”め化しなければならないとき、、彼らなりの覚悟があったのを 感じるのだ。”責任がとれないものは 絶対に音源化しない。また作った以上、絶版にしない”、と鬼怒は語った。
”undergroundで勝負する”という覚悟で演奏する二人の表情は明るい。
彼らや、その友人、仲間はいつも楽しそうに それぞれのライブを演る。
覚悟の強さは その技術の高さが示す。しかし 肩肘をはらずにその瞬間を楽しんでいるのだ。友人のアコーディオン奏者は”このグループとやるのはおもしろい。でもアドリブの連続だからもの凄くきつい。たまにクラシックとかやると おたまじゃくしを追うだけですむんだなあ、ってホッとするかも(笑)”という。だから たまに闘い合いがむきだしになり(もちろん大人なので そのむきだしかたはあくまで
スマートである)聴いているほうがハラハラしていたりもする。
彼らがロック系をやるとき、つまりは会場がスタンディングの時、私も前のほうで踊るが、”もっと狂えよ!”と挑まれているなあ、と感じることもあるし、、。

私は 狂わせることのできない演奏家には 興味が無い。
まぼろしの世界をみせられない音楽は 私向きじゃないし、挑む覚悟を捨てた奴もお払い箱だ。しかも 真剣でありながらもストレートにそのものをみせない彼らの自由なラフさは、ジャンルとしてはやはりオルターネィティブなのだろう。それにうれしいのは”大人の客に聴いてもらいたいし、踊ってほしい”といってくれること。メジャーを目指さない彼らは、若さでは共有できない時間性もまた尊重してくれる。若い人には媚たりおもねるのではなく、大人の凄さを見せ付けるアーティスト軍団だ。
勝井氏は”ROVOは 集中力が演奏にいる。終わるとふらふらになるくらいの真剣勝負の場。渋さしらズ(日本の凄腕ジャズ系音楽家の集まりバンド。総勢40人とも70人ともいわれる。そのときどきに出るメンバーは変わる。ROVOとともに、フジロックの常連)はお祭り的にできる。”
色々なステージ、舞台、場所を楽しめること。
自分探しなどしなくても すべてが自分であること。
風のような軽やかさと、底に眠る強さ。
ぜひ 一期一会の場で、彼らとともに まぼろしをみてほしい。

多くの人が 年老いて”この世は夢幻のようだ”という。

昔私は臨死体験をした。
そのとき 最後にふわーっとした温かさのなかでこの世に生きられたこと、出会った人々への感謝の念だけが なぜか沸きあがってきた。同じように死にかけた友人も感じた、といっていたから そういうものなのかもしれない。自分の人生は満たされた、という想い。だが、、何故か心のどこか遠い世界から、抵抗したい思いの存在を感じて、、私は医師の”聞こえますか!”といううるさい呼びかけに応じた。生き返ったのだ。
今から17年位前のことだ。re−born
そのとき 私は 昔ストラマーにいわれた言葉を思い出していた。
”やりたきゃ、やるんだ。心が叫んだら、従うんだ。それがパンクで、人生だ!”
今、日本の若者のあいだでも芯の抜けたペニスのようなパンクがはやる。青春パンクと彼らはそれを呼ぶ。ロックもまた若者の間では その真の意味を失っている。それが 悪いとはいわない。そこにある苦しさもあると思うから、、。恋の歌だらけのロック&パンク。まだ 音だけでは勝負できない覚悟の頃。

若者のライブで 言葉が消え、音だけ、それもソロになるのが嫌いだった。バンドや言葉で彼らがごまかしていたものが、浮き彫りになってしまう瞬間。
しかし 大人の、 音だけで皮肉っぽく、あるいはさわやかに、誘惑的に、挑んでくるミュージシャンたちのソロはを聴くと、その単一な音の中で踊りたくなる。終わらないで、と思う。大人になるのは豊かになることなのだ、と生を肯定できるのだ。

よく 何故、ライブに行くのか、踊るのか、聞かれる。
考える事から逃れられない私が 生の調べを聞けるのは そのまぼろしの世界。快楽の極致に導くのは 彼らの鼓動。

2004の目標は すべてのROVOへ行き,踊ること。
酔狂だが、思うのだ。
いつか また 最後のときにえもいわれぬ幸福感が舞い降りてきて向こうの世界へ向かうだろう。もう まぼろしとなったたくさんの日々の向こうに”確かに生きた”瞬間をきざみたい。心の叫びに従え、とストラマーは言った、、。

昨年末、ジョー・ストラマーはは急死した。
その一報がはいった瞬間、ロンドン中のライブハウスの音がやみ、凍りついた、といわれる。そして もう彼の全盛期を知らないはずの若者たちが、その年の終わりまでひたすら彼のバンドの曲を演奏した。
一昨日、勝井氏のインタビュー記事に ストラマーが亡くなるほんのちょっと前、あるフェスティバルでストラマーをみかけた、その様子が語られていた。

来年ROVOと生きるのは、若い頃彼とそのバンド、クラッシュを愛した私の運命、遺言のような気がしている。



2003年も、あとわずかで終わろうとしている。

ハルマゲドンの予感に怯えた また Y2K といういかにも 20世紀最後にふさ
わしい電力問題に頭を抱えた1999から 早 3年。

20世紀は 戦争の世紀だったと評された。
21世紀は そんな愚かしさを繰り返さない、人間の理性を生み出す時代にした
い、と願った人はたくさんいたに違いない。

故人のなかにも、21世紀をみたかったが不可能だから せめて、と若者にメッ
セージを残して逝った司馬 遼太郎、平和を願い,未来を夢見た手塚 治虫、ア インシュタインなど 21世紀を笑顔の世紀にしてほしい、と切望された方々が多 くいた。

石の上にも3年、あなたが 2000年を迎えた朝、誓った、あるいは夢見た願いは  少しは 自分のものになっただろうか。

2003年の6月8日は 私にとって 大切な日だった。
私は高校2年が終了する1979年6月8日まで エジプトのカイロアメリカンスクー
ル(正式名称はCAIRO AMERICAN COLLEGE-カイロ市郊外、マーディ地区にある) に在学した。
その学年が 卒業するとき、といっても ほとんどの生徒が入れ替わり立ち代り
だったので、帰国時にあるメモを書かされた。タイムカプセルを卒業の日に作
る、という。
それには 2003年6月8日、つまり高3最後の日から23年後に、この学年に卒業 するはずだった生徒のタイムカプセルを開ける。”何故、23年?2000年に 世界 が滅びず、一息つくころだから!”という文が添えてあった。
17歳の私にとって 23年後は ジョークの世界みたいだったけれど、、何かをか
いたんだろうなあ、と思っていた。
20か国を超える生徒たちの国籍。

中には 革命のリビアを逃れた王子もいた。
余談だが、アメリカンスクールは中学3年から4年間が高校。完全単位制で同じ
年同士でなく、高校9年から12年まではクラスが授業選択のしかたで同じにな
る。
私もよく フランス語のノートを3つしたの9年生から借りたものだ。
同じ学年のクラスは 朝の10分ホームルームでいっしょになるだけだった。
だから 全校のほとんどの子とクラスがどこかでいっしょになり、みな互いをよ
く知っていた。ちなみに この学校は幼稚園からあり、スクールバスでいっしょ
になったりするので、おチビさんの友人もたくさんできた。

2ヶ月ほど前、エジプト人で、この学校に来ていた友人からメールがあった。
”あけたよ、君たちの学年のカプセル!いずみは 折り紙の鶴をいれたんだね
え”という。

そして 不思議なリンク。
だめもとで 私はもう1年位前、ドイツにいる小5の時の初めてのボーイフレンド
だったクリスに手紙をだした。
返事はなかった。
17の時、高2の夏、彼の住むハイデルベルグに遊びに行った。
彼はそのとき 東にいて、顔も知らない祖父母について語った。
”いつか 会いたい”
その後 ベルリンの壁は崩壊した。
私は いつも 彼は おばあさまにあったかな、と、ドイツの話を聞く度に思っ
た。
しかし 混乱の中、彼との連絡は 途絶えた。

エジプトからのメールの直後、私は 彼の父親からのメールを受け取る。
”この手紙は長い旅の末、私の手元に届きました。
こんなことが あるのでしょうか。
あなたの記憶は30年の時を超えてよみがえり、私に奇跡、というものを教えまし
た。クリスは今、アメリカにいます。(中略)そして あなたにそっと教えま
しょう。クリスは今でもあなたが教えた鶴を完璧におれます。そして これは平
和のシンボルと愛だ、といって 友人にプレゼントします。クリスマスには 必
ず 折っていますよ。そして そのとき 彼は あなたのことを 想っていま
す。”

平和のシンボル、鶴、、。

23年前、その学校には 色んな宗教や歴史や価値観をもつ友人たちがいた。

その学校を去る前日、学校でディスコパーティー(毎週土曜日の夜行われる)が
あった。
明日発つから、いそがしいの、という私を”ラストダンスよ!行こうよ!!”と
連れ出したユーゴ人の友人ディアナ。

最後に友人たちのバンドは”ホテル カリフォルニア”を演奏してくれた。
カイロの乾いた空気の中、燃えるような太陽の中、何度この曲を聴いただろ
う、、。これは この時代、このスクールに在学した私達の校歌だった。

そして、、ディアナは ユーゴの内乱の中、兄でこのときギターを弾いてくれた
アレックスを失い、自身は行方不明となった。
”カイロでいっしょだったユーゴの友達が今は敵です。いっしょにバンドをして
いたあの人たちが今は敵なの。どうすればいいの?”という悲痛な叫びを残して
 彼女は消えた。

エジプトの友人に尋ねる。
”何人と連絡がとれるの?”
”50人くらい。残念だね。この学年は、3分の1だ、、。でも、、いいほうなん
だよ、、。”

ホテルカリフォルニアをかけながら 鶴を折ろう。
今年のクリスマスは、、。
山本精一さんの この上なく優しい”福音”を聴きながら、シャンペンではな
く、キリストの血、赤いワインを飲もう。赤い血は、飲み干してしまおう、、。

対立は 対話という無暴力の武器で(キリストのごとく)、理性という特別な素
質を使い(同じ人間なのだし、せっかく人間なのだから)、乗り越えられれ
ば、、。人は 皆異質だが、いとしい、、。涙も笑顔もみんなが持つのだ、、。

子供だったあの頃。
なんとか お互いの歴史や宗教や価値観を知りたいと願った。
わかり合えると信じた。

帰国子女であることに 悩んだことは たくさんあるし、今でも ある。

しかし 英語という、世界の人と話すツールをもてたこと、そして、世界を友人
の存在を感じながら観られることは 帰国子女ゆえだとも思う。だから 伝えた
い。違っても あきらめないで!!!肌の暖かさ、熱い色、同じだから、、。
国際政治は 権力闘争だというなら、私は たおれても 一人になっても その
言葉に抵抗したい。子供時代を 抜け出せないと笑われても。
人はみな 根本では 異質で でも ”自然に悪はない”(アインシュタイ
ン)。
悪は 複雑を思いすぎて、作り出された マインドコントロールではないのか?

ティアーズ!!

掛け声を自分にかけて、血を飲み干し、自分のルーツをみつめる。
一年の終わり。

はからずも 多くの友人を戦火や混乱で失ってしまった私は 彼らを想い、心の
なかで鶴を折りながら21世紀を生きていきたいと思う。
生き残った私は、この 世界からすれば圧倒的マイノリティーの平和と呼ばれる
国で、何がわかればいいのか。どうすればいいか、、。

国境なき医師団の若き医師が ある戦闘が果てしなく続く国を去るとき、別れの
握手をする指揮官にいわれたという。”あなたがたは 自分の国は平和なんかで はないとおっしゃる。でも私は一度でいい、そんな平和でも 味わってみたかっ た。おきをつけて、ご帰国ください。アデュー”。
医師は書く。”その人は 戦争を自らテキパキ指導していた優秀で厳格な指揮官 だった。その言葉は胸にこたえた。今度私がここにくるとき、自分はもう生きて いない、という最後の言葉。お別れ”。

フランス語には通常使用する オールヴァールという”さよなら”がある。

そして アデューは 神のもとで 会いましょう、という意味のフランス語で”
この世ではもう会えない”ときにのみ使用される。




”祈り。 そして 死を 想えーメメント・モり(Latin)”

知人が セクハラ容疑で逮捕された。

そのような感じから 遠い人だったので、耳を疑う。
遠い、というのは、皮膚感覚として そういうタイプではない気がした。

どうしてそうなったのか、、経路や 二人の間ー訴えた女性と彼との間の関係ーがわからないから、真偽はわからないけれど、、。

人間関係は 複雑で、目にみえたり 事実だけでは、二人の”本当”を、断定することはできない。

真実は その二人にしか分かり得ないだろうし、極論でいえば、二人にさえわからないのだろう。それぞれ個々には、想いがあり、それぞれのその瞬間の真実や嘘があっただろう。そして 人は最も言わねばいけなかったことを しばしば口に出せずに終わる。

また 人は色々な面を持つ。とてつもなく恐ろしい衝動をどこかに隠している。
その同じ人が、誰かの一生を支えるほどすばらしい面をあわせもっていたりする。

素敵な恋愛映画を見た後、ふと 考える。
この二人が現実にいて、この蜜のような瞬間の向こうに絶え間ない日常があったらどうなるのかな、と。エンドマークでは終わらないのが実人生。そのなかの一瞬のドラマティック。

思うに恋と人生は似ている。
想像上の素晴らしさと現実に生きるときの大変さ。すれ違う想い。相手にみる幻想と幻滅と それでも賭け、しかし 次の瞬間タメイキをつく。
”一生自分の人生に恋をし続けたい”といったフランスの往年の大女優。あきらめずに 夢をみつつ”けていく意思に圧倒される。
反対にまた 水のようにながされるまま、というのも 悪くない。

ヤヌシュ・コルチャックーナチスドイツに殺された稀代の教育者。
彼が 人生の最後につぶやく。
”ああ、人生ははかない夢のようだ、、”。
偉大な人生を生きた人間の、その言葉の重み。

はかない夢のような人生で、人と人が出会う。
偶然か必然か。
であった事を恨むこともあるし、それでもなお それは自分にしか起こりえなかったスペシャル、と涙をふりきることもある。さまざまな 夢のかたち。

たくさんの電話がかかってきた。
みな 友人の逮捕には 同情的だった。かといって 訴えた人の真実もまたあると思う。

ときたま考える。
人とは何だろう。人間はどうして わかりあえないのだろう、と。
そして 気付く。
自分のことさえわからない。
明日は みえない。

ときたま思いしらされる。
言葉の無力さというやつを。

人間と人生と言葉と感情、そして本能や理性のカオス、&時間!その不思議なコラボレーション、、アドリブの多さ。

小説家・宮本 輝氏が芥川賞の夜に届いた電報について書いていた。
素晴らしい、と思った。
”人間をみる目、いよいよ深く冷たく そして温かからんことをー”
筑摩書房の元編集部長の言葉。
ふかく、つめたく、あたたかく、、。
それは 明日がどうであれ、今、を みつめつくそう、という冷静とともに、人間への”愛”という分けわかんない言葉の奥底の何か、馬鹿にできないな、に、か、が示されているように 私には聞こえた。

友人の人生が ここで断罪されないことを願う。
事実は事実として、しかし、それだけが彼ではないと、彼を知る私は思う。
そして 何よりも ひとくぎりついたら もう一度初心に返って 人生に恋をしてほしい。あなたのこれまでの長くて真摯な人生を知っていて、その手を必要としている人は たくさんまだいるよ。私は冷たく、温かく、君を待つだろう。
私たちは誰でも 生きていれば、訴えられなくとも、きっと被害者であり、何より、加害者なのだ。

”食らわずには生きてゆけない。
メシを
野菜を
肉を
空気を
光を
水を
親を
きょうだいを
師を
金もこころも
食わずには生きてこれなかった。
ふくれた腹をかかえ
口をぬぐえば
台所に散らばっている
にんじんのしっぽ
鳥の骨
父のはらわた
四十の日暮れ
私の目にはじめてあふれる獣の涙。”
 
石垣 りんさんの 詩。 すべてが ここにある。

"祈りと死 PART2"

公開質問状:

などという 生意気なことを ”様々な人を対象にしたHP"ということなので
あえてやってみたいのです。

そして これは 大変なタブーの問題です。

パンドラの箱をあけてはいけないのかもしれません。

でもあえて 臨んでみたいのです。

 このHPを読んでおられる方の中には 右翼、と思想上称されて,カテゴライズされてしまうー好まざるともーという方が 多くおいでだと思います。

私は 現在、これといった思想、宗教をもっていません。

だから 何かを信じることのできる方がうらやましくもあり、また不思議でもあります。

もし 天皇、および天皇制を信じている方で差し支えの無い方、何故自分は信じ、そうなったきっかけは何か、教えていただけると ありがたいです。

反対に 左翼の方には マルクスレーニン主義を。

平和を信じるかた、宗教を信じるかたの 思いと根拠を。

またそれ以外でも 何かを信じて生きる糧にしているかたの 気持ちと理論を。

その人だけの 熱い言葉で、気持ちの根本を知りたい。
自己欺瞞のない 言葉を聞きたい。

私は 何を信じているのか。よく考えると わからない。
多分、今の自分の感覚、感じている事、この瞬間のみのリアリティ。
過去も未来もないここ??

ハンニバル、という映画でも有名になった小説があります。
その中の主人公、人食いで、エレガントで、聡明な学者ハンニバル・レクター。
彼が信じているものがあるとしたら、多分 混沌ーカオスだ、という言葉があります。
いいかえれば 何も信じてなどいない、ということ。

マザー・テレサは偉大だと思うし、尊敬しています。他の人には容易にできないことを成された。
でも、、彼女の行いに感嘆はしても その言葉には どこか 信じるものの傲慢さを感じてしまうのです。祈りなさい、、。でも 私はキリストに祈れない。キリストは私の理想の男性像。でも あくまで 神ではない、私のなかでは。どちらかというと エロティシズムを感じてしまう(すみません!!個人の感覚です)。

では 私は 何に祈るのか。
偉大なるものは 何か。
それは 自分の感じている 何かわからない 真理にむかって。
でもきっと それは 私だけの宇宙にある善悪基準、ルール、のようなものだ。
討たれるほどの 光の向こうにあるもの。それは 確かに 私のなかにある。
だが きっと カオス。
オスカー・ワイルドのいう”汚れの無い真理は存在しない。単純な真理もまた”というような感覚。

昨日、ある方に 自分のとても大切にしてきたものについて 文章を書かせていただいた。
そのとき 過去の”それ”が無意識の果てに沈みながらも 自分の今を強烈なパワーで彩っているのだなあ、と思った。
それを 流してきたのに、それは いぜん 根底で 強く 生き続てきていた。
ある ロックバンドの 残してくれた物の大きさ。

そして先日、私はJAZZを 勉強しているのだが、その先生が タメイキをついてしみじみいった。”あなたは、ロックの人だ、、。”。
ちょっと余興に その先生が好きなツェッペリンの曲をセッションしたとき。
”体のなかにあるリズムがね、完全にロックの世界観”だと。

不思議な気がした。
自分ではJAZZもよく分かる、と思っていたから。
そう告げると”わかる、というのは自分のなかにまだない、ということだよ。
自分になってくれたものは 容易にわからない”いう。

ロックを聴くとき、涙がでることがある。何故か分からない。
昨日 セツナブルースターを下北沢シェルターで観たとき、聴いたとき。
つたない演奏、でもむき出しの優しさ。懸命に何かを求める眼差しの3ピース。
目の前で ベースの島田君が 汗をぬぐう。それは 汗、それとも涙か、、。
その姿に 現代のキリストが瞬時乗り移り、私は祈る。何かにむかって。
この3人と出会えた感謝、この瞬間に。でも キリストが明日を信じるな、といったように 私は怯え それゆえ よりいっそう強く心のなかでひざまずき 味わうのだ。この 極上の、バサラなひと時を。
ー  春はとく 過ぎ行く。せめて 今宵一夜を、、ーと詩ったロレンツィオのように。

私は その瞬間みつける。
死を まぎれもなく信じている自分の心を。
有限が 無限を祈らせるものである事を。

私は知りたい。
あなたは なぜ 何を 信じるのか、。
タブーと知りながら、問いかけてみたい。


 おことわり:電報文はカタカナで書かれていたものを 私の独断で置き換えさせていただきました。また 抜粋です。


アルカイダからだと断定はできないが、”日本がイラクへの自衛隊派遣を決めたら 首都圏を攻撃する”、という声明がでている。
 
政治についての意見は 人それぞれなので 極めて個人的な感想を述べたい。
 
”テロに屈しない”と小泉首相はいうが 一説によれば イスラム過激派は核のようなものを所有している可能性があるらしい。
貧者の核、といわれる生物兵器ももっているかもしれない。
 
日本が原爆の被害国であり、サリンがまかれた国であるとすれば、広告効果は他国よりあるだろう。また オウム事件でわかるようにこの国の警戒態勢はおそまつである。
 
イギリスではブッシュの訪問に ロンドン市長がクレームをつけた。
”ブッシュは 人類を皆殺しにするつもりか”と彼はいった。
 
また 欧米系のジャーナリストは小泉に”小さな援助の自衛隊をだして、国民の大きな命をリスクにさらすのか?”と問うた。
 
今回のイラクへのアメリカの攻撃は なぜはじまったのか。
よく考えて欲しい。
9.11は あまりにも悲惨だ。
しかし この戦いはーほとんどの戦いやけんかの例にもれずー利己主義と自己愛と、誤解から産まれた。
だからこそ キリストは報復を認めなかったのではないか?
果てしないロンドを巻き起こさない為には 許すことが必要な場合が多い。
 
文化の違いと、宗教の違い、言葉の違い、、それらを乗り越えるには忍耐と理解する心がいる。
同じ民族同士、同郷でさえ、結婚すれば お互いの違いに驚くのだ。
まして 異民族である。
 
テロに屈しない、という言葉は 壁をつくるだけではないのか。
話し合うより 暴力に訴えるのは簡単だ。
特に強い側にとってはめんどくさくないだろう。
しかしその考えは そこに生きて幸せを願う人間を虫のように殺す事を肯定する。ごきぶりや ありのように 殺虫剤をかけるのだ。いらないもの、うっとうしいものとして。ナチスとかわらない。彼らもまた 正義を掲げた。
 
日本の誇る哲学者の一人に 井筒 俊彦先生がいる。
小泉首相は彼が訳した”コーラン”を読んだことがあるだろうか。
理解しあうためにはもちろん、敵対するならなおさら、相手をしるべきだろう。
あのテロリストたちは イスラム教の原理主義者たちなのだから。
 
”敗者もなく 勝者もなく”(曽野 綾子著)
”砂の文明、石の文明、泥の文明”(松本 健一)
の二冊もよい文献だと思う。
 
そして つまらなく ばからしい今の政治状況。
しかし 監視していくことをあきらめたとき、私たちの現実は 9.11のような非現実といれかわる。
政治は 遠いものでなく、すぐそばにあるブラックホールだ。
正義の顔をした 悪魔が誰か、情報を集め、分析し、見極めていく意思をもたないと、我々は”テロに屈しない”という美句に押しつぶされるかもしれない。
 
キリスト教の新約聖書の黙示録には 二人の666−悪魔の兄弟が 世界を破滅に導く”と記されている。
それは 誰か。
許す心だけが その状況を救うのではないか。
キリスト教国の理性をぜひ小泉首相には促していただきたい。そして 日本は和を尊ぶ国でもあるのだ。水にながせる おおきな心を伝えてほしいものだ。
        

”火車”
今回のスタートは、アンケートとリンク。
先にあげたのは 宮部みゆきさんの小説名です。
 
文字通り、クレジットで買い物をしすぎて火車になってしまう女性の話。
そして 解説に”オウム真理教には 多重債務者がたくさんいた”とあった。
 
編集長の後記に、オウムの中川氏のことがのっている。
私も 知り合いがその仲間のひとりとして 刑務所にいる。
その人は かつて素敵な人だった。
まっすぐで、真摯で、優しかった。
彼の名をサリン事件や坂本弁護士一家殺害事件で聞くたびに、彼の胸ぐらをつかんで問い詰めたい気がした。
あんなひどいことをする彼を、悪魔だね、と友人がいった。私がその人と友達だったなんて彼女は知らない。
 
なにわ金融道のドラマで”金がからむと人は変わるで。だます、逃げる、、”という金融屋のせりふがある。
 
火車地獄のなかでは、人は自己防衛のために何でもできてしまうのだろうか。
 
そういえば オウム問題がとりざたされていたころ、”何故 人を殺してはいけないか”という論議が若者と作家や大人のなかでかわされた。
これは 究極の問いのひとつだろう。
私も ある若者に尋ねられた。
 私は 昔、魚がさばけなかった。怖かった。とびでる内臓や血が。浮遊した魂も(笑)。−いや、これは案外大切な感覚なのかもしれない。魂への畏れ。
でも そのうち 慣れた、、。
もしかしたら、、慣れてしまったら、、自分や愛する者を守る、という大義名分があったらどうか。
 
ぜったいしない、とは言い切れない、と答えた。そのとき あのかつての虫も殺さない青年の面影を思った。人は 自分でもわからぬほど複雑だ。
 
火車のなかで 人の最後の決断をわけるものはなんなのか。
 
もうすぐ 2004年がやってくる。
かつて 日本人はみな1月1日をもって一つ年をとった。
死に一歩ちかずく日。
 
人生は修行である、とこの国ではいった。
親鸞、空海、道元、、いろいろな信仰があった。
煩悩をやきつくせ、、心頭滅却すれば、火もまた涼し。
 
かごめのうたが 路地から消えた。
人は常に苦や煩悩や死と隣り合わせで生きている。
だからこそ、今がいとしい。一期一会なのだ。
 
除夜の鐘の荘厳な響き、火の上を走る僧侶たちの映像。
生と死両方への祈りを 私たちはその夜、抱く。
昔人とかわらぬ何かが、この儀式にはある気がする。
            12月に思う、、エモーショナルXよりいでるもの。


”酔う”
”ゲーデルの哲学、不完全性定理と神の存在論”(高橋昌一朗著、講談社現代新書)は酔えました。。
狂人と天才は紙一重、といいますが すごい。
質問:1いずれかの日にテストを行う。2どの日にテストを行うかは、当日にならないとわからない。
授業は月から金まで。
金曜の朝教授が”テストをする”という。
学生1がいう。”テストは不可能です。昨日までテストがなかったのだから、テストが今日行われるとわかる。これは2の論理に反します”教授いわく”でも君は今日、行われないと信じていた。だからこの理論は成立する。”それに対して、学生2,3が反論していくと、この議論は永遠に続く、、。
論理というものが 私達が日常考えているような生易しいのもでないことがわかる。
そしてこの時代、あたかも芸術におけるルネサンスのように 数理哲学や科学界に天才がでた。
アインシュタインの晩年の楽しみは このゲーテルとの散歩であったという。
 
音に酔う。
私は このところ ROVOの勝井祐二さんのバイオリンを聴くと、体中のDNAが音とともに入れ替わる気がする。
先日、新・仁義なき戦いのサントラに参加されたドラムの外山明さんとのデュオを聴いて、ROVOの2003,5・5日比谷野音のCDを聴いて、、この頃常に 二日酔い??
 
飲み会で一番よく覚えているのは 昔 横浜三渓園で行われた野村先生とのお花見。
桜が本当に美しく、花びらがときおり舞って 酒を染めた。
蜷川さんの笑顔が忘れられない。先生のうれしそうな声、、。
 
そして 沢木耕太郎さんとバーボンを飲んだ日。
”ストレート、ノーチェイサー、、僕の好きな作家がね、バーボンの向こうには麦畑が見えるといったんだ”
 
阿部勉さんも寄られた文壇バー詩歌句。
憧れの歌人、伊東聖子さんがやっていたお店。
今の私は ちょうどあの頃の聖子さんと同じくらいだ。
いつも純粋でストレートなアドバイスをくださった。厳しく優しいあの方は 今、幸福だろうか、、。そうであってほしい、とせつに思う。飲み過ぎそうになるとコーヒーをだまって置いてくれた。最後にみたのは 若い恋人の将来を慮って別れをつげる電話の後姿。私は そっと店を後にした。女、というものの凄さに酔わせてくれた人。
 
阿部さんは いつも さりげない優しさで酔わせてくださったっけ、、。
 
夜ー42にもうすぐなるのだから、その365倍くらいの数の経験。
そんななかで 私は何度くらい酔ったのだろうか。
言葉や思想、音に、夜桜や雨に 酒に、そして人や 特別な思いに。
ケの日のなかでも、思い出の引き出しをあけると、心は涙色やミラクルにそまり、ひとしれずハレとなる。
 血液に 違う物質がまざり、私は再生するのだ。
 
               酔った夜へのエモーショなるX  2003


"左翼は理論ーマルクスレーニン主義だが、右翼はエモーションだ”
と野村先生は語られた。
 
先日行われた群青忌で上映されたビデオ。
そのなかで先生は,60年安保のリーダー唐牛健太郎氏へのシンパシーを述べられていた。
 
今から20年も昔、私は唐牛さんと飲み歩いた時期がある。
孤独で 優しい方だった。
うかつにも亡くなるまで、彼がそういう過去を背負っていることにきつ”かなかった。
”電話、こないな、、”と思っていた矢先、ふと見上げた車内刷り広告。”60年安保のリーダー唐牛健太郎死去”の文字。
 
もう一人の知人、藤本敏夫さん。
彼は 鈴木邦男氏の友人でもあった。
70年学生運動、三派系全学連のリーダーだ。
”運動で人生を変えた同志への責任がある。
僕は運動をこの国の農業に昇華する。日本人は農耕民族だ。しかし、今、この国の農業は死にかけている、、”
と語り、無農薬運動を推進した。
しかし 彼もまた 運動については 何も語らず、逝かれた。
 
日本人は理論そのものではなく 人に啓蒙され理論に向かう。欧米人とは基本になる自我形成の仕方が異なるためだ、と岸田秀氏は”幻想の未来”で述べる。
マルクスレーニン主義を根本におく左翼思想のなかで、お二人は何を感じられたのだろうか。
 
野村先生は語りつくそう、とされた。
わかってもらえなくとも 誠実に 精一杯語られた。
最後の肉体言語においても 命をかけて 訴えようとなさった。
示す事、語り合う事、違ってもいい、その差異を認めて自分も自己の限界を超越するのだ、と言った。
 
今 おめにかかる、あるいは再会を果たした野村先生のそばにいた方々はみな暖かく、思想が違ってもそれだけで相手を拒否しない。
それは根気と忍耐とおもいやりのいる作業だ。しかし 投げ出さない。逃げない。
その姿勢は 先生が生き様の中で日ごろから示していた優しさの色と同じだ。
 
せつない、という言葉は日本人独得の感情だといわれる。
 
今はもういない3人のリーダーの人生は いずれもエモーショナルでせつなく美しい。それぞれが きっと何かを、誰かを啓蒙し、自己を超越したのだろう。
 
思想はちがっても それぞれが、日本の将来の事を思って闘った。
この人たちがいて、後に残る者たちが何かを受け継ぎ 未来をつくるのだ。
 
日本人は素晴らしい。他国の人も文化もそれぞれにまた、、。
違う思想にぶつかった時、語りつくし、互いを知ることをおそれるな。そこから 始まるものもある。同じ匂いのものとは同志になれる、しかし 違うものとはよき勉強相手になれるだろう、、。
野村先生は稀にみる、 グローバルな目をもつ思想家だったと思う。
 
           11月3日18時2分のエモーショナルX


エモーショナルXとは 深層心理の底から3つ目、、つまりAからZ間の Z少し手前です。素粒子前の原子?
 
またXには、”名無し”、数学的には まとめて置き換えてシンボライズなどの意味が、、。
そして我がX JAPANも。
ピック2ハンド(P2H)には 2002の1月27日、Xのフィルムギグで出会いましたっけ、、。
 
出会いは最高の財産。
何かや誰かと出会い、何かを知り、何かが変わる。多分emotionalXあたりが。
表面の人の心は動き続ける。
でも XYZあたりは 心のDNAのような気がする。
人の匂いとか血の色は ここらできまっているような。
 
年をとって好きなものは、若かった時に好きだったものの香りをまとうらしい。
途中で興味から離れていても、、。
 
”蝶々の纏足”のラストは痛くてせつない。
一度はつながった友情が壊れ、もう取り戻せない時になって、相手にもまた心があったと知る哀しみ。
 
時のなかで 情感は再生するのか、ロンドのように戻るのか。
昔 感動した言葉。
”地球は丸い。二人の人間が歩き出せば必ずまた出会うだろう。”
夢の中で、思い出の中で、現実のなかで。
 
縁というのは 超現実的だ。
               10.26.2003,14:12のエモーショナルX