Haute-Route

 「オートルート」とはヨーロッパアルプスの谷をめぐるスキーツアーコースのことで、「高い道」という意味です。アルプスの地形図にはこうしたルートが縦横に記載されており、フランスのシャモニからスイスのツェルマット、そしてさらにザースフェーまで、様々なルートをとることができます。私と相棒はシャモニの山岳ガイドのフレデリックとともに'94年にシャモニ〜ツェルマット間を走破しました。その時の記録です。

 順を追って読んでいただいても結構ですし、Mapのページから各ルート上のエピソードを読むこともできます


[3/26,27\28\29\30\31\4/1\2\3\4\5,6\Map] 


'94.3.26 神戸からシャモニへ

 4時起床、とても長い一日が始まる。三宮までカミさんに車で送ってもらい、電車に乗った。JALで伊丹から羽田へ、そしてリムジンバスで成田へ移動となるのだが、チューリッヒ空港飛行機に預けたスキーを受け取ったのが随分遅かったので、バスのチケットを買うのが遅れ、危うく乗れないところだった。キャンセルされたチケットをやっと手に入れ、ギリギリの時間に成田に着いた。あとは延々と続く空の旅。およそ14時間だが、西に向かっているので、チューリヒに着くまで陽は高かった。そしてジュネーブ、迎えのバスでシャモニに向かう。車窓から仰いだ月は満月で、白い山々を青く照らしていた。

  3.27 シャモニ滞在、バレー・ブランシュ滑降

シャモニの教会 昨夜寝たのは1:00だったが、目が醒めたのはまだ5:00だった。とても疲れていたはずだが、これが時差ボケというやつか。考えてみれば日本では午後2:00に当たる時間なので眠れないのも当然かもしれない。今日から当地ではサマータイムという事になり、昨日よりも時間は一時間早まっていた。道理で夜明けが遅い。疲労回復と時差ボケ解消のため、7:00までは目を閉じていた。

 7:30の朝食後、パイオペルタン・マーケットでビスケットやスニッカーズ、パンなどを買って、スネルスポーツで地図を手に入れ、ロープウェイ乗り場に向かう。今日はエィギーユ・ド・ミディ3840mに登り、バレー・ブランシュを滑ることになっている。お世話になる神田さんはサバサバした人物だった。あとでAig.de Midiガイドのフレデリックに紹介されたのだが、神田さんは彼ととても流暢なフランス語で喋っている。フランス人に対していささかの隙もない・・・といっては変だが、むしろ横柄なくらいのしゃべり方だった。フレデリックは落ちついた感じの好人物であった。英語で彼と話すことになるが、しばらくすると徐々にそれに慣れてきたようだ。ただフランス語は皆目分からない。今日は大変な人出で、フレデリックも驚いていた。

 エィギーユ・ド・ミディからの眺望は抜群だった。モンブラン、グランド・ジョラス、シャモニ針峰群、そして遠くには明日から目指すマッターホルン、果てしなく続く山並み。空は青く、雲一つ無く、Mont-Branc我々をにこやかに歓迎してくれている。そして雪は昨日の朝降った新雪で、気持ちのいい滑りになりそうだ。だが、そう思ったのも束の間だ。たちまち何度かの転倒を経験することになった。

 フレデリックは混雑を嫌ってか、我々の脚前を試そうと思ってか、やや急な方に我々を連れていった。ときどき雪崩の音が不気味に響く。フレデリックは危険箇所では休まずに早く降りるように言うが、なかなか息が続かない。高度のせいか心臓が忙しく打っている。下に降りるほど雪は扱いにくく、我々はどんどん疲れていった。エギーユドミディにてやっと一息つけるプラトーにたどり着いた時には、自分の無力さを痛感させられてしまった。

 小休止の後はクレバスの横たわる氷河の滑降だ。くぼみへ飛び込んだり飛び出したり、なかなか忙しく、しかし楽しい滑りである。所々に緑色の池が点在して美しい。はじめての経験だが、スキーに乗っているうちに、あっという間にすべては過ぎ去っていった。途中から雪が切れるので、他のスキー客はモンタンヴェールから登山電車で下山しようと並んでいたが、Vale Blancheフレデリックは「2時間待たなければ乗れないだろうが、それはばかげている。歩いて降りれば1時間だ。」と僕達の同意を促して降りはじめた。シャモニまで3分の1くらいはスキーが楽しめ、僕としては嬉しかった。それに明日からのことを考えると、これが無くてはならないトレーニングだったかもしれない。

 夕方、スネルスポーツで神田さん・フレデリックと、明日からのオートルートの打ち合わせをする。フレデリックは我々が下降だけでヨレていたのを心配しているらしく、荷物を最小限にするようにアドバイスされた。

 さて夕食だが、フレデリックにおしえられた「アトモスフィア」というレストランでディナーを食った。しかし英語の怪しい僕達と、シャモニの街やはり英語がよく分からないウェイトレスとの間に数々の誤解が生じ、また支払方法のわからない僕達とウェイターとの間にもトラブルがあった。全部で147フランだったのだが、フランスではこういう場合150フランをテーブルにおいて席を立つもののようである。わざわざおつりを持ってこさせたのでウェイターは怒っていたようだ。店を出るとき甚だ不愉快であった。「礼儀を知らない日本人、すなわち田舎者」であるという態度が露骨に感じられた。


続きを読む      ホームページに戻る

[3/26,27\28\29\30\31\4/1\2\3\4\5,6\Map]