1. 御嶽マラソン 1997.10/10 4. チャレンジ富士五湖100km 2000.4/22
2. 大阪府チャレンジ登山マラソン 1998.4/12 5. 作州・加茂郷マラソン 2001.4/15
3. 夢高原かっとび伊吹 1998.8/2 6. 熊野古道マラニック 2004.8/14/15/16

1. 御嶽マラソン(1997.10/10)
 10月9日、島さんと大阪から急行に乗り4時間で飛騨小坂(おさか)に着。岐阜県小坂町は御嶽登山の入り口で静かな町だ。同じ列車で降りた京都のランナーと3人で昼食をとりながら、しばしマラソン談義。この人はウルトラまでこなすサブスリーの強者だ。すぐ近くの役場に行きマラソンのゼネラルドリンクの内容などを聞いていたら選手受け付けをしてくれた。役場の貸自転車でマラソンコースを3人で下見。10キロ地点近くの大絶壁、がんだて峡などを見学。夜は民宿でスペシャルドリンクの作製と時間配分を机上の計算。3時間40分で完走できるデータを時計にインプット。ゼッケンをつけている時にOSAKA快走クラブのOSAKAと小坂がまったく同じスペルであることに気がつき大笑い。快走クラブのランシャツではまるで地元のランナーだ。
 大会当日、快晴。小坂の最低気温は3℃で太陽が上がっても寒い。スタート地点である役場の駐車場はスタート15分前からコールがあり緊張感が高まる。
 フル男子は200人強で他に15キロのレースもある。フルになって6回目だが大会は33回目で運営はしっかりしている陸連公認レースだ。  8時半スタート。10キロまでは押えるつもりなのでゆっくりと走り出したが島さんは調子が良いのか飛び出して視界から消えた。5キロ地点でようやく島さんに追いつく。島さんと並走して8キロ地点の折り返しで順位 を数えたら26位。遅いのに思ったより上位だ。トップとも5分差しかなく、全選手がこれから始まる果 てしない上り坂に備えているようだ。ここまでは緩やかなアップダウンで予定通 り10キロを45分で通過。11キロから上り坂で15キロまで200mの標高差だが割合楽に行けた。しかし島さんはすでに後退。ここで昨日知り合いになった京都のサブスリー氏に追いつくが足が重い様なので追いこして先を急ぐ。20キロまでは更に400mの上がり、最も急なところだがキロ5分40秒で何とかクリア。すでに標高は1000mを越え、空気が冷たいので日なたを選んで走る。
 25キロまでは240mの上がりだが我慢。25キロから35キロまではアップダウンの繰り返しでペースが上がる。右手には深さ400m近くの大渓谷が続き、しばし苦しさを癒してくれる。しばらく走ると眼前に雪を頂いた御嶽がせまり標高はすでに1500m。  そして35キロから40キロまでは350m上がる最大の難所だ。やはり上り始めたとたん足が上がらなくなり歩き出す。ここからの5キロは走りと歩きの繰り返しで31分半もかかってしまった。残り1.5キロからは下り、地獄に仏とは正にこのことでペースも上がり順位 を何とか死守できた。そして総合12位、3時間35分でゴール。まず思ったのはあんなに歩いたのに何で12位 ?。一時は11位にまで上がり10位の背中も見えたが残念な気持ちはない。10位 入賞と副賞の飛騨牛は逃したが26位からの14人抜きは実に楽しかった。ペースが遅いので並んだ時に、ほとんどの人と世間話しを交わしながらの行程だった。11キロから競り合った群馬の青年は5000m17分の記録を持っているが初マラソン。2分遅れの13位 に入った彼も満足気だった。
 しばらく顔を見なかった島さんがかろうじて4時間を切り40位 でゴール。京都のサブスリー氏は更に5分後姿を現わした。この大会には温泉のサービスもあり、群馬の青年も誘って4人で濁河(にごりご)温泉の露天風呂に行ったら何と混浴。おばあちゃんに続いて若い女性がタオル1枚で入ってきた時には一同にんまり。(女性ランナーには室内風呂もあり、混浴は女風呂工事のためでこの年のみ)更に、ホノルルマラソンの抽選会もあって弁当まで付く。帰りはバスで出発点の役場まで1時間20分もかけて送ってくれた。この区間は路線バスだと1時間45分で2000円もかかる。 このマラソンはパンフレットに「日本一ハードな山岳マラソン」とあるが、走ってみて「ハード」は誤りのような気がする。下りが少ないので足へのダメージが少なく、全体にペースが遅いので走り終わった後も疲労感は少なかった。何よりも御嶽を眺めながら走る御嶽パノラマラインは絶景で最高の贅沢だ。毎年連続で参加するランナーが多いのもうなずける。来年は帰りの荷物がたぶん増えるので大きなバックを用意しよう

 
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