2回に分けて、金大フィルのチャイコフスキーを集中して採り上げてみる。(次回はチャイ5)
チャイコフスキーは、日本人には非常に人気がある。美しいメロディや、迫力いっぱいのオケの鳴りが楽しめる。アマオケでも定番のレパートリーで、ある程度の演奏者数が揃えば必ず演奏候補に上がる人気作曲家である。特に、金管楽器に一定の実力があれば、この方面からの支持から選曲されることが多いだろう。金大フィルにおいても、ベートーヴェン、ブラームスを一通り征服した後(70年代前半)、満を持して登場したのが、79年の佐藤功太郎氏の「チャイ5」だった。
「悲愴」は弦楽器奏者にとっても管楽器奏者もとっても十分に満足できる、やりがいのある名曲である。金大フィル最初の「悲愴」への挑戦は、1982年(42回定期)で、堤俊作氏との初共演の演奏会であった。残念ながら、自分は、聴く方の側であったが、厚生年金会館の劣悪な音響にもかかわらづ、鳴りに鳴った演奏だった。演奏は全体にすっきりとした調子だが、あちこちで、堤氏独特のはったり、仕掛けが聴ける。
特に3楽章のバスドラは、ゲネプロで初めて聴いた時、ぶっとんだ。また、そのバスドラ奏者が大役者で、視覚的にも十分楽しむことが出来た。バスドラはこんな音を出せるのだということを、生まれて初めて知った。自分は、練習時のやり取りなど知らないが、恐らく、堤氏が、もっと! もーっと! もおーっと!と御指導されたことは想像に難くない。このバスドラ奏者に、ヴェルディ「レクイエム」の怒りの日を叩かせてみたいものだ。
堤氏のこのような一種の張ったりは、批判的にも言われるが、私は支持する。お上品なチャイコフスキー、燃えないチャイコなど○○食らえ!堤氏とはチャイ4,5を一緒に演奏することができたが、勿論大ファンだ。
1楽章の展開部クライマックスも、お聴きただこう。堤氏をして金大の金管はうまいよ!と言わしめたのは、この演奏なのである。
3楽章のバスドラ乱れ打ちに、さすがに客席から思わず拍手が出てしまった。4楽章でも、フライング気味の拍手が・・・、堤氏は、抵抗した。難しいものである。
2回目の「悲愴」は、7年後の1989年(49回定期)である。金氏の登場である。金氏が登場して3年目の演奏会であった。あのマラ5の1年前でもある。観光会館の演奏なので、響きは81年よりもかなりマイルドである。CDの音は録音が新しい割にはあまりよくない。マイクのせいか・・金さんの音楽作りも、どちらかと言えば端正な方である。
1楽章の最終部分、Clソロそして金管コラールのピアノは見事だ。2楽章、チェロはおそらくに81年より上手い。マラ5やブルックナー7番に引き継がれている。3楽章、勿論、バスドラは大人しい。金管の音は金管セクションとして結晶化がちょっと足りないか・・。81年と比較はちょっと酷かもしれない。
4楽章は、88年の方が見事。破壊的な音とともに、破滅の最期のクライマックスへ、最期に、最終部の沈み込んでいく音楽は、客席の拍手を許さなかった。感慨深い演奏・・。
シンフォニーから少し離れてみると、金大フィルにおけるチャイコフスキーの実質的初演は、第39回定演の「白鳥の湖」組曲だった。これは、こちらに詳しい。当時の看板Tp奏者O氏の卒業演奏だった。史上最強のTpパートをお聴きいただきたい。
管弦楽曲をもう一つ。84年の「ロミオとジュリエット」から。ロミオとジュリエットは選曲会議で現れては消えていった曲。第9回サマコンで、初登場と成った。これは自分自身も演奏した。肝心かなめのところで、大外しをやったので、思い出深い。そこは、別企画(私、ここで外しました)で紹介するかもしれな。うまくいったところだけお聴き頂く。さすがにAllegroJust弦の高速のパッセージはスリリングだ。
このロメジュリをその夏の能登地方への演奏旅行へ持っていった。輪島の小学校だったよう気がする。コーダに入る前の激しい追い込み、そして、クライマックスでのティンパニの連打がデクレシェンドして、沈黙。再びティンパニの最期の鼓動が始まろうというそのとき・・・・・。
コッケコッコー・・・・・・・・。・・・・・・・。 んっ。 そして、その夏は・・・終わった。
最後の昇天の音楽をもって、この特集を終わることとする。
次回は、「チャイ5」の徹底比較の予定。
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