最終更新
01/2/14
  
 
 堤 俊作氏

右写真は、第43回定期演奏会プログラムより
第42回 82/1 悲愴ローエングリン 他
第43回 83/1 マーラー「巨人」 未完成
第44回 84/1 ブラームス3番 わが祖国
第50回 90/1 マーラー 5番 他
俊友会オケHP
堤俊作氏
 
堤俊作Q&A
(第42回定期演奏会プログラムより)

Q:こんにちは、金沢にはよく来られるんですか?。
A:いや,そうでもないよ。この前来たのは、76年の6月だから今回は5年ぶりだね。その時は観光会館で白鳥の湖をやったんだ。(注:東京交響楽団、東京バレエ団)
Q:さて、しょっぱなからぶしつけなことをお聞きしますが、音楽家になろうと思ったきっかけは?。
A:小さい頃からバイオリンを習ってはいたんだけど、あんまり熱心じゃなかったんだよね。小6の時に、江藤俊哉さんのソロでメンデルスゾーンのコンチェルトを聞いて、すごく感動しちゃってそれから一生懸命バイオリンをさらいだしたんだ。
Q:堤さんはコントラバスをひいておられたんじゃないですか?。
A:うん、15の時に斉藤秀雄先生のところへ、指揮者になりたいといって相談にいったら、「バイオリンは音符の玉が多いから暇がない。コントラバスは少ないから指揮の勉強もできるよ。」とだまされていわれたとうりコントラバスを始めたんだ。そのおかげで、東京中のオケのトラに行って、いい指揮者、悪い指揮者の下で、いろいろ勉強できたよ。中でも、ケルテスとマゼールはすばらしかった。
Q:現在は指揮者として活躍されているわけですが、今までに楽しかったこと苦しかったこと等ありまし
たらお願いします。

A:楽しかったことよりも、シティ・フィルを創ったばかりの時は本当に苦しかったね。お金のこと、仕事さがしなど、1人で指揮者とマネージャーをかねているようなものだったからね。
Q:指揮者に一番大切なものは何ですか。
A:ズパリ、統率力。少々の音楽性よりもはるかに大切だね。
Q:では最後に、金大フィルの印象を一言。
A:早く団員とうちとけることができたんでうれしいよ。演奏面では、譜面にとらわれすぎて融通がきかないね。もっとフィーリングを大切にしたらどうかな。今後とも長くつきあいたいオーケストラだね。
どうもありがとうこざいました


堤俊作氏 談話
(第43回定期演奏会プログラムより)
 今回、堤さんにインタヴューをしようと思いましたが、インタヴューだと内容が硬くなるし、YES、NO、という答えを言わせられるのはお好きではないと言うことなので、みんなとの雑談の中から拾い出してみました。
「団員」:金大フィルが他のオーケストラと全く異なるところはありますか?
「堤氏」:「あるね、まずここの特徴として、1番うまいのは金管セクションだね。金管はうまいよ。まあ去年の悲愴のときはうまかったよ。そういう点が遺産になっちゃいけないな!まあもうひとつ、他と決定的に違うところがある。ギャラが安いこと。ワッハッハ」
「金沢はお魚が何を食べてもおいしいね。うんまあ、(金沢じゃないけど)輪島の朝市で買って食べた甘えびが、石川県で食べたもので一番うまかったよ。うん、酒かい。僕は焼酎が1番好きなんだよ。うん、イモ焼酎。でも九州の栗焼酎が1番うまいと思ったね。あれが最高だよ。」
「堤氏」:「あのね、まず、あの厚生年金会館のホールの音響はひどいよ。日本全国で悪いほうから数えて何番目と言うホールだよ。これは是非書いてほしいな。金大フィルはさあ、ずっと使っているんだろう、それにね、やっぱり金沢市民がみんなでね、あのホールの音響を改善させることくらいの運動をしなくちゃ。」(今回はこの話もあって、堤さんの指導により楽器の配置を変えました)
 「堤氏」:「あのねえ、俺が共感を持つ音楽家ね、2人いるんだよ。1人は、クナッパーツブッシュ(指揮者)、もう1人はね、プロコフィエフ。あの人は作曲するときにね、「これはどんなにクラリネットがさらっても(練習しても)吹けっこないんだ。」とか、「ここのオーボエはどこで息をとったら良いか分かんないぞ。」とにこにこ笑いながらするそうだよ。彼のヴァイオリン協奏曲は1,2楽章は普通の協奏曲なんだけど、3楽章はオーケストラがメロディーをやるんだよ。で、ヴァイオリンのソリストはものすごく難しいんだな。だから一生懸命さらうだろ。でも本番の時には、オーケストラのメロディーにかき消されて聞こえないんだよ。全部水の泡ね。」
ここで、コントラバスの話になった。堤さんはコントラバス奏者でもある。
「堤氏」:ああ、俺のコンバス売っちゃったよ!うん、車買いたかったから。」
「団員」:「あれ、でもこの前楽器を買われたとか・・・・。」
「堤氏」:「うん、その後また買ったんだよ。バカだねえ。俺って、」「コントラバスのソロかい?コントラバスのコンチェルトなんてやっぱりどっか無理があるよ。コントラバスはソロ楽器じゃないからね。まあ、コントラバスだと、サン・サーンスの「動物の謝肉祭」の象ね、あれが人前で出来れば一人前だよ。しかし、今日はまじめな話がでないな。ひどいよ、これでいいの?」
「団員」:いいんじゃないですか、これで。」(笑い)「金大フィルの演奏面以外は?」
「堤氏」:金大フィルのコンパはひどいよ。あんなの、俺見たことないよ。本当だよ。本当にすごい!信大より、鹿大がすごくて、鹿大より九大がすごかったんだけど。金大へ来たら、あんなの比較じゃないからね。とにかくすごいよ!」


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 堤さんの横顔
(第43回定期演奏会プログラムより)
  

 堤 俊作氏(堤さんと、私らは気やすく呼んで居るのですが)と飲みに行く。まあ、堤さんが稽古をつけに金沢に見えられる時は、大抵、片町界隈へ飲みに出る訳ですが、これが何というか、まああまり変わった事もない訳ですね。行く先は、いっもの○判×判でありまして、この座敷に十数人がぞろぞろと入り込みまして、堤さんを上座にお膳を囲んでズズズ、ドドド、とまあ並ぶ訳です。するといつもの様にビオラのK君とかヴァイオリンのS君とかが「先ずビ−ルと、ええと、これ、あれとこれね、ああこいつもももらおうかな!」てな具合で注文を始めます。やがて堤さんが上着を脱いでいつもの様にTシャツとGパン姿になった頃には(夏冬を問わず大抵堤さんはこの出立で金沢に来ます。)「お待ちどう様でした。」と突出しの品と汗をかいたビ一ルが皆の目の前に順々に並べられまして、散々絞られた人と絞った人はそれぞれに渇いた喉と熱い視線でもってそれらをジイッと、まさにジイッと眺めて居るのですが、「いや まあまあどうぞどうぞ オット。」てな具合になりまして、「そんじゃま、お疲れさん 乾杯 グビグビ プファー ひゃ− ウメー。」各自おいしく頂く訳ですなぁ。ふとこうあたりを見廻しますと、いやいや、これが又いつもの様に露払いのオーボエのF君と太刀持ちのファゴットのP君が横綱堤さんの左右を固めておるんですなぁ。他の連中は、とこう目を移しますと、これがむさ苦しい男ばかりで女の子は一人も居ない。 いや、またまたこれもいつもの事なんですねえ。まあ他に話題もないし、女の子も居ない事だし、そんじゃまあ、てな具合で始まる訳です。エッ何かって、いやその猥談ですが。いつもの様にですよ。ね、 いつもと同じですね。堤さんを迎えての酒宴は、常に一定の状況とパターンとを踏襲していくという厳粛さの中で確実に盛り上がり、堤氏の、ある時は深く、ある時は音楽的で、そして確実にその大部分は何がしかの桃色指向を伴った話に、顔を火照らせ、苦しそうに身もだえし果ては狂気的笑い声を上げたり、ビールにむせながら,我々は注思深く、熱心に、メモを取りながら、何て事はしないけど、聞き入るのであります。
                                                某チェロ奏者
  
  練習場に入った瞬間、私は圧倒されてしまった。いつもの堤先生とは迫力が違うのだ。今にも折れんばかりに振られる棒、ある時はすくと立ち上がってゲキをとばす…。 昨年の1月4日、名古屋市立大学のオーケストラの練習を見学に行った時のことだ。金大フィルと堤先生との付き合いも2年目となったが、我々が練習であれほど激しい堤先生を見たことはなかった。 練習の後、名市大の面々と食事に行った時の先生はいつもの穏やかさに戻っていたが、その時は僕の方が緊張してしまった。 堤先生とは、もう一度名古屋でお会いしたことがある。一昨年の8月のことで、この時に正式に先生との契約を交わした。先生が午前中の電車で名古屋駅を発つという朝に、ホテルへ伺った。朝食をご一緒し、簡単な契約書を取り交わしたあと、先生は部屋に戻られた。私はロビーで待っていた。が、なかなか降りてこられない。15分前になり10分前になっても気配すらみられない。私の方が落ち着いていられなくなる。5分前になって、ようやく姿が見えた。「先生、電車大丈夫ですか。」あせる私とは対照的に、先生はゆっくりと時計を見て一言、「次ので行く。」堤先生には、こういった親しみやすいところがある。
                                                  元 団長
  
  堤氏が初めて金大フィルに来られたとき、接待を命じられました。そのとき、ある先輩曰く、「去年石丸(寛)さんはコーヒーが全くだめだったらしいから、堤さんはどうなのかあらかじめ聞いておく方がいいよ。」それで調査の結果、コーヒー党だということで、安心して生協のインスタントコーヒーを出しました。
二度日の来沢の際−おもむろに、「ここのコーヒーはまずくてねぇ‥・‥・。」・・・・気まずい…。コーヒーはそれっきり出していませんが、気まずかったことといえばもうひとつ。練習が長びいて、入れた紅茶がさめたので、もう一度同じティーバッグで入れなおして出したところ、堤氏、一口飲んで、「きみ、これ出がらしだね?」が−ん‥‥‥見破られてしまったのでした。それ以来、今度は何を言われるかと、内心おびえている今日このごろのお茶係です。これに限らず、堤氏のロからきつい冗談(?)が聞かれるのはしばしばのようです。しかし、そのことがかえって、団員との心を許し合ったつきあいを通して、我々の氏への信頼を深めていくのではないかと思うのです。
                                               接待係のYさん


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堤氏談話 44回定演より
第44回定演プログラムより 堤氏談話



堤氏のお話より
(40周年記念誌から)


   私と金大フィルとの出会いは第42回定演での「悲愴」だったね。その後もマーラーの1番、プラームスの3番と3年間、金大フィルを指揮したわけだけど、その間にはバレエの公演で2度ほど演奏して、好評を博したりと、当時の金大フィルは評判もよく、名実共に高レベルのオーケストラだったと記憶している。
 だからといって、その3年間が特別だったわけじゃなく、初心者だって大勢いただろうし、団員の数だって限られていただろう。それでもそれだけの演奏が出来ていたんだよね。
 私はその3年間口うるさく、1度注意したところは、次回までに必ず練習して直しておくようにと、厳しく指導していた。そして彼らはそれに十分に応えてくれていた。
 私はこう考えているんだ。ぬくぬくとした練習で甘やかされたオケは進歩しない。通り一遍だけの練習、またただ流すだけのなかで曲を作っていくのでは、本当の意味でオケは良くならない。一回一回の公演ではそれなりに何とかまとめることが出来るかも知れないけれども、そのオケに何かを残していくことはとうてい出来ないだろう。確かにそのような練習は居心地の良いものであるかも知れないけれども、オケには真の実力というものはつかないと思うんだ。そういう意味では、甘やかす指揮者というのは、とりわけアマチュアには向かないと言えるかも知れないね。

 堤俊作氏
  学生オケに指揮者を呼ぶ場合、2通りの考え方があると思うんだ。つまり「厳しさを追求したうえでより良い演奏を目指す」のか、「和気あいあいと楽しく演奏したい」のか、ということなんだ。しかし、本当にオケのことを思い、実力をつけたいと考えるならば、そのオケに何かを残していってくれるような口うるさい厳しい指揮者を呼ぶべきだろうね。そしてその残してくれたものを次の代へと伝えることも大事なんだ。 こうして、ちゃんとトレーニングする能力のある指揮者が何年もそのオケを見ることで実力は伴っていくものなんだと思う。アマチュア・オケには絶対に厳しさが必要だと私は思うよ。
 また、プロ・オケのない地方における学生・オケの果たすべき役割というのは非常に大きいと思うんだ。金大フィルの将来を考える上で、このことも念頭において、君たちでこのオケがうまくなるような方向づけを行い、しっかりと後輩たちに受け継いで、このオケを発展させていかねばならないだろうね。そして40年の歴史をさらに重ねていく上で、北陸の音楽界を支えていくのは我々金大フィルだ、というくらいの意気ごみで今後の活動を行っていってくれることを期待しているよ。