企業戦士
通常は、大学を卒業すれば、多くの学生が就職し企業戦士となる。最初の1,2年間はわけもわからず、ただ時間が過ぎてしまう。うまく良い上司や仕事と巡りあった場合は、やがて、仕事は忙しくなる。そうでない場合でも、とにかく忙しくなる。
4−5年もすれば、立派な実務レベル、担当レベルのリーダーとなる。残業、残業の毎日・・・。帰りはいつも10時過ぎ、会社のまずい食堂の昼めし、会社の冷めた寮食。景気は良いらしいようだし、自分に縁が無かったが株はどんどん上がっている。土地も恐ろしく上がっている。日本の土地を売ったら、アメリカが2個買えると真剣に言われた。残業代は貰えるけど、使う時間がない。会社に何から何までやってもらう生活。自分は何をやっているんだろう・・・。
金大フィルの変わり映えもしない案内状が来たのは、群馬からの冷たい空っ風が吹き始めた秋も終わりになった頃だったはずだ。寮の自分のポストに入っている、はがきの文面を見て、驚く。なっ、なにい!マーラーの5番だと!ほーんとかい!
トランペットへの偏愛
マーラーの第5番交響曲。凍りつくようなトランペットの葬送ファンファーレで始まる、恐ろしく演奏の難しい曲。トランペットはソロと強烈なハイトーンの連続、連続、ホルンはこれもソロと演奏至難な高音、弦は、夢見るようなアダージェトと複雑に入り組むパッセージが錯綜する。今でこそ、珍しくもないが、89年当時、学生オケが演奏することはまだちょっとした驚きだった。
オーケストラのトランペット吹きにとって、たった一人のソロで始まる曲は、他に「リエンツイ序曲」くらいしか思い浮かばない。(と言うより、たった一人の演奏者で交響曲をはじめたのは、史上、この曲くらいだ。)
トランペットを偏愛したマーラーならではの曲である。あらゆるところに重要なソロがちりばめられ、最後のクライマクスに、H(五線紙上のロ)のハイトーンを2回朗々と豊かに響かさなければならない。 |
ショルティ・シカゴ交響楽団とデッカと録音契約を結んだときに、初めての録音に選んだのは、この「マーラーの5番」だったのである。今でも70歳を超えてなお現役である、超人トランペッター、ラッパ吹きの神様、アドルフ・ハーセス(注)が、これを吹いている。自分が中学生の時にも、このレコードを聴いて、心を震えさせた。いつか自分もこんな風に吹けたら・・・・。
技術的にも精神的にも体力的にも大変な能力を要求される難曲中の難曲である。しかし、同時に挑戦のし甲斐のある曲でもある。アマチュアラッパ吹きにとっては(プロにとっても)、究極の目標である。
注:ハーセスは、数年前シカゴ響を引退した。
嫉妬
金大フィルが、マーラーの5番をやる?ふーん!ほーおっ!自分の中に起こった感情は、ネガティヴなものだった。
自分が現役だったころ「巨人」を演奏して、これ以上の難しいものはもう金大フィルには演奏出来ないだろう・・、と思っていた。自分が卒業してから、4年経ったけど、そんな金大フィルってうまかったかよ?そんなはずはない。知っている後輩も、マーラーの5番を吹けそうなやつはいたかなー?生意気だ!・・・・・
それは、殆ど嫉妬だった。即座に、聴きに行こうと決断。有給休暇を申請した。
ほどなく、そのときは来た。金沢までは、汽車で行った。電車じゃない。今はもう廃止された急行「白山」だったかも知れない。飛行機で行けるほど、給料は高くなかった。埼玉に住んでいたが、通称東京人ということで、少し力んで金沢に乗り込んでいった。群馬から、新潟を越えると、雪が舞って来た。 |