達第四号 部下教師一般
曩に本教の教規教則を頒つに方りて、別派独立の由来と共に将来の規箴をも示した
りしが、又特に諸氏に注意する處あらむとす。
今つらつら思ふに、今回此の光栄面目を得たると共に、将来本教が国家社会に対し、
其品位を保つ上において其の責務を過るなからむこと、蓋し容易の事にあらざるべ
し。然れば此の際一時の栄達を喜ぶがまゝに事を軽々しく談じ、若し他を顧るの念
慮にとぼしからむか、今日の此の光栄面目は却て本教前途の為に憂となるならむ。
謹みても謹むべき事等なり。故に教師たる者は、日常に直接教義に従事せる者とせ
ざる者とを問はず、深く此辺に意を留め、教徒信徒に至るまでよく諭しよく戒め、
愈々今後本教が国家社会に対して一大責務のある事を日夜忘れざる様常に教導に勉
むべきなり。如此なすは、寔に以て上は教祖の神訓に副ひ奉り下は教徒信徒に慈愛
の誠意を篤くする所以にして、本教を奉ずる教師たる者の本務と心得べし。
右 訓 示 す
明治三十三年七月十日
金光教管長 金 光 大 陣
(編者註)金光教の一教独立によつて、神道金光教会長であった金光大陣が教則第一号管長選任規則の付則第十一条により、初代管長に就任した最初の諭達である達第壱号に続くもので、殊に教師の自覚と責務について「訓示」として諭達した。
掛巻も畏き我教祖、去嘉永五年顕幽感通の妙理を得させられ、本教を立て給ひ。
明治十六年神界へ昇り給ひしまで、年を経る三十有余。其間天地の真理を明かし
人世の大道を講じ、以て宇内の明教を宣伝せられし神訓神話は、今数ふるに遑あ
らず。其信訓中神誡十二ヶ条は疾に刊行し、其正伝さへ既に頒布せしが、道教の
大綱・信心の心得等の神訓に至りては、信徒間に伝写口授し、以て世に伝はりし
かば、随て誤伝謬写の廉も尠からず。為に先年部下に命じて、之が取調をなした
る事ありき。今にしてこれが補正の道を講ぜざらば、其弊や計るべからざらむ。
かくては、上は教祖に対し奉り下は社会に対し、恐懼に堪ずと、茲に本年教祖二
十年の紀念大祭を卜し、該神訓二巻を板刻して本日頒布の典を挙ぐ。部下教師た
るもの克く此意を体し、自今愈篤く遵奉して、益天地の神理宇内の大教を講明し、
以て世道人心を教化し、神皇の大恩に奉答せんことを期せよ。
明治三十五年十月十一日 金光教管長 金 光 大 陣
(編者註)独立時の『金光教教規』の第三条に教義の所依の典籍として、神誡正伝と共に定めた「信心の心得」と「道教の大綱」は、未だ定本がなかつたので、教祖二十年大祭の記念出版となつた。その内容は、教祖在世中に金光萩雄(大陣と改名)と佐藤範雄が筆録した教祖の教語集である。
番外達第壱号 部 下 一 般
本月十日露国に対して戦を宣せられたり。其御趣旨に於ては宣戦の御詔勅に
明なり。思ふに、今回の事変たる其関する処極めて大にして、其結果は遠く
我邦家の将来に及ぶべし。此を以て常に教導の任に在るものは、能く吾教祖
の神訓の旨を体して、日夕余念なく教導に身を投じ、以て本教信徒たるの面
目を保たしむることを期し、軍国に対する一面に忠良の国民たると共に、信
念厚き信徒たることを体認せしむべし。
之を要するに、陸海の軍人が死を決して国家に報ゆるの精神を移して、以て
教導の任に従事する吾教師の精神となさむことは、即ち吾教祖立教の真髄な
り。されば身教導の任に在る者は、宜しく斯る時は愈平素の熱誠を発揚し、
其任を全くすべし。是れ実に世道人心の先導者たるものゝ本務にして、又
国家に報する所以の道も亦之に外ならさるなり。
右諭達す。
明治三十七年二月十四日 金光教管長大教主 金 光 大 陣
番外達第参号
日露開戦に付ては、各出征軍人に対し内顧の憂なからしむるは、大に士気発
揚上に関する義に有之候得ば、此際本教教師たるものは、及ぶ限り其遺族を
訪問し、困窮者ある時は、教会所或は団体若くは教信徒個人の名義等各自適
宜の方法を以て精々救助方に留意すべし。右等に対しては、予て本教は、教
祖の神訓を奉体し、決して表行に流れざる様注意すべく此の旨諭達候也。
明治三十七年二月十八日 金光教管長大教主 金 光 大 陣
(編者註)「番外達第壱号」と同時に「番外達第弐号」をもつて、国威宣揚祈願祭の執行を達示している。
諭 告
茲ニ第二十回定期議会開会ノ式ヲ挙ケ親シク議員諸氏ニ告ク。
惟フニ昨年起レル欧州ノ大乱ハ惹テ日独開戦ヲ余儀ナクセシメタリ。本教ハ信
忠一本ノ教義ニ則リ各地ニ戦時講演ヲ開催セシメ、部下亦奮テ誠忠ノ実ヲ現シ
ツゝアリ。本年ハ今上陛下即位ノ大典ヲ挙ケ給ハントスル千載一遇ノ時機ニ際
会ス。須ク上下一致以テ赤誠ヲ表現セサルヘカラス。此時ニ方リ、本教ハ教祖
立教ノ神意ヲ発揮スヘキ施設ヲ要スルモノ亦尠少ナラサルヘシ。今理事者ニ命
シテ大正四年度ノ予算案ヲ提出セシム。各員宜ク和衷審議以テ協賛ノ任務ヲ尽
サンコトヲ望ム。
(編者註)1914年(大正3)8月の第一次世界大戦参戦に因り、議会開会式の場で諭告が達せられた。
教 書
恭シク惟ルニ
天皇陛下昨秋京都ニ行幸シ即位ノ大典ヲ行ハセ給フ。寔ニ宇内無比ノ盛儀ニ
シテ、同胞臣子ノ幸慶何ソ之ニ加ヘン。
謹ンテ按スルニ、我カ教祖天地ノ神意ヲ奉シ神人一致ノ大道ヲ開創シ、信忠一
本信孝一致ノ信念ヲ啓示セラル。己大陣、教跡ヲ襲キ夙夜兢々神意ノ見ハレサ
ランコトヲ之レ恐ル。思フニ一ニ神業ニ奉仕スル者ハ、益々信心ヲ抽ンテ教祖
ノ手代リタル天職ヲ全ウスヘク、普ク道ヲ求ムル者ハ弥々死生信頼ノ道念ヲ厚
クシ、以テ惟神ノ皇道ヲ遵奉シ、相率ヰテ質実業ニ励ミ祖先ノ祭祀ヲ重ンシ、
家ニ不孝疎懶ノ徒無カラシムヘシ。斯クノ如キハ教祖立教ノ大旨ニ合ヒ、明治
天皇ノ聖訓ニ副ヒ奉ル所以ニシテ、今上陛下ノ忠良ナル臣民ト謂ツヘシ。冀ク
ハ己大陣相共ニ奮励努力大道教化ノ実現ニ尽力スル所アラン。
茲ニ宣教師ヲ派シテ広ク此旨ヲ伝フ。
大正五年三月一日
金光教管長大教主 金 光 大 陣
(編者註)自由民権運動の台頭に対して、国体思想(天皇神聖論)の普及をめざし、教祖三十五年記念巡回説教を実施することになった。この巡教は大正7年(1918)まで行なわれ、宣教師は八木栄太郎・高橋茂久平の両名、講題は「生命の宗教」である。また教監佐藤範雄は「敬神崇祖・憲政自治の精神」と題して、幻灯器に依る講演を行なう。
七達第十号
部 下 一 般
輓近露国ノ崩解ハ其ノ餘殃極東ノ危胎ヲ醸生シ、終ニ我国ハ聨合列強及與国ト
共ニ満蒙西比利亜ノ曠野ニ協同作戦ノ巳ムナキニ至ル。況ヤ世界ノ大勢ニ於テ
ヲヤ。洵ニ一日モ偸安ヲ容サゝルノ秋ナリ。曩ニ部下一般ニ特別布教ヲ命シタ
ルハ大ニ国民ノ自覚ヲ喚起シ、益々本教信仰ノ本義ヲ諦得セシメ、愈々尽忠報
國ノ大義ヲ明確ナラシメンガ為ナリシカ。今ヤ当ニ終局ヲ告ケ其ノ報告ヲ聴キ
テ私ニ効果ノ験ヲ喜ブ。
惟フニ欧州ノ戦乱ハ、我国ノ有形無形各方面ニ亘リテ非常ノ影響ヲ及シ、其ノ
化学工芸ノ発展通商富力ノ増進ハ誠ニ喜ブベシト雖モ、経済界ノ膨張ハ却テ精
神的廃頽ノ機運ヲ誘致シ、射利僥倖浮華驕奢ノ悪風ハ底止スル所ヲ知ラサルガ
如シ。殊ニ最近全国各所ニ勃発シタル騒擾ハ、大正ノ昭代痛恨最モ堪ヘサル所
ナリ。恐クモ 聖上陛下深ク軫念アラセラレ御内帑金ヲ下シテ救済ノ資ニ充テ
シメ給ヒ、細民窮乏ノ状ヲ聞食テハ外米ヲ供御ニ上サセ給フト拝聞ス。聖徳皇
恩誰カ恐懼感泣セサランヤ。
苟モ本教信奉者タルモノ、爾今一層教祖立教ノ真髄ヲ了覚シ、聖徳覆天ノ大恩
ヲ感体シ、克ク現下社会ノ弊竇ヲ察シ、人心ノ荒廃ヲ誡メ、勤倹質実各家職ニ
黽勉シ、大ニ隣保互助ノ徳性ヲ現シ、特ニ出征勇士ノ家族遺族ヲ敬愛相憐シテ
後顧ノ憂アラシメス、日夕皇運ノ隆昌ト国光ノ宣揚トヲ祈願シ、謹テ神皇ノ二
恩ニ奉答シ、以テ本教信奉者タルノ面目ヲ発揮スベシ。
右 諭 達 ス
大正七年九月十七日
金光教管長大教主 金 光 大 陣
(編者註)第1次世界大戦の末期において、国内の成金景気と米価高騰とに依る所謂米騒動の世相に対して、信奉者の態度を説諭したのである。