金光教教団史覚書

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教規・教則

(きょうき・きょうそく)

  ◎ 教規・教則認可文書 

  ◎ 教規・教則の変遷 

    (T)管長撰任制度を管長世襲制度に改める。

    (U)教則第五十号大教会所規則の制定と教監責任制の規定に伴う教規改正

    (V)宗教団体法に依る金光教教規の全面的改正


◎教規・教則認可文書

 金光教の教規・教則は、管長制度のもとでは、金光教管長が定め、所管の大臣の認可を得て、公布施行されることになっていた。そこで1900年(明治33)6月16日の独立当初のそれは、独立請願書とは別に「教規教則認可願」を提出した。それは次のとおりである。

 客年七月十日付ヲ以テ、金光教一派独立ノ義出願侯処、御許可ノ上ハ、教規

 並ニ教則第一号管長撰任規則、教則第二号本支部制、教則第三号教区制、教

 則第四号議会議員選定規則、教則第五号教会所制、教則第六号教師補命規則

 教則第七号教師服制、教則第八号教師懲戒規則、教則第九号教会所構造方式

 規則、教則第十号祭典規則、教則第十一号徽章規則、別紙之通相定メ施行仕

 度侯間、独立御許可ト共ニ右教規教則御認可被成下度、此段奉願侯也

          東京市神田区和泉町

                教師総代少教正  畑  徳 三 郎 印

          大阪市南区難波新地六番町

                仝  権中教正  近 藤  藤 守 印

          大阪市西区立売堀南通一丁目

                仝  権中教正  白神 新 一 郎 印

          広島県深安郡御野村大字上御領

                仝 中 教 正  佐 藤  範 雄 印

          岡山県淺口郡吉備村大字大谷

                仝 中 教 正  金 光  金 吉 印

          岡山県淺口郡吉備村大字大谷

                金光教会長

                  大 教 正  金 光  大 陣 印

  明治三十三年四月十九日

内務大臣侯爵 西郷従道殿

書面願之趣認可ス         

   明治三十三年六月十六日 

              内務大臣 侯爵 西 郷 従 道  印

 金光教独立と教規教則とが認可されたので、教則第一号管長撰任規則に依って、大教正・金光大陣を金光教管長に推戴し、1900年(明治33)6月18日付けで内務大臣侯爵・西郷従道の認可をうけた。そこで同日付けで次の通り布達された。                         

                     部  下  一  般

今般本教教規教則別冊之通内務大臣認可相成候ニ付将来遵守致スベク此旨相達

候事 但従前金光教会タリシ時ノ諸規則ハ本教規教則発布ノ日ヨリ消滅スルモ

ノト心得ベシ 

明治三十三年六月十八日

            金光教管長 金  光  大  陣

 この達示は、金光教管長として発した第一号である。また日付は遅れるが、すでに金光教本部名で、次の通達が出されている。

 今般金光教別派独立の義本月十六日附内務大臣許可相成仝十八日従前の教会

 長金光大陣金光教管長に執職相成候に付此段不取敢通知に及び候也  

  追て当分の義管長より達せられ候までは金光教会の残務取扱被心得従前の

  通教務に従事すべきは勿論なれども新規行ふべき事務一切差控へらるべし

  且不日従来担当教師一同召集可相成筈に付此旨心得まて併せて申入置候也  

 明治三十三年六月二十四日

                        金 光 教 本 部

 元神道金光教会

     各分支所長説教所担当 御中          【謄写印刷】

さらに達第弐号を以て

                          部  下  一 般
今般本教教規教則施行致シ候ニ付テハ旧神道金光教会講社ハ追テ何分ノ沙汰致シ候迄ハ従前ノ儘ニ据置キ事務取扱ノ義ハ一切差控ヘ可申義ト心得ベシ

右 相 達 候 也
   明治三十三年七月   日       金光教管長金光大陣

  と旧教会講社に対しても、金光教教規・同教則に依って教務が取り運ばれることになった。


◎ 教規・教則の変遷

 宗教に対する国家の監督権のうち、人事権を委任されると共に、主務官庁の認可を得て教務を統括する、いわゆる管長事務の基幹を規定したのが、教規・教則である。勿論、宗教団体の規則であるから、信仰の対象である奉齋神と教義について規定されてはいるが、それは教団目的と神名と儀礼の簡単なもので、そうした教規・教則の性格は1941年(昭和16)の宗教団体法に依る教規の全面的な改正までは殆どかわらなかった。そうした間に、教団内外の情勢や事情から改正や変更が行なわれ、その主なる改正点の概略について記す。

(T) 管長撰任制度を管長世襲制度に改める。

「教規第十四条 管長副管長ノ選任ハ教則ノ定ムル所ニヨル」とあって「教則第一号 管長選任規則第二条 管長ヲ定ムルハ左ノ順序ニ依ル」とし、その順序について「1教師中教祖ノ子孫ニシテ金光ノ姓ヲ冒ス者ノ内ニ就キ教会長ノ職ニ在ル教師ノ選挙ニ依リ之ヲ定メ内務大臣ノ認可ヲ経其ノ職ニ就クモノトス2前項ニ該当ノ資格ヲ有スル者ナク又ハ資格ヲ有スル者アルモ内務大臣ノ認可ヲ得サルトキハ一級教師中ニ就キ教会長ノ職ニ在ル教師ノ選挙ニ依リ之ヲ定メ内務大臣ノ認可ヲ経其ノ職ニ就クモノトス」とある規定を、1912年(明治45)4月10日付けで改正して、「教規第十二条 管長ハ教祖ノ系統タル男系ノ男子ヲ以テ世襲シ副管長教監及ヒ三級以上ノ教師総代連署ヲ以テ主務官庁ニ稟請シ其認可ヲ経テ就職ス」と規定し、「教規第十五条 管長ノ襲職及ヒ副管長ノ選任ハ教則ノ定ムル所ニ依ル」として、教則第一号を廃止して教則第三十七号管長襲職規則を定め、同日付けで施行した。この教則第三十七号第二条で管長は成年者に限定し、更に同第三条で「管長ハ金光本家ノ子孫之ヲ継承スルモノトス」としている。なお金光本家とは、初代管長金光大陣(金光山神)の家系のことである。

(U) 教則第五十号大教会所規則の制定と教監責任制の規定に伴う教規改正

 1934年(昭和9)夏から1935年(昭和10)夏にかけて、全教挙げての教団改革運動の結果、いわゆる三原則≠教規・教則に規定された。その第1の大教会所神前奉仕者の身分・性格について、「大教会所ノ神前奉仕者ハ金光教祖ノ系統ニシテ金光ノ姓ヲ冒セル男教師中ニ就キ教監専掌及支部部長ノ協議ニ基キ管長之ヲ任免ス(則5) 大教会所ノ神前奉仕者ハ本教至高ノ聖務ニシテ他ノ侵犯ヲ許サザルモノトス(則6) 神前奉仕者事故アルトキハ第五条規定ノ有資格者中ニ就キ管長臨時之ヲ依嘱ス(則7)」と規定し、これに対して管長については、「管長ハ本教最高ノ栄位ニシテ本教規ニ依リ本教ヲ統管ス(教規4)」と改正された。
 その第2の大教会所の財務会計の公明について、「大教会所ノ収入ハ財団法人金光教布教興学基本財団ニ繰入ス(則14) 大教会所ノ経費ハ財団法人金光教布教興学基本財団ヨリノ回付金ヲ以テ之ヲ支弁ス(則15)事務長ハ……予算ヲ定メ大教会所会ノ議決ヲ経テ大教会長ノ承認ヲ受クヘシ(則17)事務長ハ………前年度ノ収支決算書ヲ調製シテ次期大教会所会ノ認定ニ付スヘシ(則18)」と定めた。
 その第3の教監の責任制については、教則第二号本支部職制を教則第四十七号を以て改正されたが、その第四条で「教監ハ管長ヲ補佐シ一切ノ教務ヲ統理シ其責ニ任ス」と規定している。なお、専掌・本部属員・支部正副部長の任免は、「教監ノ具申ニ基キ」管長が行なうことが明記された。

(V) 宗教団体法に依る金光教教規の全面的改正   

 1939年(昭和14)4月7日に宗教団体法が公布されたので、この法律に基づく教規改正のため、同年6月1日に教則第六十二号金光教教制審査委員会職制が定められ、教規並びに教則の審査立案のための機関が設置された。さらに同年12月22日付け宗教団体法施行令(勅令第856号)が公布され、1940年(昭和15)4月1日から翌1941年(昭和16)3月31日までに新教規の認可を受けることになった。そこで1940年(昭和15)2月14日付けで金光教教制審査委員会庶務規定をさだめ、立案作業に着手した。この改正の主眼は、管長世襲制を独立当初の管長選任制に戻すことにあった。したがって金光家邦管長の承認が得られず紛糾したが、結局、教則で設けられた教制審査委員会の原案を以て、文部大臣の認可が得られた。1941年(昭和16)4月1日付けで新金光教教規が施行され、その「第四百三十七条ニ依ル管長選挙」が7月25日に行なわれた。このことは、一教独立以来の最初の管長選挙となったのである。
 この新教規の構成と主なる改正点は、次の事項である。
第一章 総則において「本教ハ立教神伝ニ依リ教祖金光大陣ニ信委セラレタル取次ノ本義ニ則リ…(3条)」「教祖安政六年十月二十一日神伝ヲ奉シテ取次ノ事ニ従ヒ以テ子来スル衆庶ヲ救済化導シタルニ創リ爾来教祖ノ子孫相紹ギテ其ノ業ヲ伝承シ以テ教統ヲ保全ス(4条)」「本教ノ教旨ハ……取次ハ神ヲ人ニ知ラシメ人ヲシテ神ニ向ハシムルヲ其ノ本旨トシ本教信心ノ要機タリ……(5条)」「本教ノ教義ハ金光教教典ヲ以テ所依トス(7条)」との取次を中心とした教団理念が規定化された。
第二章 教義ノ宣布及儀式ノ執行の第一節教義ノ宣布において「教会布教ハ教祖ノ垂範ニ則リ教会主管者又ハ其ノ指名ノ教師常時教会ニ在リテ取次ニ従ヒ不断ノ教導ヲ為スヲ以テ本儀トシ………(11条)」と定め、第二節儀式ノ執行では恒例儀式に「布教功労者報徳祭・教派独立記念式・教祖生誕記念式・立教記念式」を加えた。
第三章 管長其ノ他ノ教務機関の第一節管長において「管長ハ教祖ノ子孫ニシテ金光ノ姓ヲ冒セル男教師中教祖ノ信心ヲ承継シ教統ヲ保持スルニ足ルベキ徳識アル者ニ就キ之ヲ選挙ス……(26条)」「管長ハ教会主管者ニ於テ之ヲ選挙ス……(27条)」と選挙制度に改め、第28条から第58条まで管長選挙の事務取り扱い規定を定めている。次に副管長制を廃し、第二節に管長代務者を設け「管長代務者ハ本部教会ノ副教会主管者タル者ヲ以テ之ニ充ツ……(73条)」と改めた。第三節に管長の統理のもとに、教務を総攬する本教の事務所を本部教庁と改め、「教監ハ教師ニ就キ機務顧問会ノ議ヲ経テ管長之ヲ任命ス 教監ノ任期ハ四年トシ再任ヲ妨ゲズ……(77条)」とし、専掌・部長・課長・課員は教師の中から「教監ノ具申ニ依リ」管長が任命する。いわゆる教監の責任制を明記した。さらに新教規において第六節に機務顧問会を設け、「重要教務ニ付管長ノ諮問ニ応ヘ又ハ意見ヲ開申スルモノトス(122条)」とその職責を定め、諮問すべき事項として「1教義安心ノ正否裁定ニ関スル事項2教規ノ変更ニ関スル重要事項3教監ノ任免ニ関スル事項 4財務ニ関スル重要事項 5教規ニ於テ特ニ規定シタル事項 6前各号ノ外管長ニ於テ必要ト認メタル事項(133条)」を掲げている。
第四章 教会其ノ他ノ所属団体の第一節教会において、「教会ハ……教祖立教ノ真儀ニ則リ日夜取次ヲ基本トシテ教義ヲ宣布シ儀式ヲ執行シ以テ衆庶ノ教化救済ヲ為スモノトス(232条)」とし、教会を本部教会と一般教会に分けて「本部教会ハ其ノ源ヲ教祖ノ取次ニ発シ一教依立ノ本拠本教信仰ノ中心タルモノトス(236条)」であり、一般教会は「斉シク本部教会ヲ教義伝統ノ本源ト仰キ之ニ帰一スルト共ニ其ノ成立ノ由緒ニ基キ一教会ト其ノ分派タル教会トノ間ニ本末ノ関係ヲ有シ前者ヲ親教会トシ後者ヲ子教会トス 前項ノ本末関係ヲ手続関係ト称ス(239条)」と規定した。
 以上、この新教規において、教団の根幹に係わる主たる改正点を述べたが、これは宗教団体法が命ずる事項と法則に添って構成された全面的な改正であったが、それは従来の教規・教則を単に一本化したのみでなく、教団自覚運動の結実としての信仰理念を規定化したものである。

 因みに第五章以下の事項名のみを列挙する。
第五章 教会主管者  第六章 教師  第七章 教徒及信徒  
第八章 褒賞及懲戒  第九章 財務  第十章 公益事業 
第十一章 補則 附則

 【参照事項】⇒ 独立請願運動    立教神伝   独立時の金光教教規
         教則第一号管長選任規則  教則第三十七号管長襲職規則
         教則第五十号大教会所規則   教務と神務   教団自覚運動