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身体感覚が自己を成長させる

野口整体 気・自然健康保持会

主宰 金井省蒼

2、拠り所となる自己とは

『月刊MOKU』2007年7月号
身体感覚と自己の成長(身体感覚が自己を成長させる)
その二 拠り所となる自己とは(V11の4)

   

2-2 健康と体の要求

 

野口晴哉 『月刊全生増刊号』より

健康の原点は自分の体に適うよう飲み、食い、働き、眠ることにある。

そして、理想を画き、その実現に全生命を傾けることにある。

どれが正しいかは自分のいのちで感ずれば、体の要求で判る。

これが判らないようでは鈍っていると言うべきであろう。

体を調え、心を鎮めれば、自ずから判ることで、他人の口を待つまでもあるまい。旨ければ自ずとつばが湧き、嫌なことでは快感は湧かない。

楽しく、嬉しく、快く行なえることは正しい。

人生は楽々、悠々、すらすら、行動すべきである。

  

 これは野口先生が「健康と要求」について書かれた一文ですが、野口整体の立場からは、心が育っていないとは体が育っていないということで、それは、スポーツができる、できないという話ではなく、「体が育つ」とは、自分がどう生きていけばよいのかということが分かる「心身を形成する」ことを意味しています。それはこれまで、一般的には「知・情・意の円満な発達」といわれてきたことでもありますが、野口整体では、「自分がどう生きたいのか」が分かるためには、「『裡の要求』(心も体も含めた自分の内なる要求)に敏感である」ことが必要である、と捉えています。「要求」とは考えて分かることではなく、「感ずる」ことによるのですから、そのためには「感覚というもの」を養い、育てることが必要となります。

 親に養ってもらっている大学までは、一人前に生きているとは言えず、体を張って生きてもいないので、頭だけ使って、成績が良ければそれでいい、で終わってしまうものです。しかし、就職してお金を稼ぐようになり、自ら養うようになると、そのことで自然と「体を張る」ことになるのです。「体を張る」ようになったからこそ、心が働いて「これでいいんだろうか」という疑問も生じるようになる。

 「どう生きるか」ということは、「自分にとって何が大切か」、「何をしたいか」という自分の内側にある「要求」を感じ取り、その方向性を認識することです。
そして、自分の内側にある要求が育ち、社会的な必要性と繋がって初めて、社会に巣立つ用意ができて、「自分の仕事」を得ていくのです。つまり、「体の要求」が、行動し生きていくための羅針盤となるのです。

  

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