『月刊MOKU』2007年6月号
身体感覚と自己の成長(身体感覚が自己を成長させる)
その一 言葉と感受性(V5の5)
1-2 「言葉を受け取る力」
こういったことによる世代間格差を強く感じているのは、私一人ではなく、四十代後半から上の人たちには多くおられるのではないでしょうか。
かつては、「気」のしっかりした、きちんとした「感覚」を持った人が言葉に置き換え、言葉を使ったことによって、「感覚」を伝えることができていたのだと思うのです。
日本語力の低下という問題の背景には「言葉」と「感覚」が離れてしまったということがあると思います。聞いた言葉から何を感じ、何を思うかが「言葉を受け取る」ということなのですが、それが出来なくなってきているのです。
学校に限ったことではありませんが、教育する側の人間がしっかりとした感覚を養い、言葉を使っていくことで、相手の「言葉を受け取る力」は育っていくのだと思います。さらに「お腹から言葉が出る」ことによって、その心がしっかり相手の体に伝わり、感情も伝わるのです。
親を含め、教育的立場に立つものは、こういった「身体性」が必要なのです。
かつての「日本人の身体性」の究極は、『肚』でした。
須らく日本文化を継承することが疎かになったことで、「日本人の勘」が育たなくなっているものと考えます。
最近、世界的な水準から見て、日本の子どもたちの学力低下が問題となっていますが、これも学力の基礎である国語力の低下が原因としてあるからです。
野口整体では、体と同様、心を大切に扱いますが、心身を整えるに、その「感受性」が対象となります。
実は、深く考える力を養うには、きちんと「感ずる力」を養い、育てることが大切なのです。
意識(知性)のみを訓練するのではなく、無意識(感性)をも対象とする教育の復活が現代の急務ではないでしょうか。