1-6 意識と無意識
言葉は「意識のもの」ですが、感覚は体にあります。
これを「無意識のもの」と呼んでいます。
言葉が獲得されることで、子どもは自分が何を感じているかが分かるようになり、それを他者に伝えることができるようになっていきます。言葉は「感じていること」を、意識化するためにある、ということができるでしょう。
しかし、意識の発達とともに、知識と語彙が増え、考える力が増していくと、言葉と自分の感じていることが離れてしまう傾向があります。すると言葉は「根っこ」を失い、浅薄なものになってしまいます。たくさんの言葉を得たはずなのに、「自分の言葉」が育たないのです。
「『自分の言葉』が身についている」ならば、言葉によって感情を伝えるのは勿論のこと、言葉によって自分の心を動かしていくことが出来るのです。そして言葉を連ねて思考を進め、心を深くすることができます。
今の若者は言葉と感覚、感情と言葉がひとつになっていないので、言葉によって自分を進めることができず、深い思考力が働かないのです。
このことが、「頭は(成績は)良いが、心が馬鹿な、エリート(?)な若者」を産み出しているのです。
頭でだけ知っている言葉は心を動かす力を持ち得ません。それこそ、体と頭が一つになり、「深く考える」ことができると、体を自ら成長させることもできるのです。
ここに私が「感性」、「身体」、「無意識」の重要性を主張する所以があるのです。