『「気」の身心一元論』

読者の声

─ 読後感想文の紹介 ─

   

第一回 「身心一元論」と「心身二元論」 

 一回目は、臨床心理士の盛田祐司さんからの感想文を紹介します。
 盛田さんは、『病むことは力』を通じて、身体に深層心理を観る野口整体の個人指導に関心を持ちました。現在、朝日カルチャーセンター新宿教室での活元運動の講座に通われています。
 野口整体は始められたばかりですが、日々臨床の場でユング心理学を実践されている専門家の視点から、『「気」の身心一元論』に対する深い理解ある感想文を寄せて頂きました。

    

■ 盛田祐司さん(42歳、男性、臨床心理士)

2011年11月9日寄稿

 金井先生の本に関心を抱いたのは、野口整体の実践を心理療法的に行っておられることや、ユング心理学の理論から野口整体について言及されている箇所があるのを、ホームページで拝読したことがきっかけです。臨床心理士としてユング心理学を中心に臨床実践を重ねる中、セラピストとしての自分自身の身体と向き合うことを続けてきた過程で、野口整体の名称を目にすることは何度もありましたが、深層心理的な側面から述べられたものは恐らく初めてでした。これを機に『病むことは力』を読み始め、徳田先生のもとで活元運動を体験し始めました。そして、十月の朝日カルチャーセンターで金井先生のお話を直接拝聴する機会を得て、『「気」の身心一元論』を読むに至りました。

『病むことは力』でも、身体の症状を心理的な側面から深く捉えていることが理解できて、感銘を受けていました。『「気」の身心一元論』では、ユング心理学を援用しながら野口整体における深層心理的な理解が深まるように整理されていて、身体を通して心をみるという点ではややアプローチの方向性は異なってはいますが、基本的に潜在意識を理解していくことが援助につながるという点で、同じような実践をしていることが理解できました。臨床心理学でも、心理検査などを用いてクライエントさんの心を理解する一助にしていますが、本人の身体に表れているものを読み取って伝える野口整体の方がむしろ、より直接的に感情にアプローチすることが可能であり、優れた技法をもっているように感じました。また、愉気によって、潜在意識に触れていくことも可能にしており、この点でも野口整体を実践に取り入れられたらクライエントさんをより深く援助することにつながるのではと期待を抱いております。

 心身二元論と身心一元論の思想的相違や歴史的な経緯などは、詳細に述べられていて、理解を深めることができました。以前より心身一如といった日本古来の身心一元論には関心を持っており、臨床心理学を深める上でのテーマでもあったので、湯浅泰雄氏の書籍などは読んでおりましたが、日本文化の変遷などを含めその理解が深まるとともに、日本の身体文化を基礎とする野口整体の背景をよく学べたように思います。特に、主体性が失われてきたという点は、心理臨床の実践の中でもクライエントさんの「主体」(「主体的自己把持」に近い概念)を育むというテーマと非常に合致していて、心身二元論的な文化が「主体」を失わせている大きな要因でもあることがわかり、「主体」というテーマの本質に触れたように感じました。また、感情を体験している身体とつながりを失っている心の状態は、様々なクライエントさんで出会うことを通して実感として感じていることです。身体感覚を用いたアプローチは、心理臨床の実践でも用いていますが、それは主に身体感覚を通した感情への気づきです。野口整体では、身体感覚そのものを通して指導を行う点で、より直接的に「主体」を育んだり取り戻したりという過程を進めることができるように感じました。

 ユング心理学については、野口整体との関連においてその類似性を随所で取り上げられており、とても興味深く読ませていただきました。野口整体についての理解が不足していることで、その類似性についての理解が難しいところもありましたが、「こういう捉え方になるのか」という感じでユング心理学についての理解を通して野口整体の理解も深まったように思います。終章を読んでいて、ひとつ感じたことは、金井先生は浪人生活の中で野口整体の道を選ばれた時期に既に個性化が始まっていたのではないかということです。個性化の過程には個人差があるのですが、自我を概ね形成した後に心理的危機に陥り「九死に一生を得る」思いで野口先生に弟子入した経緯からそのように感じました。通常、個性化は、心の全体性から見ると一面的に偏って形成された自我を心全体の中心である自己の働きでいったん解体し再統合していきます。この解体の時期に、何らかの形で心理的な危機を生じます。そして、野口先生が亡くなられて、再び大きな危機が訪れたと思います。その後、「金井流」を完成されていく過程では、野口整体という世界における金井先生の自我を形成する必要が出てきたように感じました。いわば、〔身体〕を通して自己を中心に生きてきた金井先生が自我の働きを必要とする、一般的な流れとは逆の意味で個性化の過程が始まったのだと思います。そして、『「気」の身心一元論』はまさに自我と自己が統合された形として結実したものだと感じております。

 金井先生は思春期に、早々と自己の中心性に導かれていったように思えます。この点で、人生の前半と後半という流れでは、自我→自己という一般的な個性化の過程が、金井先生の場合は自己→自我という特殊な個性化の過程が生じていると思います。ここがユング心理学を知識としてのみ学んだ人にとっては、混乱に陥りやすい点ではないかと思いました。自我を強化することが、個性化の過程であったというような記述は、図式的に個性化を捉える人には混乱のもとかもしれません。もちろん、金井先生ご自身は、個性化の本質を捉えられているのでこのような記述をされているのだと理解しています。自己の働きは、太極図の陰陽の流れを司るようなもので、その意味での中心性ですから、意識しているものが陽となると意識していないものは陰となり、その陰の中の要素が意識にのぼるとそこが陽となるように移り変わるものです。ですから、本来は自我→自己という一般的な個性化の過程を想定することも一面的になりますので、金井先生の自己分析が誤りということでは全くなく、河合先生の記述などからそこまで理解されていることに、若輩ながら金井先生の実践の厚みに感服している次第です。

 活元運動や体癖論については、前著よりも詳しく記述されており、活元運動を体験し始めたばかりの身には、とても学びを深められるものでした。野口先生の言葉で「自分を治めれば、人は治る」は、金井先生のご指摘の通り、ユング心理学におけるセラピストのあり方に他なりませんし、僕の信念でもあります。この本質こそ、セラピストが忘れてはならないものですが、心理臨床の世界も、物心二元論に毒されつつあり、心身二元論の文化が色濃い時代に育ってきた世代に、危惧を抱かずにはいられません。金井先生の身心一元論や野口整体をより理解するために、まずは自身の〔身体〕を深く感じていき、自分自身をよく知ることを続けていきたいと思います。そして、将来的には、金井先生の教えを直接受けることができる機会に恵まれることを願っています。心理臨床の世界で、本質的なセラピストのあり方を伝えていき、クライエントさんにも心と身体のつながりを取り戻してもらえるように援助していく実践に、身心一元論の思想や野口整体の臨床実践を取り入れ活かしていくことが、僕自身の、そして臨床心理士としての個性化の過程になりそうです。次回作も心待ちにしております。

盛田さんのホームページ「臨床心理士・盛田祐司」
http://www.kokoro.net/