『「気」の身心一元論』

読者の声

─ 読後感想文の紹介 ─

   

第四回 潜龍出池

 四回目は、かつて準塾生として整体指導法講習会に通われていた、40代男性からの感想文です。

    

■ 定村浩司さん(40代、男性、医師)

   

2012年9月22日寄稿

『野口整体 「気」の身心一元論』、読ませていただきました。   

    

野口整体の視点から世界を見ていた金井先生が、

    

翻って、世界の視点から野口整体を捉えて行く軌跡が

   

鮮やかに描かれていました。

 

  

思い浮かんだのは、

   

地球から天体を観測していた人類が、地球を飛び出して、

    

宇宙空間から地球を眺めた時の映像です。

    

まさしく潜龍出池

   

    

弟子のひとりとして、熱海の道場で学び

    

先生の本作りのための勉強を、間近で見ていた頃を思い出します。

   

  

先生は、必ずしも理解の容易でない種々の知識を、

   

次々と、御自身の経験と感覚に結びつけながら

    

生きた知恵として吸収されていました。

   

   

さながらその様は、

   

言葉を覚え始めた子供が、ある時期を境に爆発的に

   

話し始める様子に似て、

   

その頭脳の柔らかさと吸収力には驚愕させられました。

    

    

60才を過ぎても、メキメキと成長していく先生に、

   

周囲の若いお弟子さん達も

   

ついて行くのがやっとのようでした。

     

    

まさしく先生は、整体であるということの生の勢いを

   

身をもって示されていました。

   

    

本作りのために始まった勉強ということでしたが、

    

当時の私の目には、先生は世界の中に

     

野口先生の面影を探しておられる様に観えました。

     

     

さらに伸びゆこうとする青年のような逞しさの中で、

    

ほのかに感じる、亡き父を慕うような想い。

   

     

金井先生にとっての野口先生は、

     

自らを最もよく理解してくれた師であり、父であったことでしょう。

    

    

五氏の思想を巡る旅は、父親探しの旅でもあり、

    

それは、現代社会と野口整体の関係性を明らかにしたと同時に、

    

野口整体という枠組みを超えて、

    

さらなる導きとなって行くことでありましょう。

    

     

科学や宗教はもとより、哲学や芸術も

     

人が現実をあるがままに捉え、

      

世界と繋がろうとする試みのように思えてなりません。

      

これらを、人が神に近づくため

      

自らが創り出した道具であるとするなら、

      

私たちは皆、偶像崇拝をし、道具に使われているのかもしれません。

   

    

問題は偶像にあるのではなく、

     

崇拝してしまう私たちの心にあるでしょう。

    

     

この霧の中から抜け出すヒントが

       

野口晴哉という生き方の中に散りばめられているように思えます。