QアンドA22
 日本語の助詞が見える


シィギリの落書きには「蓮の花を手にとって」という定型詩があって、その「手に」という一句に現れるニパータの「ニ」が日本語の助詞の「に」と同じだと『熱帯語』ありました。詳しく説明してください。
 


No-22 2003// 2015/11/11 


『熱帯語の記憶,スリランカ(南船北馬舎刊)』の104頁、囲みに書かれていることですね。本ではその部分をカタカナでしか表記できませんでしたから、ピンと来なかったかもしれません。 その部分の原語はこうです。

මහනෙල්මල් අත්නි ගෙත
マハネルマル アトニ ゲタ
mahanelmal athni getha
  これは鏡の壁と呼ばれるところに落書きとして書かれたもで、しかも、かなり古いものなので(5世紀以降、10世紀頃までか)、文字は私には判読できません。
 S・パラナウィタナ教授がこれらの古詩をすべて読み解き、残さず集めて2冊の大書に纏めました。その功績あってこそ、この「落書き」をここにこうして、シンハラ・フォントで再現できるわけです。
 それはさておき、上の一句は、
            マーネルの花 (を) 手に 取れば
 と訳せます。この一句のアトゥニ    手-にアタ  手ニ (ニパータ)   ~に(助詞)にわかれ、「手-に」という意味になるのです。
           アトゥ-ニ    手-に
           「手-に」  
 これは現代シンハラ語ではアティン  手-に という語形になります。  

           アティン  手-に
           「手-に」   
 アティン  手-に アタ  手ニ(ニパータ)  ~に(助詞)の二つの単語にわかれます。
 こうして並べると、視覚的にもわかりやすいと思います。このニ(ニパータ) ~に(助詞)ニ (ニパータ)   ~に(助詞)と対応しているのです。


 「シイギリヤの落書き」には,もう一つの「-に」の例があります。
 それは「蓮とチャンパカの花を手に取る麗しの少女よ」(分類No.30)という二行詩の後半部分です。

මහනෙල සපු ක්සුමක අතිනි ගත හෙළිලම්බුයුක
Manelasapu-ksumaka atini  gata  helilambuyuka
 蓮 と  チャンパカ(の花)を 手に 取った  麗しの乙女よ
         Sigiri Graffiti / S.Paranavitana / Oxford University Press / 1956 /

 ここでඅතින් ath-ni ではなくඅතිනි ati-niとなっています。処格の助詞(ニパータ)はන්nですが、シギリヤの落書きではඅතනිatha-ni、つまり、「手」のඅතathaනිniが付いて"アタニ"となっています。
 この事例だけでは、はっきりと言えないのですが、古代のシンハラ語の処格を表す助詞は「ニni」と表記されていたようです。このニパータは日本語の助詞の「に」と対応するということです。
 私たちが現代シンハラ語を話す時に感じる「日本語っぽさ」、シンハラ語に付きまとう「日本語臭さ」というものが、古代にさかのぼると更に日本語っぽくなる。そういうことです。

 話し言葉では「私の家」が「私ん家(私-んーち)」になる。「手の中」が「手ん中」になる。母音の欠落が起こるからです。それと同じことが、シンハラ語の中に確められるのです。

 付け加えますが,シンハラ語の「手」を意味する単語「アタ」が日本語の「手」の古語「あた」に通じることは「体を表わす単語」で触れています。→日本語で話せるシンハラ語  →日本語=シンハラ語単語対応表の「身体語」

 「だからシンハラ語は日本人にとって話しやすい言葉だったのか」
 そういうことなのですね。


※『熱帯語の記憶』(南船北馬舎版)は著者の希望で廃刊。現在、『熱帯語の記憶』を3部構成に分けた復刻版をかしゃぐら通信が発行しkindleで扱っています。2015/11/11