QアンドA16
タミル語って、日本語のナンなの?


 この間、テレビを見ていたら、「タミル語は日本語と同じだ」という番組がありました。タミル文化と日本の古代文化を較べると、ドルメンや鹿皮楽器が同じだし,弥生土器に刻まれた記号がインドで出土する土器にも刻まれている、と言ってました。また,ドルメンがインドにもあるそうです。その上でタミル語の単語が日本語にもあると言っていくつかの例を示していましたけど……。


No-16 2005--


  それは,多分、『世界不思議発見』という番組のお話ですね。私もそれ,見ました。シンハラ人の友人から土曜日(2001/6/10)の夜に電話が入って、彼は「TBS!,すぐにTBS見て」と怒鳴るなり電話が一方的に切れたので、TVをつけたら、あのタミル語の話をやっていました。
 番組の内容は、例の「日本語はタミル語である」という、大野晋さんの「日本語ポンガポンガ説」でしたね。私も楽しく番組を見ました。
 二千年前のタミル文化には甕棺があった。日本では福岡の金隈(かねのくま)遺蹟に同様の埋葬文化がある。また,二千五百年前のインドのドルメンは佐賀の久保泉丸山遺蹟のドルメンと同じ形式だ,などと具体性を持った考古学の実績を踏まえて,それらを紹介し、その上で日本語の「旗fata」はタミル語で「patam」、「話すfanasu」は「pannu」であるとかの単語の対応を五つほど画面に例示していました。大野さんの著書を読まれれば日本語とタミル語の単語対応例は他にもあって,いや、実に多数あって、それを扱ったクイズ番組でした。
 
 たしか番組では、タミル語の単語が(弥生時代に)日本語の中に入った,というようなナレーションを入れていました。
 でも、いいんです。タミル語と日本語が同じであっても,なくっても。
 肝心なのは、対応関係にある・ないではなくて「タミル語と日本語が同じなら、タミル語の要領で日本語が話せるはず」ということなのですから。
シンハラ語だって、別に日本語と関係がなくても良いんです。 
肝心なのは、シンハラ語が日本語の要領で完璧に話せるということ。
 では,その点、タミル語はどうなのか、ということです。
 実践派としては、そこが知りたいポイントなんです。 
   
 あのテレビ考古学の金隈遺跡甕棺ですけど,あの墓に埋葬されている方の形態小変異を調査された百々幸雄さんによれば眼窩上孔が多く,舌下神経管2分は少ないということで、これは東アジア,モンドロイド諸集団の分布範囲とほぼ一致するのだそうですね。ついでですけど、縄文人とは一致しない。
 古代に埋葬されていた人々の身体の特徴をこのように探ることは、棺の形態を較べることより大事ではないでしょうか。この場合、見るべきは皮でなくて実なんです。
 番組に紹介されたインドの子持ち壷が福岡の遺蹟から出てきても別に構わないんです。例えば,カーネル・サンダースの人形はアメリカにも日本にもありますけど、だからと言って、日本人は英語を話す民族じゃあない。まして,子持ち壷がタミル語を話すわけではないでしょ。

 話の筋道からは離れますけど,あの子持ち壷に鹿皮を張って太鼓にするのは「どうかなぁ?」と思います。これは、むしろ『あじまさの島見ゆ』が扱ったデウィルの壷と似ていると直感しました。まあ,私の考古学は不思議発見考古学のかなり上を行く「ずばり直感派」ですから当るも八卦。→デウォルの壺(シンハラ語はみだし雑篇)