『かしゃぐら通信』 Khasya Rreport     KhasyaはPinusKhasyaのことで松の木の一種。熱帯原産で3葉、幹と枝はすらりとした樹形を作る。松はシンハラ語でデーワ・ダーラ、神の枝を意味する。Khasya-gulaでStage of Godsのこと。スリランカの神は古代、山の岩穴に住んだ。 
かしゃぐら通信 トップページへ シンハラ語の話し方・読者の方へ 本の内容をパワーアップ。更に詳しいシンハラ語の世界へ。 スリランカのカレーが、まだまだ日本に伝わらない。カラピンチャ、ポルサンボール。そうしたスリランカ料理の真髄さえ、知られないでいる。伝説の店・スリランカ料理トモカのレシピをもう一度覗いてみよう。 「かしゃぐら通信」索引へ 「かしゃぐら通信」の全項目を一覧。探している項目が容易に見つかります。
 

シンハラ語 はみだし雑編B
インドラと悪魔祓い デウォルの壺


2014-Feb-07

  


 デウオルの壷

 スリランカは南へ行くほど海が青くなる。ガーッラ(ゴール)から先の海岸線は小さな入り江があって南国の太陽の光を浴びた海がサファイヤのような深い藍。輝いている。
 島の南部はルフヌと呼ばれる。悪霊祓いの盛んな土地だ。
 悪霊祓いにはブラーマンの呪い師が登場し、悪霊が踊り狂い、太鼓がドドンドドンと激しく打ち鳴らされる。この太鼓をヤク・ベラとかルフヌ・ベラと言う。デウォルという別の名もつけられている。

 デウォルだが、この呼び名には縄文土器を連想させるこの島の焼き物も絡んでいる。それはスリランカ南部に盛んだったもう一つの悪霊祓いの儀式に使われてデウォルの壷と呼ばれた。
 デウォルの壺と始めて出会ったのコロンボ博物館だった。その二階にデウォルの壷は納められていた。

デウォルの壺(コロンボ博物館蔵) 

 六号植木鉢ほどの大きさで、たまご型の、素焼きの粗末な壷だった。不思議な飾りがなければ興味を魅かれることなどなかった。壷は肩のあたりからニョキニョキと何本もの角を生やしていたのである。
 いや、角ではない。それは蛇の姿だった。コブラが七匹、鎌首を持ち上げて八方を呪んでいる。鎌首のあいだにはいくつもの注ぎ口が延びている。
 縄文の日本にも壷の肩口に蛇を這わせた土器、マムシが鎌首を持ち上げた土器がある。なぜ壷に蛇が飾られるのか、その理由が縄文でははっきりとしない。スリランカでは壷に飾られた蛇の意味が明快だ。博物館のデウォルの壷には小さな手書きの説明がシンハラ文と英文で添えられていた。

…災いを引き起こす悪霊たちをカプラーラが壷の中へ封じ込める。封じ込めてから一日半をかけて呪いをかけ、そのあとで壷を割る。壷の中の悪霊たちは壷とともに「割れ」、村人は悪霊のもたらす諸々の災いから解放される…

 デウォル・マドゥ・ヤーガヤ。デウォルの壷の儀式をそう呼ぶ。生贅。供物。この儀式には棒の先に生蟄をくくり付けて焼くか、あるいは穴を掘って生贅を入れて焼く、という火の供養が伴う。うごめく蛇を飾ったスリランカの壷は祈疇師(カプラーラ)が呪いをかける悪霊祓いの壷なのだ。
 デウォルとは何か。H・パーカーはこう推測する。

 ……普、大きな戦争があった。海を越えてランカー島にやって来た敵は容赦なくシンハラ人を攻め立てた。シンハラ人はその侵略者をデウォル・ヤカー(デウォルの悪霊)と呼んだ。…侵略者はデウォルを祀り、恐らくデウォルはインドの神だったろう、とパーカーは言う。

 鈴木正崇はもっと具体的に「デウォルは(スリランカの)西海岸にインドからやってきた商人であった」という説を採用している。つまり南インドのマラバールから商船を操り、スリランカ西海岸のシーニ・ガマへ来た人々がデウォルのルーツだというのだ。
 シンハラ人にすれば、デウォルの商人は魔法の神力を持つ恐るべき輩だった。浜の真砂を米に変える魔法を持っていた。シーニ(砂糖)を作る魔法を知っていた。火の道を渡る術を備えていた。そして、それらの魔法の秘密を守るためになら息子であっても殺してしまう狂気の親でもあった。

 言葉の上でデウォルはデウォラに通じる。デウォラはシンハラ語のデーワーラヤ、つまり、デーワ(神)とアーラヤ(住まい)の複合語で「神の社」のことをいう。そして、スリランカでは「神の社」といえばヒンドゥの寺院を指す。デーワはヒンドゥの神々のことだからだ。
シンハラ語で「デウ」(dev-という言葉が語頭に冠れば、それは神に関係する事柄を表す。

 デウ・プラヤ dev-pulaya………………神の都
 デウ・ラジャ dev-raja ………………神の王
 デウ・トウル dev-thul ………………神の木

 「デウ・ラジャ」(神の王)は「デーワーナーミンダ」(神々の主)とも呼ばれる。「神の王」「神々の主」と崇め奉られるのは誰か。それはヒンドゥ教の数多に余る神々の中の神、インドラなのだ。インドラ神は神々を従える神、神の王なのだ。

 インドラを帝釈天と漢字に置き換えれば馴染みのある神になる。帝釈天はこの神が仏教世界に鞍替えされたあとのインドラ神の別名だ。仏教がこの神を取り込んだ後の呼称だ。インドラ神が仏教のヒエラルキーの中に埋没する以前、彼は「神の中の神」として他のすべての神を従えて天上の神の都に君臨していた。
 インドラが「神の中の神」だったのには訳がある。それは、古代にインドに入植してきたアーリア人の彼らが祀るウェーダの神々の中の一神、戦闘の神だったということだ。二輪の軍用馬車に乗り、いかずちを振りかざし、先住民を武力で征服していったアーリア軍の守護神がインドラだった。
 シンハラ人はインドラ神の名を忘れたが、スリランカ仏教史『マハー・ワンサ』では、入滅する仏陀とランカー島の鬼退治に向かうウィジャヤを結びつけるのがインドラ神(『マハー・ワンサ』にはサッカーという名で出てくる)だった。また、スリランカに初めて仏教を伝道したと国史に記されるインド・マガダ国の僧マヒンダを助けて、ランカー島にあまねく仏法を広める道を拓いたのも「神の中の神」インドラだった。


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