シンハラ文字を印刷したい

シンハラ語質問箱 Sinhala QA99
2006-2-07 2015-May-19 2019-Feb-14



ヌワラエリヤ山中にある印刷屋さんでシンハラ語の印刷を頼もうとしたら最先端の印刷技術を教えられた…

 

シンハラ文字を印刷したい

   ヌラワエリヤで屋ー派の家に泊まっていたとき、シンハラ単語の一覧表を作っていた。日本語=シンハラ語の簡易な辞書を作るための下準備だった。
 原稿はシンハラ単語の一覧表。当時は手書き原稿を日本へ持ち帰っても印刷は難しい。ユニコードの時代どころかコンピューターでシンハラ文字を打ち出すということもできなかったからだ。
 今ならデジタルのユニコード・フォントを使って自分でプリントできる。DTPが当たり前なのだから、シンハラ・フォントを求めて印刷屋さんを訪ねて印刷してもらうこともない。でも30年前はすべてがアナログだった。シンハラ文字をパソコンで打ち出すこともできなかった。
 スリランカではやっと電動式のタイプ・ライターが市中に出てきたばかり。ヌラワエリヤではもっぱら、手動のタイプ一台を元手に文字の書けない人相手に手紙を打つ代書屋さんが繁盛していた。
 その流れに乗って、まずは代書屋さんで私の手書き原稿をタイプしてもらった。でも、タイプ印刷では印刷物が一枚きりだ。書体もタイプではシンハラ文字の雰囲気が出ない。50部ほどの刷りで、シンハラ文字っぽい印刷物はできないものか、と考えあぐねていたら、
 「街に降りて行けばヌワラエリヤ印刷という会社がある。そこでシンハラ文字の印刷ができる」
と教えられて、茶園の山から街へ下りていった。
 ヌワラエリヤではシンハラ文字の印刷といえばタイプ印刷の代書屋さんしか知らなかった私は喜び勇んで町へ降りた。その印刷屋さんは町の外れにあって、スリー・ホィールに乗って行かなくてはならなかった。

原初と最先端が文明同居する

 印刷屋さんに着いて、受付で受付嬢に「小部数だけど」と告げながらマネージャーとの面会を申し込んでいたら、サロマのおじいさんが現れた。私の「小部数の印刷」という話を脇で聞いていて、「それならオフセットを使うことはない、コンピューターがいい」と口添えしてくれた。このおじいさんの言葉が新しいシンハラ・フォントに出会うきっかけだった。
 コロンボにスター・コンピューター・システムという会社があって、ここで小部数の印刷を受けているとのことだった。コンピューター・フォントは実に多彩で思いのままの印刷ができると言う。おじさんがシンハラ・フォントの見本をもってきて見せてくれた。
 オフセット印刷のヌワラエリヤの印刷屋さんでDTPフォントの見本をいくつも見せられて唖然とした。
部数のほしい印刷なら活字を拾う。頑張って写植印刷できれいな刷りを狙う。そうした状況だったけれど、その一方で、写植を通り越して着々とDTP時代がスリランカでも先取りされていた。でも、当時のヌラワエリヤにはまだそのシステムが流通してなくて、まだ、コロンボだけのことだった。

 原初と最先端が文明同居している。今、思い返すと私はスリランカ山中の英国人が19世紀後半に開発した田舎町で奇妙な体験をしたことになる。
文字の書けない人が多く暮らしている。タイプを打つ代書屋さんが繁盛する。カーボンに転写されるかすれたシンハラ文字。
 一方で、この町の印刷屋さんからはコロンボのスター・コンピューター・システム社に印刷依頼ができて、ここで多彩なシンハラ・フォントを用いたきれいな印刷物が刷り上る。
 私がここで刷っていただいた印刷物を基にしてシンハラ単語の辞典の編集を進め、誰もが使える『日本語=シンハラ語小辞典』を発刊するのは何年も後のことになるのだけど、今でもあのときのことを思い出すと柔らかな懐かしい気持ちがよみがえる。
 こんな風に熱帯では多様な文化が複層的に同時に記憶されて分厚い大気の中に敷き込まれていくのだろうか。スリランカで巡り歩いた世界は過去と未来のタイムスリップの連続だったように思う。