QアンドA84
風でドアが開いた
「風でドアが開いた」とは言っても、「風がドアを開けた」という言い回しはしないのが日本語。「風がドアを開けた」は英文翻訳調のくすぐったい気分が心の隙間に残る。 シンハラ語でも「風がドアを開けた」という言い方をしない。日本語がこの言い回しを避けるのは気分の兼ね合いがしっくりいかないからだけど、シンハラ語では言葉の仕組みそのものがこの表現を出来ないようにしている。 |
No-84 2008-Mar-03 2015-Apl-22
「開いた」という動詞は自動詞です。「ドアが開いた」の「ドア」は主題であって、文を統制する主語ではない。この文には主語+目的語+他動詞が作る堅苦しい締め付けがないのです。 「開けた」という動詞なら、これは他動詞ですから主語と目的語が文の必須用件になります。この動詞は主語の意志/行為を表すからです。「開いた」は目的語を必要としない。「ドアが開いた」の場合、主語の意思/行為が存在しないのです。 日本語の「開く」、シンハラ語の「アェレナඇරෙනවා 」は自動詞です。 自動詞に対応する他動詞の「開ける」は「アリナワඅරිනවා 」と言います。他動詞は主語の意思を表すことから意志動詞と呼ぶこともできます。 日本語の「開く-開ける」はシンハラ語の「アリナワඅරිනවා -アェレナワඇරෙනවා 」と対応していて、シンハラ語の場合、-ナワという活用語尾を外すと、他動詞と自動詞の語幹語尾はari-/අරි - aere-/ඇරෙ -と母音の変化を見せます。 シンハラ動詞は語幹の母音がイ(i)音で終われば他動詞、エ(e)音なら自動詞という基本ルールがありますから、この原則に従えば両者の動詞の使い分けと聞き分けは容易です。 日本語の場合では「開けるー開く」のak-eru ak-uという変化、「見る-見える」のmi-ru mi-eruという変化が他動詞とp自動詞の別をあらわすので、シンハラ動詞の語法とは異なるようです。でも、シンハラ動詞の語幹末を子音止めするとar-inavaa ar-enawaaの違いが自他の区別を表すようになるので日本語っぽい区分も可能になってしまいます。ま、こんなアクロバットなこと、やってるわけないんですけど。 シンハラ語の動詞には自動詞、他動詞以外に無意志動詞というものがあります。「なぜかわからないけど、自然にそうなってしまう」という状態を表す動詞です。日本語の動詞にもこの無意志動詞にあてはまる動詞があるのですが、英語圏からすると、これが曲者です。それで、シンハラ語の無意志動詞を探る研究が多くなされています。 この下に「風でドアが開いた」に関連するシンハラ文をガイアの著作から拾い上げました。ガイアは英文とシンハラ文の比較検討をしていますが、ここではさらに日本語文を加えてみました。シンハラ文の細やかな言い回しを注意深くさぐるにはどうしても英語文だけでは足りません。 ここでは構文説明を格文法でさらりと流していますが、シンハラ文は格(case,vibakthi)で仕組みを解明しようとしてもうまくいかないことが間々あります。パーリ語の影響の下に作られた文語は格で解析できますが、口語はどっこい、それほど生易しくない。 この下にガイアの論文からピックアップした構文説明を引用しました。シンハラ語の自動詞、他動詞、無意志動詞が自由自在に文を作るさまが読み取れます。「なにこれ?、ちょっと」などと興味をもたれたら、シンハラ口語の世界を訪ねてみてください。
参考/ The Paired Verbs Based on Intransitive-Transitive Distinction Selected intransitive verbs (underlined) |