「私、もう、行くだから…」
  Sinhala QA76

2008-Mar-03 2015-Apr-23 2018-Nov-24

 「行くだから」「食べるだから」というように、シンハラ人の話す日本語はやたらに「だから」を使ってしまい、「行くから」のようには言えない。「だから」を「から」に代えるためには、どう教える?


「行くだから」と「行くから」

 お邪魔した家でおいとましようとして、「私、もう帰ります」
と言うところを、
 「私、もう、行くだから…」
と言ってしまうシンハラ人が多い。「行く」に「だから」を付けて理由をあらわす。この「だから」の言い回しを使うシンハラ人は何とも多いのです。「だから」と「から」の使い分けが出来ないようです。
 「行くから」となぜ言えないか?
 
 日本語学校で、起点の「から」と理由の「だから」の違いを教えられたとして、たとえば「京都から」と「京都だから」の例を挙げられてしまえば、彼らとしては、なんとしても理由を表す日本語のニパータ(particle)は「だから」である、となってしまう。  理由を表すシンハラ語のニパータ(助詞)には「ニサー」があって、これを日本語の「だから」にコンバートして覚える。

私(は)  もう  行く   だから…
මම දැන් යන නිසා ---
mama dan yana nisaa ---
私/主格 今/副詞 行く-/動詞連体形 から/接尾辞・理由
 日本語とシンハラ語は、口語の場合、ほぼ同じように文が作れる。統語syntaxが同じ。それは偶然のことだったけど、同じように単語を並べれば同じように文が作れてしまう日本語とシンハラ語。
 でも、「行く」は終止形で「ヤナ」は連体形。動詞活用が違うぞ。文法が異なる。
 そこで、ここでは「だから」は接続詞の働きを持つことを説明して、

私(は)  もう  行く。  だから…
මම දන් යනවා. ඒ නිසා
mama dan yanavaa. ee nisaa

のように文を「だから」の前で分けて使うことを説明します。
 そうすると「だから」に当てはめたシンハラ語の nisaaは 使えず ee-nisaa という形になることがシンハラ人にはわかります。nisaa は理由を表す接尾辞だから単独では使えないが、ee-nisaa なら「指示詞ee+理由を表す接尾辞nisaa」となって、独立させて使える。
 これで「だ-から」は「ee-nisaa」であることがわかってくる。「だ-」が「ee」で「から」が「nisaa」に対応することがわかる。「だから」は「それだから」の省略形で、「それ」にはシンハラ語の「ee」が対応するから、「(それ)だから」が「ee-nisaa」であることは自然に理解できる。
 「だ」の断定という働きに注目するシンハラ人は「だから」は「ee-nisaa」ではなく、「e-ma-nisaa」であると更に踏み込んだ指摘も出来るようになる。シンハラ語の接尾辞maは強調を表して、強調すべき語のうしろに置かれる。
 
私(は)  もう  行く。  だから(強調)
මම දන් යනවා. එම නිසා
mama  dan   yanavaa.  e-ma nisaa


 ここまで来れば下の文が日本語・シンハラ語共に誤用だということが自明のことになる。

  × 私(は) もう 行く だから…
   × 
මම දැන් යන ඒ නිසා
    mama dan yana-ee-nisaa


 と、こうして「だから」は解決しても、「から」にはちょっと厄介な始末が待っている。日本語の「から」と同じ「カラー」කරා というニパータがシンハラ語にはあって、これが「着点」を表す。
 「京都から」と日本語で言えばfrom Kyotoだけど、シンハラ語で「キョート・カラー」と言えばTo Kyoto、「京都へ」となってしまう。彼ら、「京都カラー行くね」なんて、「京都へ行く」ことを平気で逆に言う。

කියෝතෝ කරා
kyoto karaa
京都 に/へ。

 困ったな。
 さぁて、これはどう説明しようか…!?