シンハラ語の連音・サンディのこと

シンハラ語質問箱 Sinhala QA69
2006-11-18



 シンハラ語の名詞は名詞そのものが語形を変えます。たとえばガハ(木)、ガヘー(木の)ようにです。「かしゃぐら通信」はシンハラ語と日本語は同じものと言ってますが、日本語の名詞にはそうした変化などありえません。シンハラ語は屈折語で日本語は膠着語。このことをどう捉えていますか。
 

知っておきたいサンディの法則

 日本語で書かれたシンハラ語の教科書にはサンディසන්ධි(リエゾン/連音)という用語で表されるシンハラ語文法のことが触れられていないので、ご質問のような屈折語、膠着語という言語の分類を早合点してこうしたご指摘になるのだと思います。日本語で書かれたシンハラ語教本は『シンハラ語の話し方』を除けば、始めからシンハラ語を屈折語として読み込んでややこしい文法を説明するばかりで、サンディという現象に触れていません。
 サンディの音理論はシンハラ語の名詞の語形変化、屈折と見られてしまう音の変化を解明する大事なルール。これは見事な膠着語のルールなのです。

 日本語では連濁(れんだく)や連声(れんじょう)がサンディにあたります。「日」と「傘」が一語になると「ひ‐かさ」ではなく「ひ‐がさ」になります。また、因と縁が述語を作ると「いん‐えん」ではなく「いん-ねん」と発音されます。単語が重なることで音節の子音部分が変わる。日本語ではこうした音の変化が起こります。
 また、「ぼくは」が連音すると「ぼかぁ」になります。日本語では、この「ぼかぁ」を「ぼく」の語形変形とは見ませんし、もちろん「ぼく」の屈折形とも見なしません。「ぼく+は」が転じて「ぼかぁ」になったのです。
 シンハラ語のサンディはこの「ぼく+は」が「ぼかぁ」の音形に転じることを言います。名詞がそのほかの単語--同じく名詞や助詞(ニパータ)などですが--、そうした単語と結びついて発音上一つの単語のようになる。また、表記の上でも連音をそのまま書き表してひとつの単語のようになる。この現象をシンハラ語文法はサンディසන්ධිと呼んでいます。
 スリランカで使われているシンハラ語教本にはサンディ(リエゾン/連音)の現象を起こした単語の形とその基になる基本の単語系がパターン化されて示されています。屈折語とされるシンハラ名詞の語形変化は、その実、膠着語としての姿を秘めていることがこのサンディによって確認できます。
 たとえば、ご質問にあるガハ、ガヘーですが、これら「2語」の相関は次のようになっています。  

単語の形 単語の仕組み シンハラ表記 日本語訳 備考
ගහ
gaha
ガハ
gaha
ගහ 木/木は シンハラ語の主格は助詞(ニパータ)を伴わない。
ガヘー
gahee
ガハ+エー
(名詞+ニパータ)

gaha+ee
ගහ + ඒ = ගහේ 木の 「木の枝」などのように属格を示す。属格は名詞語尾にගේ -gee, -ee, යේ -yee などのニパータを伴い1語として表記される。

 ガヘーは表記上一語のように見え、また実際、一語として聞こえます。でも、これは本来、ガハ(木)とエー(~の/助詞・ニパータ)の2語なのです。ガハが「木」、「エー」はシンハラ文法でニパータと呼ばれる接尾辞、日本語で言えば助詞にあたります。この2語の連結で起こる音の融合現象をサンディと呼びます。
 40年も昔のことですが、日本で始めてシンハラ語が紹介されたとき、このサンディ理論が省略されてしまいました。
 サンディを理解していればシンハラ語文はとても容易になります。同時にニパータという品詞の説明も省かれましたから、シンハラ文が日本語に近いことは誰も気づけませんでした。

 サンディ(リエゾン/連音の現象)は名詞とニパータ(助詞)の連結で生じます。日本語の「ぼかぁ」とよく似た文法現象がシンハラ語にもあるのです。
 シンハラ語のサンディ理論をこうしてご紹介するのは日本では初めてのことでしょう。サンディ理論を学ぶとシンハラ語の造語法がスムーズに理解できて、それまで読めなかったシンハラ文が読めるようになります。サンディ文法理論の学習は耳で聞くシンハラ語ばかりでなく、文章を読むときにも大いに役立ちます。
 「かしゃぐら通信」のシンハラ語テキスト「シンハラ語の話し方」では、この連音の現象についてシンハラ語のニパータの説明とあわせながら随所で解説しています。「シンハラ語の話し方・音声版」では実際のサンディ現象を耳で確認できます。
 私たちは「ぼかぁ」と聞いても「ぼくは」と聞き取ります。これもサンディ現象。シンハラの方が日本語を耳で聞いてすぐに覚えてしまうのは「ぼくは」が「ぼかぁ」と転じる音の現象をサンディでやすやすと聞き取るからなのです。