黒部源流域の山を歩いた6日間 2002年7月19日 - 25日 テント縦走

7月19日

さわやか信州号の集合場所・都庁下駐車場はいつも大混雑という印象があるのだが、この日は思ったほど混んでいなかった。それでも、上高地行きの受付の前ではミュールをつっかけたギャルが「あっつう〜い」を連呼していたり、「おれの乗るバスはどこなんだ」と係員に詰め寄るおっさんなんかもいたりして、いつもながらの光景だなあとも思ったのだった。
新穂高に行く人は上高地と違って全員山ヤさんだったようだ。バスが出発してしばらくするとかつりんの後ろの席の人は通路に横になった。プロだなあと思った。おかげでかつりんも遠慮なくリクライニングを最大に倒すことができ、この手のバスにしてはよく眠ることができた。かつりん達は前の方の席だったのだが、夜中にふと後ろの方を見ると、みな補助席を有効に利用して賢く睡眠態勢をとっていた。プロだなあと思った。

7月20日 曇りときどき雨

バスは予定より1時間近くも早く到着した。前夜コンビニで買ったおにぎりなどを食べ、身支度を調えた。

6:45 新穂高出発

今日は昨秋の笠ヶ岳行きと同じ行程である。空がどんよりと曇っているのがそっくりだが、雨は降っていない。

8:40 登山道取付点

登山道取付きから行く手をのぞむ
登山道取付きから行く手をのぞむ
ワサビ平で水を汲む。小屋前に看板が出ており、鏡平への道の途中に危険箇所があるという。聞いてみると、秩父小沢の渡渉点が雨で荒れているので高巻道を通るように、とのことだった。
林道を進み、登山道への取付点に到着した。昨秋も行われていた、取付点付近の崩壊修復工事はまだ済んでいなかった。迂回路はずいぶん遠回りに感じる。
行く手を見ると、どうやらシシウドが原のあたりからは雲の中のようだ。

9:44 秩父沢

曇っているおかげで日に炙られず、快調なペースで秩父沢に到着。冷たい水をむさぼり飲む。

10:15 秩父小沢

小屋では高巻くようにという指示だったが、見るとそのまま渡れそう。沢から道にあがるところに雪がついていて、そこだけ滑りそうで危なかったが、ストックを駆使してなんとか通過できた。20mほど上に雪渓が迫っており、高巻道はその雪渓の上を行く。どうやらこの雪渓のデブリが原因で荒れたようだ。

11:32 シシウドが原

シシウドが原を登る登山者たちを見上げる
シシウドが原を登る登山者たちを見上げる
イタドリが原を過ぎたあたりから徐々に疲労がたまってきた。シシウドが原にはいるとたまらずに最下部でザックを下ろして休んだ。見上げると、登山者が列をなして登っていた。
シシウドが原で道は右に曲がり、山腹をトラバースするように進みつつ徐々に高度をあげていく。「熊の踊場」を過ぎれば鏡平はあと少しだと思っていたが、意外に長くかかった。

13:24 鏡平山荘

もうこの頃はへとへとになってしまった。ここを通るのは登り下り合わせてこれで3度目だが、名高い槍穂高の眺めはまたもやお預けであった。
寒いので周りはみなラーメンを注文していた。名物のかき氷も今日は開店休業状態のようだ。登山客は思ったより少なく、ベンチも空いていた。われわれもベンチに座ってクッキーなどを食べていると、雨がぱらぱらと降ってきた。もうこれでモチベーションは急降下。鏡平に停滞しようかとも思ったが、相棒Kの、今日中にどうしても双六まで行くという強い意志でなんとか気力を奮い立たせ、カッパを着込んで出発。

稜線へ

稜線はハクサンイチゲが美しかった
稜線はハクサンイチゲが美しかった
歩き始めると雨が止んだ。よし、と思いカッパを脱ぎ、再び歩き始めると今度は雨が降ってきた。うう、と思いカッパを着て歩き始めると、また止んだ。よし、と思いカッパを脱いで歩き始めると今度は本降り。えーいもうどうにでもなれと半ば捨て鉢になって今度はカッパを着ないでそのまま歩いていたら少しして雨は止んだ。この日はもうこれ以上雨は降らなかった。
弓折岳の稜線に出ると花が美しかったが、体力的にしんどく、それどころではなかった。

17:10 双六小屋到着

双六小屋まであと少し
双六小屋まであと少し
2622mのピークを過ぎて尾根の西側に出ると雲がなくなり、目指す双六小屋が見えてきた。これは昨秋と全く同じパターンだ。そんな気象の特性があるのだろうか。
小屋が見えてから残雪を下るところがあった。油断して踏み出したらコケてしまい、サッカーや野球のスライディングのような体勢のまま20cmほど滑落(笑)して、左膝が石にぶつかり停まった。あとで見たらすりむいていた。ここがまた、ハイマツの中を歩くときなど飛び出た木の根によくあたるところで、この後の山行を通じて苦しめられることになった。
そんなこんなで、雲の中をふらふらになりながら17時を過ぎてようやくキャンプ場に到着したのだった。
本日の夕食はカレーとワカメサラダ。カレーはレトルトで「赤ワイン入り」とかいうものだったが、そのせいかまるでシチューのような味だった。
双六のテント場は相変わらず風が強い。予報では夜半に雨が降るという。風と、雨対策をしっかりとして、眠りについた。

7月21日 雨のち曇りのち晴れ

テント場は朝は霧が立ち込めていた
テント場は朝は霧が立ち込めていた
閑散とした双六小屋
閑散とした双六小屋
2:36、フライシートを叩く雨の音で目がさめた。やはり降ってきた。しかもかなり激しい。こりゃあもう今日は停滞だな・・・
と、再び眠りに落ちて、7時過ぎに目覚めてみると雨は上がっていた。依然としてガスは濃く、いつも賑わっている小屋前の広場も閑散としている。しかし徐々に雲が晴れてきた。また、強風でフライシートの雨粒も吹き飛んでおり、テントの撤収もラクそうだ。というわけで、出発決定。今日中に雲ノ平に入ることにした。当初は鷲羽岳を越えて雲ノ平に入り、帰りに黒部五郎に寄る予定だったが、これで、帰りに鷲羽と五郎のどちらかを選択せざるを得なくなった。両方はムリか・・・

9:30 双六発

頂上に向かう登山道との分岐点付近からの鷲羽の眺め
頂上に向かう登山道との分岐点付近からの鷲羽の眺め
ちょっと出発が遅いが、最短ルートをたどれば16時ころには雲ノ平に着けるだろう。双六小屋から三俣山荘までは3つのルートを選べるが、今日は展望がないので、花を楽しめる巻道を使うことにした。
巻道に入ったあたりでは天気もだいぶ回復してきて、鷲羽岳も見えるようになっていた。2年前に悪天候で撤退したことが思い起こされる。

12:00 三俣分岐着

三俣蓮華岳分岐付近の花
三俣蓮華岳分岐付近の花
しかし巻道には思ったほどの花はなかった。2年前に通ったときはガスの中に花畑が広がって幻想的な雰囲気だった。今回、遠くを見渡せればさぞかしきれいだろうと思っていたのに。道中の最低標高地点に下るところはかなりの斜度の岩ゴロの坂だった。うーん、この道ってこんなにキツかったっけ。まあ、ガスの稜線を行くよりはマシだろうけど・・・帰りは晴れた稜線を通りたいなあ。
などと考えていると徐々に辛くなってくるのであった。三俣蓮華岳分岐に向けての最後のひと登りは本当に疲れた。
一方、分岐から三俣山荘への道は周囲を花に彩られ、美しかった。中心はハクサンイチゲであった。北海道のような広大さはないが、ちょうど盛りだったのか「生きがいい」という印象であった。

12:35 三俣キャンプ場着

三俣小屋と鷲羽岳
三俣小屋と鷲羽岳
だいぶバテた。空はすっかり晴れ上がって鷲羽岳が大きな姿を見せている。今日は三俣にテントを張り、これから鷲羽岳を往復するという企画を思い付いた。相棒Kに打診するが、今日中にどうしても雲ノ平に行くという強い意志により、再び歩き出すことに。
黒部源流に向けて下る。道は最初沢に沿っているが少しすると離れる。石が多いが歩きやすい道だ。

13:47 源流分岐発

これから登る急坂を見上げる
これから登る急坂を見上げる
13:20頃源流標識に到着。標識は沢とはちょっと離れたところにぽつんとあった。ここから道は二手に分かれる。ひとつは源流を詰めて岩苔乗越 - 祖父岳と続く道。もうひとつは日本庭園に直登する道だ。前者は一度祖父岳を登りきらなければならず、獲得標高差が大きいので、あえてキツそうに見える直登コースを採ることにした。
分岐点から大きな沢に向かって10mほど斜面を下る。沢に出るとすぐ目前にペンキマークがあるが、水量が多い上に飛び石も離れており、自分はともかく相棒はとうてい渡れそうにないと思った。で、渡渉地点を探してどんどん上流に行って雪渓で行き詰まってまた引き返すという失態を演じてしまった。これで20分も時間をロスしてしまった。結局ペンキマークのところを渡ることができた。渡りきってからザックを下ろし、沢の水をがぶ飲みしてから出発。

急登

急坂の途中で鷲羽岳を見上げる
急坂の途中で鷲羽岳を見上げる
急登は、下から見上げるととんでもない斜面だと思うのに、登り始めると大してキツくないなと思うことがよくある。ここでもそんなふうに感じた。キツそうだと思ってこちらが身構えるからだろうか。道自体も、先ほどまでの下りと同じく、比較的歩きやすい。意識的に歩幅を小さくしてカメのように進んでいく。道の周囲に大きな石もごろごろしていて休憩もしやすい。
大岩に腰掛けると、坂に背を向け、鷲羽岳と対峙する格好になった。三俣方面から見える鷲が羽を広げた姿は、雄々しくてしかも軽快な感じを受ける、かつりんの大好きな眺めだが、ここからの姿はどうだろう。まさに雄大の一言だ。前者が羽を広げ今飛び立とうとする鷲の躍動感なら、後者は深山に君臨する王者の圧倒的な威圧感で迫ってくるのだ。
と、そんなようなことを考えていたら感動がこみあげてきた。この山に登りたいと強く思った

15:05 第二雪田通過

第二雪田を行く
第二雪田を振り返る
坂を登り詰めると最後に雪田に行き当たるが、ここで道を見失いかけた。我々の前にいかにも山慣れた雰囲気のおじさんが歩いていたのでついていこうと思ったのだが、おじさんは途中で引き返してきた。雪田の右手奥の石にペンキマークが見えるのでその方向に行ったが踏み跡がないという。三俣山荘からの下りの途中で俯瞰した景色を思い出し、雪田の左を行くようにおじさんに話してみると「あーこっちみたいだね」ということで、なんとか突破できたのだった。ガスに巻かれていたら難渋したことだろう。
写真はその次に現れた雪田である。ここを過ぎるとほとんど平坦な道が続く。

17:00 雲ノ平着

第二雪田を過ぎ、単調で変化に乏しい、ちょっとぬかるんだハイマツ帯の道が1時間ほども続く。雲ノ平山荘が左手前方に見えるようになり、さらにひとがんばりしてようやく祖父岳への登山道に突き当たる。そのまま標識に従ってテント場へ。

テント場にて

テント場にはすでに20数張のテントがあった。全体が谷状になっており、石がごろごろ転がっていて、平らに整地されているところは限られている。まともにテントを張れるのは30〜40張くらいではないかと思った。また、水場が斜面の上の方にあり、豊富な水があふれてそこらじゅうに流れ出ていた。まだテントの張られていない残りの平地にはどこも水が流れた跡が見えた。
しかたなく手近な場所に手早くテントを設営してから相棒Kを残し受付のため山荘に向かった。山荘には15分くらいで着くものだと思い込んでいたが、30分もかかった。おかげで疲れは倍増。あとで知ったところによると、この日小屋には120人あまりが泊まったようだ。自慢のテラスをザック置場にして、上からブルーシートをかけていた。
夕食は外で食べた。あまりにも疲れたので多く食べられないと思いごはんは炊かなかった。相棒Kが調理している間、かつりんはテントまわりの治水工事をした。食後、我々としては遅い20時頃、ようやく眠りについたのだった。
ページ内を句点で改行する