(大田南畝、あるいは大田直次郎として交遊のあった人) |
交遊 | 詞書・漢詩・狂歌 | 出典 | 巻・頁 | 年月日 |
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だいごう しんさい 大郷 信斎 | 「雨夜、浪華の客舎に大郷信斎の韻を和す 【此詩、信斎の扇頭に題す。信斎、携へて崎港に遊び、清人に示す。清人、苦ろに請うて之を蔵む】」 「洗馬の客舎に大郷民則儀卿・馬光昇国瑞と同じく句を聯ぬ 「又 挑燈聊把筆 覃 暫使客情忘 儀卿」 | 南畝集12 漢詩番号1962-4 | ④163 | 享和1年 1801/03/ |
たいせいきょ 待清居 | | |||
だいぜんのすけ こうあん 大膳亮 好庵 | | |||
たいじゅんし 泰順師 | 「同前(東漸院)。泰順師に贈る | 南畝集5 漢詩番号0972 | ③333 | 天明1年 1781/閏5 |
だいねんぜんじ 大年禅師 | 「早春、大年禅師の峡中に還るを送る 唯似支公能愛駿 驪駒山色為君驕」 | 南畝集2 漢詩番号0265 | ③92 | 安永3年 1774/01/ |
「峡中の大年禅師の郡内絹を恵むを謝す | 南畝集2 漢詩番号0274 | ③95 | 安永3年 1774/03/ | |
「峡中の大年禅師を憶ふ 欲望拈花微笑色 芙蓉白雪気氤氳」 | 南畝集2 漢詩番号0325 | ③112 | 安永3年 1774/12/ | |
だいまる 大丸 | 「春日、大丸氏の深川の荘 | 南畝集19 漢詩番号3971 | ⑤341 | 文化12年 1815/02/02 |
初午の日、深川大丸の別荘にて【社を繁栄稲荷】といふ 両方の松と松とが行あひて池の心も広き大丸」 | 六々集抄 | ②225 | ||
たかい 高井 (大隅守) | 「小納郎長高井隅州の遷りて将に大匠と作らんとするを賀ず | 南畝集7 漢詩番号1447 | ③499 | 天明8年 1788/04/ |
たかぎ こうすけ 高木 公輔 | 「秋日、高公輔の楼上の集ひ【座に素心蘭位置盆有り】 「高木公輔が樺島町の水楼にして素心蘭一盆を見る」 | 南畝集15 漢詩番号2717 瓊浦又綴 | ④395 | 文化2年 1805/08/ |
たかぎ ほうしゅう 高木 芳洲 (高仲幹) | 「高仲幹に寄す 帰来不用弾長鋏 今日馮驩食有魚」 | 牛門四友集 | ⑥12 | 明和4年刊 1767/ |
「川仲裕・高仲幹・岡公脩と同に武野に遊ぶ | 三餐余興 遊玉川記 | ⑧8 | 明和4年 1767閏09/04 | |
「高仲幹の京に之くを送る | 南畝集2 漢詩番号0245 | ③85 | 安永2年 1773/09/ | |
たかくら ゆうい 高倉 雄偉 愛吾廬 | 「秋雨中、高倉 載 雄偉肩輿を以て迎へらる 「高倉雄偉の宅に秋雨中韻を探る。文韻を得たり。野中 知 新三・鱸 文 猶人を懐ふ 【今日、浅草に遊猟するの事有り。二子、役に従ふ。故に三四句有り】 | 南畝集17 漢詩番号3417・8 | ⑤177 | 文化7年 1810/09/ |
「五出園の集ひ。高倉 載 雄偉の対州に之くを送る。歌韻を得たり | 南畝集17 漢詩番号3454 | ⑤187 | 文化8年 1811/01/07 | |
「春雨、愛吾廬の集ひ | 南畝集18 漢詩番号3765 | ⑤280 | 文化10年 1813/03/ | |
「三月尽、高雄偉の愛吾廬の集ひ。牡丹を看る 今日正当三月尽 得兼花相殿春名」 | 南畝集18 漢詩番号3888 | ⑤313 | 文化11年 1814/03/ |
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「春尽、鱸 文 猶人・高倉 載 雄偉と同じく赤坂の酒泉楼に宴す | 南畝集19 漢詩番号4159 | ⑤391 | 文化13年 1806/03/29 | |
たかざわ 高沢 | 「高沢氏の玄玉に題す | 南畝集9 漢詩番号1764 | ④98 | 寛政3年 1791/10/ |
たかしま しゅうけん 高島 周見 | 「室町高島周見といへるくすしのもとに、久しく見ざりし升屋のお市にあひて | 放歌集 | ②201 | 文化9年 1812/08/11 |
たかしま 高島 (長崎) | 「西窓の読書 【崎陽の高島氏、舶来の清素集を寄す。故に云ふ】」 | 南畝集16 漢詩番号3013 | ⑤55 | 文化4年 1807/02/ |
たかす 高須 | 「冬日、高須の諸大夫と同じく下大夫永井氏の池亭に宴す。金鯽魚を詠ず | 南畝集7 漢詩番号1381 | ③476 | 天明7年 1787/10/ |
たかだ よせい 高田 与清 | 「文化十二乙亥三月六日、天晴和暖、筋違御門の外通船屋敷高田与清松の屋にて曽我物語をよまんとて、午の刻過る頃ゆく。兼々約せし山下正臣申の刻まで来らず。あるじ酒をすゝむるに如亭、天民、松郷など来れり。けふは天気よければ上野の花見んとて、天民、松郷、◯園などぐして上野に行。道にして清水浜臣にあへり。ともなひて清水の元なる松原に莚をしきて酒くむ、(南畝と天民の聯句記事)浜臣、松の屋は和歌の事につきて近来不快なるよし、けふは花の本にゆくりなく相見へしかば、中直りせんにはおの/\をのはじめをくらべて、大なる方を勝と定んと興じければ、うたひめに糸ひかせ◯園を角力の行司だつものにして扇をひらきて左右をあはせしに、浜臣のものふとくたくましきにいきほひを添て出しければ、人々の目ををどろかせり。松の屋もをさ/\おとるまじきが、いきほひなくなへ/\として出せしかばおとりて見ゆ。人々めでくつがへりてとよむ事になん。鳥羽僧正などの書る絵巻物みるこゝちして古代なる戯れ、今の代にはありがたうなん覚へし と心のうちにおもひ侍り。(中略)杏花園主人」 | 半日閑話3 | ⑪237 | 文化12年 1815/03/06 |
「高田 与清 (二字欠)の擁書楼に題す | 南畝集19 漢詩番号4069 | ⑤366 | 文化12年 1815/07/ | |
「三日、高田 与清 松屋の擁書楼の集ひ。浪華の歌妓市松酒を佐く | 南畝集19 漢詩番号4152 | ⑤389 | 文化13年 1816/03/03 | |
たかはし りゅうすけ 高橋 竜助 | 「二条右大臣の御内なる高橋氏竜助画賛をこふ。海老にからすみの画なり | 六々集 | ②221 | 文化12年? 1815/01/ |
たかはし もかん 高橋 茂貫 | 「午日前一夕、馬蘭亭・高茂貫・井子瓊・鱸猶人・名和氏・福原潤夫・吉伯教・山臥雲諸子過集す | 南畝集13 漢詩番号2278-9 | ④260 | 享和3年 1803/05/04 |
「七夕、馬蘭亭と同じく舟を墨水に泛ぶ。会々高橋梁山・高橋茂貫・近藤正斎、舟を方べて至る | 南畝集14 漢詩番号2472-4 | ④321 | 文化1年 1804/07/07 | |
たかはし 高橋 景保? | 「高橋氏に飲す | 南畝集16 漢詩番号3062 | ⑤70 | 文化4年 1807/04/ |
たかはし かげやす 高橋 景保 | 「至日、司天台高橋氏の宴集 潦倒唯須拌縦飲 猶窺百里聚星光」 「冬至の日、浅草司天台にて【霜月廿二日天気よし】 | 南畝集19 漢詩番号4106 七々集 | ⑤376 ②277 | 文化12年 1813/11/22 |
「仲冬初三の冬至、司天台高橋氏の宴集。賦して贈る 為送今宵帰酔客 故懸初月照同明」 | 南畝集19 漢詩番号4227 | ⑤409 | 文化13年 1816/11/03 | |
「至日、高橋氏の集ひに酒を病んで赴くこと能はず。此を賦して謝を寄す | 南畝集20 漢詩番号4318 | ⑤438 | 文化14年 1817/11/15 |
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たかはし りょうざん 高橋 梁山 高橋重賢 通称三平 号竹里 | 「高橋梁山の蝦夷に之くを送る | 南畝集 漢詩番号1923 | ④152 | 享和1年 1801/01/ |
「冬夜、高橋梁山の席上、賦して山本 信有 北山に示す、時に梁山蝦夷還【十二月七日】 坐中諸子皆醒世 潦倒深慙独酔顔」 | 南畝集13 漢詩番号2386 | ④290 | 享和3年 1803/12/07 | |
「七夕、馬蘭亭と同じく舟を墨水に泛ぶ。会々高橋梁山・高橋茂貫・近藤正斎、舟を方べて至る (詩は省略、交遊編の「交遊」か時候編の「七夕」参照)」 | 南畝集14 漢詩番号2472-4 | ④321 | 文化1年 1804/07/07 | |
「秋日、高橋梁山に過飲す。時に梁山新たに蝦夷より還る 萍水重逢高閣上 同心清似玉壺氷」 | 南畝集16 漢詩番号2945 | ⑤34 | 文化3年 1806/09/ | |
「早春、高橋梁山過らる | 南畝集17 漢詩番号3308 | ⑤144 | 文化7年 1810/01/ | |
「高橋梁山の任に崎陽に之くを送る | 南畝集20 漢詩番号4671 | ⑤538 | 文政5年 1822/06/ | |
たがや 多賀谷 | 「多賀谷氏より三線をかりて | をみはへし | ②3 | 未詳 |
たきがわ めいふ 滝川 明府 | 「滝川明府、招かる。会々暑甚だしうして赴くこと能はす。此を賦して謝し奉る | 南畝集14 漢詩番号2463 | ④319 | 文化1年 1802/06/ |
たきがわ なんこく 滝川 南谷 | 「新田侯の席上、長嶋老侯・滝川南谷君・河寛斎と同じく「暁に花を見る」を賦す | 南畝集18 漢詩番号3755 | ⑤277 | 文化10年 1813/02/ |
たきぐち 滝口 | 「みどり町滝口氏のもとにて | をみなへし | ②3 | 未詳 |
たくさいよ 沢歳余 | 「勢州の沢歳余の「元日」の韻を和す | 南畝集8 漢詩番号1630 | ④48 | 寛政2年 1790/03/ |
たけい 竹井 | 「竹井氏を挽す | 南畝集19 漢詩番号4042 | ⑤359 | 文化12年 1815/04/ |
たけがき なおあつ 竹垣 直温 | 「竹垣君恵政の碑 竹垣君、諱は直温。字は叔恭、三右衛門と称す(中略)世々代官たり。君其職を嗣ぐ。天明六年より越後をおさめ、寛政元年に摂河播にうつり、同五年に房総常野にうつりて関東の御郡代に属す。(中略)文化六年、その功を以て六位の階に列す。文化十一年の正月、君のとしすでに七十七、その老て病るを以て職を辞せん事をこへども許さず、時服一襲を賜ふてこれを賞す。つゐにそのとし十一月八日に終る(以下略)」 | 七々集 | ②268 | 文化12年 18158/10/ |
たけがき りゅうとう 竹垣 柳塘(庄蔵) | 「三月小尽、竹垣氏の別業に過る | 南畝集13 漢詩番号2260 細推物理 | ④255 ⑧359 | 享和3年 1803/03/29 |
「五月望、馬蘭亭・狂歌堂・山東窟・鳥亭と同じく竹柳塘の亀沢の別業に集ふ。瞽八重川勾当箏を鼓す 「亀沢別業の会。烏亭焉馬・狂歌堂真顔・山東京伝・馬蘭亭高彦来、八重川勾当来弾箏(中略)帰路(中略)月清く風すゞし。柳橋より舟にのりて神田川の月みんと、高彦・八重川とともに舟にのる。酔心地にふしぬ。月はいかゞなりけん、しらず」 | 南畝集13 漢詩番号2286-7 細推物理 | ④263 ⑧364 | 享和3年 1803/05/15 | |
「秋日、藤 篤 正斎・竹 惟直 柳塘と同じく舟を泛ぶ。会々風波起る。舟を東橋に繋ぎ、林氏の荘に過つて酌を携へ、正斎の池亭に之く 坐待芰荷池上月 杯如象鼻巻為筒」 | 南畝集16 漢詩番号2918 | ⑤25 | 文化3年 1806/07/ | |
「秋日、竹柳塘と同じく舟を墨水に泛ぶ | 南畝集17 漢詩番号3398 | ⑤169 | 文化7年 1810/08/ | |
たけべ ろくえもん 建部 広載 | | |||
たけしま 武島 | 「主計つかさの庭に武島氏の植置し梅をみて | 六々集 | ②227 | 文化12年 1810/02/ |
たけもと 竹本 | 「文月八日、竹本氏のおくれるむなぎめすとて | あやめ草 | ②88 | 文政4年 1821/07/08 |
たちばな ちかげ 橘 千蔭 | 「橘千蔭の洛陽女児図に和歌を題せるを謝し、其の韻を次ぐ 【橘、万葉集略解を著はす。祇苑、洛陽の祇園社なり】 | 南畝集13 漢詩番号2387 | ④290 | 享和3年 1803/12/ |
たつのこう 竜野侯 (脇坂安薫) | 「竜野侯の対馬の之くを送る【時に馬鐙の賜有り】 | 南畝集17 漢詩番号3473 | ⑤192 | 文化8年 1811/02/ |
たなか 田中 | 「安永六年丁酉王正月、閑院王の使田中氏、東都に来聘す。田中氏、吾が友山田君忠の家に主たり。予、君忠に因りて田中氏に見ゆ。別れに臨んで歌を作る。情、辞に見はる 君自王門承恩沢 夙曳長裾侍瑶席 流風可仰中書王 敬愛還同上賓客 楚台風起披襟時 梁苑雪飛授簡夕 清塵濁水異浮沈 尋常豈合得私覿 幸喜今宵会一堂 共酔離筵琴瑟傍 誰道糸竹不如肉 放歌一曲勧飛觴 明年又遇陽春動 回頭下里莫相忘」 | 南畝集5 漢詩番号1059 | ③363 | 安永6年 1777/01/ |
たなか 田中 (水戸藩) | 「春日、吉川氏邀へて、水藩の会沢氏・田中氏と湯島の酒楼に宴す 坐中更有新知楽 共喜春宵得聚星」 | 南畝集5 漢詩番号0902 | ③310 | 安永10年 1781/01/ |
たなか きえん 田中 葵園(佐渡) | 「午日、佐州の田中 清 士廉過らる。韻を和す | 南畝集18 漢詩番号3513 | ⑤207 | 文化8年 1811/05/05 |
「田中 清 士廉の佐渡に還るを送る | 南畝集18 漢詩番号3517 | ⑤208 | 文化8年 1811/05/ | |
たなか 田中 | 「春日、大橋・田中二子と同じく深川の養老亭に宴す。石橋生・狩探信・木芙蓉坐に在り。歌妓阿勝・阿琴酒を佐く」 | 南畝集19 漢詩番号3959 3960・3961 | ⑤337 | 文化12年 1815/01/ |
たなか 田中 | 「伊丹坂上氏醸する所の美酒武蔵野明月と曰ふ、江戸鞘町田中氏の嘱する所の詩 | 紅梅集 | ②350 | 文政4年? 1821? |
たなか 田中 | 「きさらぎ廿八日、田中氏、すみだ川白白髭の山里よりとねりこといふ木を贈られけるに | 六々集 | ②227 | 文化12年 1810/02/28 |
たなくらこう 棚倉侯 | 「小杭州【穀倉(タナクラ)侯別業十五景之一】 | 南畝集13 漢詩番号2152 | ④223 | 享和2年 1802/07/ |
たに しちざえもん 谷 七左衛門 | 「谷氏に朝顔の花みしに、さつまといへるたねの花ことにうるはしければ 「谷氏の静幽斎に牽牛花を看る | 紅梅集 南畝集20 漢詩番号4387 | ②344 ⑤459 | 文政元年 1818/07/ |
たに ぶんいち 谷 文一 | 「弥生九日、人の来て、よべ谷文一子身まかりしといふ。その夜のゆめにその人をみて | 紅梅集 | ②330 | 文化15年 1818/03/09 |
「谷痴斎の訃を聞く。疾に臥して会葬すること能はず。其の睡夢に痴斎を見る【痴斎、諱文一】 | 南畝集20 漢詩番号4346 | ⑤446 | 文化15年 1818/03/ | |
たに ぶんちょう 谷 文晁 | 「河 世寧 寛斎の集ひ。天民・五山・谷文晁と同じく賦す | 南畝集17 漢詩番号3403 | ⑤173 | 文化7年 1810/09/ |
「東叡山に花を看て谷文晁諸子に邂逅す | 南畝集18 漢詩番号3877 | ⑤310 | 文化11年 1814/03/ | |
たまだ 玉田 | 「王母の図に題して玉田氏の太嬬人の八十を寿す | 南畝集7 漢詩番号1494 | ③513 | 天明8年 1788/12/ |
たみや ちゅうせん 田宮仲宣(盧橘庵) | 「上元夜、佐臼山・慮橘庵過らる。会々酒饌を饋る者有り。乃ち馬国瑞を邀へて共に飲す。順宜師の亦至る | 南畝集12 漢詩番号2086 | ④198 | 享和2年 1802/01/15 |
たんきゅうし 丹丘子 | 「九月尽、丹丘子・近郊庵と同じく山土訓に集ひ、庚申を守つて旧きを話す 遮莫残秋看欲尽 朝朝又酔小陽春」 | 南畝集9 漢詩番号1899 | ④142 | 寛政5年 1793/09/30 |
たんこうじょうじん 箪巷丈人 | 「夏日、甘露門に集ひて箪巷丈人を憶ふ。豪韻を得たり | 南畝集8 漢詩番号1548 | ④19 | 寛政1年 1789/04/ |
たんしきょう 丹子喬 | 「至日、丹子喬・滕言卿と同じく安子潤に宴す | 南畝集5 漢詩番号1051-2 | ③359 | 天明1年 1781/11/07 |
「親軍騎郎丹子喬の後園の十詠。霧台の楓葉を賦し得たり | 南畝集5 漢詩番号1053 | ③359 | 天明1年 1781/11/ |