(大田南畝、あるいは大田直次郎として交遊のあった人) |
交遊 | 詞書・漢詩・狂歌 | 出典 | 巻・頁 | 年月日 | |
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かいげん 戒厳上人 | 「初冬、高野寺の集ひ。戒厳上人の瑶韻を和し奉る 自笑衰年過八々 猶貪羶臭未抽簪」 | 南畝集15 漢詩番号3694 | ⑤260 | 文化9年 1812/10/ | |
がうん 臥雲禅師 | 「臥雲禅師肩輿を以て迎へらる。途中の口号 莫是麻源第三谷 臥雲深処到僧寮」 「慈光院の萩花 【本邦、古へ萩を称して芳宜花と曰ふ】 | 南畝集17 漢詩番号3393・4 | ⑤170 | 文化7年 1810/08/ | |
「慈光院臥雲禅師、肩輿を以て邀へらる。途中の作 | 南畝集17 漢詩番号3434 | ⑤182 | 文化7年 1810/11/ | ||
「銀台の臥雲上人、肩輿を以て迎へらる。檀越万藤生、河 世寧 寛斎・辺玄対諸君を邀へて之を酌み、 壑亭に移る 由来長者称須達 能転香厨飽一莚」 | 南畝集17 漢詩番号3502 | ⑤201 | 文化8年 1811/03/28 | ||
「臥雲上人坐化すると聞きて感有り【三月廿八日】 | 南畝集18 漢詩番号3625 | ⑤239 | 文化9年 1812/03/28 | ||
「春日、臥雲師の雲林庵に過る 「其の二 【玉梅女史は画を善くし、文鳳女史は詩及び書を善くす】 | 南畝集18 漢詩番号3879 3880 | ⑤310 | 文化11年 1814/03/ | ||
「夏日、桐隠君・臥雲師と同じく山口侯の池亭に宴る。文鳳・玉梅二女史、坐に在り | 南畝集19 漢詩番号4276 | ⑤423 | 文化14年 1817/04/ | ||
かくえん 覚円 (高野山) | 「高野南谷の覚円師に寄す【時に鈴声院に寓す】 | 南畝集19 漢詩番号4035 | ⑤357 | 文化12年 1815/04/ | |
がくしてい 楽只亭 | 「秋日、楽只亭を訪ねて主人の朝より退くを待つ | 南畝集4 漢詩番号0566 | ③199 | 安永7年 1778/08/ | |
がくじどう 楽地堂 (須原屋忠助) | 「七月既望、井子瓊・鱸猶人・楽地堂及び児俶と同じく舟を泛ぶ。会々山桐原・鈴白藤至る 「今年享和二年壬戊にあたれり。予、井上子瓊、鈴木 文 猶人、書肆楽地堂、男 俶 子載とゝもに柳堤より舟を泛て墨田川にいたりて詩を賦せり。児玉 慎 空々、篠本 廉 竹堂も又諸子を携へて舟出せしが、三又のほとりに逍遥せしゆへ、南北のたがひにて逢はざりき。竹堂「三又に遊ぶの記」三編をつくりてくはしく事景を記せり。山上、桐原学士、鈴木 恭 白藤もをくれて至りて、予が舟に加はゝれり。十月の望にも必と約せしが、予風病にて約に違へり。篠本竹堂、鈴木白藤、鈴木猶人、山本文智、吉見 義方 伯教が輩は舟をうかべて聯句せしとぞ」 | 南畝集12 漢詩番号2157-8 杏園間筆二 | ④224 ⑩218 | 享和2年 1802/07/16 | |
「竹堂手記抄録一 壬戌七月既望舟遊一行名字 須賀屋忠助 楽地堂」 | 零砕随筆三 続日本随筆四巻 | ④212 | |||
「十二月十九夜、篠 廉 竹堂・鈴 恭 白藤・井 玖 子瓊・鱸 文 猶人・山 隣 徳甫・村 亮 文智及び楽地生と同じく舟を墨水に泛べて月を看る。是れ蘇東坡の生日にして、三たび赤壁に遊びし時なり | 南畝集13 漢詩番号2200-02 | ④237 | 享和2年 1802/12/19 | ||
かげつろう 可月楼 (西田) | | ||||
かざん 嘉山 | 「三田元札の辻といふ所にすむ嘉山のもとに、近きわたりのうたひめ来れり | 放歌集 | ②202 | 文化9年 1812/09/ | |
かしま 鹿島 | 「鹿島氏、富永稲荷奉納 | 紅梅集 | ②323 | 文化15年 1818/02/02 | |
かすかべ きんこう 春日部 錦江 | | ||||
かせいぎ 樺世儀 | 「夏日、関叔成・樺世儀・松世民及び諸子と同じく角筈の里に遊んで、熊野祠前の知足庵に集ふ 今日幸逢仙侶会 飽傾沆瀣漱余酣」 「夏日、関叔成諸子と同じく角筈の里の知足庵に遊ぶ。席上、樺世儀に和す | 南畝集6 漢詩番号1268-72 | ③436 | 天明5年 1785/05/ | |
かたぎり とういん 片桐桐隠 | 「夏日、桐隠君・雲室上人と同じく舟を泛べて、松沢氏の荘を過る | 南畝集18 漢詩番号3794 | ⑤288 | 文化10年 1813/06/ | |
「夏日、桐隠君・臥雲師と同じく山口侯の池亭に宴る。文鳳・玉梅二女史、坐に在り | 南畝集19 漢詩番号4276 | ⑤423 | 文化14年 1817/04/ | ||
かつた ろくこく 勝田 鹿谷 | 「冬夜、勝田生鹿谷の玉池の新居に過る | 南畝集19 漢詩番号4103 | ④375 | 文化12年 1813/11/ | |
「勝田 済 鹿谷、諸君を邀へて百川楼に宴す | 南畝集19 漢詩番号4153 | ⑤389 | 文化13年 1816/03/ | ||
「勝田 済 鹿谷の四十寿筵に百川楼に集ふ | 南畝集20 漢詩番号4334 | ⑤443 | 文化15年 1818/01/ | ||
「勝田 済 鹿谷、諸君を邀へて百川楼に宴す | 南畝集20 漢詩番号4526 | ⑤498 | 文政3年 1820/03/16 | ||
「八月十一日、勝田 済 鹿谷の新居の集ひに、東隣の菊楼を借りて諸君を邀ふると聞きて、賦して贈る | 南畝集20 漢詩番号4554 | ⑤506 | 文政3年 1820/08/11 | ||
かつらがわ ほしゅう 桂川 甫周(月池) | 「月池の令郎君方(まさ)に六歳。書画双つながら美なり。此を賦して贈り奉る | 南畝集13 漢詩番号2134 | ④216 | 享和2年 1802/06/ | |
「医院月池【桂川国瑞】の酒令籤、張生・鴬々有つて夫人・紅娘無し。予の蔵する所の二籤を以て、状元・会元に換ふ。戯れに賦して為に寄す | 南畝集16 漢詩番号3055 | ⑤67 | 文化4年 1807/03/ | ||
かてい 華亭 | 「冬日、伴忠順・井玄里・森周夫・巌君璣・井公亮・華亭師と同じく木子荘の巣松館に集ふ。十灰を得たり | 南畝集4 漢詩番号0607 | ③211 | 安永7年 1778/11/ | |
かとう しょうぞう 加藤 昌蔵 | | ||||
かなざわ ちあき 金沢 千秋 | 「監使【金沢氏】としのはじめに(南畝と歳旦を交わす。中略)又ざれごとうた と申しければ、返しせんとて、 千秋 とよみて笑はせ給ふ。又畑に植えたる桑をみ給ひて とありければ | 向岡閑話 | ⑨411 | 文化6年 1809/01/02 | |
「金沢君 千秋 の巡河日記を読む | 南畝集17 漢詩番号3378 | ⑤166 | 文化7年 1810/07/ | ||
「平千秋の佐渡の任におもむき給ひけるとき、よみて奉るうた 黄金はなさくてふ島にことのはの玉藻かるべき時もこそあれ」 | 放歌集 | ②151 | 文化8年 1811/02/09 | ||
かね (小女) | 「かねといへる小女の虫のやまひをやみける時 | 七々集 | ②266 | 文化12年 1815/10/ | |
かのう たんしん 狩野 探信 | 「春日、大橋・田中二子と同じく深川の養老亭に宴す。石橋生・狩探信・木芙蓉坐に在り。歌妓阿勝・阿琴酒を佐く | 南畝集19 漢詩番号3959 3960・3961 | ⑤337 | 文化12年 1815/01/ | |
かばしま せきりょう 樺島 石梁 | 「春雪、佐賀書記石井仲車、麹街の鶴巣楼に邀飲す。頼千秋・樺公礼・関叔成・爽鳩子胤・稲垣恵明・西川子璉・井子瓊・源博甫・馬景徳と同じく賦す 酔来極目城門外 春雪霏霏散近郊」 | 南畝集8 杏園詩集続編 漢詩番号1591 | ④36 ⑥91 | 寛政2年 1790/02/ | |
かぶつ 雅仏 | 「高野山雅仏師の寄せらるる韵に和す 毒玉川宜舐皿 暫時拝見日勧余 又 | 六々集 | ②235 | 文化12年 1815/04/ | |
かぶらぼう 蕪坊 佐臼山(佐伯重甫) | 「上元夜、佐臼山・慮橘庵過らる。会々酒饌を饋る者有り。乃ち馬国瑞を邀へて共に飲す。順宜師の亦至る | 南畝集12 漢詩番号2086 | ④198 | 享和2年 1802/01/15 | |
かべの なかぬり 加陪仲塗 滕子徳 | 「滕子徳の太夫人の七十を寿す 七十古稀人所羨 還疑此地接仙源」 | 南畝集6 漢詩番号1173 | ③406 | 天明4年 1784/03/ | |
かみくら 神倉 | 「神倉氏の弟の喪へるを弔す | 南畝集7 漢詩番号1484 | ③510 | 天明8年 1778/09/ | |
かめい 亀井 | 「秋日、舟を泛べて亀井の荘に到る | 南畝集18 漢詩番号3812 | ⑤293 | 文化10年 1813/08/ | |
かめい げんぽう 亀井 元鳳 | 「神保純父の席上、亀井 昱 元鳳に贈る | 南畝集16 漢詩番号3008 | ⑤54 | 文化4年 1807/01/ | |
かめだ ぼうさい 亀田 鵬斎 | 「首夏、岸汝裕と同じく間宮氏の別業を尋ぬ。亀田 興 鵬斎も亦至る。壁上、月泉の詩を掲ぐ。因りて其の韻を和す 「岸 綽 慎斎と同じく、根岸の間宮氏の別業に遊ぶ。亀田鵬斎来りて話す。庭に仮山水有り、芍薬階に当る、清興亦佳し」 | 南畝集13 漢詩番号2263 細推物理 | ④256 ⑧361 | 享和3年 1803/04/01 | |
「鵬斎亀田 興 先生の周甲初度の宴集。此を賦して寿と為す 不共世儒同汩没 皎然霞外一奇男」 | 南畝集18 漢詩番号3623 | ⑤239 | 文化9年 1812/04/ | ||
からしま えんせい 辛島 塩井(才蔵) | 「正月十一日、古賀 樸 精里・尾藤 肇 二洲二学士、頼 惟完 霞厓・倉 茎 子成・辛島 憲 塩井・鈴木 恭 白藤・草加 環 循仲諸君と同じく岡田 恕 寒泉宅に集ふ。寒字を得たり 「県令岡田 恕 寒泉亭集、琴碁書画の興有り、同会者、古賀 樸 淳風・尾藤 肇 志尹・頼 寛 千秋・倉成 菫 子成・鈴木 恭 白藤・辛島 憲 才蔵・草加 環 循仲等なり | 南畝集13 漢詩番号2220 細推物理 | ④244 ⑧343 | 享和3年 1803/01/11 | |
かわい ひろおみ 河合 道臣(姫路) | 「姫路の大夫白水君の寄せらるゝに和す 恰有郷書来報喜 浮杯楽飲為君傾」 | 南畝集12 漢詩番号2061 | ④189 | 享和1年 1801/10/ | |
「姫路城下、泉大夫隼人二物を恵むを謝す | 南畝集14 漢詩番号2503 | ④328 | 文化1年 1804/08/20 | ||
かわぐち でんあ 河口 田阿 | | ||||
かわだ 川田 (箱根) | 「玉笥山。川田氏の臨湖亭に題す | 南畝集14 漢詩番号2485 | ④324 | 文化1年 1804/07/27 | |
かんえんきょ 灌園居 | | ||||
かんげつてい 鑑月亭 | | ||||
かんしゅくせい 関叔成 | | ||||
かんしよ 関之與 | 「早夏、井玄里・関之輿・山士訓・島子諒・(三字欠) 松竜川と同じく染井の西原に遊び、休円の山荘に過りて牡丹を賞す | 南畝集2 漢詩番号0275 | ③95 | 安永3年 1774/04/ | |
「諸子上春子の日、東山に遊ぶと聞く。因りて此の寄せ有り【城西高田に東山有り】 | 南畝集3 漢詩番号0455 | ③158 | 安永5年 1776/01/04 | ||
「中秋、関之輿・山道甫・山士訓・河益之・辺公僚と同じく形氏に過り、郊行して落合村に至るの作。清字を得たり | 南畝集3 漢詩番号0494 望月帖 | ③170 ⑳332 | 安永5年 1776/08/15 | ||
がんくんき 巌君璣 | 「冬日、伴忠順・井玄里・森周夫・巌君璣・井公亮・華亭師と同じく木子荘の巣松館に集ふ。十灰を得たり | 南畝集4 漢詩番号0607 | ③211 | 安永7年 1778/11/ | |
かんちくり 関竹里 | 「雪中、関竹里と同じく岡公修を訪うて遇はず | 南畝集2 漢詩番号0259 | ③89 | 安永2年 1773/11/ | |
かんちゃざん 菅茶山 | 「伊沢 恬 辞安の集ひ。菅 普帥 礼卿・久保 愛 君節・狩 望之 卿雲と同じく臥す 「菅 普帥茶山の福山に還るを送る 別筵相見双垂白 折柳伝盃仔細哦」 | 南畝集19 漢詩番号3975-6 | ⑤342 | 文化12年 1815/02/ | |
かんべこう 神戸侯 | |