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苦情ネギ。
今回、ローランド・エメリッヒがエグゼクティブ・プロデューサーとなって製作されたドイツ映画の「魔笛」は、それらのものとはちょっと毛色が違っているようです。現時点では劇場での公開ではなく、インターネットによる配信という今どきのスタイルのリリースとなっているようですが、とりあえずそのサウンドトラック盤というのが出ましたので、それを聴いてみました。 そのキャストを見てみると、ほとんどがオペラ歌手ではなく、普通の役者さんのようだ、というところで、この映画の製作意図がうかがえますが、これは決してモーツァルトのオペラをそのまま使ったものではなく、普通の劇映画の中に、「魔笛」からのナンバーをいくつか挿入したという、いわば「ミュージカル」のような作られ方になっているような気がします。 実際には、オープニングではオリジナルの序曲の冒頭だけが演奏されて、そのあとにこの映画のためにマルティン・ストックという、映画音楽を主に作っている作曲家の曲が流れて来たかと思うと、そのあとに序曲の主部がまた始まる、といった感じですね。 どちらの曲も、演奏しているのはザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団のようですし、指揮者もスリランカ出身のオペラ指揮者、レスリー・スガナンダラージャですから、モーツァルトの音楽の部分ではほぼオリジナルと同じものを味わうことはできます。一応、夜の女王はザビーヌ・ドゥヴィエル、ザラストロはモリス・ロビンソンと、「プロ」のオペラ歌手が歌っていますし。 でも、ほとんどのナンバーは俳優さんが歌っているので、音楽的な完成度は全く期待できません。というか、初演の時のシカネーダーの劇団の上演でももしかしたらこんな感じではなかったかな、と思えるような素朴さではあります。実際、パパゲーノやモノスタトスなどは結構いい感じに仕上がってましたね。ただ、パミーナ役の人などは、果敢に「Ach, ich fühl's es ist verschwuden」のメリスマに挑戦していますが、ちょっと聴いていて辛くなってしまいます。そもそも、原曲を全音下げて歌っていますし。 モーツァルトの間に入っているストックの音楽は、このようなサントラの常で、それだけを聴いたのでは何の価値もない、というものでした。メインテーマになっているものの音型が、なんだかクイーンの「Radio Ga Ga」とよく似ているというのも、なんだかなあ、という感じです。おしなべて、例えば「ハリー・ポッター・シリーズ」のようなミステリアスなテイスト満載の音楽でしたね。ただ、途中で何の脈絡もなくジャクソン5の「I'll Be There」が歌われるのは、ミスマッチ。 映画のクレジットにはローランド・ビリャソンの名前がありますが、このサントラ盤には彼の出番はありませんでした。もしかしたら、ここには映画のすべての音楽が入っているわけではないのかもしれませんね。モーツァルトの2幕の音楽がちょっと少なめなような。 トレーラーは見られるのでちょっと見てみました。 ![]() ![]() Album Artwork © Deutsche Grammophon GmbH (12/27追記) これは、サブスク(NML)で聴いたのですが、CD(486 3534)ではモーツァルトのナンバーは全てドイツ語で歌われていました。ドイツ語版も英語版も、歌っている人は同じようです。 |
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メインタイトルは「Veni」というラテン語です。これを聴いて思い出すのが、「Veni, creator spiritus」という歌いだしのグレゴリオ聖歌、というより、そのテキストを使って作られたマーラーの「交響曲第8番」の第1楽章です。いきなり合唱が「ヴェーニッ!」と歌いだしますが、それが「センニン!」と聴こえることから、「千人の交響曲」と呼ばれていますね(ウソです。本当は専任のマンドリン奏者が必要だからです・・・それもウソ)。 ただ、ここではその歌詞の聖歌が歌われているのではなく、その「Veni」と同じ意味を持つ「Komm」で始まるバッハのモテット「Komm, Jesu, komm」が歌われているからです。ただ、厳密なことを言えば、そのモテットはこのアルバムのために録音されたのではなく、2017年にリリースされた「モテット集」の使いまわしですし、そもそもクリスマスのために作られた曲でもありません。でも、そんななんでもありが、このアルバム全体のコンセプトなのでしょうから、あまり気にすることはありませんね。 つまり、ここでは前作同様、合唱だけではなく、北欧の民族楽器の演奏者たちが加わっているのです。まずは、おなじみのイェルムン・ラーシェンがヴァイオリンと、ノルウェーの民族フィドル、ハルダンゲルで参加です。クレジットには「ヴァイオリン」としかありませんが、ジャケットの内側の、おそらく同じメンバーでのライブの写真を見ると、確かにハルダンゲルがスタンドに架かっています。 ![]() 1曲目の「Adeste fideles」が、そんなフルメンバーによって始まりました。一瞬、何の曲だかわからないぐらい、リズミカルでにぎやかなイントロですが、なんとなく、あの有名な「神の御子は今宵しも」という讃美歌のようなメロディが聴こえてきます。そして、インストがすっかりなくなってア・カペラになった途端、この合唱の、いつ聴いても素晴らしいハーモニーが現われました。この合唱のアレンジは、かつてのキングズ・カレッジ聖歌隊の指揮者、デイヴィッド・ウィルコックスが行ったものなのだそうです。そして、イントロの部分は指揮者のペーデシェンとヴァイオリンのラーシェンが編曲しています。 そんな感じで、インストと合唱が、どちらかというとインスト主体でアルバムが進んでいきます。ヴァイオリンは、とても民族的な装飾を加えて、音色もとても素朴、というか、ハルダンゲルと区別がつかないような弾き方に終始していましたから、もう間違いなく北欧の民族音楽のテイストが満載です。その間には、合唱のメンバーのソロが入りますが、それももろフォークロア的な歌い方、特にアルトの方の歌は、まぎれもないフォークロアでしたね。 そして、最後の方には、何でもレコーディングの合間にお遊びでニッケルハルパとコントラバスが即興演奏をやっていたものが、そのまま収録されていました。録音されていたのは昨年の12月でしたから、雪のちらつく中での小さな教会でのセッションの雰囲気が、いかにもクリスマスらしい演奏を作り上げていましたね。 最初から最後まで、とても鄙びた情緒を味わうことが出来ましたが、できれば、もっともっと合唱団の演奏を聴きたかったな、という気持ちにもさせられました。バッハのモテットも、そこだけちょっと空気が変わっていましたね。 SACD Artwork © BIS Records AB |
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最近ではDG(ドイツ・グラモフォン)という、とてもランクの高いレーベルからも何枚かアルバムが出るようになっていましたね。ただ、これまでは主に協奏曲の指揮という、ソリストの陰に隠れてしまうちょっと地味な扱いだったような気がします。 そんな彼が、そのDGからシンフォニーを指揮したアルバムをリリースしました。ただ、それはハンス・ロットという、一部のマニアにしか知られていない作曲家の作った「交響曲第1番」だったのです。 ロットという人は、目薬を作った人ではなく(それは「ロート」)、1858年に生まれたオーストリアの作曲家です。あのブルックナーのもとでマーラーとともに学んだという経歴の持ち主です(マーラーはロットより2歳年下)。「交響曲第1番」は1878年に第1楽章が作られ、その後1880年までに全楽章が完成します。この曲は、ブルックナーもマーラーも絶賛したのですが、それ以外の人には酷評され、演奏されることもありませんでした。ですから、その自筆稿は、長らくオーストリア国立図書館に眠っていたのだそうです。その後、ロットは精神的に障害をきたし、1884年に25歳の若さで亡くなってしまいました。 それが、没後100年となる 1984年にその楽譜がきちんと校訂されて、1989年3月4日にやっと初演が行われました。それはアメリカのシンシナティでのことで指揮者はゲルハルト・サミュエル、オーケストラはシンシナティ・フィルハーモニア管弦楽団でした。その後、同じメンバーで3月10日にはパリでのヨーロッパ初演が行われ、3月12日にはロンドンでもコンサートが行われます。そして、それに続く13日と14日にはHYPERIONレーベルによって初レコーディングが行われ、同じ年にCDがリリースされました。 その後、多くの指揮者がこの曲をコンサートで取り上げたり、レコーディングを行ったりしています。日本人の沼尻竜典さんも、2002年にデュッセルドルフ交響楽団と演奏していますし、さらに彼は2004年には日本フィルと日本初演を行っています。 2003年にはRies & Erler社からスコアやパート譜が出版され、最近ではアマチュアのオーケストラでも演奏するようになっているのだそうです。実は、アマオケのメンバーの知り合いがいるのですが、彼は熱烈的にこの曲を演奏したがっていましたよ。 とは言っても、今回の指揮者、フルシャがこの曲のことを知ったのは2018年だったのだそうです。当時彼は、先ほどのブルックナーの「交響曲第4番」を録音するための準備をしていて、そこでブルックナーの生徒たちのことを調べていて、ロットのことを知りました。それからはすっかりこの曲の虜になり、スコアも入手し、本格的に録音を目指すことになりました。 彼の正直な感想は、「もし、この曲がマーラーの『交響曲第1番』の前に作られたことを知らなければ、ロットはマーラーをコピーしたのだと思っていただろう」というものです。確かに、第3楽章などはマーラーのその交響曲の第2楽章と瓜二つですからね。でも、マーラーが、この楽章のもととなった歌曲を作ったのは1880年ということですから、コピーしたのはマーラーの方なんですけどね。 他の楽章の倍の時間がかかっている終楽章は、なんとも雑多なエピソードが登場し、まさにマーラーの先駆けともいうべき作品です。一部にこの楽章のメイン・テーマがブラームスの交響曲第1番のフィナーレと酷似しているという指摘がありますが、それは全くの事実無根なのではないでしょうか。この堂々としたテーマには、無条件に惹かれるものがあります。 CD Artwork © Deutsche Grammophon GmbH |
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ここでのメインのアーティストは、アイスランドのレイキャビク室内管弦楽団とアイスランド交響楽団のメンバー4人(ヴァイオリン、ヴィオラは女性、チェロは男性)が2012年に結成したシッギ弦楽四重奏団です。彼女たちは古典的なレパートリーとともに、アイスランドの現代作曲家の作品を数多く初演しています。このアルバムでも、彼女たちが委嘱した異色の作品も演奏されています。 そんな、シッギ弦楽四重奏団の委嘱で2017年に作られたのが、最初のトラック「draw + play」です。なんでも、この曲は作曲家の友人でアイスランドの高名なアコーディオン収集家に献呈されているのだそうです。このタイトルが、アコーディオンのことをあらわしているのだそうです。編成は4つの弦楽器だけですが、そこにはリズミカルな打楽器のような音が登場するシーンがあります。ほとんどボンゴとかコンガのような音が聴こえるのですが、しばらくするとそれは楽器の胴を叩いている音だと分かります。それは、いにしえのクセナキスあたりがしばしば用いた手法ですから、なにか懐かしさが漂います。 音楽全体も、駒のそばでギーギー弾いたり、間違っても「美しいメロディ」などは出てこないというハードなものです。最近の「現代音楽」は、おしなべてロマンティックなものに回帰しているようですが、まだこんなかつての「前衛音楽」をきちんとやろうとしている人が出てきているのですね。なにしろ、ここから「アコーディオン」を連想することは決してありませんでしたから。 この録音は、そんな様々な奏法を駆使していることが手に取るように分かる、とてつもなく解像度の高いものでした。定位もきっちり決まっていて、前面にずらりとカルテットが並んで、そんな不思議な奏法に挑んでいる様子まで伝わってくるほどです。 2曲目の「stop breathing」は、カルテットのメンバーにフルートとクラリネットとピアノが加わったアンサンブルで演奏されます。これは、いきなりバス・フルートが、音を出さずに息だけを吹き込む音が生々しく聴こえてきます。結局、このフルーティストもこの曲の間中こんなことばかりやらされているようでした。そして、そんな「溜息」が一人ではなく複数の場所から聴こえてきますから、バス・フルート以外の楽器の人も、「息」を出して演奏に参加しているのでしょう。 しばらくすると、音場のど真ん中にピアノが現れます。それがちょっと日本的な音階を使って、なんだか「雅楽」のような雰囲気を出しているのが素敵です。 3曲目のアルバム・タイトルの「Stara」という曲は、作曲家が2012年に初めてこのカルテットのためにつくったもので、カルテットのほかにエレクトロニクスも加えられています。これまでの曲が、なにか流れを切り裂くような場面が多かったのに比べると、この曲はロングトーンが多用されていて、少し和みます。さらに、エレクトロニクスのクラスターが、それをやさしく包み込んでいるように聴こえるのは、これが、目が不自由になってしまった作曲者の母親に献呈されているからでしょうか。 4曲目は、ギターのソロとエレクトロニクスのコラボ。ここでも、楽器を打楽器として扱う部分が多用されていますが、後半はエレクトロニクスのグリッサンドがだんだん下降して終わります。 5曲目は、カルテットだけの「BLAKTA」ですが、どこにも長三和音など使われてはいないのに、なんだか穏やかなコラールを聴いているような気持ちにさせられる曲です。 最後の「_a_at_na」という、クイズのようなタイトルの曲はアンサンブル。プリペアド・ピアノが大活躍です。最後に登場する水の音のサンプリングは何だったのでしょう。 CD & BD Artwork © Sono Luminus, LLC. |
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とは言っても、クリスマス・アルバムだけは律義に毎年リリースしてくれていますから、ありがたいことです。 今回は、タイトルのように「世界中」というのがキーワードになっているようですね。ジャケットにも、地球儀がデザインされていて、それはアメリカの裏側のヨーロッパやアフリカが前を向いていますから。 それは曲目と同時に、フィーチャリング・アーティストの国籍にも関係しています。というか、全10曲中の8曲もが、アメリカ、セネガル、コンゴ、レバノン、フィリピン、メキシコ、イギリス、そして日本と、世界中のアーティストとの共演となっているのです。 さらに、本来はア・カペラのグループだったはずなのに、ここでは純粋にア・カペラで歌われているトラックは2つしかありません。まあ、ストリングスやブラスと、クリスマスならではの大盤振る舞いですね。 もちろん、セットリストにも、なじみのあるベタなクリスマス・ソングといったら3曲しかありませんでした。そのうちの1曲が、「Hark! The Herald Angel Sing」という、日本では「天(あめ)にはみ栄え」という歌詞の讃美歌として知られている曲です。それが、もろオリエンタルなイントロに続いて、ヒバ・タワジというレバノンのシンガーのソロで歌われているというのが、とてもユニーク。そもそも、この曲のオリジナルは、ドイツのメンデルスゾーンなのですから、この中にはまさに「世界中」が反映されていますね。 余談ですが、そのメンデルスゾーンの曲は、1840年に行われたグーテンベルクの印刷機の発明から400年の記念祝典で初演されたもので、男声合唱とブラスバンドという編成の、4つの楽章で出来たカンタータ「Festgesang(祝典歌)」の2つ目の楽章です。この次の第3楽章などは、ブラスバンドにティンパニも加わり、さらにもう一つ、バンダも登場してとても盛り上がる曲のようです。ただ、なぜか、このカンタータ全曲を集めたCDなどは、存在していないようですね。 もう一つ、知っている曲はジョージ・マイケルの「Last Christmas」ですが、ここではなんと、日本のアーティストがフィーチャーされていましたよ。それは「Hikakin & Seikin」という兄弟ユーチューバー、彼らは、ペンタトニックスのユーチューブを見てファンとなり、コンタクトをとっていたのだそうです。ここでは、完璧な英語で見事に5人のコーラスに溶け込んでいますし、ビートボックスのケヴィンとのバトルまで披露してくれています。 いや、それ以上にインパクトがあったのが、最後のトラック、「Silent Night」での、「キングズ・シンガーズ」との共演です。これを知った時には、ほんとうに驚きました。こうなると、もうジャンルまで超えたコラボですね。いや、確かにキングズ・シンガーズはポップスもレパートリーにしていますが、それらはあくまでクラシックの範疇でのことでしたから、そもそも出発点が違った、どこか乙に構えたところがありましたからね。 この曲では、最初はキングズ・シンガーズだけで歌われていたようですが、そこにペンタトニックスのメンバーも加わっていきます。これはもう、多分、としか言いようがないのですが、この2つのグループは見事に相手に寄せていて、どこからどこまでがどちらのグループ、という境界がほとんどわからないのですね。そして、それをバックにミッチのソロが入り、最後は11人が一つのコーラスと化して、言いようのない崇高なハーモニーが響き渡ります。それは、それぞれのジャンルでトップを極めた2つのグループが融合して、さらなる高みへ達した瞬間でした。 CD Artwork © RCA Records |
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1999年になると、この中に収録されている曲の中の3曲(Yellow Submarine, Eleanor Rigby, Love You To)が、「Yellow Submarine Songtrack」という、ビートルズの曲を15曲コンパイルしてそれをリミックスしたアルバムに収録されます(このアルバムは、「Yellow Submarine」を元にして作られたアニメーションのサウンドトラック盤とは別物)。この時のリミックスは、ピーター・コビンによって行われました。 2000年にリリースされた、「1」というベストアルバムにも、「Yellow Submarine」と「 Eleanor Rigby」が収録されていました。この時はリミックスは行われてはいません。 2009年には、ビートルズのプロデューサーだったジョージ・マーティンの息子のジャイルズ・マーティンによって、すべてのアルバムのリマスター盤がリリースされます。この時も、ジャイルズが行ったのはリマスタリングだけで、リミックスは行ってはいません。しかし、彼は、2015年には「1」のリミックス盤をリリースします。 ジャイルズは、さらに「録音50周年記念」ということで、「The Beatles(White Album)」から順次ステレオだけでなく、サラウンドのリミックスも行ってきました。それが「Let It Be」まで終わったので、この「Revolver」がそのターゲットとなったということですね。 このアルバムの中では、見てきたように「Yellow Submarine」と「Eleanor Rigby」では、1999年、2015年、そして今回2022年と、3回の「リミックス」が行われています。つまり、楽器やヴォーカルのバランスや、それぞれの定位までも変えています。それを聴き比べてみると、それぞれに全く異なっていることに気づきます。 まず「Eleanor Rigby」の場合、楽器はクラシックの弦楽器のダブル・カルテットというユニークな編成で、彼らの曲では普通は入っているドラムス、ギター、ベースなどは全くありません。オリジナルではこの弦楽器がすべて真ん中に定位していますが、1999年と2020年のリミックスでは、ヴァイオリンが左、ヴィオラとチェロが右と、はっきり分かれています。それが2015年のリミックスでは、ヴァイオリンはそのまま左ですが、ヴィオラが中央、チェロが右と、パートごとに完全に定位が変わっています。 「Yellow Submarine」の場合は、波の音とかブラスバンドがサウンドエフェクトして使われていますが、やはり3者を比べてみると、波の広がり具合や、バンドの進み方などが微妙に異なっていました。 ただ、このアルバムの場合、最終的なマルチトラックは1インチの4トラックというテープです。ですから、それぞれの楽器がすべて別々のトラックに入っているわけではありません。ところが、今回ジャイルズが使った方法というのは、そのようないくつかのパートの音が入っているトラックから、それぞれのパートだけを抜き出すというやり方でした。それは、最近話題になっていた、ピーター・ジャクソン監督が、かつて「Let It Be」というタイトルで公開されていた記録映画の素材を改めて編集し直した「The Beatles:Get Back」という作品で音響を担当したエミール・デ・ラ・レイが開発した技術なのだそうです。 それによるものなのでしょうか、ピアノが活躍する「For No One」では、そのピアノの右手と左手のパートが別々に定位していました。アルバム最後の「Tomorrow Never Knows」という、テープ操作を駆使した前衛的なジョンの曲でも、オリジナルに比べると、見違えるようにそれぞれのパートがくっきりと浮かび上がって、軽快に動き回っていました。 ここまでくれば、もはやこれはビートルズが1966年に作ったものとは全く別の作品だとも言えてしまいます。ブルックナーの交響曲の「第1稿」と「第2稿」ぐらいの違いがあります。ですから、あくまでオリジナルを尊重して、思い出に浸りたい人はオリジナル、そうではなく、まさに現代の音楽シーンの中でこのアルバムをとらえたい人はリミックス盤という棲み分けもできるのではないでしょうか。そのうちに、コミックスも出るかもしれませんね。 CD Artwork © Calderstone Productions Limited |
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![]() まあ、ロゴは変わっても、作られるアルバムのクオリティは決して落ちてはいないようです。今回のアーティストはイギリスのピリオド・アンサンブル、「フロリレジウム」です。1991年に創設されて以来、多くの録音をこのレーベルに残してきていて、今回が31枚目のアルバムになるのだそうです。 これまでには、ヴィヴァルディ、テレマン、バッハなどの作品を多く録音してきましたが、ここではハイドンの交響曲にチャレンジです。彼らにとっては2回目のハイドンとなりますが、その1回目はオリジナルではなくピアノと弦楽四重奏のために編曲された室内楽版でしたから、これがフル編成では初めてのハイドンとなります。 とは言っても、ここで演奏されている、有名な「朝」、「昼」、「晩」という交響曲は、ハイドンがエステルハージ家の副楽長に就任したばかりの頃の作品で、その時のオーケストラは15人ぐらいのメンバーしかいなかったそうですから、ほとんど室内楽と言っていいほどの規模でした。ですから、ここでも、弦楽器は実際にハイドンが作った時よりはいくらか多い、3.3.2.2.1という11人の編成に、管楽器はフルート、オーボエ、ホルンは2人ずつ、それにファゴットが1人で、トータル18人のメンバーが揃えられています。 ![]() ![]() この二人が使っている楽器も、しっかりブックレットにクレジットがありました。 ![]() この、男の人の方が1番を吹いているのですが、彼の名前はアシュレイ・ソロモン、ちょっとホルモンが不足気味ですが、このアンサンブルを、チェンバリストのニール・ペレス・ダ・コスタととも創設した人です。さらに、彼はフルートだけではなく、2001年からは指揮者も務めています。 ですから、このハイドンの交響曲でも、彼は指揮者としてクレジットされています。ただ、先ほどの写真(赤線の中)で見られるように、彼は別に指揮台でフルートを吹きながら指揮をしているわけではなく、あくまで演奏のアインザッツなどはコンサートマスターが行って、彼は、こんな風に演奏の合間に他のメンバーに色々と指示を出したりしていたのでしょうね。 ですから、当然、これを聴く時にはフルートに耳が行ってしまいます。どの曲にもフルートのためのきらびやかなソロが用意されていますが、ソロモンはそれらを完璧に聴かせてくれていました。さっきの8キーの楽器のせいもあるのでしょうが、ピリオド楽器にありがちなピッチの不安定さは全く感じることは出来ませんでした。ひたすら、彼の目の覚めるようなフルートに酔いしれてしまいます。 それ以外にも、これらの曲には多くのパートでソロやデュエットがたくさん用意されています。コントラバスやファゴットのソロ、などというのもかなり頻繁に登場しますが、それぞれのメンバーは本当に楽しそうに演奏しています。 さらに、ヴァイオリンなどはしっかりビブラートをかけていましたね。こんなアットホームな雰囲気の中では、それがとても自然に感じられます。 CD Artwork © Channel Classics Records / Outhere Music |
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そんな中で、去年あたりは、いろいろ知恵を絞って何とか演奏しようという涙ぐましい努力が各地で見られたようです。一番ウケたのは、それだったら合唱をオーケストラの後ろではなく、前で歌わせようとしたコンサートでしょうね。そこではなんと、オーケストラはステージの上で普通に演奏しますが、客席のステージに近いブロックに最初は合唱団が座っていて、終楽章の合唱の出番になると、みんな立ち上がってそのまま回れ右をしてお客さんの方を向くんですよ。そうなると、指揮者が見えませんから、もう一人、客席の中に副指揮者がいて、ステージの指揮者を見ながら合唱の指揮をするのですね。 今年も、ついに「第8波」に突入していまいましたから、今年こそは、と張り切っていた「第9」関係者はどのような対策を講じるのでしょうか。 そんなシーズンに合わせたのでしょうか、サブスクでは新譜としてカール・ベームが1980年11月に録音したDG盤がリリースされていました。これは、まさにベームの最後のセッション録音となった「遺作」ですね。この9ヶ月後には亡くなってしまうのですから、なんと殺生な。翌年12月には2枚組のLPで国内盤でもリリースされています。その後、1994年にCD化されましたが、去年ベームの録音をすべて集めたというボックスが出てしまいましたから、もはや単品のCDは入手できないのでは。まあ、最晩年のベームなどには何の興味もなかったので、当然これらはスルーしてきたのですが、サブスクでその歌手陣を見たら、その豪華さに驚いてしまいました。 なんと、ソプラノがジェシー・ノーマン、アルトがブリギッテ・ファスベンダー、テノールがプラシド・ドミンゴ、バリトンがワルター・ベリーですよ。ノーマンが歌っている「第9」なんて、聴いたことがありませんでしたよ。これは何を置いても聴いてみないことには。 だったら、フィナーレだけ聴けばいいようなものですが、まずはベームに敬意を払って最所から聴いてみました。それは、ある意味、新鮮な演奏でしたね。今の時代ではどこを探しても無くなってしまった、まるで別の世界の音楽のようでした。そんな中で聴こえてきたのが、とてもくっきりしたフルートの音でした。この時代のウィーン・フィルですから、これはおそらくヴォルフガング・シュルツでしょう。この時のエンジニアのギュンター・ヘルマンスもいい仕事をしていて、そのシュルツの音が自然に聴こえてくるようなバランスがとられています。そこでは、彼の心地よいピッチと、納得のいくフレージングを、存分に楽しむことが出来ました。これは思ってもみなかった収穫です。 そして、フィナーレのソリストたちの登場です。最初に出てきたワルター・ベリーが、まず素晴らしい声でしたね。最近のソリストは張り切りすぎて声はでかいのに音程は雑という場合が多いのですが、彼は本当にこのレシタティーヴォに「歌」を感じさせてくれました。 次に目立つのがマーチでのテノールですが、ドミンゴはやはり完璧な歌い方でしたね。ただ、しばらくすると、このベームのテンポよりも速く歌いたいのがありありと分かってしまうような歌い方に変わります。というか、何とかして速いテンポにしたいと思っていてもできないもどかしさ、ですかね。 そして、女声も、素晴らしすぎます。ノーマンとファスベンダーの存在感、中でも、最後のハイCを余裕で歌っているノーマンは、やはりすごい人でした。 合唱が、予想外にちゃんとしていたのも、うれしい誤算でしたね。最後は、一緒になって口ずさんでいましたよ。 Album Artwork © Deutsche Grammophon GmbH |
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でも、ここで演奏しているのは、創設者で指揮者の名前をそのまま取った「エディソン・シンガーズ」という、とても素晴らしいカナダの合唱団です。そのエディソンさんは、フルネームが「ノエル・エディソン」、「ノエル」というのはフランス語でクリスマスのことですから、これほどクリスマス・ソングを演奏するのにふさわしい人もありません。もちろん、彼はそんなことばかりをしているわけではなく、これまでにもこんなのやこんなのを、エロール・フェスティヴァル・シンガーズという合唱団とともにこのレーベルに録音している、カナダの合唱界の重鎮です。そして、2019年に、晴れて自らの名前を冠した合唱団を作り上げて、こんな素敵なアルバムを作ることが出来たのですね。 ノエルさんは幼い時からクリスマスがとても楽しみで、その時に歌われる歌もとても好きだったという思い出をこのアルバムに込めたのだそうです。 タイトルは「The First Nowell」、直訳すれば「最初のクリスマス」ですから、イエス・キリストが生まれた時ということになります。その夜に、牧人が羊を守っていると、天からキリストが生まれたというお告げがあった、という意味の歌詞ですから、「まきびと羊を」というタイトルでよく知られている、とてもベタなクリスマス・ソングです。 しかし、このアルバムでは、もう1曲ベタな「きよしこの夜」のほかは、ほとんど聴いたことがないものが歌われていますから、かなりマニアック、「ジングル・ベル」や「赤鼻のトナカイ」を聴いて盛り上がろうという人には決してお勧めできません。 それよりも、本来の意味でこのイベントを敬虔に過ごしたいという人にこそ、心の深いところでの共感を与えられるようなしっとりとした曲が並んでいるはずです。このアルバムのサブタイトルは「時を超えたキャロル」ということで、古くはグレゴリオ聖歌から、ごく最近作られたばかりの現代曲まで、多くの時代のものがここでは歌われています。 たとえば、現代の合唱音楽の作曲家でとても人気のあるエリック・ウィテカーが作った「Lux Aurumque(金の光)」などは、もはやクリスマス・キャロルの範疇を超えて多くの合唱団に愛されている名曲です。なんせ、少し前ですが、YouTubeを通して12の国の185人のメンバーが「バーチャル・コーラス」として作曲家の指揮で歌ったものが、全世界の人に聴かれたという時に、この曲が選ばれていたぐらいですからね。 ホルストが作った「In the Bleak Midwinter」という歌を、やはり現代合唱作曲家、オラ・イェイロが編曲したものも、終始超ピアニシモで歌われていて、この上なくやわらかな情感を漂わせています。 中には、フランツ・クサヴァー・ビーブルというドイツの作曲家の「Ave Maria」という、なんと知り合いの消防士さんから彼の職場の合唱団がそのような会社や組織のメンバーによる合唱団が集まったフェスティバルで演奏するためにと頼まれて作ったという変り種まであったね。 伝承曲でも、あのシンガーズ・アンリミテッドが取り上げて一躍有名になった「コヴェントリー・キャロル」とか、もともとは黒人霊歌だったものを、ピーター・ポール・アンド・マリー(PPM)が最後の歌詞を変えてプロテスト・ソングとして歌ったものが有名な「Go Tell It on the Mountain」などは、比較的馴染みがあるかもしれませんね。 そして、最後に歌われるのが、タイトル・チューンの「まきびと羊を」です。ここでは、8小節の長いフレーズを、きっちりノンブレスで(もちろんカンニング・ブレスでしょうが)歌っているあたりに、この合唱団の真摯な姿勢が感じられます。 CD Artwork © Naxoz Rights(Europe) Ltd |
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色々調べたら、これは2010年の11月に、確かにDENONレーベルからアメリカでリリースされていました。でも、日本ではリリースされた形跡が全くないのですよ。そのあたりの経緯をご存じの方は、ご教授ください。 いずれにしても、このグループは2000年にウェールズのカーディフで15人のメンバーによって創設されたそうです。レパートリーは主にポップスの曲で、それをフル・オーケストラをバックにアリーナ級の大きな会場で演奏する、というスタイルのようですね。ですから、基本的にPAが使われていて、メンバーは全員ハンズフリーのマイクを装着して歌っています。今でも、イギリス中でライブを行っているようですね。ただ、現在ではメンバーが8人ぐらいに縮小されているようです。 こういう形態のコーラスとしては、古くはミッチ・ミラーとかレイ・コニフのようなリーダーによる合唱団が活躍していましたが、最近ではあまり見かけないようになっていますね。ですから、このようなちょっと懐かしいスタイルの合唱団にはちょっと惹かれるところもあって、まずは聴いてみようと思いました。 もちろん、このサブスクにはブックレットなどはありませんから、このコンサートに関するデータは全くありません。ただ、2010年以前の録音であることは確実ですから、メンバーはまだ15人ほどいた時代のものなのでしょう。ジャケットには14人しかいませんが。 なんせ、「オトコだけがでかい声で歌う」というグループ名なのですから、まずはその声のやかましさに驚かされます。コーラスというよりは、一人一人がソリストとして十分にやっていけるほどのメンバーが集まっているようで、全員がとても目立ちたがり屋になりたがっているのがとても強く感じられるような歌いかたなのですね。ですから、ビブラートがものすごくて、全然ハモっていないのですが、なぜかそれがものすごいエネルギーとして伝わってきます。そして、ごくたまに、一瞬だけア・カペラになった時に、なぜかオブラートで包んだような爽やかなハーモニーが聴こえてくるのですから、不思議です。 それに輪をかけてやかましいのがオーケストラです。オープニングからしてドラムが精いっぱいの力で叩かれていて、いやが上にも会場は盛り上がるというやり方です。アレンジもとても華麗、ただ、こちらもマイクがそれぞれの楽器の前に立っているようで、はっきり聴こえてはくるものの、その音はひずみ切っています。もしかしたらPAアウト。 そんな風に始まった最初の「O Verona」は全く知らない曲でしたが、もうその熱気にあてられて思わず気持ちが高鳴ってきます。まあ、おそらく合唱もオーケストラも、文句なしにお客さんを楽しませようという気持ちで一杯なのだ、ということだけはしっかり伝わってきます。 2曲目にガーシュウィンの「ポーギーとベス」からのナンバーが演奏されていたので、聴きなれた曲になりました。これはソロと合唱の掛け合いで、そのソロがやたら立派なんですね。これはブリン・ターフェルというクレジットがありました。そんな人たちもゲストに出演していたのですね。もっとも、彼が歌ったのはこれ1曲だけでした。 それから何曲かは、よく知った曲、「明日にかける橋」などが続きます。その後がサブスクではシェーンベルクの曲となっていたので、なんと場違いな、と思っていたら、聴こえてきたのは「ミス・サイゴン」からのナンバーでした。それは、同じスペルでもふつうは「ショーンバーグ」と読むのでは。 Album Artwork © Nippon Columbia Co., Ltd. |
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おとといのおやぢに会える、か。
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