乗る。上へ。.... 佐久間學

(13/12/9-13/12/27)

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12月27日

ウィーン楽友協会二〇〇年の輝き
Otto Biba, Ingrid Fuchs共著
小宮正安訳
集英社刊(集英社新書ヴィジュアル版 031V)
ISBN978-4-08-720718-7


「ウィーン楽友協会の現在の資料館館長と副館長による、日本のクラシック愛好家のための書き下ろし」というフレーズが帯に踊っています。最後に「びっくりマーク(!)」が付いているぐらいですから、それは本当にびっくりするようなことなのでしょう。もちろん、このお二人はドイツ語で執筆なさったのでしょうから、オリジナルのタイトルも併記されています。それは「Die Geschichte der Gesellschaft der Musikfreunde in Wien」というものですから、そのまま訳すと「ウィーン楽友協会の歴史」という素っ気ないものでした。それを、上のように「歴史」を「二〇〇年の輝き」と直した(「改竄した」ともいう)のは、訳者なのか、編集担当者なのかは分かりませんが、このあたりで、「日本人」が抱いている「ウィーン」のイメージを端的に表現しているのは、さすがです。ただ、横書きで「二〇〇年」という書き方には、いくらなんでも馴染めません。
もう1点、日本語の「楽友」に相当する単語はここでは「Musikfreunde」のはずですが、我々日本人には「ムジークフェライン」、つまり「Musikverein」という言い方の方が馴染みがあるのではないでしょうか。そのあたりの違いについて、当事者たちの見解はどうなのかということをぜひとも知りたいと思ったのですが、それはこの本の中にはどこにも見つけることはできませんでした。
まあ、そんな厳密なところまでの議論を求めるというのが、もしかしたらこの本のスタンスからしたら筋違いのことだったのかもしれません。なんせ、全部で4つの章に分かれているうちの「歴史」に関して述べた「第1章」と、「演奏会」について述べた「第2章」とでは8割程度の部分で全く同じ記述が重なっているのですからね。おそらく、2人の著者の間での調整が取れなかったのと、それをきちんと校正しなかった結果なのでしょうが、その程度の、1冊の本としてはかなりみっともない仕上がりでもかまわないだろうというおおらかさの前には、細かい指摘など何の意味もありません。
ウィーン楽友協会について、「演奏会」と「音楽院」と「資料館」という3つの側面から詳細に語ったこの本は、特に「音楽院」と「資料館」について、今までほとんど知られることがなかったような知識を与えてくれています。「楽友協会」というのは、今の「ウィーン国立音楽大学」の前身だったんですね。さらに、この本が日本人向けに書かれたということもあって、その音楽院と日本との関係について語られているのもうれしいことです。そこの学生で、アントン・ブルックナーに師事したルドルフ・ディットリヒという音楽家は、明治政府からの要請で東京音楽学校の教師として招かれ、まさに日本のクラシック音楽の基礎をなす人材を育てたのですからね。もっとも、そこで、「楽友協会あっての日本の音楽教育」と自慢げに語る著者の筆致には、ちょっと引いてしまいますが。
このディットリヒという人は、在任中に妻を亡くした後、日本人の女性と親しくなって子どもまでもうけますが、やがて二人を残して帰国、ドイツで別の女性と再婚するという、まるでピンカートンを地で行ったような男なのですね。たまたま手元には、ディットリヒなどの「お雇い外国人」が作った曲を集めた2001年のCDがありました(KING/KKCC 3001)。そのライナーを執筆していたのが、ディットリヒの「孫」にあたる根上淳(ペギー葉山の夫)でした。

「資料館」に関しては、さすが「ヴィジュアル版」だけあって、所蔵されている珍しい楽譜や楽器の写真が満載です。その中で一番受けたのは、「Harmoniumflügel」あるいは「Orgelklavier」と呼ばれる、ピアノとリードオルガンが合体した楽器です。

訳文は非常にこなれていて(です・ます体)、とてもスラスラと読めてしまえました。まるで最初から日本語で書いたのでは、とすら思えるほどの素晴らしさです。

Book Artwork © Shueisha Inc.

12月25日

MOZART, VERDI
Requiem Experience
Soloists
Nikolaus Harnoncourt/
Arnold Schoenberg Chor
Concentus Musicus Wien
Wiener Philharmoniker
SONY/88843010499(BA)


BAってなんだ?」とおっしゃるかもしれませんね。ブルーレイ・ディスク(BD)に映像データではなくハイレゾのPCMなどの音声データのみを収録した音楽メディアの呼称に関しては、どうやら「ブルーレイ・ディスク・オーディオ」ではなく、単に「ブルーレイ・オーディオ」と言おう、という動きに一本化したのではないかと思われる昨今なので、今まで「BDオーディオ」と表記していたものを「BA」に改めようということなのです。単に「BD」という時には映像ソフト、「BA」は音声ソフトのことだと思ってください。分かりやすいでしょ?
ハイレゾの音声データの配信に呼応するように、最初は割とマイナーなレーベルから始まったBAのリリースですが、UNIVERSALというメジャーの一角が積極的にBAを手掛けるようになったと思っていたら、ついにSONYがおそらく最初のBAとして、こんなものをリリースしました。ちょっと特徴的なのは、今までのものが素直にCDで出ていたタイトルをそのまま同じジャケットでBAに置き換えるというものだったのが、こちらの場合はしっかりBAに特定したアートワークで迫っていることです。
まず、アルバム・タイトルが「Requiem Experience」という意味不明なものになっています。これは、「BAによって、レクイエムを音楽、オーディオの両面からハイレゾで味わうというめったにない体験をしてみたら?」ということなのでしょう。ジャケットも、そんなコンセプトに沿った、いかにもキラキラな音が聴こえてきそうな感じに仕上がっていますね。
収録されているのは、SONYというよりはかつてのBMGのアーティストだったアーノンクールが演奏したモーツァルトとヴェルディの「レクイエム」です。モーツァルトの方は2003年に録音されて2004年にDHMからリリース、ヴェルディ2004年に録音されて2005年にRCAからリリースされたものです。この頃になると、すでにBMGSONYと「合併」はしていましたが、まだ「買収」まではされてはいませんでした。
不思議なことに、このジャケットには、トラックリストや演奏メンバーなどはきちんと表記されているものの、録音時のクレジットがどこにもありません。いや、よく見てみるとヴェルディでのソプラノ・ソロの名前が見事に抜けていました。これだけしか持ってない人にとっては、この、ちょっと頼りないソプラノが誰なのかは全く分からないことでしょう。そんな、ただ単にBAのすばらしさを「体験」してもらうためだけに作られたアルバムであることが、こんな扱いで端的にわかってしまいます。というか、これが買収されたレーベルの「末路」というやつなのでしょうか。
そもそものアルバムは、SACDでリリースされていました。しかし今回は、よりBAのすばらしさが分かるようにあえてノーマルCDが一緒に梱包されています。案の定、このBAを聴いてしまえば、いかにCDの音がおとっているかが如実に分かってしまうというという、これは見事な比較の対象となっています。うまい具合に、1枚目のモーツァルトの最後にヴェルディの1曲目を入れてしまえば、この2つの大作が2枚のCDに収まってしまいますし。
でも、そんな最初から結果が分かっているものではなく、SACDBAではどうなのか、というあたりを知りたいじゃないですか。そこで、せっかくなので、手元のSACDと聴き比べてみました。その結果、軍配が上がったのは予想通りBAの方でした。予想の根拠は、BAのスペックが24bit/48kHzだということ。おそらくこれがマスターのスペックなのでしょうが、これをDSDに変換するというのは、ショルティの「指環」と同じケース、まさにあの時と同じ結果になりました。
具体的には、モーツァルトの出だしの弦楽器のしなやかさが違いますし、続くバセットホルンの音色も、SACDではちょっと不自然。ヴェルディの「Dies irae」では、ピッコロの音がBAではきちんと分離して聴こえるのに、SACDでは埋もれてしまっています。

BA Artwork © Sony Music Entertainment

12月23日

SCHUBERT
Winterreise
Dietrich Fischer-Dieskau(Bar)
Maurizio Pollini(Pf)
ORFEO/C884 131B


各方面で話題になっている1978年のザルツブルク音楽祭でのフィッシャー・ディースカウの歌う「冬の旅」のライブ録音です。ピアノ伴奏が、当時36歳だったマウリツィオ・ポリーニだったというところで、異常ともいえる騒ぎ方になっているみたいですね。「これを聴かずして『冬の旅』は語れない」とまで言われれば、聴いてみないわけにはいかないじゃないですか。
もちろん、この音源はこの音楽祭の演目を逐一放送しているORF(オーストリア放送協会)によって録音されたものです。それが日本でもNHK-FMで放送されて評判を呼んだそうなのですが、やっと公式のCDになってリリースされました。最近でこそ、放送音源と言ってもクオリティは商品であるCDと変わらないほどの良質な環境で録音されているようですが、この頃はまだ、単に「コンサートを記録したもの」という程度のもので、ちょっとアマチュアっぽい仕上がりでも充分に使い物にはなっていたのでしょうね。これを今のきちんと仕上げられたバランスの良い普通のCDと比べてしまうと、ちょっと辛いかな、というところが、音に関してはあるのではないでしょうか。
それは、歌手にもピアノにも言えることで、生の声が何の反響も伴わないで直接マイクに届けられたフィッシャー・ディースカウの声からは、CDでは確かに聴けたはずの端正さは全く消え去っていますし、ポリーニの弾くピアノの音からも潤いのある音色が届くことはありません。しかし、その分きれいにまとめられた「商品」では決して聴くことのできないストレートな思いまでもが伝わってくるというのが、得も言えぬ魅力にもなっているのでしょう。正直、この声とピアノで無防備なところに迫られるのはかなりのダメージを与えられることを覚悟しなければいけません。しかし、それに耐えてこその感動があることも、まぎれもない事実です。
それにしても、この演奏の密度の高さはハンパではありません。そこには、まさに全身全霊をかけての「真剣勝負」といった趣さえ漂うようなすさまじいものがあります。何しろ、作品に対する徹底した洞察力を持つ二人ですから、それぞれの思いをぶつけたいところなのでしょうが、そこはまずアンサンブルとしてのバランスを取らなければいけません。そんな、いつ破裂してもおかしくないような状態でのバランスですから、それはスリリングなものがありますよ。
1曲目の「Gute Nacht おやすみ」では、まずは様子見、といった感じでしょうか。しかし、ポリーニのイントロにぴったり寄り添うようなフィッシャー・ディースカウは、そこでまず「大人」であることを見せつけます。ここはまず、相手のやり方にとことん付いて行ってやろうというスタンスなのでしょう。そして、4番の前の間奏で曲が短調から長調に変わる瞬間のポリーニの絶妙のppに乗って出てきた歌の、なんという味わいでしょう。ただでさえ表現の幅の大きいフィッシャー・ディースカウの渾身のpp、いや、ppppには、背筋が寒くなるほどです。
こんな風に、二人はお互いを聴きあいながら、時には牽制し、時には服従するといったことを繰り広げていきます。9曲目の「Irrlicht 鬼火」では、ピアノのイントロがあまりに淡白すぎるのを、ポリーニが歌を聴いている間に察知、途中からガラッと進路を変更している様子が手に取るようにわかります。逆に、18曲目の「Der stürmische Morgen 嵐の朝」では、ポリーニのテンションがあまりに高すぎて、ついミスタッチをしてしまいます。そんなありえないミスに、ポリーニのテンションは高まるばかり、フィッシャー・ディースカウは何とかそれを食い止めようとしますが、結局そのままの勢いでゴールインという危ないものも有りますし。
あまりの緊張のせいでしょうか、曲間のお客さんがもたらす何かホッとしたようなざわめきが、とても印象的でした。そんなホットな瞬間を、味わってみては。

CD Artwork © ORFEO International Music GmbH

12月21日

WAGNER/Der Fliegende Holländer
DIETSCH/Le Vaisseau Fantôme
Evgeny Nikitin(Hol), Russel Braun(Troïl)
Ingela Brimberg(Senta), Sally Matthews(Minna)
Eric Cutler(Georg), Bernard Richter(Magnus)
Marc Minkowski/
Les Musiciens du Louvre Grenoble
NAïVE/V 5349


ワーグナー・イヤーの幕切れになって、こんなすごいものがリリースされました。まずは、「さまよえるオランダ人」の初稿版です。これは、2004年に世界で初めて録音されたブルーノ・ワイル盤(DHM/82876 64071 2)に続くものになるのでしょう。

この初稿は、自筆稿が残っているだけで、出版はされていません。1843年にドレスデンで初演された時には、すでに改訂されていて、「ゼンタのバラード」(世良公則ではありません・・・それは「アンタのバラード」)のキーが歌手の都合に合わせてイ短調からト短調に下げられたり、登場人物の名前や設定が変わったりしていました。
そしてもう一つ、ここにはそのワーグナーの作品とともに、ワーグナーが最初にこれをパリのオペラ座で上演したいと思った時に、支配人のレオン・ピレーに提出したフランス語の台本のスケッチをもとに、ポール・フーシェとベネディクト=アンリ・レヴォワルが作った台本に、オペラ座の合唱指揮者ピエール=ルイ・ディエチュが作曲、1842年にオペラ座で初演された、その名も「幽霊船」というオペラの世界初録音がカップリングされているのです。ワーグナーはこのスケッチに対する報酬500フランをもらっただけで、作曲を依頼されることはありませんでした。頭にきたワーグナーは、わずか10日間で彼の「オランダ人」の台本を完成させてしまいました。そして、1842年にはスコアも完成するのですが、当然パリで上演されることはなかったのです。
同じスケッチを使っていながら、この二つの作品は音楽も、そして物語も全く異なる様相を呈しています。ディエチュという人は、今でこそ完璧に忘れ去られていますが、なんせオペラ座から作曲の依頼を受けたというのですから、「オペラ座」向けの作曲のノウハウは熟知していたはずです。序曲なども、同じ嵐の描写でもワーグナーみたいに空虚5度などという「前衛的」なものは使わず、ごくごくまっとうな波しぶきを表現していますしね。そして最後にはなんともノーテンキなドンチャン騒ぎで幕開けを用意するという分かりやすさです。
物語は、ワーグナー版の「ゼンタのバラード」に相当する「ミンナのバラード」で始まりますが、あちらのような深刻なものではない素朴な民謡調、ミンナにはもちろんアリアもありますが、それはコロラトゥーラを多用したとことん技巧的なものです。そういう派手なことが、オランダ人(こちらは「トロイル」)のアリアにも使われているのですから、いかにお客さんを楽しませることに腐心しているかがわかります。そう、これはまさにそういうエンターテインメント(もちろん上流階級向けの)なのです。
と、音楽的には聴衆の好みに合わせたとことんコンサバなものなのですが、その分ストーリーとしてはワーグナーの台本よりも納得のいくものに仕上がっているな、という気がします。その最大の理由は、エリック(この初稿では「ゲオルク」)のキャラ設定の違いでしょうか。ディエチュ版では「マグヌス」という名前になっていますが、彼は婚約者であるミンナ(ゼンタ)がトロイル(オランダ人)になびいてしまっても、エリックのようにしつこく「ストーカー行為」をすることはなく、黙って身を引くという「大人」として描かれているのですからね。やはり「女は奪うものだ」というワーグナー自身の性癖からは、こういう人物像は出てこないのでしょうか。それは晩年のハンス・ザックスまで待たなければいけません。
この2つの作品を並べて聴いてみると、ミンコフスキはなんだかディエチュ版の方にシンパシーを感じているのではないか、と思えるようなところがあります。というか、ワーグナーにも少なからず登場するコンサバな音楽(ダーラント、いや、ドナルドが絡んだ部分など)の扱いが、何かぎこちないのですよね。そういうところをディエチュのようにあけっぴろげになれないあたりが、ワーグナーの難しさなのでしょう。

CD Artwork © NAÏVE

12月19日

SCHUBERT
Late Symphonies
Gerd Schaller/
Philharmonie Festiva
PROFIL/PH12062


先日のスッペですっかり気に入ってしまったゲルト・シャラーとフィルハーモニア・フェスティヴァが、こんなアルバムを出していました。タイトルは「シューベルトの後期の交響曲たち」というもので、2曲収録されている交響曲には番号はなく、「未完成の交響曲」とか「大きな(グレート)ハ長調の交響曲」と書かれているだけです。つまり、この2曲の交響曲の「正しい」番号は、いまだに確定していないという最近の情勢が、こんなところにも反映されているということなのですね。「『未完成』は『7番』、『グレート』は『8番』に決まったのではないか」と、新しい全集を知っている人は言うかもしれませんが、それは決して普通のリスナーのレベルにまでは浸透してはいないのです。これは、レコード業界がこの「新しい」呼び方に対して及び腰であることが最大の要因でしょう。この問題は永遠に解決されることはありません。
ということで、これからは「番号」ではなく「あだ名」で呼ぶことが国会で強行採決によって決議されたこの2つの交響曲ですが、このアルバムに限ってはその「未完成」というあだ名も正しくはないことになってしまいました。つまり、ここでは今まで「未完成」だった第3楽章と第4楽章が「完成」されているのですからね。
このように、この交響曲を「完成」(正確には「修復」+「でっち上げ」)させてしまったのは、今回が初めてではありません。第3楽章はほとんどのスケッチと一部のオーケストレーションがすでに終わっていましたから、それをきちんと仕上げれば完成品が出来上がりますし、第4楽章についても、例えばここでその「でっち上げ」作業を行ったウィリアム・キャラガンの、「すでに終楽章の音楽は頭の中にあってあとは五線紙に書くだけだったが、そこに急ぎの『ロザムンデ』の注文があったので、そこにその音楽を使った」という説が信じるに足るものであるのなら、出来上がっている「ロザムンデ」の劇音楽を本来あるべき姿に戻してやればいいだけの話です。
しかし、事はそんな簡単なものではありません。第3楽章はスケルツォの主部はきちんと最後までピアノスケッチ(両手)が出来ていましたが、トリオに関しては16小節のメロディ(右手)しか残っていませんから、それ以降は新たに作らなければいけません。そこで、キャラガンはこの指揮者の録音でもおなじみのブルックナーの交響曲第9番の第4楽章のように、張り切って「修復」をやってくれました。これを、以前からあったブライアン・ニューボールドによるいかにも素朴な「修復」(ネヴィル・マリナーの録音が有名)と比べてみると、その仕事にはかなりの部分でキャラガンの主観が入っているように思えてしまいます。尺が長いだけではなく、その中では大胆な転調が繰り返し行われているのですね。確かに、シューベルトはこのような転調を他の作品で使ってはいますが、ちょっとこれはやり過ぎ、これでは、まるでブルックナーです。
第4楽章も、以前のものは「ロザムンデ」の「間奏曲第1番」をそのまま使っていたはずですが、これではあまり交響曲らしくないということで、キャラガンはその前に「間奏曲第2番」を序奏として加えています。どっちみち「間奏曲第1番」はミスマッチなので、これもあまり説得力のない仕事に終わってしまいました。やはり、「未完成」を「完成」させてはいけなかったのですよ。みかんだって、乾燥させてはいけません。
もう一つの「グレート」の方は、打って変わって颯爽とした仕上がりになっていました。特に第1楽章と第4楽章の軽やかさからは、この曲の「ハ長調」という調性の持つ伸びやかさが十分に感じられてとても気持ちの良いものです。最後の楽章などは、まるで1943年のフルトヴェングラーとウィーン・フィルのストックホルムでの録音みたいな疾走感がありますよ。

CD Artwork © Profil Medien GmbH

12月17日

MAHLER
Symphony N0.2
Miah Persson(Sop)
Sarah Connolly(MS)
Benjamin Zander/
Philharmonia Chorus(by Stefan Bevier)
Philharmonia Orchestra
LINN/CKD 452(hybrid SACD)


1996年に録音された「9番」からTELARCレーベルで始まったベンジャミン・ザンダーとフィルハーモニア管弦楽団とによるマーラー・ツィクルスでは、2004年録音の「1番」までに6曲がリリースされていました。しかし、このレーベル自体が身売りされるということもあって、しばらくそのリリースは中断されていたようでした。それが今回、レーベルをLINNに変えて、2012年に録音された「2番」が発売されました。これは、以前「ボストン・バロック」の時に見たのと全く同じ「移籍」のパターンです。録音スタッフは、もちろんかつてTELARCの社員だったエンジニアが作った「5/4 Productions」のメンバーです。しかし、なぜかジャケットのアートワークはTELARCそっくり。
そんな、まさに新天地で伸び伸びと仕事ができることの喜びが伝わってくるような、録音も演奏もとても素晴らしいSACDです。まず録音面では、往年のTELARCサウンドが、新しいフォーマットでさらにグレード・アップしたようなものすごいものも聴かせてくれています。しっかりした低音の上に、くっきりとした音像を持つ楽器群が散らばっている、というような印象でしょうか。その解像度の高さは、合唱団員一人一人の声までも聴こえてくるほどです。ピアニシモの繊細さから、大音響の炸裂までをカバーするダイナミック・レンジの広さも、格別です。
そして、演奏。実は、ザンダーのマーラーは今回初めて聴いたのですが、なんともしなやかなその演奏には、文句なしに惹かれてしまいました。第1楽章では、ダイナミックな部分と穏やかな部分との対照がとてもはっきりしていて、それが曲の構造をとても分かりやすく伝えてくれています。特に、その穏やかなテーマの歌わせ方が絶品ではないでしょうか。ちょっと恥ずかしくなるようなアゴーギグを堂々と見せつけてくれますから、いままでスルーしがちだったそんな部分にも、しっかり耳が付いて行ってしまいます。
第2楽章は、まさにこの演奏の白眉のように思えます。それは、最初のテーマで、アウフタクトと次の小節の頭の音との間になんとも絶妙な「間」をとることによって、その部分の「grazioso」という楽想が見事に表現されているのを皮切りに、もう「優雅」の限りを尽くした大技・小技の連発です。まさにとろけるようなマーラーがおなか一杯に味わえますよ。
第3楽章では、冒頭のティンパニの「2発」でまず極上のTELARCサウンドの世界へ誘われます。そのあとの力が抜けた音楽も、ザンダーの真骨頂です。もちろん、ここは切れ目なく次のコノリーのソロへとつながります。この緊張感あふれる歌い出しを聴けば、某所で行われた、この楽章の切れ目に合唱団をドヤドヤと入場させることが、いかに常軌を逸しているかが分かるはずです。それを許した○森○親に、マーラーを演奏する資格はありません。
気を取り直して、最大の長丁場の第5楽章です。ここでのザンダーは、この楽章のクライマックスを、とても綿密に設計したうえで、それを慎重に組み立てているように思えます。その場限りの盛り上がりを作ることは決してせず、あくまで最後の頂点を目指して、一見さりげなく見えるような小さなピークを、とても丁寧に積み上げて行っているのですね。ですから、聴いているものは無意味な煽りに騙されることなく(そういうことをやりたがる指揮者の、なんと多いことでしょう)きっちりと目的地までの旅を楽しむことが出来るのです。
その終点は、言うまでもなく合唱の加わった部分です。これだけの道のりの末に現れるその合唱は、ほとんど理想的な形で表れてくれました。「ほとんど」というのは、もう1ランク、繊細さが伴っていれば、という意味ですが、そこまで欲を張らなくとも、これだけのものであれば十分ですよ。見事です。

SACD Artwork © Linn Records

12月15日

The Rite of Sprig
Hubert Laws(Fl), Dave Friedman(Vib)
Wally Kane, Jane Taylor(Fag)
Gene Bertoncini, Stuart Scharf(Guit)
Ron Carter(Bass), Bob James(Pf)
Jack DeJohnette(Dr), Airto Moreira(Perc)
CTI/KICJ-02318i(2.8DSD, 24/192PCM)


今回キングレコードから、「CTI Supreme Collection」という、40タイトルのCDのシリーズが発売されました。「CTI」というのは、1967年にクリード・テイラーが創設し「フュージョン」というカテゴリーで先駆的な役割を果たしたジャズ・レーベルです。1978年に倒産してしまいましたが、日本ではキングが販売権を持っていて、こんな風に頻繁にリイシューを行っています。
ただ、今回はCDと同時にハイレゾ・データを発売したというのが画期的。このレーベルではエンジニアにこの方面では伝説にすらなっているルディ・ヴァン・ゲルダーという人を抱えていて、音に関しては定評がありました。そんな素晴らしい録音が、マスターテープそのままの音で聴けるというのでは、試してみないわけにはいきません。
この、ハイレゾ・マスタリングは、キングのエンジニアによって行われています。こちらでは実際にそのエンジニアのインタビューを見ることが出来ます。レーベルによっていろいろやり方はあるのでしょうが、これは日本のメーカーがレコードを作る際に提供されたマスターテープから、トランスファーを行うというものです。つまり、もともとCTIで作られたマスターテープではなく、それを何度かコピーしたものが使われているのですね。とは言っても、もはやレーベル自体が存在していないのですから、これは貴重なものには違いありません。
そう、「マスタリング」とは言ってますが、そもそもマスターテープ自体がすでにマスタリングが行われている状態にあるのですから、ハイレゾであればそこからは何の細工も加えずにただA/D変換したものを記録するという「フラットトランスファー」が理想的な形なのです。ここではそれを、24/192PCMと、2.8DSDに対してそれぞれ別個に行っているのだそうです。つまり、一度PCMにトランスファーしたものをDSDに変換(その逆も)するといったD/D変換さえも行っていないのですね。
その、PCMDSDがどちらも手に入りますから、これはまさしくこの二つのデジタル録音の違いを、そのまま味わえる格好のサンプルになりますね。そこで、この1971年にヴァン・ゲルダーのスタジオで録音されたアルバムのハイレゾ・データを両方とも購入して、手元にあった1978年にリイシューされたLPとともに聴き比べてみました。
PCMDSDとの違いは、かなりはっきり分かります。全くの主観ですが、PCMは実際にその楽器が目の前で演奏されているような現実味を帯びています。しかし、DSDからは単に精緻な「音」が聴こえてくる、という感じです。よくDSDのことを「透明性のある音」という人がいますが、まさに透明人間が透明な楽器を演奏しているというイメージ、音はとても澄んでいても、なにか現実味に乏しいような気がしてなりません。同じような体験を、かつてショルティの指環に対しても味わったことを思い出しました。
リーダーのヒューバート・ロウズは、ジュリアードでジュリアス・ベイカーに師事したというしっかりクラシックの基礎を学んだジャズ・フルーティストです。クラシックを「カバー」したこのアルバムでは、ドン・セベスキーの奇跡的なアレンジで、「春の祭典」がフルート、ファゴット、ウッド・ベース、ヴァイブ、ギター、パーカッション、そしてフェンダー・ローズだけで再現されています。B面の1曲目などは、ドビュッシーの「シランクス」を楽譜通りに演奏したものを時間をずらして3度重ねるというぶっ飛んだものです。そこでのフルートの音像は、DSDPCMLPの順にふくらみを増しています。この結果には、当然マスターテープの磁性体の経年劣化も反映されているのではないれっか
データにはジャケットの画像と、「ライナーノーツ」が付いてきました。しかし、それは日本人が書いたとことんつまらない文章だけで、肝心の録音データ、そしてパーソネルなどは全く記載されていません。こういうものは、普通はライナーノーツとは言いません。

Album Artwork © King Record Co., Ltd.

12月13日

ReComposed by Max Richter
Vivaldi/The Four Seasons
Daniel Hope(Vn)
André de Ridder/
Konzerthaus Kammerorchester Berlin
DG/481 0044


5年ほど前に、クラシック専門のはずのDGレーベルからこんなぶっ飛んだアルバムがリリースされたことがありました。音楽自体はクラシックとは全く無縁のダンス・ミュージックざんす。ただ、その素材としてDGの秘蔵品の、カラヤンとベルリン・フィルのマスターテープが使われていたのでした。偶然通販サイトで輸入盤を見つけて入手したのですが、しばらくしてから国内盤としてもリリースされたようですね。もちろんユニバーサルの「クラシック」部門からの販売です。よくぞ出してくれた、と、日本のユニバーサルのスタッフを褒めてあげたい気持ちになりましたね。
この「ReComposed」シリーズは、これだけではなく他のアイテムも出ていたのでしょうが、「クラシック」として引っかかったのはこれだけでした。そうしたら、たまたま2012年にもこんなものが出ていることが分かりました。通販サイトでは「クラシック」ではなく「ダンス&ソウル」のカテゴリーに入っていましたから、見つからなかったのですね。
こちらは前作よりももっと普通の「クラシック」的な仕上がりです。何しろ、音源はテープなどではなく、グァルネリ・デル・ジェスと室内オーケストラという生楽器なのですからね。初演も普通のコンサートホールで行われていましたし、今年のルツェルン音楽祭でも「演奏」されています。そう、今回「リコンポーズ」の対象となったのはヴィヴァルディの「四季」なのです。編成はオリジナルと同じですが、ちょっとした色付けのためにハープも入っています。
その「再作曲」を行ったのは、1966年生まれのドイツのピアニスト/作曲家のマックス・リヒターです。彼はイギリスで作曲とピアノを学びますが、フィレンツェでルチアーノ・べリオにも師事しているそうです。1989年には前衛的なパフォーマンスを行う「ピアノ・サーカス」という6人のピアニストのグループを結成、ペルト、グラス、ライヒといったミニマリストに多くの作品を委嘱、初演しています。作曲家としても、ジャンルを問わずオールラウンドに活躍しているようで、多くの映画やドラマの音楽も担当しています。どうも「ポスト・クラシカル」という、分かったような分からないようなカテゴライズをされているようですね。
そんなリヒターによって装いも新たに登場した「四季」は、彼自身によれば「75%はオリジナルの素材を用いている」のだそうです。「素材」というのが曲者ですね。最初のうちは「いったいどこが『四季』なんだ?」という、それこそアルヴォ・ペルトみたいな世界が広がります。しかし、良く聴いてみると確かにその中に「春」の断片が隠れているのですね。それが「春0」なのでした。「春1」になると、はっきりとヴァイオリン・ソロのフレーズが顔を出しますが、それはそのまま続くのではなく、やはり「断片」として繰り返されるだけです。「きちんと最後までやってよ!」という気持ちのまま、その楽章は終わります。
しかし「春2」では、やはりペルトっぽい和声に変わってはいますが、オリジナルに近いイントロのあとに、そのまんまのヴァイオリン・ソロが入ってくるので安心していると、それは2小節で終わり、その後には全く別のフレーズがつながっているというサプライズですから、油断はできません。
「秋1」あたりは、そんな原曲通りだと思って聴いているといきなり肩透かしを食らう典型でしょう。最初の3小節はきちんと楽譜通りなのですが、その3小節目の終わりの休符がなくなってそのまま次の小節に飛び込みますから、結果的に4拍子・4拍子・3拍子という変拍子になってしまいます。そのあとは1拍半カットされるので、もっと細かい変拍子、それこそ「春の祭典」みたいな変拍子の嵐です。
ペルトやライヒに馴染んでいる人は思わずニヤリとしてしまうようなヴィヴァルディです。まあ、国内盤で出しても売れないでしょうがね。

CD Artwork © Universal Music GmbH

12月11日

MOZART
Die Zauberflöte
Pavol Breslik(Tamino), Kate Royal(Pamina)
Dimitry Ivashchenko(Sarastro), Ana Durlovski(KdN)
Michael Nagy(Papageno), Regula Mühlemann(Papagena)
Robert Carsen(Dir)
Simon Rattlee/
Rundfunkchor Berlin(by Simon Halsey)
Berliner Philharmoniker
BERLINER PHILHARMONIKER/BPH130012(BD)


1967年にカラヤンによって創設されたザルツブルク・イースター音楽祭は、カラヤンの手兵ベルリン・フィルがオペラを演奏するというコンセプトで、今日までベルリン・フィルの音楽監督の指揮によって継続されてきました。しかし、昨年、様々な問題があって、ベルリン・フィルはこの音楽祭から完全に撤退することになったのだそうです。そして新たに、今年、2013年からバーデン・バーデンで、同じくイースターの期間に音楽祭を開催することになりました。そのオープニングを飾ったのが、サイモン・ラトルとベルリン・フィルによる「魔笛」の、新演出による公演です。それは期間中に4回上演されましたが、その最後の2回分を収録、編集した映像が、発売になりました。実はこの映像にはNHKも共同制作として加わっていたために、これ自体はすでにBSで全曲放送されていたのですが、それは千秋楽、4月1日だけのライブ映像でした。
このBDのボーナス・トラックにはベルリン・フィルのライブ映像の配信サイト「デジタル・コンサートホール」でインタヴュアーとして登場しているホルンの団員のサラ・ウィリスが、演出家やバックステージのスタッフにインタヴューしている映像が入っていますから、これもBSでは決して見られないものです。そして、これはきのうの「禁断」に書いたことですが、このBDはBSよりもはるかにいい音で聴くことが出来ます。
ラトルにとっては、これがこのオペラの初体験だということですが、そんな「初めて」ならではの恐れを知らない果敢なアプローチが随所に見られます。まずは、かなり自由な装飾の挿入、最初の3人の侍女のトリオで、最後に長々とカデンツァが入っていたのにはびっくりしましたね。それに続いて出てくるパパゲーノは、パンパイプではなくて「鍵盤ハーモニカ」を吹いています。きちんと「G」の鍵盤にテープを貼って、間違えないようにしているのがご愛嬌。もちろん、彼が渡される「グロッケンシュピール」は、チェレスタではなくキーボードグロッケンシュピールが使われています。先ほどのバックステージ紹介で、ピットの中にシードマイヤーの現物が確認できました。フルートと共にこの作品では重要な意味を持っている楽器だということでしょう、最後の大団円の時には、この楽器が華々しくフィーチャーされていましたね。
そして、ラトルの音楽は、テンポの大胆な変化で、今まで聴き慣れたモーツァルトとは一味違うものを見せてくれています。先ほどの3人の侍女のトリオでは、始まりがやたらと遅いテンポだと思っていると、次第にアッチェレランドをかけてダイナミックに畳みこむような表現に変わっていったりしています。モノスタトスのアリアの途中でも、いきなりブレーキがかかって驚かされたりします。それらの「小技」は、確かにこの作品の新たな一面を知らせてくれるものではありますが、「そこまでするの?」という場面もなくはありませんね。
ロバート・カーセンの演出も、やはりある種の「読み替え」なのでしょう。ただ、夜の女王や侍女たちの位置づけは、いまいち納得がいかないものでした。気持ちは分かりますが、どうにも整合性が取れないのですね。まあ、基本的にすべての人が仲良くなるというノーテンキなプロットだ、ということで、無理やり理解するしかありません。
部分的には、なかなか秀逸なところも見られます。3人の童子の扱いもその一つ。パミーナとパパゲーノがそれぞれ自殺を図ろうという場面で3人が現れる時には、その時の歌い手と同じ衣装、という意匠は気がきいてます。そのあとの方の場面で、パパゲーナの姿を見つけた時の一人の少年の表情はなんとも言えません。それに続くパパゲーノとパパゲーナのデュエットのアイディアは、涙が出るほど素敵でした。

BD Artwork © Berlin Phil Media GmbH

12月9日

RÓS
Songs of Christmas
Berit Opheim(Voc)
Gjermund Larsen(Vn)
Grete Pedersen/
Det Norske Solistkor(The Norwegian Soloists' Choir)
BIS/SACD-2029(hybrid SACD)


ノルウェー・ソリスト合唱団の最新作です。ほぼ1年ごとにBISから届く彼らのアルバムは、録音と演奏の両面で最高のものを与えてくれていて、常に期待が背かれることはありません。今回は2009年に録音された「白夜」というアルバムで登場したフォーク・シンガーとヴァイオリニストが再びフィーチャーされたクリスマス・アルバムです。
その前に、アーティストの表記について。何しろ、こういう北欧の人たちの名前ときたら、単純にアルファベットをローマ字読みにして片付くようなものではありませんから、日本語表記に関しては基本的に代理店のインフォに頼らざるを得ません。そこで、「白夜」の時にはそれに従い指揮者は「ペデーシェン」、シンガーは「オフェイム」と表記していたのですが、このアルバムになったら、なんとそれが「ペーデシェン」と「オプハイム」に変わっているではありませんか。もう、こういうところのものは一切信用しないのだ、と、固く心に誓うのでした。。
そんなことは、ここで演奏しているノルウェーのアーティスト達は全くあずかり知らぬこと、今回はタイトルをキリストや聖母マリアのメタファーである「バラ」と定めて、なんとも粋なアルバムを作ってくれました。
まず、最初はプレトリウスの有名な讃美歌「Es ist ein Ros' entsprungen 一輪のバラが咲いた」が、ノルウェー語によって歌われます。その言葉の響きと、まるで冷水で洗ったばかりの果実のようなサウンドによるア・カペラの合唱は、最初の音から北欧の世界への入り口を用意してくれていました。今回の録音は、今までのものからさらにワンランク高まったクオリティを感じさせてくれるもの、まるで彼らが吐き出す息の白さまで感じられるようです。
そのあとに、今回参加しているミュージシャンによるインスト物が披露されます。前回のフィドル奏者(今回は「ヴァイオリン」と表記されています)ラーシェンにリュートのロルフ・リスレヴァンが加わって、全くテイストの異なるローカル色豊かな音楽が披露されます。あ、このリュート奏者は、男性です(「レスヴィアン」ではありません)。そして、そこに合唱が登場した時には、それは先ほどの洗練された讃美歌とは全く異なる「民族的」な歌い方を駆使して、更なる魅力を伝えてくれます。もちろん、そこにはさらに「フォーク・シンガー」のオプハイムと、ジャズ・ベーシストのビョルン・シェッレミルが加わっていることも、大きなファクターであることは言うまでもありません。
ここで、指揮者のペーデシェンが構成を担当した、9曲から成る「組曲」の登場です。最初と最後を飾っているのが、ヒルデガルト・フォン・ビンゲンの「O vis aeternitatis おお永遠の力よ」です。ドローンに支えられた単旋律の聖歌ですが、その無音から始まるドローンを、男声合唱が信じられないほどの繊細さで歌っています。そこに、ほんのりと彩られる女声合唱や楽器の塩梅は、まさに絶品です。とても素晴らしいソロは、この合唱団のメンバーによるもの。彼女の作品は、それ以外にも完全なプレーン・チャントとして男声だけで歌われる「Ave generosa めでたし、気高き方」と、しっかりコーラスとしてペーデシェンがアレンジした「O frondens virga おお、葉の茂った小枝よ」が入っています。
と、それらとは全く出自の異なるトラディショナルが、「バラ」というキーワードだけのつながりで入ってきます。こういう「フォーク・ソング」の扱いが、この指揮者と合唱団とのユニークなところ、今回も、そんな音楽史の王道と辺境とのコラボレーションが見事に決まっています。この組曲中(いや、アルバムの中でも)最も演奏時間の長いデンマークに由来する伝承歌「I denne søte juletid 愛らしいこのクリスマスの時に」は、分厚いコーラスに彩られて最高に聴きごたえのあるものに仕上がりました。
今年も、最高の演奏と録音は裏切られることはありませんでした。おそらく、今年一番の贈り物となったことでしょう。

SACD Artwork c BIS Records AB

おとといのおやぢに会える、か。


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