マスタード・ナイト。 佐久間學

(21/9/18-21/10/9)

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10月9日

MOZART
Die Flötenkonzerte
James Galway(Fl)
Rulolf Baumgarther/
Festival Strings Lucerne
TOWER RECORDS/TWSA-1110(hybrid SACD)


ゴールウェイは夥しい数のアルバムをリリースしていますが、それらがSACD化されたことはありませんでした。それが、今回、彼にとっては2番目となるモーツァルトの協奏曲集(EURODISC)が、世界で初めてSACDとなりました。
ゴールウェイは「カラヤンの慰留を振り切って」ベルリン・フィルを退団し、一本立ちして世界一のフルーティストになりました。というのが、ゴールウェイとカラヤンとの関係だ、と言われています。今回のライナーノーツを執筆された木幡一誠さんもそんな表現をされていましたね。しかし、それは「真実」とは微妙に異なっていることが、彼の自伝を読めば明らかになります。もっとも、自伝の記述が本当なのかということまでは、誰にも分かりませんが。
確かに、ゴールウェイは、1974年ごろに、後に彼のエージェントとなる人物と会って、ソリストになる決心を固め、それをカラヤンに告げています。しかし、その時のカラヤンの返事は
「ほんとうにやる価値があると感じるものがあれば、オーケストラを去ればいい。何かをやらなければなれないと思ったなら、やりなさい。わたしも若者だったときにすべきことをしなかったために、のちに後悔したことがある。君に同じ思いはさせたくない」(新自伝153ページ)
という、なんとも寛容なものでした。カラヤンにしてみれば、ベルリン・フィルの首席奏者というステイタスを手中にした者が辞めるわけはないと、高をくくっていたのでしょうね。
ところが、ゴールウェイが正式に退団届を提出し、それが本気だと知るや否や、カラヤンはありとあらゆる嫌がらせを仕掛けてきます。団員にとってはボーナスが入る美味しい仕事のザルツブルク音楽祭への参加は認めませんし、そもそも、彼が指揮する時以外にしか、ゴールウェイが演奏することを許しませんでした。これは「慰留」などという生易しいものではなく、れっきとした「パワー・ハラスメント」ですね。カラヤンは、自分と、自分のオーケストラに刃向うものは決して許さず、その鬱憤を晴らすために、そのような行動に出たのでしょう。
そんな中途半端な時期、1974年9月に、将来に向けての「就活」の意味で取り組んだのが、この、EURODISCというドイツのレーベルのために行われた、ルツェルンでのモーツァルトのフルート協奏曲の録音セッションです。このアルバムは仏ADFディスク大賞、ウィーンの笛時計賞を受賞します。
そして、ゴールウェイは1975年5月から、ベルリン・フィルに在籍のままRCAのアーティストとしての録音活動を開始します。そこで2枚のアルバムを作ったのち、このモーツァルトのアルバムも、EURODISCからのライセンスによってRCAでの3枚目のアルバムとして1977年3月にリリースされました。その時のジャケットがこれです。
手元には、EURODISC盤のCD(@)とRCA盤のCD(A)があります。それを、今回のSACD(B)と聴き比べてみました。
まず、@は1984年にCD化されたもので、まだリマスタリングのノウハウがなかったころですから、カッティング・レベルがちょっと低めです。ただ、それを補正して聴くと、弦楽器などはかなりしっとりとした音になっています。しかし、フルート・ソロは、全体的に沙がかかっているようで、いまいちぼやけた音です。
Aは2014年のリマスタリングなので、レベル的に問題はありませんが、音は@以上にこもった感じです。
Bは、正直SACD化でここまで変わるとは予想していなかったので、その解像度には驚いています。弦楽器の音は伸びやか、フルートも、とてもクリアで、ゴールウェイの細かい音色や奏法の違いがもう手に取るようにわかります。これを聴いてしまったら、もうCDを聴く気にはなれません。
なんでも、これは直接ドイツにあるマスターテープからDSDへのトランスポートを行ったのだとか。かつてのESOTERICの「指環」の偽装表示がありますから、鵜呑みにはしていなかったのですが、これはもしかしたら本当なのかもしれません。テープの劣化も見られませんし。他のゴールウェイのアルバムも、ぜひ同じようにSACD化してもらいたいものです。

SACD Artwork © Nippon Columbia Co., Ltd.


10月7日

BRUCKNER
Symphony No.7
BERNARD Haitink/
Netherlands Radio Philharmonic Orchestra
CHALLENGE/CC72895(hybrid SACD)


ベルナルト・ハイティンクというオランダの指揮者はアウトドア派(それは「ハイキング」)、数多くの世界的なオーケストラで首席指揮者などのポストを務め、様々なレーベルへの膨大な録音を行ったことで知られています。特に、オランダのレーベルPHILIPS(現在はDECCA)には、多くのアルバムを残しています。ただ、その割には、あまり「巨匠」というようなイメージはないような気がしませんか? 
そんなハイティンクは、いつの間にか齢90を超えて「長老」の仲間に入っていました。かとおもったら、なんとその90歳を迎えた3か月後の2019年6月12日に、指揮者からの引退を宣言したのです。そして、2019年9月6日のルツェルン音楽祭でのウィーン・フィルとのコンサートが、彼の最後の舞台となりました。その時のプログラムは、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番(ピアノはエマニュエル・アックス)とブルックナーの交響曲第7番でした。
その少し前、「引退宣言」の直後の6月15日に行われたのが、やはりブルックナーの交響曲第7番が演奏されたコンサートでした。会場はアムステルダムのコンセルトヘボウ、オーケストラは、ハイティンクがキャリアの最初期、1955年に指揮を始めたという深い縁のオランダ放送フィルです。この時の前プログラムは、カミラ・ティリングのソプラノ・ソロで、オーケストラ伴奏によるリヒャルト・シュトラウスの5つの歌曲(「ばらの花輪」、「花束を編みたかった」、「ささやけ、愛らしいミルテよ」、「東から来た聖なる3博士」、「あすの朝」)が歌われています。
このコンサートの模様は、すでにYouTubeの動画で見ることができます。そのうちの、ブルックナーだけをハイブリッドSACDでサラウンド収録したものが、このアルバムです。
ハイティンクは、この曲をこれまでに3回リリースしていました。まず1966年11月、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(PHILIPS/60分15秒)、そして1978年10月、同じくアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(PHILIPS/65分19秒)、さらに2007年10月、シカゴ交響楽団(CSO/67分31秒)です。演奏時間を見ると、しっかり後になるにしたがって長くなっていますね。今回のオランダ放送フィルとのSACDでは68分10秒ですから、その演奏時間は正確に年齢と比例しているという、分かりやすさです。
このSACDでは、主に弦楽器が前に出ているような定位で、管楽器などはちょっと後ろに引っ込んだ感じで聴こえてきます。おそらく、極力メインマイクの入力を使って録音していたのでしょう。ですから、ホール全体の反響が、包み込むようにナチュラルに漂っています。
ハイティンクの指揮ぶりは、さきほどの動画ではいともあっさりしているように見えますが、実際に弦楽器のトゥッティから出てくる音楽は、とても細かいダイナミックスとテンポの変化が付けられています。それは、いかに彼とこのオーケストラの相性が良いのかを物語っているようです。まさに阿吽の呼吸で、指揮者の意図をすべてのメンバーがくみ取っているのでしょうね。
そして、彼がとったテンポは確かにゆっくり目ですが、そのフレージングを聴いていると、フレーズの切れ目で停滞することは決してなく、それどころか次のフレーズが微妙に早く入ってきています。それによって、音楽はひと時も隙間を空けることなく、滔々と時間の中を漂うようになるのでしょう。
こんなやり方をする指揮者が他にもいたことに、気が付きました。それは、カラヤンです。もしかしたら、ハイティンクは、とても謙虚なカラヤンだったのかもしれません。
この曲で大活躍するフルートのソロが、とても素敵でした。
ただ、この人の名前は、このオーケストラのサイトにはありません(5人のフルートのメンバーはすべて女性)。なんという人なのでしょう。
蛇足ですが、このアルバムのジャケット写真は、このコンサートでのものではありません。コンサートはマチネなので、彼は燕尾服は着ていませんでした。なぜこんな「昔の」写真を使ったのでしょう。

SACD Artwork © Challenge Classics


10月5日

TCHAIKOVSKY
Symphony No.6 'Pathetique'
Paavo Järvi/
Tonhalle-Orchester Zürich
ALPHA/ALPHA782


NHK交響楽団の首席指揮者に就任して、すっかり日本のクラシックファンにはおなじみになってしまったパーヴォ・ヤルヴィです。もちろん、いま世界中で活躍している指揮者が一つのオーケストラだけのポストにいるわけはありませんから、彼の場合もこれまでに多くのオーケストラとの浮名を鳴らしてきています。現在のそのお相手が、スイスのチューリヒ・トーンハレ管弦楽団です。
チューリヒ・トーンハレと言えば、反射的にデヴィッド・ジンマンの名前が出てくるぐらい、このコンビの演奏が評判を呼んでいた時代がありましたね。この名前を聞くと痒くなります(それは「ジンマシン」)。20世紀の終わりごろ、ベートーヴェンの交響曲の原典版、「ベーレンライター版」が世に出た時に、このコンビは、「ベーレンライター版による世界初録音」と謳ったベートーヴェン全集を、ARTE NOVAというバジェット・レーベルからリリースし、それが大ベストセラーとなったからです。
ただ、実際は、ジンマンたちはベーレンライター版を使ってはいなかったので、これは全くの偽装表示だったのですが、世のクラシックファンはまんまとそれに引っかかってしまったのですね。このレーベルはもはや活動はしていませんが、カタログはまだSONYの中に残っています。
ジンマンは2014年に桂冠指揮者となってこのオーケストラを去りますが、音楽監督のポストは空席のままでした。そのあとを継いで、2019年の秋から音楽監督となったのが、ヤルヴィです。彼は、就任後すぐにチャイコフスキーの交響曲ツィクルスを開始、同時に録音も行いました。その頃は、このオーケストラの本拠地である1895年に造られた由緒あるコンサートホール「トーンハレ」は改修中だったため、オーケストラはチューリヒ西部にある「トーンハレ・マーグ」という近代的なホールを使っていて、録音もそこで行われています。改修成った今年の9月からは、また、かつてのトーンハレでの演奏が再開されています。
このツィクルスは2019年の10月から始まり、2021年の1月に終了しました。その間、コロナ禍によってその進行は1年近く中断されていたようです。ブックレットの写真では、弦楽器奏者は一人ずつの譜面台を使い、管楽器奏者以外はマスクを着用していましたね。
すでに6つの交響曲と6つのオーケストラ作品による5枚組の全集がリリースされていますが、その中で単売されているのは3枚分だけです。交響曲では「1番」と「3番」が未リリース、これらはもう発売されないかもしれませんね。いずれにしても、これがスイスのオーケストラとしては初めてのチャイコフスキー・ツィクルスの録音なのだそうです。
交響曲第6番(悲愴)は、とてつもないピアニシモで始まりました。ただ、ここでヴォリュームを上げると、その後が怖いので、そのまま聴き続けます。かなりダイナミック・レンジを広くとって録音されているようですね。しばらくすると金管楽器が入っていますが、それはとてもお上品、ロシアあたりのオーケストラとはずいぶん感じが違います。ヤルヴィはエストニア出身で、幼少のころはまだ「ソ連」だったのですが、彼はエストニアが独立する前にアメリカに移住していますから、そんな「ロシア感」にはあまり縁がないのでしょう。好みは分かれそうですが、これもなかなか爽やかでいい感じ。
第3楽章あたりも、いかにバスドラムが強打していても、冷静さを失うことはありません。でも、最後のロングトーンで、1回弱くしてからクレッシェンドを駆けるという趣味は、ちょっと。
しかし、終楽章はまさに白眉でした。すべてのテーマが悲しみにあふれた肌触りで聴こえてきます。果てしない慟哭の世界、これは感動的です。終わり近くの銅鑼の一撃が、とても印象的、その後の金管のコラールに続いて出てくる弦楽器の音が、とても愁いに満ちた音色だったのは、そこに木管楽器の低音が加わっているからだと気づかされます。まさにオーケストレーションの極みです。

CD Artwork © Alpha Classics / Outhere Music


10月2日

SCHUBERT
Symphonies 4 & 5
René Jacobs/
B'Rock Orchestra
PENTATONE/PTC 5186 856


ルネ・ヤーコブスとビー・ロック・オーケストラとのシューベルトの交響曲は、2018年に1番と6番、2020年に2番と3番というカップリングでリリースされていましたが、今回はその第3弾、4番と5番という、個人的には最も好きな曲のアルバムになっていました。残るは7番と8番ということになるのですが、こればっかりはCD1枚というわけにはいかないので、どういう出し方になるのでしょうね。柿の種と混ぜるのでしょうか(それは「ピーナッツ」)。
今「CD」と書きましたが、最初の2枚はSACDでした。このレーベルでは、もはやCDがスタンダードというスタンスになっていますから、仕方がないのかもしれませんが、ツィクルスの途中でこんな風にフォーマットが変わってしまうのは、許せませんね。
ですから、それならわざわざ購入する必要もないと、NMLで聴くことにしましたよ。ま、それだけではなく、最初のアルバムはこちらにある通り、1回聴いたらそれ以上は聴くこともないな、というようなもの(あくまで、個人的な感想)でしたので、どのみち、これも購入することはあり得ませんでしたけど。
もちろん、悪かったのは1枚目だけで、そのあとは見違えるように素晴らしいものになっていた、ということだってないわけではありません。というか、どうせ聴くのなら、なにかしら喜びを与えてもらえる方がいいに決まってますから、「もしかしたら」という期待がなかったと言えばうそになるでしょう。
しかし、悲しいことにそんな淡い期待は裏切られました。まずは4番ですが、その第1楽章の序奏を聴いただけで、木管のあまりのピッチの悪さにがっかりさせられてしまいます。もちろん、このオーケストラはピリオド楽器を使っていますから、不完全な楽器ならではの魅力を味わうことも、それを聴く時には必要なのかもしれません。しかし、最近のピリオド業界での技術的な進歩には著しいものがあり、もはや、ピリオド楽器だからと言って、いい加減なピッチが許されることはないようになっているのです。つまり、鄙びた楽器の魅力のみを大事にしているような団体は、「現代のピリオド」として生き残ることはできないという時代になっているのですよ。
ですから、この楽章の第2テーマのようなリリカルな音楽も、ゴツゴツした音程で美しく感じることはできません。
そんなヤバいピッチは最後まで改善されることはなく、この、短調ならではの交響曲が持っている厳しさなどは、ほとんど味わえませんでした。そして、終楽章の最後に繰り返されるアコードの、なんとも間抜けなこと。エンディングの和音などは、伸ばしている間にどんどんピッチが変わっていくのですから、もう笑うしかありません。
5番では、テンポの設定がなんともかったるいものでした。第1楽章などは、軽快に始まったな、と思っていると、次第にテンポが遅くなっていったりします。この曲が持っている爽やかさとか快活さといったものが、全く感じられないのです。アンサンブルにも問題があって、各パートが好き勝手にやっていて収拾がつかないようなところも見られます。
第2楽章も速めのテンポなのですが、途中でいきなりにテンポを落として歌い上げるかのような振りをしているのが、とても不自然です。というか、全体的にとても雑。
メヌエットでは、トリオで少しテンポを落としてほしいのに、そのままのスピードで始めてしまいます。かと思うと、いきなり変なところで予想もつかないようなパウゼを取ったりしますから、ただ驚くだけ。
終楽章もびっくりしますよ。提示部を、楽譜通り繰り返しているのはいいのですが、その繰り返しで、第2テーマをいきなり遅いテンポで始めたと思ったら、それにアッチェレランドをかけてくるのですからね。
ここには、これまで宗教曲やオペラで素晴らしい演奏を聴かせてくれていたヤーコブスの姿は、どこにもありません。いったいどうしたことでしょう。こんなんだから、SACDからCDに「降格」させられてしまったのかもしれませんね。

CD Artwork © Pentatone Music B,V,


9月30日

SAINT-SAËNS/Le Carnaval des Animaux
POULENC/Concerto pour deux Pianos
Alex Vizorek(Nar)
Duo Jatekok(Adélaïde Panaget, Naïri Badal)
Lucie Leguay/
Orchestre National de Lille
ALPHA/ALPHA749


ジャケットのインパクトがすごいので、それに惹かれてつい聴いてみようと思ってしまいました。これは、ローラン(ローレント)・シェエールというフランスの写真家の「飛ぶ家」というシリーズの一つなのですが、その「家」の中にたくさんの動物が住んでいるので、この「動物の謝肉祭」のジャケットとして使われたのでしょう。
このアルバムの目玉は、フランスでは有名なDJ(?)のアレックス・ヴィゾレクという人がナレーションを務めていて、台本も彼が書いたのだ、ということです。この曲は、元々はごく内輪の人に聴かせるために作られ、自分が生きている間は出版することも禁じたぐらいのプライベートなものでしたが、今ではもしかしたらサン=サーンスの作品の中では最もよく知られている曲になっているかもしれません。そして、大抵の場合、そこには作曲家はなんの指示もしていない「ナレーション」が入っているのです。ですから、この曲にナレーションを入れるときには、それぞれがオリジナルの台本を作ることになるのですね。いや、おそらく、サン=サーンス自身は、そんな風にして、曲の「ネタバレ」までやられてしまうのは不本意だと思っているのでは、という気がするのですが。
ただ、同じような扱いで、ナレーションが入って大変人気のある曲に、プロコフィエフの「ピーターと狼」がありますが、あちらは作曲家自身が楽譜にナレーションを書き込んでいますから、そのポリシーはかなり違っているはずです。それが、今ではこの2曲は同じコンサートで演奏されたり、同じアルバムにカップリングされているようになっているのですから、なんだかサン=サーンスがかわいそうになってきます。
そんなカップリングで初めて聴いたのが、バーンスタインとニューヨーク・フィルのアルバムでした。それは、実はLPではなく、4トラック/毎秒19センチという、オープンリールテープでした。「往き」がサン=サーンス、「帰り」がプロコフィエフですね。そこで、バーンスタイン自身のナレーションで「My dear young friends」という最初の声が聴こえた時、それがあまりにリアルだったのに驚いたという記憶があります。さすが、テープは違う、と思いましたね。
今回は、ナレーションはフランス語です。ただ、ブックレットにはその英訳などはないので、ほとんど内容は理解できないよう
ただ、いかにもDJらしい軽快な語り口は、意味が分からなくても楽しめます。途中で女の人の声も出てくるのですが、それは誰だったのでしょう。
曲は、よくある室内楽バージョンではなく、フル・オーケストラ・バージョンです。まず、「前振り」のような感じで、そこに登場する楽器が一節披露する場面があるのですが、みんなこの曲の中のメロディを演奏している中で、クラリネットだけが、さっきの「ピーターと狼」のテーマを吹いていたりするのが、和みます。
そんな軽快なMCに乗って、サン=サーンスは進んでいきます。と、最初の「ライオンの王」で、聴きなれないフレージングに引っかかりました。
この赤枠の部分全体に長いスラーを付けて演奏しているのですよ。確かにスタッカートは付いていないので、こういうのもあるでしょうが、なんか馴染めません。というか、ちょっと軽めのライオン、みたいになってますね。
もしかしたら、このアルバムでは、トータルでそんな「笑い」を取ろうとしているのかもしれません。プーランクの「2台のピアノのための協奏曲」の2楽章などは、もろモーツァルトのパロディですし。
そして、もう一つのサプライズ。最後に、「動物の謝肉祭」の「化石」にでてくるシロフォンのフレーズの元ネタの「死の舞踏」のさらに元ネタのアンリ・カザリスの詩が朗読されているのですが、その冒頭の「Zig et zig et zig」を聴いていると、「ジゲジゲジッ」というのがそのまんま「死の舞踏」のテーマのリズムになってるんですよね。サン=サーンス自身がパクってたのでした。

CD Artwork © Alpha Classics / Outhere Music


9月28日

PENDERECKI
Complete Quartets
Piotr Szymyśliki(Cl)
Silesian Quartet
Szymon Krzeszowiec, Arkadiusz Kubica(Vn)
Łukasz Syrnick(Va), Piotr Janosik(Vc)
CHANDOS/CHAN20175


ペンデレツキが作った「Complete Quartets」、つまり「四重奏曲」の「全集」です。ここでは「弦楽四重奏曲」の編成の曲が5曲、そしてもう一つ、クラリネット、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロという編成の「クラリネット四重奏曲」が加わっています。
それらが1枚のCDに収まって、作曲年代順に演奏されています。まずは弦楽四重奏曲第1番(1960年)、と弦楽四重奏曲第2番(1968年)、そこから20年後の1988年に作られた弦楽四重奏の編成での「壊れた思考」という小さな曲、そして1993年に作られたクラリネット四重奏曲、さらに、弦楽四重奏曲第3番(2008年)と、弦楽四重奏曲第4番(2016年)です。「4番」だけは2021年に録音されましたが、それ以外は2012年に録音されていました。
このように、ペンデレツキは彼の作曲家としてのキャリアの最初から最後まで、「四重奏曲」を作っていたことになります。そして、なにも作らなかった20年の空白期間の前後では、まるで作風が変わっています。
ペンデレツキの作風の変換点がどこだったのか、というのは、かなり曖昧です。それは、1970年代ごろにじわじわと進行していたように思えます。実際には、1965年に作られた「ルカ受難曲」でさえ、アヴァン・ギャルド一辺倒ではなく、ほのかにロマンティックなテイストが感じられる部分もあります。それが、1974年に作られた「マニフィカト」になると、その「前衛度」がかなり薄まって来るな、といった感じですね。
その点、今回の「四重奏曲」というジャンルではその70年代が丸ごと抜けているのですから、このCDを曲順に聴いていくと、2曲目から3曲目に変わった時には、ほとんど別の人の作品のように感じることでしょう。
まず、弦楽四重奏曲第1番では、そもそも弦楽器としての演奏すらさせてもらないというアヴァン・ギャルドの神髄が展開されています。それは、楽器を「叩く」という行為です。超高価な楽器を叩くという時点で、常軌を逸しています。ただ、これは別にペンデレツキが発明した奏法でもなんでもなく、すでにクセナキスが「メソプラクタ(1956年)」で使っていて、世界中に衝撃を与えていた技法なんですね。ですから、ペンデレツキはまずは当時の「流行」の最先端を取り入れてみた、ということなのでしょう。
弦楽四重奏曲第2番になると、今度は弦楽器に「喋らせる」ということをやっています。これは、観念的な言い方ではなく、実際に人が言葉を「喋る」のを、楽器で模倣するという、ほとんど「お座敷芸」のような次元の発想です。それはポーランド語でしょうから、意味は分かりませんが、ひそひそ話とか、他愛のないおしゃべりのように聴こえてきます。だからなんなんだ、穴でも掘ってなさいと言いたくなりますけどね(それは「シャベル」)。でも、結局最後には「カデンツァ」らしいものが聴こえてくるんですよ。西洋音楽の根幹をなす終止形、作曲家であれば、やはり無意識に使いたくなるのでしょうか。ですから、この時点で彼の次のステップは予想されていたのですね。
そして、「壊れた思考」で始まる後半の曲では、もはやオーソドックスな奏法以外を使うことはありません。見事に、世界中の市場で受け入れられるスタイルへの変身が完了したのですね。
クラリネット四重奏曲は4つの楽章による大きな作品ですが、リリカルなクラリネットにリードされて、とても甘美な世界が広がります。
弦楽四重奏曲第3番は、やはり4楽章で出来ていて、この中ではもっとも演奏時間が長い作品です。第2楽章アダージョの息の長いテーマなどは、もしかしたらテレビドラマのBGMでも使えるかもしれないような、涙を誘うほどの美しさを持っています。
最後の弦楽四重奏曲第4番になると、いくらなんでもそんなロマンティックなままで死ぬのではまずいとでも思ったのでしょうか、2つある最初の楽章では、極力調性をなくした旋律を使っていたりしました。でも、次の楽章で最後に出てくる田舎っぽい民謡はいったいなんだったのでしょう。

CD Artwork © Chandos Records Ltd


9月25日

SCHUBERT
Octet
Wigmore Soloists
Isabelle van Keulen, Benjamin Gilmore(Vn), Timothy Ridout(Va)
Kristina Blaumane(Vc), Tim Gibbs(Cb)
Michael Collins(Cl), Robin O'Neill(Fg), Alberto Menéndez Escribano(Hr)
BIS/SACD-2597(hybrid SACD)


「ウィグモア・ソロイスツ」というのは、2020年に、ロンドンにある有名なコンサート会場のウィグモア・ホールの支配人のジョン・ギルフリーが、高名なヴァイオリニストのイザベル・ファン・クーレンとその元夫で指揮者でもあるクラリネット奏者のマイケル・コリンズの2人をリーダーとして結成したアンサンブルです。彼女たちを中心に、若手やベテランの腕利き奏者を集めて、コンサートやレコーディングを行うというプロジェクトなのでしょう。
蛇足ですが、「独奏者」は英語では「ソロイスト」で、「ソリスト」というのは間違いです。
その第1弾の録音が、このSACD、シューベルトの「オクテット(八重奏曲)」です。コントラバスも入った弦楽五重奏に、クラリネット、ファゴット、ホルンが加わるという絶妙の編成ですから、奥手の人には務まりません。ですから、弦パートはファン・クーレンが、そして管パートはコリンズがそれぞれリーダーシップを取って音楽を作っていくのでしょう。
これは、2020年の12月に、ウィグモア・ホールでの3日間のセッションによって作られました。もちろん、コロナ禍の真っ最中ですから、録音に当たってはいろいろと苦労があったことでしょうね。
まずは、このレーベルでは必ず明記されている、エンジニアと録音機材のチェックです。そこで、いつもとは微妙に異なるマイクが使われていることが分かりました。このレーベルではメインにDPAのマイクが使われていることが多いのですが、ここでは、その前身のB&Kのマイクが使われているのですよ。そして、エンジニアも、デイヴ・ローウェルという方でした。この方は、これまでにHyperionとかSignumといったイギリスのレーベルを中心に多くのアルバムに関わってきていますが、このレーベルではおそらくこれが初めての仕事になるのではないでしょうか。さらに、録音フォーマットも、24bit/192kHzというハイスペック。このレーベルではこれまではほとんど24bit/96kHzでしたから、ある意味画期的なことです。
その音は、たしかにこれまでのBISとは一味変わっていたようです。それぞれの楽器の粒立ちがかなり際立っているのですね。そして、驚いたのがサラウンドの音場設定です。ここでは、なんと弦楽器がフロント、管楽器がリアから聴こえてくるようなのですね。もしかしたら、プレーヤーたちはメインマイクを囲んで演奏しているのかもしれませんね。このレーベルの室内楽はあまり聴いたことがないのですが、こんな設定のものはあまりなかったのでは。
ですから、ここでは、まずそれぞれのメンバーが顔を見ながら演奏できるのでしょうから、そこでしっかりお互いの気配を感じ合って、同じベクトルの表現を目指しているように感じられます。具体的には、細かいダイナミックスの変化などが、きっちりそろえられているのですね。そして、その司令塔が、フロント左のファン・クーレンと、リア右のコリンズという、対角線上に向かい合った二人です。
ただ、最初のうちはそのように感じられるのですが、しばらく聴いていると、もっと踏み込んだ表現では、この二人が必ずしも同じ方向を向いてはいないのでは、という気がする場面も多々出てくるようになりました。たとえば、第4楽章の変奏曲のテーマでも、クーレンは付点音符をかなり厳格な音価で演奏しているのですが、コリンズは付点音符をほんの少し長めにして存分に歌いこんでいるようです。このあたりが、なかなかそれぞれの主張を曲げないままで突き進んでいるのでは、というような気がしてしまいます。ほかのメンバーも遠慮しているのか、いまいちのびやかさがなかったような。コントラバスなども、ほとんど聴こえてきませんでしたし。
それと、スケルツォ風の第3楽章が、とても重苦しいのですね。なんか、シューベルトに過度の主張を求めているような気がして、あまり楽しめませんでした。トリオなども、もっとあっさりしていた方が、個人的には好きですね。

SACD Artwork © BIS Records AB


9月23日

KLEIBERG
Concertos
Marianne Thorsen(Vn), Fredrik Sölin(Vc)
Eivind Ringstad(va)
Peter Szivay/
Trondheim Symphony Orchestra(hybrid SACD, BD-A)
2L/2L-166-SABD


以前、こちらで2016年8月に同じレーベルで録音された「現代人のためのミサ」という作品を聴いていた、ノルウェーの重鎮作曲家ストーレ・クライベルグ(クライベリ)の、協奏曲を3つ集めた最新アルバムです。今回は、2020年の6月と8月に録音されました。
録音会場は、前のアルバムと同じ、トロンハイムにあるオラフ・ホールという客席数1240の多目的ホールです。ご当地のホールですね(それは「オラホのホール)。ホール自体はそれほど音の良いホールとは思えませんが、その広いステージに乗ったオーケストラの真ん中に、サラウンド用のマイク・アレイを立てて録音を行っていますから、クリアな音を録ることはできるのでしょう。それ以外のサブ・マイクは、写真を見る限り使われてはいないようですね。
1曲目は、シェル・パール=イーヴェシェンという画家の80歳記念のコンサートが開かれた2017年に、その会場で初演された「ヴァイオリン協奏曲第2番」です。オーケストラの編成は弦楽器だけです。3つの楽章で出来ていますが、それぞれがこの画家の作品のタイトルにちなんで作られています。第1楽章の「イコン(偶像)」は、ブックレットに現物が掲載されています。
それは、まるでマントヴァーニのような哀愁感たっぷりの音楽でした。ファースト・ヴァイオリンは左壁、セカンドヴァイオリンは右壁、そして低弦は正面という定位で、その真ん中でヴァイオリンソロが演奏しているのですが、その定位がいまいちはっきりしません。
第2楽章は「ドン・キホーテの軍隊」という作品からの印象だそうで、ソリストとオーケストラがまるで対戦しているような場面が聴こえてきます。第3楽章での対象作品は「開かれた門」、とても息の長いフレーズが発展していくという音楽ですが、そこには何か平穏との葛藤というような情感が漂っているように思えます。
2曲目は、この中では最も初期の作品で、1993年に作られた、チェロと弦楽オーケストラのための「チェロ協奏曲DOPO」という単一楽章の曲です。「dopo」というのはイタリア語で「のちに」という意味です。これは、ホロコーストから50年「のちに」なっても、戦争は終わっていないという意味を込めて作られた作品なのだそうです。そのタイトルの通り、ここでは、チェロのソロによる「独白」(これは、定位がぴったりと決まっています)がとても説得力のある訴えかけを行っているのが、よく分かります。それを受けて、オーケストラも次第に高揚し、何度も悲鳴を上げています。最後の「独白」では、まるで「ワルキューレ」の最後にヴォータンが見せる悲しみのような音楽が聴こえてきます。
3曲目は、ここで演奏しているアイヴィン・リングスタードとトロンハイム交響楽団のために2019年に作られた「ヴィオラ協奏曲」です。これは、ジャケットにも使われているエドヴァルド・ムンクの連作「生命のダンス」のテーマからインスパイアされた、3つの楽章による作品です。
ここで初めて、フル編成のオーケストラの登場です。フロントの弦楽器の後ろには木管楽器とホルンが並び、リアに金管楽器と打楽器が配置されています。ティンパニとバスドラムだけは、少し離れて右奥です。ここで、それまでの弦楽器だけの禁欲的なサウンドから一変した、カラフルなサウンドに変わります。
第1楽章では、最初は遅いテンポだったものが次第に早くなり、最後は勇壮なコラールで終わるというかっこよさです。第2楽章は途中でいきなりワルツが登場して驚かされますが、それが「ダンス」とリンクしているのでしょう。第3楽章は、もろヒンデミット風のテーマで、ヴィオラのソリストと、オーケストラの中の管楽器のソリストたちがポリフォニックに絡み合います。それはとてもエキサイティング、楽器によってはちょっと危なっかしいところがあるのもご愛嬌です。
センター・アレイだけでよくもこれだけくっきりと、と思えるようなすごい録音です。ただ、フルート・ソロだけはちょっとかすんで聴こえます。

SACD & BD Artwork © Lindberg Lyd AS


9月21日

Strings Attached THE VOICE OF KANNEL
Anna-Liisa Eller(Kannel)
HARMONIA MUNDI/HMN 916110


エストニアの民族楽器「カンネル」は、共鳴板の上にたくさんの弦を張って、それを音階に調律したものです。そんなシンプルな楽器ですから、他の国にも似たようなものがたくさんあります。日本の箏(いわゆる「お琴」)なども、広い意味ではその仲間になるのでそう
その楽器をここで演奏しているアンナ=リーサ・エラーという美人の女性が持っているのが、そのカンネルの仲間で小さめの楽器「プサルテリー(プサルテリウム)」です。なんだか、パンツみたいな形になってますね。
彼女がこのCDでメインに演奏しているのは、「クロマティック・カンネル」という、20世紀に入ってから作られたかなり大きめの楽器です(この人は別人)。こうなると、グランドピアノみたいな形ですね。弦の長さに従ってボディを作れば、必然的にこんな形になるのでしょう。ピアノのように、半音階のスケールで、弦が並んでいます。その弦を指ではじいて音を出すのですね。つまり、ハープのような演奏法になるのでしょう。
ただ、ハープの場合は、弦は半音階ではなく全音階(変ハ長調)で並んでいます。ナチュラルやフラットが付く音は、ペダルで半音上げたり全音上げたりしますから、「ド」の隣の弦は「レ」となるので分かりやすいでしょうが、カンネルではピアノのように白鍵も黒鍵もありませんから(弦に色が付いているようですが)、演奏はかなり高度のテクニックが必要とされるのでしょうね。
ということで、その「新しい」楽器の音を聴いてみましょうか。ここでのメインの曲目は、ウィリアム・バード、ジョン・ダウランド、ルイ・クープラン、ギョーム・ド・マショーといったバロック期の作曲家たちの作品です。
それぞれの曲は、普通はチェンバロで演奏されているものなのでしょう。まず聴こえてきたのは、そんな鍵盤楽器とほとんど変わらないような音の運びでした。ただ厳密なことを言えば、チェンバロのように弦を「引っ掻く」のではなく、クラヴィコードのように「叩く」という感じがします。
しかし、その音は、クラヴィコードのようなか細いものではなく、もう、力強いものでした。録音では、生音ではなく、ピックアップで拾った音をアンプで増幅しているように聴こえますが、本当はどうなのでしょう。特に、低音のインパクトが、ものすごいですね。
それでいて、演奏そのものは、バロックの装飾音を丁寧に扱った、とても繊細なものでした。トリルなども、普通に鍵盤の隣を弾いているような軽やかさ、それを、離れた弦をはじくことで実現させているのですから、すごいものです。つまり、そんな「苦労」が全く感じられない、ごく自然な音楽が、ここからは聴こえてきたのですよ。
その中に1曲だけ、さっきの「プサルテリー」で演奏されていたものがありました。これは明らかにクラヴィネットの趣を持っていました。つまり、クロマティック・カンネルはモダン・チェンバロ、でしょうか。
さらに、ヘレナ・トゥルヴェという現代作曲家が作った曲も演奏しているのですが、そこでもこの楽器のとてつもない可能性が発揮されることになります。なんだか、チョーキングというか、グリッサンドみたいなことまでやってます。
そしてもう一品。曲の間で「即興演奏」というのが入っているのですが、そこでのクレジットが「エレクトリック・カンネル」となっているのですよ。これがいったいどういうものなのか、いくら探してもその現物を見つけることは出来ませんでした。ただ、このジャケットにメタリックな楽器が写っているので、もしかしたらそれなのかな、という気はします。
ただ、実際にそんな「即興演奏」をやっている動画があるのですが、そこでは普通にクロマティック・カンネルを演奏して、それをマイクで拾ってエレクトロニクス・エンジニアがさまざまな「処理」を行って、電子音のようなものに仕上げる、というようなことをやっていました。こうなると、カンネルは単なる「素材」ですね。
なんか、とてつもなく幅広い可能性を秘めた楽器、という気がします。

CD Artwork © harmonia mundi musique s.a.s.


9月18日

BRUCKNER 4 THE 3 VERSIONS
Jakub Hrůša/
Bamberger Symphoniker
ACCENTUS MUSIC/ACC30533


先日、ブルックナーの新しい全集のことをこちらに書きました。そこでのCDは2021年1月の録音だったのですが、すでに2020年11月に「新ブルックナー全集」を使って録音している人たちがいたのですね。それは、ヤクブ・フルシャ指揮のバンベルク交響楽団でした。曲目は、ブルックナーの交響曲の中では最もポピュラーな「第4番」なのですが、そのすべての異稿をまとめて録音して4枚組のCDとしてリリースしていこうというのですから、尋常ではありません。
その「異稿」というのは、通常「4番」と言えばこれを指すことの多い1878/80年の第2稿のほかに、1874年の第1稿、そして、第2稿で1878年に作られたものの、1880年に改訂されたときにボツになった第4楽章、そして1888年の第3稿です。すべてベンジャミン・コースヴェット(コーストヴェット)の校訂で出版社も同じですが、第3稿だけは2004年のノヴァーク版で、残りのものが2019年(第2稿、第4楽章は2種類)と2021年(第1稿)に出版された新ブルックナー全集です。つまり、こちらでも第1稿ではまだ出版されていない楽譜を使っていたのですね。
CDの1枚目から3枚目まではそれぞれの稿が全曲収まっています。そして、4枚目がちょっとしたサプライズでした。そこでは、第2稿の自筆稿と、印刷されたもの(ハース版やノヴァーク版」との違いを、実際の音として聴かせてくれているのです。もちろん、演奏しているのは同じメンバーです。つまり、第2稿は1880年に一旦完成するのですが、その後1881年のウィーンでの初演とか、1886年のニューヨーク初演のために細かいところでの改訂を行っていて、それが印刷譜には反映されているのですね。その改訂前と改訂後の姿を、具体的に聴くことができるのです。
たとえば、改訂後には第1楽章で勇壮な第1主題が終わって軽やかな第2主題が始まる前に、ホルンのロングトーンがつなぎとして入っているのですが、改訂前はそこは何もないゲネラル・パウゼだったのだ、ということが分かります。
さらに、オーケストレーションでも、改訂前にはテーマがヴィオラだけで演奏されていたものが、改訂後には木管によってテーマが補強されているというような個所も紹介されています。そこではさらに、第3稿ではもっと進んで、弦楽器のピチカートまで加わっているということまで紹介されています。最初は埋もれていたテーマが、だんだん聴こえるようになっています。
第3楽章のトリオの部分の木管のパートが入れ替わっているというのは有名な話ですが、ここも同じように紹介されています。そこでの「改訂前」は、もちろん「ハース版」として印刷されているのですが、なぜかブックレットには「unpublished」とありました。
1878年の第4楽章というのも、きちんと聴いたことはなかったので、冒頭は第1稿と同じですが、それ以降は別物だというのも分かりました。
こうして全く同じ指揮者、オーケストラで、さらに録音時期と会場までも同じもので3つのバージョンを並べて聴いてみると、それぞれの個性がとても強烈に異なって感じられます。ある意味前衛的で、演奏する人の都合などお構いなしに、思いのたけを込めた第1稿(実際、演奏が極めて困難な個所がたくさんあります)、冷静にフォームを整えた結果、幾分生真面目になってしまった第2稿、そして、お客さんのことまで考えて、分かりやすく伝わるように心掛けた第3稿、みたいな感じでしょうか。
ライナーノーツを書いているのはコースヴェット自身で、特に第3稿に対する思いが強く語られているような気がします。彼の楽譜が出てからもう20年近く経ちますが、これまでに録音されたものはCDで2種類(2005年の内藤盤、2009年のヴァンスカ盤)とDVD(BD)で1種類(2012年のウェルザー=メスト盤)しかありませんでした。この3番目のCDが呼び水になって、このバージョンが市民権を得てさらに個性的な演奏が出てきた時に、いにしえのフルトヴェングラーやクナッパーツブッシュなどの録音に対する評価は、どのように変わるのでしょうか。

CD Artwork © Accentus Music


おとといのおやぢに会える、か。



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