シチュー感染。 佐久間學

(21/12/21-22/1/11)

Blog Version

1月11日

SAINT-SAËNS
Complete Symphonies
Olivier Latry(Org)
Cristian Măcelaru/
Orchestre National de France
WARNER/9029653343


サン=サーンスの交響曲はきちんと完成されて楽譜も出版され、誰でも演奏することができるものが5曲ありますから、「全集」を作るときにはその5曲を揃えればコンプリートです。がっちりです(それは「コンクリート」)。作曲された順に並べれば、「イ長調(1850)」、「第1番(1953)」、「首都ローマ(1856)」、「第2番(1859)」、「第3番(1886)」となります。ご覧のように、「2番」と、最後の「3番」の間には27年もの隔たりがありますね。ですから、ちょっと前までは、サン=サーンスの交響曲と言えば、オルガンの入った「3番」しか演奏されることはありませんでした。何しろ、この5曲がすべて録音されたのは、1974年になってからのことなのですからね。なにしろ、それまでは「イ長調」と「ローマ」は出版もされていませんでした。
その2曲を初めて録音し、他の曲を合わせて最初に「全集」を作ったのは、ジャン・マルティノン指揮の、フランス国立放送管弦楽団でした。その3枚組のLPは1975年に、EMIからリリースされています。サン=サーンスの交響曲の場合、全部の演奏時間は2時間半ほどですから、それはきっちり3枚、つまり6面に収めることは出来ます。ただ、それぞれの曲の長さが微妙に異なっているので、ここでは1枚目のA面は「1番」(30:51)、B面は「2番」(22:47)、2枚目のA面は「3番」の前半(20:25)、B面は後半(15:51)と「ローマ」の第1楽章(11:25)が入り、残りの3つの楽章(29:25)を3枚目のA面、そしてB面に「イ長調」(25:10)をカットしたのです。LPの場合、片面が30分を超えるとちょっと音質的に問題が出るので、まあ精いっぱい頑張ったな、というところですね。
これが、1989年にCD化されたときには、2枚に収まるようになっていました。その時のカップリングは「イ長調」、「1番」、「2番」で79:04、「ローマ」と「3番」で77:12と、これもギリギリですね。
それから半世紀近く経ったころには、EMIというレーベルはなくなっていて、そのクラシック部門はWARNERレーベルの中の「Parlophone」というセクションになっていました。まあ、これはかつてのEMIの中で、あのビートルズの曲をリリースしていたレーベルの名前ですから、かろうじてEMIの名残であることが分かります。そして、サン=サーンス・イヤーの最後を飾るかのように、昨年の末にこのレーベルからこんな新しい録音の交響曲全集がリリースされていました。オーケストラは、管理体制が変わって名前が「フランス国立管弦楽団」となっていましたが、基本的にはマルティノンの時と同じもの、こちらもしっかり初の全曲録音のDNAを受け継いでいるはずの団体なのですね。
もちろん、メンバーは全員入れ替わっていることでしょうが、「楽器」は、その半世紀前のものがそのまま使われているパートがありました。それは、普通は「ファゴット」と呼ばれている管楽器です。
現在は世界中のオーケストラがドイツ式の楽器を使っているのですが、半世紀前はフランスのオーケストラであれば、フランス風の楽器(「バソン」と呼ばれます)を使うのが当たり前でした。もちろん、マルティノンの録音の時も、この楽器が使われていたはずです。それが、このオーケストラの「DNA」の一部なのでしょう。
「3番」ではいたるところでそのパートのソロが出てきますから、容易にその音色を聴き分けることができるはずです。偏見だと思われることを承知で私見を述べさせていただくと、そこには、ファゴットのようにあくまで自己を主張する図々しいものではなく、もっと遠慮がちなはにかみ屋のような雰囲気が漂ってはいないでしょうか。
2020年にこのオーケストラの音楽監督に就任したルーマニアの新星クリスティアン・マチェラルは、そんな「楽器」を意のままに操って、とてもセンシティブなサン=サーンスを聴かせてくれています。特に聴きなれた「3番」では、新鮮なアプローチが随所にちりばめられていることが発見できますよ。
演奏時間はマルティノンよりほんの少し長いので、このCDは3枚組になっています。

CD Artwork © Parlophone Records Limited.


1月8日

OCCURRENCE
Pekka Kuusisto(Vn)
Mario Caroli(Fl)
Daníel Bjarnason/
Iceland Symphony Orchestra
SONO LUMINUS/DSL-92243(CD, BD-A)


ハイレゾ音源によるサラウンド再生が実現できるフィジカルなメディアは、ハイブリッドSACDとブルーレイ・オーディオ(BD-A)の2種類があります。さらに、ネットからダウンロードして再生するという方法もありますが、これはまだ敷居が高くてトライしたことはありません。
SACDにしてもBD-Aにしても、もはや見捨てられた感のあるハイレゾ・サラウンドのメディアですが、それでもしっかりしたポリシーを持って、配信データだけではなくフィジカル・メディアのリリースを継続的に行っているレーベルはあります。その筆頭はノルウェーの2Lレーベル、そして、それに次いで断続的にリリースしているのが、今回のアメリカのレーベルSONO LUMINUS(DORIAN)ではないでしょうか。
同じハイレゾでも、SACDとBD-Aとではファイルの種類が異なります。理論的にはSACDで採用されているDSDの方がクオリティは高いとされていますが、実際には再生機器の都合で30kHz以上の帯域がカットされているSACDよりは、BD-Aの方がはるかに良い音で聴くことができます。今回もBD-Aだったのはうれしいですね。
このアルバムは、アイスランドの現代作曲家5人のオーケストラ作品を集めたもので、録音を担当したのは、このレーベルのチーフ・エンジニアのダニエル・ショアズ、彼がとった録音の配置はこのようなものでした。
真ん中には7.1.4サラウンド対応のマイク・アレイが設置され、その周りをオーケストラのメンバーが3に囲んでいますね。録音フォーマットはDXDの24/352.8です。このアレイは、
2Lのエンジニアのリンドベリが使っているものと酷似していますね。まあ、サラウンドを目的とすれば、必然的にその形は決まってくるのでしょう。
ですから、それぞれの楽器のクオリティの高さや、しっかりと楽器の定位が感じられるサラウンド感も、2Lの録音ととてもよく似た感触が与えられます。ショアズとリンドベリは、ともにグラミー賞の録音部門を受賞していますね。
このアルバムのタイトル「Occurrence」は、「発生」とか「事件」といった意味でしょうか。確かに、ここでは、確固たるメッセージというよりは、もっと普遍的な「事象」のようなものを感じられる作品が集められているような気がします。
最初に紹介されているのは、ここで演奏しているアイスランド交響楽団の首席客演指揮者で、このアルバムでも全曲指揮を担当している1980年生まれのダニエル・ビャルナソンの「ヴァイオリン協奏曲」、ソロはペッカ・クーシストです。最初に聴こえてくるのは口笛でしょうか。それに続いて、なんとも静かなヴァイオリン・ソロ、そして、それを取り巻く弦楽器の雰囲気が周りから迫ってきます。途中で何回か出てくる、クーシスト自作のカデンツァも、なにか寂しげな情緒が漂います。
2曲目はヴェロニク・ヴァカ(「バカ」ではありません)という1986年生まれのアイスランド系カナダ人女性作曲家の「Lendh(土地)」という、金管楽器が大活躍する作品です。まるでおしゃれなクセナキス、といった感じの、「音の雲」が広がり、メロディは全く現れませんが、なにか映画音楽のBGMのような爽やかさがあります。
3曲目は1960年生まれのヘイクル・トウマソンの「In Seventh Heaven(7つ目の天国で)」。これは、特に管楽器に超絶技巧が要求されるとてもアグレッシブな作品です。おそらく、このアルバムの中では最もサラウンドとして聴きごたえがあるのではないでしょうか。
4曲目は、1967年生まれのフルーティストでもあるスリドゥル・ヨンスドッティルのフルート協奏曲「フラッター」です。ソロは彼女ではなく、マリオ・カローリという人が吹いています。これは、ちょっと懐かしいフルートの「現代奏法」満載の、エキサイティングな曲です。ちょっとリゲティっぽいところがありますね。エンディングは武満とか。
最後が、1925年生まれで、2005年には亡くなっているマグヌス・ブロンダル・ヨハンソンが作った「アダージョ」という弦楽器と打楽器のための作品です。いきなりのドラムの強打に驚かされますが、その後には弦楽器がとても甘いメロディ(チャイコフスキー風)を奏で、合間にはチェレスタのソロも登場する美しい曲です。きっちりハ長調で終止しているのも、納得です。

CD & BD Artwork © Sono Luminus, LLC.


1月6日

THE BIRD OF LIFE
Late Romantic Flute Treasures
Birgit Ramsl(Fl)
Karl-Heinz Schütz(Fl)
Gottlieb Wallisch(Pf)
NAXOS/8.579111


サブタイトルが「後期ロマン派のフルートの宝物」となっていますが、ここでは、全て1990年代に生まれた9人の作曲家のフルートのための作品が紹介されています。その中で名前を知っているのはマルティヌーだけ、あとの8人は完璧に初めて出会った作曲家たちです。
その人たちが作ったものは、20世紀の前半に生まれたものばかりですから、もはや単純に「後期ロマン派」とは言えないような時代に入っているのではないでしょうか。もう少しすると、これまでの音楽とは一線を画した「前衛的」なものが世の中にあふれてきますが、その「前夜」に活躍したこれらの作曲家たちは、それぞれに様々なスタンスをとっていたはずです。
でも、ご安心ください。このアルバムでは、フルートという、いわばかなり「ロマンティック」な楽器が主役ですから、その魅力を存分に生かした音楽が聴かれるはずです。どんなに頑張っても、せいぜいマーラーでも使われていた「フラッター・タンギング」が出てくる程度で、決して「倍音奏法」や「ホイッスル・トーン」などは出てきませんからね。
ここで演奏しているのは、ウィーンのフォルクスオーパーの首席奏者、ビルギット・ラムスルです。彼女はヴォルフガング・シュルツやアンドラーシュ・アドリアンなどに師事し、以前はウィーン音楽大学の教授だったそうです。
まずは、モラヴィアで生まれたエゴン・コルナウトの「ブルレスケ」です。これは、まさに新古典主義のテイストが満載の音楽です。軽やかな部分に続いてゆっくりと歌う部分が出てくるのですが、これがとても武骨。ところが、それを彩るピアノ伴奏がフランス風なのが、楽しいですね。こうなると、まさに折衷様式?
次は、アルバムタイトルの「生命の鳥」、これを作ったヴァリー・ヴァイグルはチェコで生まれたユダヤ人。作曲をカール・ヴァイグルに師事し、1921年に彼と結婚しますが、ナチから逃れてアメリカに渡ります。この曲は鳥の声をテーマにしているようですが、メシアンあたりとは正反対の音楽で、古典を大切に受け継いでいることが感じられます。
そして、フランツ・ミットラーはウィーン生まれ、彼の作品「セレナード・カプリース」は、ヴァイオリンとピアノのための曲でしたが、後にフルートとピアノのために編曲され、彼の娘(フルート)と妻(ピアノ)によって初演されました。甘いメロディはまさにロマンティックです。
ハンガリーで生まれてウィーンで亡くなったフェリックス・ペティレクの「3つの舞曲」は、無伴奏。1曲目はラムスルのソロですが、あとの2曲ではウィーン・フィルの首席奏者のシュッツが加わります。この二人は音色も歌い方もよく似ていて、素晴らしいアンサンブルが聴けますよ。ラムスルがちょっとだけピッコロを吹いているのも、素敵。
ハンガリー生まれのティボール・ハルシャーニの「3つの小品」は、ハンガリー情緒が豊かに漂います。
同じくハンガリー生まれのシャンドール・イムニッツは、レーガーとシェーンベルクに師事したそうで、その「ピアノ・ソナタ」には、しっかり12音っぽいテイストが広がります。
ルーマニア人のマルセル・ミハロヴィチの「メロディ」は鄙びたメロディが魅力的。そしてマルティヌーの「スケルツォ」にはモダンなテイストが漂います。
最後を飾るのは、プラハに生まれたカレル・ボレスラフ・イラークの「フルート・ソナタ」です。この曲は、アルバムの中では最も堂々とした大きな作品です。強い力を感じられる第1楽章、ソフトで悲しげなテーマの第2楽章、そしてインパクトのあるテーマが印象的な第3楽章と、リサイタルのレパートリーとしては最適な作品です。ここではほとんどの曲が世界初録音ですが、これも初録音、これからこの曲を取り上げるフルーティストがたくさん出てきそうな予感です。
そんな、いわば「音のサンプル」ともいえるアルバムですが、ここでのラムスルの演奏は、シュッツの助けもあって、もっと高次元の完成度を誇っています。

CD Artwork © Naxos Rights(Europe) Ltd


1月4日

MOZART
Requiem
Golda Schultz(Sop), Katrin Wundsam(MS)
Martin Mitterrutzner(Ten), Nahuel di Pierro(Bas)
Stefano Montanari/
Orchestra and Chorus Teatro Regio Torino(by Andrea Secchi)
DYNAMIC/CDS7932


2020年の7月に録音されたモーツァルトの「レクイエム」ですが、リリースされたのは今年、2022年に入ってからになるので、コピーライトにしっかり「2022」という年号のクレジットがあります。まだ今年になって何日も経っていないのに、その年号が使われたCDに出会えるのが、なんだか不思議な気がします。
この曲の新しい録音が出れば、まず聴いてみることにしていますが、今回は音の悪さでは定評のあるDYNAMICレーベルですから、ちょっと聴くのが怖いような気がしました。でも、聴きはじめると、格段に良い音とは言えませんが、オーケストラも合唱もソリストも、きちんとその存在感を示せるだけのクオリティがあったので、まずは一安心です。
演奏しているのは、トリノ王立歌劇場のオーケストラです。このカンパニーは、少し前の音楽監督のジャナンドレア・ノセダに率いられて日本で公演を行ってもいましたね。現在は、ノセダはチューリヒ歌劇場の音楽監督になっているので、トリノでは現在は音楽監督不在の状態のようです。
ですから、ここでの指揮者はノセダではなく、ヴァイオリニストとしても有名なステファノ・モンタナーリが務めています。ちょっと調べてみたら、彼は今月の8日(土曜日)に、このオーケストラや合唱団とともに、ベルリオーズの「レリオ」を演奏する予定になっているようですから、この歌劇場とは良い関係にあるのでしょう。
そんなオペラ以外のレパートリーもよく演奏しているように、この歌劇場の内部はこのように、普通のイタリアのオペラハウスとは一味違う、モダンな形になっています。普通は、平土間のまわりを馬蹄形に何層にもなったボックス席が囲んでいるという構造なのでしょうが、ここでは傾斜の急なワンフロアの客席のまわりに、1列だけボックス席がある、という感じですね。
いや、最初はここも普通の馬蹄形の客席だったのですが、火災で内部が被害に遭った後に、それを再建するときに外壁だけはそのままにして、内部をこんな風に変えてしまったのだそうです。
この「レクイエム」が、この歌劇場で録音されたのは7月8日から10日までの間ですが、その次の11日には、コロナ禍と戦っている医療従事者に対するトリビュート・コンサートでこの同じ曲が演奏されました。でも、そういう意味合いで「レクイエム」というのは、ちょっときつくないですか?
ということだからなのかもしれませんが、この演奏からは、本来の「死者を悼む」というよりは、「生きている人を元気づける」といった思いが強く感じられはしないでしょうか。たとえば、「Dies irae」でのトランペットとティンパニの合の手からは、最後の審判に対する恐怖心のようなものは全く感じることは出来ません。それはひたすら明るく、まるでお祭りでの景気づけのようにさえ聴こえてきます。もっとすごいのは、「Lacrimosa」の後半でのティンパニの強打。本来は、しめやかな情景を演出するような、深い響きの太鼓の音がふさわしいのでしょうが、これはもう全力で盛り上げようという意思が強烈に感じられてしまいます。もしかしたら、ここではまさにコロナに対する「戦い」に出陣する人たちを鼓舞するような、勇壮な音楽を目指していたのでしょうか(そうゆうものではないような)。
もちろん、そんなのはただの言いがかりで、彼らは単にピリオド志向の演奏に徹していたに過ぎなかったのかもしれません。「Introit」での弦楽器の極端に短い音価などは、その典型的なやり方でしょう。「Rex tremendae majestatis」での切れの良い弦楽器のリズムも、とてもすっきりしています。ただ、それをやるのなら、ピリオド系の演奏ではよく見られる、この楽章全体で付点音符を長めにして、リズムをタイトにするというやり方をとって欲しかったものです。
ソリストたちはそんなスタイルにふさわしい軽いフットワークの人たちでしたし、合唱も思いのほか健闘していました。彼らは、しっかり「死者を悼む」という情念だって、込められたはずなのに。

CD Artwork © Dynamic S.r.l.


1月1日

BRAHMS/Symphony No.4
MacMILLAN/Largetto for Orchestra
Manfred Honeck/
Pittsburgh Symphony Orchestra
REFERENCE RECORDINGS/FR-744SACD(hybrid SACD)


極上の録音と演奏でご好評のホーネックとピッツバーグ交響楽団とのSACDです。なんでも、ホーネックがこのオーケストラの音楽監督に就任したのは2008年のことだそうです。ですから、2018年には、その「就任10周年記念」のセレモニーが行われていたのだそうです。そんなことをしてもらえるのですから、どれだけ彼がオーケストラから慕われていたかが分かりますね。しかもその時には、なんと、それを記念した新しいオーケストラ作品まで委嘱してくれたのだそうです。
今回のアルバムでは、メインのブラームスの「交響曲第4番」とのカップリングで、その委嘱作品が初演されたときの録音も聴くことができます。それは、スコットランドの作曲家、ジェイムズ・マクミランが作った「オーケストラのためのラルゲット」というタイトルの作品です。イトウ製菓とは関係ありません(それは「カルケット」)。マクミランと言えば、合唱曲の作曲家として非常に有名な方です。その作品は、小規模なア・カペラの作品から、オーケストラを伴う大規模な作品まで多岐にわたります。その作品には難解な語法は登場せず、親しみやすい作風によって、多くの人に愛されています。
彼が、2009年に、イギリスの合唱団「ザ・シックスティーン」のために作った「ミゼレーレ」というア・カペラの合唱曲があります。このテキストは、詩編51からとられていますが、かなり長いテキストなので、演奏するには10分以上かかります。
これに、そのままオーケストレーションを施したのが、この「ラルゲット」なのです。アメリカの作曲家、サミュエル・バーバーに「弦楽のためのアダージョ」という有名な曲がありますね。これは、彼の弦楽四重奏曲を弦楽合奏に編曲したものなのですが、彼は、それにミサ曲のテキストをのせて、さらに「アニュス・デイ」というタイトルで合唱曲にも編曲しています。ですから、今回の「ラルゲット」は、その逆のヴェクトルによって作られたことになりますね。
ただ、バーバーの場合はオリジナルがモノクロームのオーケストレーションですから、音楽的には合唱曲になってもほとんど同じテイストを保っていると感じられるはずですが、マクミランの場合はそんな単純なものではありませんでした。
何より、こちらは弦楽器だけではなく、すべての楽器が揃ったフル編成のオーケストラのために作られていますから、まずは音色の多彩さを存分に楽しむことができます。それに加えて、ダイナミック・レンジの広さにも驚かされます。なんせ、オリジナルはその名の通り16人編成の合唱団のためのものですから、それと100人のオーケストラを比べれば、その違いは歴然としています。おそらく、マクミランもそのあたりを楽しみながら作ったのでは、と思えるほど、次から次へとショッキングな「技」をかけてきますから、楽しいのなんのって。
メインのブラームスの方も、やはり楽しめる演奏でした。第1楽章冒頭の、まるですすり泣くようなテーマも、深刻ぶらずにさらっと決めてくれますから、もう肩の力を抜いて聴いていられます。
そして、終楽章の「シャコンヌ」になると、これは、マクミランと同じことをブラームスもやっていたのではないか、と思ってしまいます。ご存知のように、これは繰り返されるバスのテーマの上に乗った変奏曲ですが、そのテーマにはバッハの曲が使われていますからね。具体的には、カンタータBWV150の最後の合唱曲で、やはり「シャコンヌ」です。そのテーマは、
このような4小節で出来ています。
一方のブラームスのテーマは、こんな8小節のものです。
音の長さが微妙に変わっていますが、5つ目に、バッハにはない音が加えられていますね。これが、ロマン派の作曲家ブラームスの「意地」だったのでしょう。ここで出てくる長大なフルート・ソロは聴きものでした。アポジャトゥーラを丁寧に歌わせてとてもロマンティック、最後は、最低音で思い切り音を張った後、ソロの最後はスッと軽い音に変えて次の変奏につなげるというセンスには脱帽です。

SACD Artwork © Referense Recordings


12月30日

Jurassic Award 2021

年末恒例、今年中に書いた156件のアイテムに対するレビューの中から、最も印象に残ったものをジャンル別に紹介、さらにその中から「大賞」を選ぶというイベントです。最近は、サラウンド対応のSACDやBD-A以外は極力サブスク(NML)に頼るようになっていますが、そのようなフィジカルなメディアや書籍などは、71件と、半分近くを占めていました。NMLでは扱っていないレーベル(SONY系)もありますので、まだまだCD棚のスペースは必要です。
では、まずジャンル別のアイテム数ランキングです。
第1位:オーケストラ(今年49/昨年43)→
第2位:合唱(28/33)→
第3位:フルート(19/17)→
第4位:オペラ(14/19)↑
第5位:書籍(8/7)↑
第6位:現代音楽(6/14)↓↓
■オーケストラ部門
今年は、ブルックナーの楽譜の新しい校訂版を実際に使って録音されたものを何種類か取り上げていました。そこでは、なにか「派閥」のようなものがこの校訂の世界にもあることも、明らかになっています。そんな中で、クールに「交響曲第4番」の全ての稿をワンセットで録音したフルシャ盤が、新しい波も感じられる好演でした。逆に、最もお粗末だったのは、新たに発見された放送音源によるフルトヴェングラーの「第9」です。こんなひどい音のものをSACDでリリースする意味が分かりません。
■合唱部門
今年聴いた多くのアルバムの中でも、ハイレゾのサラウンドで録音されたものが、充実した音を楽しませてくれました。そんな中で、すべての面で文句のつけようがなかったのが、パッパーノによるベルリオーズの「レクイエム」です。これが、今年の大賞です。
■フルート部
取り立ててこれというアイテムがなかった中で、1974年に録音されたゴールウェイによるモーツァルトの「フルート協奏曲集」のSACDは、これまで出ていた何種類かのCDをはるかに凌駕する素晴らしい音でした。それによって、いまだに彼をしのぐフルーティストが現れていないことも、はっきり分かってしまいます。
■オペラ部門
こちらも、新しく録音されたものを差し置いて、半世紀以上前に大阪で行われたバイロイト音楽祭の引っ越し公演のライブ録音の音の良さに驚かされました。その2演目の中では、ソリストが充実していた「トリスタンとイゾルデ」が素晴らしかったですね。
■書籍部門
やはり「<無調>の誕生」は衝撃的でしたね。まさに目から鱗が落ちる思いでした。これに比べれば「現代音楽史」も「オーケストラに未来はあるか」も「にせもの」という感じがしてしまいます。
■現代音楽部門
「合唱」の中にも「現代音楽」はあったので、実際はこのカテゴリーはもっと上位になっていたかもしれません。その中で、今年はなぜかペンデレツキのアルバムが3点もありました。その中で、「ウトレンニャ」の全曲録音としては最初のものが、サブスクでリリースされていました。これは、まさに作られた時代の熱気までも収録した貴重な音源です。



12月28日

ARNOLD
Flute Concertos
Richard Adeney(Fl)
Ronald Thomas/
Bounrnmouth Sinfonietta
WARNER/190296420528


1979年にEMIに録音されたマルコム・アーノルドのフルート協奏曲を中心にしたアルバムは、当然LPでリリースされていましたが、後にもう1枚のアーノルドの別の管楽器のための協奏曲集と一緒に2枚組でCD化されました。そこには、フルート協奏曲しか入っていません。そのアルバムが、つい最近、オリジナルのLPのアートワークと収録曲で、配信専用でリリースされていました。もちろん、オリジナルとは言っても、ロゴはEMIからWARNERに変わっています。
ここでフルートを演奏しているのは、アーノルドとは学生時代からの友人だったイギリスのフルーティスト、リチャード・アドニーです。このアルバムの中の2つの協奏曲、フルートと弦楽合奏のための協奏曲(1954年)とフルートとオーケストラのための協奏曲(第2番/1972年)は、いずれもアドニーのために作られています。
ただ、これはそれらの初録音ではありませんでした。この録音の前年、1978年に、なぜか同じEMIが、アメリカのフルーティスト、ジョン・ソラム(1935年生まれ、ウィリアム・キンケイドの弟子)とのLPを録音していたのですね。
そして、1996年には、ゴールウェイが、フルート協奏曲を始めとして、フルートが入るほぼすべての作品のアルバムを作ります。この中の、1977年に作られたフルート・ソナタは、ゴールウェイのために作られ、彼が同じ年に初演をしています。
リチャード・アドニーが画家の息子として生まれたのは1920年、小さいころからフルーティストになる夢を持っていて、王立音楽院で学びます。
そして、1941年には、2番フルート奏者としてロンドン・フィルに入団します。後に首席奏者となり、一時オーケストラを離れますが、1970年までそのポストを務めました。同時にイギリス室内管弦楽団の首席奏者も1970年代まで務めます。後任はウィリアム・ベネットでした。さらに、1950年に創設されたメロス・アンサンブルの初代フルーティストも務めています。太宰ではありません(それは「走れメロス」)。
彼は、ベンジャミン・ブリテンとも関係が深く、1962年の「戦争レクイエム」の初演と、翌年のDECCAへのレコーディング・セッションには、メロス・アンサンブルの一員として参加していました。さらに、1964年の歌劇「カーリュー・リバー」の初演と、レコーディングにも関わっていました。
ここで演奏されている2つの協奏曲は、作曲時期に20年近くの隔たりがありますから、それぞれの作風も微妙に異なっています。「1番」の方は、バックのオーケストラも弦楽器だけというシンプルさで、音楽そのものも素直に入って行ける美しさがありますが、そこにオーボエとホルンが加わった編成の「2番」では、もう少しひねりの入った、少し斜に構えたようなテイストに変わります。ただ、アドニーのフルートは、ビブラートが常に同じスピードと深度でかけられているために、音としての輝きはあるのですが何か表現に繊細さが欠けているような気がします。ですから、それぞれの楽章で作曲家が仕掛けた変化やちょっとお茶目な部分が、なかなか伝わってこないというもどかしさがありました。
というか、先にゴールウェイの演奏を聴いてしまっているので、彼の豊かな表現力と比較してしまうと、ハードルが高くなってしまってどうしても分が悪くなってしまうのですけどね。テクニック的にも、例えば「2番」の最後はフルートの普通は最高音である高い「D」の音を、アドニーはしゃかりきになって出していますが、ゴールウェイはいとも冷静に、なんとピアノでその難しい音を出していますからね。
ここでのオーケストラはボーンマス・シンフォニエッタ。協奏曲のカップリングで、彼らが同じ作曲家の「セレナード」と「シンフォニエッタ第3番」が演奏されています。もちろん、そこにもフルートは入っているのですが、頻繁に出てくるフルートのソロが、とても繊細で表情豊かに聴こえます。「シンフォニエッタ」の最後の楽章で現れる超絶技巧のパッセージなど、絶品です。これがアドニー自身である可能性は皆無だと思います。

CD Artwork © Parlophone Records Limited


12月25日

HANDEL
Organ Concertos op.4 & op.7
Martin Haselböck(Org)
Jeremy Joseph(Org)
Orchester Wiener Akademie
ALPHA/ALPHA742


「音楽の父母」と呼ばれているバッハとヘンデルは、ともに1685年のふぼ(ほぼ)同じ月に生まれていて同い年、全く同じ時代を生きていましたが、それぞれの音楽作品のジャンルはかなり異なっていました。バッハは、教会のカントルとして地味に過ごしましたが、ヘンデルはドイツからイギリスに渡って、多くのオペラやオラトリオといった、劇場での音楽を作り続けたのです。
ですから、オルガン曲もバッハはあくまで教会に設置されているオルガンのために作りましたが、ヘンデルは、例えば今回のアルバムにあるような「オルガン協奏曲」は、彼のオペラやオラトリオの幕間に演奏するために作られました。お客さんの中には、本来の演物ではなく、こちらを目当てにやってくるような人もいたそうです。
その時に使われた楽器も教会にあるような巨大なものではなく、持ち運びができるポジティーフ・オルガンという小さな楽器だったようですし、多くの場合、ペダルを使うことはなく、手鍵盤のみによって演奏されるように作られています。そのような楽器を、ヘンデルはオーケストラに向かって設置し、自ら指揮をしながら演奏したのだと言われています。
今回のアルバムでは、そのような小型のオルガンではなく、コンサートホールに備え付けの大オルガンが使われています。そのホールというのが、ウィーンのムジークフェラインザール、おそらく世界一有名なコンサートホールです。さまざまな映像でこのホールでのコンサートが紹介されていますから、ステージの後ろのバルコニーに設置されているオルガンのファサードは誰しもが目にしていることでしょう。しかし、実際にそれが演奏されているのを見ることはほとんどないのではないでしょうか。
このホールが落成した1870年には、そのファサードだけはその外面を飾る大きなダミーのパイプたちとともに出来ていましたが、実際にその中にパイプなどが設置されて楽器として完成したのは1872年の事でした。
しかし、そのオルガンは様々なアクシデントに見舞われて、そのたびに新しい楽器が作られていました。現在の楽器は4台目、2011年に完成したばかりです。その時の制作委員の一人だったのが、ここで演奏しているマルティン・ハーゼルベックだったのです。
ヘンデルのオルガン協奏曲は全部で16曲あるのだそうですが、その中で「作品4」(1738年)と「作品7」(1761年/没後)としてそれぞれ6曲ずつまとめて出版された12曲がよく演奏されます。このアルバムでは、もう1曲、「カッコウとナイチンゲール」というサブタイトルが付けられている協奏曲も「作品4」の後に演奏されています。
オルガン・ソロは、ハーゼルベックがその「作品4+1」、そして、彼の弟子のジェレミー・ジョゼフが「作品7」を演奏しています。ジャケットにあるように、彼らはヘンデルのようなスタイルで、このオルガンのリモート・コンソールに座って、オーケストラの指揮もしながらオルガンを弾いていますね。さらに、ソロを弾かないときには、オーケストラの中の通奏低音として、チェンバロを演奏しています。
ヘンデルが演奏していたスタイルに則って、ここでは極力ストップの数を少なくして、あまり大きな音が出ないように演奏しています。その代わり、頻繁にそのストップを別のものに切り替え、音色の変化を存分に楽しめるようしているようです。それは小編成のピリオド・オーケストラと見事に調和しています。
ただ、オーケストラはピリオド・ピッチで、モダン・ピッチより半音低く演奏しているので、オルガンもそれに合わせて半音低く演奏しています。この楽器は、普段はオーケストラと一緒に、例えばサン=サーンスの「交響曲第3番」なども演奏していますから、当然モダン・ピッチに調律されているはずです。この録音のために、必要なストップのパイプだけピッチを半音下げたのでしょうか。あるいは、オルガニストたちが楽譜の半音下の調に移調して演奏していたとか。誰か、知ってます?

CD Artwork © Alpha Classics / Outhere Music


12月23日

Nature and the Imagination
Pelléas Ensemble
Henry Roberts(Fl), Luba Tunnicliffe(Va), Oliver Wass(Hp)
LINN/CKD674


ロンドンのギルドホール音楽演劇学校の学生3人が2011年に結成した「ペレアス・アンサンブル」のデビュー・アルバムです。3人の楽器の内訳はフルート、ヴィオラ、ハープ、もちろん、これはドビュッシーの「ソナタ」で用いられている編成ですから、彼らはまずそれを演奏するために集まったのでしょう。アンサンブルの名前も、ドビュッシーのオペラ「ペレアスとメリザンド」から取られていますし、アルバムタイトルも彼の「音楽は、自然と創造力との神秘的な調和に支配されている」という言葉からの引用です。
メンバーは男子2人と女子1人、となると、普通はその女子がハープ担当となるものですが、ここでは男子のオリヴァ―くんがその楽器を演奏しています。でも、こちらでも男性のハーピストが登場していましたから、そんなに珍しいことではないのかも。
そのドビュッシーの「ソナタ」が作られたのが1915年ですが、ここでは、そのおよそ2世紀前に作られたラモーのコンセールから、このアルバムが録音された2018年の12月の同時代、つまりドビュッシーから1世紀後の2017年に作られたグレイヴズの「スケルツォ」という曲まで、3世紀に及ぶスパンの作品が演奏されています。
アルバムは、その、「フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ」から始まります。ヘンリー・ロバーツという人のフルートは、とてもなめらかな音で、端正な歌い方が光ります。というか、彼はつとめてアンサンブルの一員としてのポジションを主張しているようでした。決して自らを目立たせることなく、淡々と演奏しているその姿からは、他人との争いを避けてひたすら従順さをアピールするという姿勢が垣間見られます。これは、ある意味、お互いの主張をぶつけ合ったうえで、それらを超えた表現を目指すというこれまでのあるべきアンサンブルの姿に真っ向から逆らう姿勢のように見えます。しかし、もしかしたらこれが、「新しい世代」が馴染んでいる音楽の姿勢なのかもしれませんね。確かに、ここからは、なにかドビュッシーを超越したとてもすがすがしい音楽が聴こえてきます。
ドビュッシーではもう一つ、フルート・ソロのための「シランクス」も演奏されています。こちらも、極力陰影を付けることを控えた、とても健康的な印象が与えられます。それは、細かい装飾的なフレーズを、きちんと楽譜通りに演奏しているからなのでしょう。ダイナミクスも、あいまいな形ではなくきっちりと段階を付けての強弱が付けられています。まるで、それは精密なシークエンサーでプログラミングされたMIDIデータのようです。
それに続いて、最近お亡くなりになったイギリスの作曲家、リチャード・ロドニー・ベネットの「Sonata after Syrinx」という作品が演奏されます。これは、タイトルの通り、先ほどの「ソナタ」と「シランクス」という2つのドビュッシーの作品を合体させたものです。編成は「ソナタ」の3人で、その中には、2つの曲のテーマがコラージュとして登場するという、ある意味パロディが込められています。とても残念なことに、配信されているサブスクのデータが、途中でなくなっています。次のトラック、アーノルド・バックスの「Elegiac Trio」でもやはり同じ現象が出ています。ほんとうに困ったもの、これは顧客に対する背信行為です。
今回が初録音となった、1988年生まれの作曲家ベンジャミン・グレイヴズの「スケルツォオ」は、その名の通り早い3拍子のスケルツォがメインになっていますが、そこでヴィオラはフラジオレット、フルートはフラッター・タンギング、ハープはパーカッシヴなリズムと、それぞれに「現代奏法」を繰り出してのバトルになっているのが、まずショッキングです。さらに、その間に「トリオ」とでもいうべき、センツァ・リズムでなんとも不気味でおどろおどろしいシーンが展開される部分が入ります。そのあたりでは、メンバーはまさに水を得た魚のよう、彼らの本領はこのあたりにあったのだと納得です。
ですから、ラモーあたりは、なにか中途半端な感触がぬぐえない仕上がりのようでした。

CD Artwork © Outhere


12月21日

MESSIAEN
La Transfiguration de Notre Seigneur Jésus-Christ
Pierre-Laurent Aimard(Pf)
Kent Nagano/
Chor und Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks
Howard Arman(chorus master)
BR/900203


メシアンが1969年に完成させた大規模なオラトリオ、「われらの主イエス・キリストの変容」が日本で初演されたのは1978年の事でした。演奏はマゼール指揮のフランス国立管弦楽団とフランス国立放送合唱団(合唱指揮がロジェ・ワーグナー)、ピアニストはイヴォンヌ・ロリオ、ほかにソリストとしてその時のフルートの首席奏者、パトリック・ガロワの名前もありましたね。
その時の100ページを超える分厚いプログラムを見直してみると、その中にはこの作品の初録音盤の広告がありませんでした。それは、ドラティとワシントン・ナショナル交響楽団が1972年にDECCAに録音したものなのですが、すでに1975年の7月には国内盤がキングレコードから発売されているのですよ。確かに、キングからの広告は出稿されていましたが、そこでは指揮者のマゼールが絡んだアルバムしか紹介されてはいません(それは変よう)。もちろん、このLPを会場のNHKホールのロビーで販売する、といった、今では当たり前の光景も見られませんでした。もしかしたら、すでに廃盤になっていたのかもしれませんね。
そういえば、そもそもLP時代にはコンサート会場でレコードを販売するようなことはなかったような気がします。やはりCDという文字通りコンパクトな商品になったので、たくさん並べて手軽に売買できるようになったからでしょうか。というか、LPの場合は、レコード店で検盤、時には試聴までして買う、という習慣があったような気がします。
手元にあったCDを調べてみると、それ以降この曲が録音されるまでは20年近くのブランクがあったようです。まずは1991年に、デ・レーウとオランダ放送管弦楽団がMONTAIGNEに、そして1996年にリッケンバッハーが ベルリン放送交響楽団とKOCHに、2000年にはカンブルランとSWR交響楽団がHÄNSSLERに、そして2001年にはチョン・キョンファとフランス国立フィルがDGに録音します。リッケンバッハーまではピアニストはロリオ、それ以降はフローラン・ボファールとロジェ・ムラロです。
それからも少しブランクがあった後に、今回のナガノ指揮のバイエルン放送交響楽団のライブ録音が、2017年に行われました。ここでのピアニストはピエール=ロラン・エマールです。
この作品は、それぞれ7つの部分からなる第1部と第2部から出来ています。ぜんぶで14の部分、ということになりますね。コンサートでは、その真ん中で休憩をとることができるようになっています。第1部は30分、第2部は1時間ぐらいですから、一晩のコンサートとしては標準的な長さです。
標準的でないのは、オープニングが、打楽器だけによって始まるということでしょうか。それらは、銅鑼とかゴングといった数種類の金属打楽器ですが、そこからはコンサートというよりは「儀式」の始まりのような雰囲気が漂います。そこに入ってくるのが、ユニゾンの合唱、これは日本人にとっては、まさに、仏教の「お葬式」の開始風景ではありませんか。もちろん、メシアンの場合はお経ではなく新約聖書の福音書の朗読なのですが、意外なところで共通したものが発見できました。
そこでの合唱の存在感が、これまでの録音とは桁外れに大きかったことに驚きました。まさにこの作品の主役は合唱であることを如実に語っています。それ以外にテノールとバリトンのソロもありますが、それらはほとんど合唱の一部のようにしか聴こえません。
ピアノのエマールは、余裕をもってそれらの合唱に合いの手を入れていますし、オーケストラもメシアンの得意技、鳥の鳴き声の模倣で盛り上げます。本体の合唱は、先ほどの福音書朗読の部分以外は、やはりメシアンならではの房状の和声で色彩的に迫ります。それが、最後から2番目の曲がホ長調のとてもシンプルな和音で終わったのを受けて、終曲ではまさにそのホ長調へ向かっての執拗で思わせぶりな和声の応酬が繰り返されます。このあたり、ライブとあって合唱はかなりの疲労感をあらわにしていますが、それが最後のホ長調に達した時には、まさに恍惚感さえ味わえることになるのです。

CD Artwork © BRmedia Service GmbH


さきおとといのおやぢに会える、か。



accesses to "oyaji" since 03/4/25
accesses to "jurassic page" since 98/7/17