バングラディッシュ その8


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Eid-Ul-Azha



今日は朝から、イスラム教のイードの祭りのために、バングラディッシュ中全面的にお休みである。
イードでは、牛やヤギを殺して、その肉を解体し3等分にわけ、3分の1を自分で、 3分の1を神様に、残り3分の1を貧しい人に分けると言うのが慣わしである。
ホテルの近くでも、朝から早速やっており、いたるところで牛が殺されていた。 結構残酷な儀式であるが、これが、実は町中で行われている。
実際は、この町だけでなく、全世界のアラブ国家中で行われているのだから、すごい話である。 今日はRazzakの家でも牛を振舞うので、10時過ぎに彼の家に行った。 もちろん、行く途中にも、町中あちこちで、牛の解体が行われていた。

Razzak家に着くと、すでに牛は解体されていて。肉を小分けにする作業をしていた。 3等分ははかりを使って、結構正確に行われていた。子供の頃からこういった作業を毎年するのだから、 皆非常になれている。
そして、分け終わった頃を見計らって、貧しい人々が肉をもらいに大勢やってきた(写真左)。 かれらは、ビニール袋を持ちながら、こうして、あちこちの家を回りながら争うように肉をもらうことになる。
Razzak家には、子供が2人。 それ以外に、貧しい家からもらわれてきた使用人の子供が1人いる。
こういった使用人は裕福な家にはよくいるそうであり、家族同様に過ごしているそうだ。
バングラでは、このように日本とは違い、貧困を意識する場面が非常に多い。
Razzak家では、早速、殺したての牛の肉を十分に頂いた。肉はすごく柔らかく、非常においしい。 殺したてであるから肉が柔らかいのかもしれない。
おなかいっぱい食べた後、Razzakの家を後にして、ホテルに一旦帰り、夜はDr.Nayeemの家に招かれた。

Dr.Nayeemはラザックのお兄さんであり、JBFHの院長でもある。 バングラでの腹腔鏡下胆嚢摘出の手術のパイオニアであるから、有名人であり、人々はグレートサージャンと呼ぶ。
家は、とんでもなく立派な家であり、応接室もどでかく、高価な絵画が飾ってある。 車も大小二台あり、高級車である。
奥さんは現在ダッカ大学の歴史学の助教授で、二人一緒に東大に留学していた経験を持つ。 ともに、日本語も堪能で、Nayeem家では、日本語で会話が可能であった。
彼はある意味、バングラディッシュのサクセスストーリーであり、JBFHというプライベート病院を作り、 地元に小学校、中学校を私費で作り、JBFHをさらに大きな病院にする計画が進行中である。 さらには、大学まで作りたいという希望もある。
非常な野心家であるが、通常、こういったキャリアを見につけた優秀な人材は、国外に出て、 アメリカやイギリスに行ってしまうそうで、彼は、自分は母国に残って、祖国の発展に尽くしたいという。 今後の、活動に注目したい。

ダッカその2

イードの休日で、町は丁度日本で言えば正月のような状況であるが、せっかく休みであるので、市内観光に出かけた。

まず、ダッカ大学構内にある、ショヒドミナールという場所に行ってきた。 これは、バングラディッシュ独立時の言語運動のときに、ダッカ大学の学生が殺されたメモリアルとして建てられたとのことであり、 写真左のような、特徴的な広場になっており、集会も出来そうな場所である。

ダッカ大学は、広大なキャンパスを持ち、この周囲広い範囲に、多くの建物と、モニュメントをもつ。
ブリティッシュコロニー的な建造物も多く、バングラディッシュ文化の中心ともなっている。


このあたりは、ダッカの新市街と旧市街の境に位置し、そこからリキシャでニューマーケットという、マーケットに移動した。 残念ながら、休日であるために、生鮮食料品以外の店は閉まっていたが、青物、魚市場や食肉マーケットは、にぎわっていた。
それにしても、バングラディッシュのマーケットは、とにかく汚く、ハエの数がすごい。 病気になりそうである。