ふむ。てっきりシャフトがまたスケジュールを守れなかっただけかと思ってたのですが(←偏見)、あの「避難所シーン」があったから自粛に回っちゃったのかしら。
東北、どの放送局でもリアルタイムで流してないんだから、少なくとも被災地では誰も文句を言いようがないのだし、ちょっと過剰反応のような気も…しないでもない…かな。まあ、不謹慎マニア(?)の人たちの餌食になりそうっていうので安全を取った、ってことなのかしら。
あ、でも、私自身はネット配信でしか見ていないので、スケジュールが遅れてくれたのはとてもありがたいことでした。この時期だったら何とか、落ち着いて見られるし。
というわけで。
アニメ文法に慣れていてゲーム文法に慣れていない人にとっては結構衝撃だったのかも知れない、けど、シナリオ自体は私は…すげぇゲームっぽい!! と思いました。こういうのある。うん。非常にゲームっぽい。いやシナリオライターさんがそっちの畑の人なんだから当たり前っちゃー当たり前なんだけれども。
ただ、ゲーム畑の人だから、という意識で見てしまうせいなのか、これ、ものすごいバッドエンドに見えるのは気のせいか…。後で、ちょっと続きを妄想してしまっているので、暇な人は付き合って下さい(笑)。
その前に。
最終話まで見て、まどマギの勝利の鍵はキャラデザ(とのギャップ)だったんじゃないかとなんとなく。うめさんのキャラデザで魔法少女、というギミックだけで、事前に想像されうるものがどういうものか、というのがまず第一の計算だったのかなあと。
で、それを裏切るのがシナリオライター虚淵玄さんのお役目、と。
プロジェクトの中で一番最初に形が決まっていたのがシナリオで、その世界観の描き手としてシャフト+新井チーム(及びイヌカレーさん)が引っ張られて、最後に、その中身を事前情報で裏切らせるためにうめさんが引っ張られた、ような……(笑)。
うーん、うまく言えないけど、このアニメはギャップとバランスの勝利だと。うん。それに尽きますね。
もちろん、映像表現は完璧。きゅんきゅんであります。とはいえ、今回、映像については劇団イヌカレーの皆様さんが凄かった、というべきか。
いずれにしても。
この作品に関しては、ここがどうもねえ、とあげつらいたくなるマイナスポイントというのがあんまり存在しないのが素敵。
3話辺りまでだと、どーしても、キャラデザがどうしてこれなんだろうという違和感はずっと消えなかったのですが。それも10話まで来れば、ああそうか、と。人の弱さや呪いや理不尽な狂気なんかが溢れている物語だけど、この絵でやられるとそれが「尖らない」のが狙いなのかも知れないと。心理戦としてかなり異常さや汚さがあれど、全部あの絵のお陰でリアリティがそぎ落とされてファンタジーに昇華されてる感じがして。
視聴者を騙すためのツールであると同時に、えげつなさに対する中和剤でもあったのだなと。
あと、ちょっと物語のパーツを色々見てくと、さりげない所で悪意の塊なのもなんか。調べれば調べるほど鬱になる罠。
特に3話の例のお菓子の魔女さん、シャルロッテの「大好物のチーズだけは自分で作ることができない」とアレから、あの魔女のオリジナルは恐らく……という考察を見つけた時は呆然と。ネタバレOKな人は2chのまとめWiki内各話考察の3話に引用されています。これは最初見た時内心悲鳴が。うわあああ。同じ状況の人じゃないと判らないような伏線。
ほむらの抱えた悲劇もだけど、魔女1人1人がそれぞれ抱えているものがあって、物語上、それが線として語られることはなくても、「在る」んだなあというのが感じられてどんより。
それがあったからこそ、あのラストで、自分の周りだけじゃなくて「1人残らず」をまどかが選ぶ理由になるのだなあと。
(あ、願わくばシャルロッテのオリジナルが救われるシーンはちょっと見たかったかも。なんとなく。個人的には一番衝撃的だったので。)
このアニメ、キャラに対する萌えが物語と離れた所で1人歩きしていないものもちょっと好感。物語それ自体に対する思いをいろいろ語ってる人が多いのがなんか嬉しい。それをちゃんと「狙って」作ったものだと思うからますます。
※
はい、というわけでここから先は暇な人だけどうぞ。
どうもキュゥべえの立ち位置が中途半端過ぎてもやもやします。因果がまどかに集中していて、まどかがあーいう性格なのは知ってるわけで、必然的に、キュゥべえがやっていることの因果律をぶち壊しに来るかも知れないことくらい、何故想定出来ないのよ、と。
と思った時。もしかしてこれも想定していた1つの形なのかなあ、とふと。
彼らにとっては家畜みたいなものだから、どの個体がどういう働きをするかなんてことは実は本当にどーうでもいいこと。魔女システムが魔獣システムにクラスチェンジする程度のことは実は「どうでもいい」ことなのかなと。彼らは多分、辻褄が何らかの形で合ってさえいればいいんだから、魔女が魔獣になろうが、魔法少女が消えようが消えまいが、そんなこたぁいい、のかも知れない。
あんまり描写されてないけど、まどかはもっとかなり「ぶっ飛んだ」因果律を抱えていると思われるのに、その割に随分妥協しちゃってる気がするんだよね…。ほむらが永遠の檻に閉じ込められていることはやっぱり変わらない訳だし、魔法少女は魔女化しなくても、魔法少女として契約した時点で、いずれ理不尽な「死」を受け容れさせられるのは変わらないし。「死ぬ」時に誰にも迷惑をかけなくなったってだけで。
もちろん、契約をする時に人智を超えた奇跡を望んでいて、新キュゥべえ(?)はきちんと説明責任を果たした上で契約しているようですけれども。
続き、というか、これがゲームだったら、杏子ループが発生したら面白いなと思ってました。もちろん、救いたいと願うのはさやか。ほむらループでは魔女化し、魔獣システム配下でもやっぱり「死んでしまう」さやかは、まるで時報だなあと(ひぐらしに於ける富竹ってことですね)。
で、杏子ループ側でもまどかが何かの理由で因果律をひっくり返し、また別のエントロピー処理システムが立ち上がる。
ほむらはまどかが別世界の存在になってしまった段階で、もうそれ以上の変化は望まない雰囲気だから、あのままだらだらと思い出を抱えてただ戦い続ける以上のことはしないんだろう。そして杏子がさやかのために足掻いて、何かの結果を出したとしても、やっぱりそこで「止まる」のかも知れない。結局人間って、「個体」に囚われて全体を見ない生き物だから、ほむらはまどかのためにしか動かないし、杏子はさやかのためにしか動かない。でもそれじゃ恐らく根本は変わらないし、キュゥべえたちが望むのはそこじゃないんじゃなかろか、と。
ゲームだったら、ここで2人のループで得た情報、というかフラグ、を俯瞰できる「プレイヤー」という存在が発生する。プレイヤーはそれぞれのループの情報を、お互いに伝え合えるような媒介者になれる。2つのループは、やがてある地点でフラグが揃って融合し、異層に存在するまどかの力を使って、もっともっと別の「解決」を導くことになるのかも知れない。
……そこで活躍するのがマギカちゃんなのかも知れません(笑)。異層にいるまどかのアバターとして世界に降りて来る魔法少女。
で、実のところキュゥべえは最後の最後で味方になる、という展開が熱いかも。本当は全部、ボクがこんな干渉なんかしなくて済む最善の方法を探すためのステップだったんだよ。とかなんとか。というか、そういう方向のような気がするんだよな。キュゥべえは、本編の中でも、自分のやっていることをわざわざ破壊されに行っている感じがするんだ……。
そう考えると、この「ゲーム」に於いては、アニメ本編終了時点では、まだ1/4くらいじゃないのかなと。やっと1つ大きなフラグが立った、ってだけ。
実はキュゥべえたちの「介入」を許した歪みを生み出したのは魔法少女たちが願った奇跡そのもので、そもそもそれがなかったことにするためにはほむらの時間跳躍自体を阻止しなきゃだめ、とかさ。最大の敵は自分。自分の願いが自分を不幸にする。絶望スパイラルが本質。むしろキュゥべえはそれを止めるために来てる、とか。だから、ほむらの願いが世界を不幸にするとしてもそれを止めない。必要なステップだから。
…………いやまあ、妄想ですから。はい。
固定リンク / 2011.4.30
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