textnerd@mind

  - 思うこと、ただなんとなく綴る場所 -

RSS1.0


- diary log 26 -

<< これより昔の日記 | この後の日記>>

待ちゲー、という分野があります。

 ……待つのです。

 代表はPBeMだと思う。以前、みんクエ芯海の楽園をちらっとやっていたのですが、個人的には装備品が磨耗して壊れちゃうのがちょっと辛かった。
 あと、これはPBeMみんなそうだけど、やっぱりゲーム進行速度があまりに遅過ぎてちょっと苛立ったりもした。達成感を感じられる結果が得られるまでのスパンが長過ぎて、たかが街から街に移動するだけでも平気で(リアルの)1週間とかかかってしまうのは逆に気力が続かないといいますか。

 ただ、待ちゲー自体は嫌いではなくて、その後、モバゲでエルアークに手を出していたりした…のですが、これ以上は課金しないとソロプレイ無理か、というところでまた更新止めてしまいました(エルアークはプレイヤー自身にレベルの概念がないので、強くなるためには強い武器を入手するしかなく。地味にコツコツやればいつかは強くなれる……という見通しが立たないので)。
 基本、ソロなんですよね。あんまり誰かとつるみたい、とは思っていなくて。サークルとか旅団とか、そういうのも、ゲームの都合上所属はするけど、別に掲示板に顔出したりはしなかったり。で、この手のゲームはどうしても、ソロプレイ限界(と無課金限界)っていうのがあって、私みたいにほぼソロ主義でいると途中でどうしても動けなくなっちゃう。
 (あ、ただしソーシャルゲームの仲間系は、「実利」があるので割とまめに挨拶回りとかする方ではあるのですが。)

 で、別の待ちゲーをうろうろ探してました。実はハンゲにID取ったのは、ixenが移行キャンペーン張ってたのもあったんだけど、トライフル・ストーリー(※既にサービス終了)に興味を持ったから、てのもあったのです。
 自宅で主人公を鍛えたり装備変えたりしてダンジョンに送り込むと、後はログアウトしていても主人公は勝手に冒険して勝手に帰って来て、プレイヤーはその「冒険記」を見て次の対策を練る、というのが流れ。プレイヤーはバトルとかでリアルタイムに張り付く必要がなく、送り出した主人公が帰って来るのをひたすら待つのみ。故に待ちゲー。

 でーも。PCオンリーなんだ。モバイル版もあるんだけどデータ連動していないので、PCを起動しないと指示が出せない、という段階でがっかりして、今のところ登録には至らず。いざという時にケータイやスマホで同じデータにアクセス出来ないのはちょっと無理。
 あと、掲示板見てるとやっぱりソロ限界がありそうな気配が……(なんか冒険に行く仲間を募集してる系スレッドがあるので)。

 で、今やってるのは「whipper」(アンドロイドアプリ)だったりします。
 「ゆけ!勇者」というのもあるらしいけど、Googleアカウント(+ネットワーク接続)必須なのでアウト。移動中とかの隙間時間に、USIM挿してない状態でもやれないと、私の場合はニーズに合わないので。公衆無線LAN? 何それおいしいの?(※田舎ですから)
 スタンドアロンで出来る「whipper」には当然ながら「ソロ限界」はないので、ちなみに無料アプリ故に無課金限界もないので、珍しくぼんやり長続きしそうな気配です。冒険者さんに指示出すの5分もかからないし、ホントお手軽。
 まだまだ初期なので、冒険者さんは送り出すと1〜2時間で帰宅して来ますが、さらに進むと5時間10時間レベルでお出かけするらしいです。そうすると、朝、一緒に出発して、こっちの帰宅と一緒に彼(?)も帰って来る感じでしょうか。そのくらいが社会人にはちょうどいいかも。
 あと、彼(?)は冒険中にレベルアップするけど帰宅すると必ずレベル1に戻ってしまう仕様だったり、お金概念がないのでショップ(的なもの)もなかったり(強くなるには、拾って来たアイテム使って自分で強い装備を作る)、なんと言うか、考慮すべきスキルやパラメータの類が少ないのも社会人向けです。
 いくら待ちゲーだからと言っても、戻って来て出発するまでの間に色んなことを考えたりやったりしなくてはならない、となると、結局ゲームに張り付かなくてはならなくなるので、待ちゲーじゃなくなるのですよね。
 PBeM系は結局そっちのパターンになりがちなように見えます。ゲーム進行が遅い分だけ、ユーザーを退屈させまいとしているのかも知れないけど、1日5分で出来る手軽さを推してるのに、出来ることが多すぎて複雑化してしまって、5分が嘘になってる感じ。気軽さをアピールする割に、ライトゲーマーが付いて来られるレベルになっていない、という感じがするのですよね。
 住み分けとして、もっともっと、本当の意味で「手軽な」PBeMが出て来てもいいような気がするのだけどなあ。重ねて言いますが、待ちゲーは割と好きなのですよ。うん。

固定リンク / 2011.11.5


彼は本当に作家になりたかったんだろうか

 とりあえず1年くらいは動向を見てから何か言おう、と思っていたのです。
 ただ、いろいろ考えてたらぐるぐるして来ちゃったので、まーとりあえず記事作っちゃおう、と。
 新しい動きが出たらまた何か付け足すとして。

 「執筆活動に専念する」という不可解な(と私には見えた)理由で役者という仕事から手を引いた後、ほぼ本名で文学賞に応募して来た時点で、私が出版社側の人間だとしてもやっぱり囲っちゃってたと思います。企業心理としては。内容なんてのは全力で置いといて。事務所から正式に「執筆活動に専念する」とか言わせてしまっている以上、何か書く気はあるんだろーし、だったら自分トコに出版権引き入れとかなきゃダメじゃん、っていう判断になるのは仕方ないんじゃない? とか冷静に思ってたりしました。
 賞の審査員たちがそもそも、出版社内部の方々のようだったから、クリエイティブ判断より商材判断で動いてたのかあ、という気がした。それがいい悪いじゃなくて。莫大な賞金を支払うのは投資であって、出版して売ることで回収するのがメインの目的だったら、こんなローリスク・ハイリターンな物件は逃しちゃいかんだろーってのは、経営判断的にはアリとは思うのよね。
 本当だったら申し訳ないけど、受賞後に本人と判明した、っていうのは嘘くせー、と感じました。事務所界隈では本名非公開のつもりだったのかも知れないけど、一部のネット住人たちの手にかかれば残念ながら秘密になっていなかったわけだし。

 ただ、ご本人も、自分の名前(本名含めてね…)を持つネームバリューっていうのを意識していたとしたら、そして本当に「作品」で評価されたいと願っていたのだとしたら、バレるような名前でバレるような行動の後にバレるようにやらかしてるのはどう見ても逆効果なわけで。俳優としてのキャリアとは離れたところで「作家」として純粋に評価されるためにやれることを何もやってない、というのはどうなんだよって思う。
 シロートの私ですら、オリジナル書いている時は、このネット上人格である「textnerd」の名前は一切表に出ないように(つまり「textnerdが書いた作品」というフィルターがなるべくかからないように)していたりします。それは名前で評価されたくないから。純粋に作品だけで評価されたいから。
 そういう気持ちはなくて、あくまで名前込みでの「評価」で良かったんだとしたら、じゃあ何故わざわざ文学賞を経由しなきゃならなかったの、って思うんだ。少なくとも私は。ネームバリューにモノ言わせる気があるんだったら、他の、純粋に文学賞のために頑張ってるシロートさんたちを踏み台にする必要はなかったんじゃないかって。
 あくまで一素人として応募すると見せかけてネームバリューをチラつかせるこの「作戦」が、当人の考えだとしたらまさに浅はかだとしか言いようがないし、誰かの「アドバイス」があったんだとしたら、結局自力じゃ動けない、「素材」に甘んじてるだけなんだね、役者やってた時と変わらないんだねって言うしかない。もちろん皮肉。

 その後の出版直前の動きを見ても、結局この作品は、作者からも出版社からも「タレント本」としか扱われていないんだな、という感慨しか出て来なかった。wikipediaからリンクされている記事にも引用されているけど、「(刊行は)全く未定。急げば年内に間に合わないこともないが、担当編集者がじっくり手を入れることも考えると、いつ刊行されるか見通しが立たない」というレベルだった作品を、編集者たちが全力挙げて力技で年内刊行しちゃったわけですが、その出版準備期間に、「作家先生」たるご本人が、その校正作業について物凄く他人事な言い方を(twitterでですが)していたところを見ると、出せる形に持って行くまでの過程に、書いた本人はあまり関わらせてもらえていなかったのかな、としか思えない。
 これも物凄く違和感だった。だって、「彼の」作品なのに。なんで作家本人が蚊帳の外なのか。
 昔ユヤタンが書いてた小説の後書きで、編集者から原稿の修正についてあれやこれや言われて大変に苦労していたというようなことを書いていたことがあります。また、シロートであるケータイ小説作家の皆様も、書籍化前は編集者の方からいろいろとアドバイスを受けて作品に手を入れる作業が大変だったとブログなんかで書いていたりします。本業は作家ではないシロートのケータイ小説家ですら、直すのは本人であり、編集者ではないのに、執筆作業に専念するはずの「作家先生」が、紙の本として自分の作品が形になる過程に関わろうとしないってどういうことよ、って。自分の「子供」である作品を、世間様に見せるに足る形にきちんと躾けるのは、作者である親の仕事でしょう。外からアドバイスを受けることはあるにしたって。作品に対して「育児放棄」しているように見えて何か悲しくなったのです。
 少なくとも、私ならそんなことは出来ない。したくない。自分が選ぶべくして選んだ言葉たち、助詞たち、句読点たち、漢字比率、それらの物事を、自分が妥協出来ないくらい他人にいじられなければ出版出来ないと言われたら、私なら出版なんかしない方を選ぶ。もちろん修正が必要な場所は精一杯努力はするけれども。
 これは私の、とてもくだらないプライドだけれども、少なくともプロの作家だったらそういう気概はあるものなんだと思ってた。プロの作家は、売文家である以前に表現者なんだと。エロ作家だってBL作家だって、そういうのに萌える心があって表現したいから書けるんだと思うし。表現したいという衝動を全く持たずに書いている「作家」は、いないって思ってる。

 それでタイトルだ。
 彼は本当に作家になりたかったんだろうか。

 彼のやり方は(とあえて言う。出版社のやり方、ではなくて)、あまりに自分の作品に対して愛情がない、ように見えた。本当に何かを書きたいと願っていたなら、その作品を、モノを書くということを、もっと大事にして欲しかった。彼の行動は、芝居を終えたテレビドラマ俳優が、後の処理を監督と映像編集に丸投げして、後はテレビ放送されるのをぼんやり待ってればそのうち作品が出て来る、というような、そういう行動シーケンスで動いているように見えて闇雲に切なかった。
 ただ、私がチラ見していた発言たちはほんの一部だし、そこからの想像だからてんで的外れかも知れないけど。

 出て来た作品自体の巧拙は私は言わない。そこを偉そうに評価出来るほど私だって上手くはないから。
 ただ……まあ、出版社が「先生」と2作目の企画を進めてる感じが全然しない辺りで、何となく、察しとけばいいのかなぁなんて思ったり。
 とりあえず1年くらいは動向を見てからにしようと思っていたのは、彼の「次回作」の話を待っていたからなのです。同じ賞で過去に最高賞を獲った作家は、受賞作の1年後に2作目を出しているから。この出版社は、賞を与えた「作家」を「育てる」時、そういうタイムラインで動くのかなあと思って。
 でも、結局そんな噂が聞こえて来ないってことは、出版社もまた、作家としての彼に対して「育児放棄」をしたのだなぁと。あるいは、最初から「作家」として対峙するつもりがカケラもなかった、ということになるんじゃないか。
 それじゃタレント本と変わらないんじゃないのか、と思うわけですよ。一時期大量に刷って売りさばいて、売りっぱなし。そこに将来展望がない。「作家」としての信頼も、感じていない。
 その辺りも、賞を与えたことの「意味」を疑う原因になっていたり、します。作家として扱うつもりじゃなくて、「本」というキャラクターグッズの契約料に過ぎなかったのか、と(普通、この手の文学賞って作家の将来性も重要ファクターだと思うんだけれど)。

 個人的には、彼は小説方面にはもう戻って来ない方がいいんじゃないかって思います。今は他方面でもお仕事を得られたようですし。編集とかディレクション方面できっちりやれそうなのでしたら、それはそれで。もしかしたら、自律的で孤独な表現者たる「作家」という立ち位置よりも、チームプレイで仕事をなさる方が向いていらっしゃるのかも知れませんですし。
 ただ、なんで俳優だった頃の芸名でやってんのよとはちょっと思ったけど。結局名前使っちゃうのか。モノ書きモードでは本名になる、っていうのも1つのこだわりなのかなと思っていただけに微妙に残念。別にファンだった訳ではないけど、ゴーストライターをつけたりはしていない(だろう)って部分は割と微笑ましいって好感度上がってたのに。いやマジで。彼のゴーストライターだったら金払ってでもやりたいって目をハートにして近づいて来る連中なんていくらでもいそうじゃない?

固定リンク / 2011.10.29


IS06のアップデートが来た

 なんというか、グロスマだったはずが2.3が来ないのはちょっと切ない。けどまあ、私の今の使い方だとあんまり必要性があるわけでもないのですが。
 WiFi経由は何度トライしてもダメで、サーバの混雑が凄かったので、PCでPantechサイトからダウンロードしてSD経由アップデートしました。この混雑ぶりは、IS06のアップデートが全ユーザーにとって物凄く待ち望まれていた、という証拠でもあるんじゃないとか思ってます。

 今回のアップデートのメインイベントは多分、緊急地震速報への対応でしょうな。やっとですが。物凄く昔に11月頃という噂をちらっと聞いたことがあったので、それに比べたら前倒しであります。
 とはいえ、USIM挿してない私にはやっぱり無関係なわけで。ちなみに、音はガラケーと同じ、びゅいんびゅいんびゅいん、ってやつです。
 試しに鳴らしてもちょっと焦る。3月以来聞き慣れちゃってるはずなのに(未だに月例行事みたいに鳴る)。この音の設計者天才だと思う。
 しかし、USIM挿してなくてもCメール(SMS)メニューは立ち上がるのに、Eメール(キャリアメール)メニューが立ち上がらないのは納得行かんなぁ、ちょっとだけ。iphone4Sがauに来て、IMAP+αで動くようになってることが判って、キャリアメールのWiFi対応が今後の機種には来るのに、どうしてIS06はここまでEメール関係がガラスマ仕様なんだろう。SIMフリーのグロスマで売ってたはずなのにね。ちょっと解せない。Pantechがサボってるのか、auがPantechに何か含む所でもあるのか、どっちなのだろう(邪推)。

 あと、地味ーな改善があちこちで行われている気がします。気がするだけなのは、正式には何も告知されていないからなのですが、少なくとも私の端末に関して言えば、

・微妙にですが電池の保ちが良くなりました(本当に微妙に、ですが)
・スリープから復帰時のWiFi復帰が劇的に早くなりました(これは本当に劇的。ちなみに私はスリープ時WiFi Offで使用中)。

 特に後者はちょっと嬉しい誤算。ただでさえWiFiも3Gも、電波掴みに行く箇所については、IS06は全体的にアホの子だと思って諦めていたので(笑)。たまにスネると長いことスネるし。
 あと、ちらっとネット上で見た感じではGPSの精度も微かに上がってる人がいるようです。私はGPS常用していないので実感なし。アップデート後に測位させてみましたが、大して良くなっているとは思えませんでした。大幅にズレてるわけでもないから、まあこんなもんか、って感じ。

 標準ブラウザのFlash Playerも、Adobeからのアップデートで多少マシになったし(こっちも割とすぐコケまくっていた。インラインFlashはレゴブロックみたいなマークになっちゃう&全画面Flashは真っ黒になる)、あんまり華々しくない所で地味に改良されてるなあ、という感想。
 あ、マーケットのアップデートは改悪だけどね。これは別にIS06に限った話じゃないし。重いし探しにくいし、何処を触ると何が起こるのかがものすごく判りにくくなったし。

固定リンク / 2011.10.22


戦国鍋TV

 偶然見始めてハマっちゃったパターンです。当然、こっちは再放送な訳ですが、第何回的なものがなさそうなので、今どの辺が放送されているのか判らない…。エンディングがクレイジーケンバンドの時期です。
 かなり面白いのですが、戦国に限られてしまっているのはもったいないなあ。こういうパターン、平安貴族のぐちゃぐちゃをネタにしてもそれなりに面白い気がするのに。
 あ、歴史は基本的に苦手なので、見ていても全く学べてる気がしないです(笑)。

 サラリーマンNEOもだけど、物凄く狭い所に的を絞ったシチュエイションコントって、時々かなりツボに入るものが出て来る。ただ、この手の番組って、実はもう民放ではやらないんじゃないかと何となく思ってました。
 お笑いは全く詳しくなくて、よほどの有名層でなければ名前と顔がほとんど一致しないくらいなのですけれど、それでも「夢で逢えたら」とか(初期の)「笑う犬」系の純コント番組は割と見てました。作り込まれた脚本がある、アドリブ系じゃなくて「芝居系」のやつですね。
 今私が知る限りだとサラリーマンNEOくらいしか思い浮かばないので、ちょっと久々に「こっち側」のバラエティを見たなー、という感触。
 しかし、それにしても、いわゆる「キー局」の制作ではないんだなぁこれ。やっぱり視聴率主義のキー局ではこういう冒険はもう出来ないということなんでしょうか。

 昔ながらの「テレビマン」(って言葉ももう死語ではありますが)たちが「創りたい」って立ち上げられた企画が通るような仕組があればいいのにね(多分、戦国鍋TVはそういう系統じゃないかと。スポンサーの思惑に振り回されて作らされてるわけではないと思う)。
 今、それが可能な定期的な枠がNHKの「番組たまご」しかないっていうのがなあ。
 民放だって、番組の「パイロット版」的な枠はあって良いような気がします。
 どうせそもそもスポンサーがつきようがない深夜枠なんかを利用して、「パイロット版」を放送して、視聴者にアンケートしたりする。
 NHKの「番組たまご」と違うのは、そのアンケート結果と実際の映像をセットにして、スポンサーへのプレゼン資料に使える、ってトコですよ。
 今まではスポンサーって時間帯で区切った枠を買っていたわけですけど、こういう「ニッチな(でも視聴者の反応がいい)番組」が出て来た場合、その番組への資本参入としてのスポンサーを獲得する、というのはアリじゃない?
 スポンサーサイドも、「この時間帯にテレビ見ている人」じゃなくて、「この番組が趣味に合って見ている人」をターゲットに広告を打つことになる訳で、ネットなら当たり前にやってるカスタマイズ広告もどきですよね。マスメディアでそれが出来るのは、企業側にとって、少なくともデメリットではないのでは。
 深夜帯なんて録画で見るからCM飛ばされる、とか思ってるとしたらそりゃ間違いでっせ。深夜アニメのCMでバンダイチャンネルとか流れると、やっぱり見ちゃうものですよ?(笑) だって、元々そっち方面に興味があって録画までしている人間なんだからさ。少なくとも、深夜アニメでは当たり前にやってることだし、他のジャンルの番組で出来ないとは思えないのだけれど。

 と思ってふと(戦国鍋TVの)スタッフ見てたら、なんか凄い名前が並んでてちょっと笑った。あはは。ニッチ方面に強い冒険家ばっかりだ。やっぱり、と言うべきか。こういう人たちが萎縮しちゃうとテレビはもっとつまんなくなるんだろうなあ。

固定リンク / 2011.10.15


国内ドラマを見なくなって思うこと

 国内の連続ドラマはここ数年ほとんど見ていない。録画してまで必死に追いかけたのは多分、のだめのドラマ版が最後だと思う。
 ただ、ドラマというメディア自体から離れていたというわけではなくて、とりあえず録画してぼーっと見ていたドラマは(ここには書いてないけど)、いくつかある。それのどれもが韓流や華流だったりする。
 とはいえ、私はメディアでよく取り上げられるような「韓流ファン」ではない、と思う。韓流スターと呼ばれる役者さんたちの顔や名前の区別が全くついていないので(ごめんなさい…)。というか、韓国の方って苗字のバリエィションがすごく少なくないですか!? みんな名前が似てるような……。そういうお国柄なんだろうか……。
 あ、以前もちょっと書きましたが、母はかなり強烈な「韓流ファン」です。BS・地上波で放送されているドラマは全て1度は録画し、見てみて、つまんなければ切る、という、アニヲタがアニメ見るのと同じことを韓流でやっているような人です。

 ドラマ自体は、見ている総本数は下降線の一途です。特に韓流/華流だけ選んで見ているつもりはないんですが、国内ドラマが減っているので、相対的に韓流/華流の占める割合が高くなってる、ってだけですね。

 最近、何度目かは判らないけど嫌韓ブームが来ているのかなぁ、と思います。少なくともネット上では。ただ、コンテンツとしての韓流ドラマが槍玉に挙げられるたび微妙な違和感を感じるのです。
 どう表現していいのか判らないんですけど、とりあえず思うことを五月雨式に書いてみようかなと。

・その1 国内ドラマと(韓流含む)海外ドラマが同じ俎上で比較されちゃうのは違うような気がする。

 ……というのも、日本人にとって、国内ドラマは制作・放送されている全てのドラマを見ることが出来る訳だけど、海外ドラマは、バイヤーが選んで買い付けて来たものしか見ていないから。
 当たり前だけど、バイヤーが海外から選択して来る時には、日本国内で放送・販売して商売になりうるものを厳選して買って来てるわけで。本国である程度人気が出たとか話題になったとかでないとそもそもバイヤーの目にも留まりようがないわけで。必然的に、当たったものコケたもの両方を玉石混合で見ている国内ドラマより、厳選されている海外ドラマの方が「いい」と思える層が出て来てしまうのは至極当然の結論のような気がするわけで。
 日本の国内ドラマは、環境として既に不利な立場に置かれ続けているのになぁ、と同情を感じることもあります。……ありますけれども。

・その2 コンテンツ化するドラマ、物語としてのドラマ

 韓流のドラマ制作環境も結構影響している気がするのです。向こうにはシーズン概念がないから、話数・長さがフリーダムなので、その分、監督や脚本家といった「作家」たちが、描きたいことを描きたい分だけ描きたいように描ける、という側面があるような気がします。
 日本は番組改変期という断層で時間的に区切られてしまっているので、物語を物語るよりも先に、時間をきっちりその分だけ埋める、ということに必然性を求められる。物語の、創り手にとってはひどくめんどくさい制約だと思う。

 私も趣味で話を書いてる人間ですが、何ページで、とか、何文字で、とか、原稿用紙何枚で、とか指定されるのはメチャクチャうっとおしいです。物語ってそんな、ワクが最初にあってソコに嵌るように都合よく動いてなんてくれるわけないじゃないですか! と思っちゃうのです。後、好評だから続編とか言われんのも微妙に嫌です。私は割と、物語のプロットをトップダウンで作っちゃう方で、こう始まってこう終わる、みたいなものすごいデッカイ大枠を最初に定義してから細部を詰めます。一度終わった物語を「蒸し返す」のは超苦手。

 国内ドラマはその「環境」が悪さしている感じがどうしてもします。無理や引き伸ばされたり。トラブルや災害やスポンサーの意志で当初予定していた話を勝手に縮められたり。好評だからと言って、一度キレイに終わったはずの物語に蛇足のようなスペシャルを追加して評判落としたり、結末は映画で、と宣伝してあからさまな「お金儲け」を曝け出したり。物語を創るという純粋な創作意思以外の余計なことに振り回され過ぎている感じ。
 あ、あと、欧米系海外ドラマのクリフハンガーも同じ理由でちょっと微妙。ひどく醜い延命措置というか、物語の都合以外の思惑で物語が捻じ曲げられている感じがちょっと気持ち悪く思うことがある。
 で、アジア系海外ドラマは、もちろんごく一部の実力派に限ってのことなんでしょうけど、そういう「外野の余計な意思」の匂いがほとんどしない作品がポンと出て来る。17回とか何その中途半端、と日本なら思うけど、創り手が、この物語を語るにはこのくらい、と思って創る17話なわけで、日本だったら13話に縮めるか26話に伸ばすようプロデューサー命令が下るんだろうなって「創り手」として想像してしまうとゾッとするわけですよ…。
 ただ、韓流/華流の監督たちの「ちょうどいい長さ」は、私個人としては長過ぎると感じてはいます。時間がないから、よりも、映像として追うにはかったるくて、早回し再生で流し見ることもよくある。たいてい字幕だから話にはフツーについて行けます。

・その3 どうして日本のテレビ局は「過去の資産」を使わないのかなあ

 これはかなり前から考えていたことなのですが。
 その制作手法からしても、国内ドラマの作り手さんたちは、1つのシーズンで物語が「使い捨てられる」ことにもう慣れちゃってて、あんまり疑問に感じていないのかも知れない。けど、そんな風に「使い捨てられた」ドラマたちの中には、時代性だったり、脚本家の感性だったりで、当時の時代ではそんなに「結果」は出せなくても、今作ればまた違うんじゃないか? と思い出したりすることがあります。特にミステリー系は、時代が変わると調査方法や扱う証拠物の種類なんかもいろいろ変化があるわけで、設定持って来て現代バージョン作ったりするのはアリなんじゃないか、と思うのです。
 ただでさえコミックや小説から原作を持って来ているドラマが多くて、しかも原作からするとちょっとアレ過ぎる「アレンジ」をされることも往々にしてあるわけで。だったら最初から、自分たちがいわば「権利者」である過去ドラマを「原作」にしても構わないんじゃないかと。
 最近はソーシャルメディアがあっていろいろ視聴者同士が「実況」しちゃったりしてますが、過去のドラマの放送当時はそういうメディアはありませんでした。で、中には、そういう「一億総実況中継」の時代の方が生かせるタイプのコンテンツもあるんじないかと思ったり。そして何より、決して大人気ドラマではなかったとしたって、当時は今に比べて娯楽が少なかった時代だし、アラサー・アラフォー辺りは、どんなマイナードラマ持ち出されても「懐かし補正」がかかると思うわけです(笑)。0から提示された新しい作品よりもある程度の優位に立てるんじゃないかと。視聴者の側も、ちょーどソーシャルメディアユーザーとして一番厚い層だし、当時は同じドラマが好きでもリアルタイムに語り合う手段がなかったことを考えると……ね。結構、いい「素材」なんじゃないかと。
 ……と思っているのはあくまで素人考えなのかも知れません。でも、何がコレを阻害しているんだろうと。いわば「原作者」であるはずのテレビ局が、どうしてその「原作」を使おうとしないのかなと。少なくとも、外から原作持って来てそれぶち壊しにしてまで時間埋めなきゃならないなら、自分たちの作って来た資産だって、原作として同じ土俵に乗せられてもいいんじゃないか、と思うのですけれどねえ。

固定リンク / 2011.10.8


ジョーカー / 清涼院流水

 またノベル版。そして、やっぱりあっと言う間に読んでしまった。何この密度の低さ。

 なんかもうね。全くもう。濁暑院溜水が作中作として書いているという設定の「華没」のミスディレクションに綺麗にハマったというかチクショー。そういう意味では上手い展開でしたわと全力で完敗ですひゃっほー。

 というミステリ側面は後で結界の下に書くとして。

 途中までは濁暑院溜水の作中作という設定で書かれていて、それがある時点から第三者視点(というか『作者』視点というか)に転換するのですが、その文体の書き分けが全くなされてない辺りがちょっと戸惑ったんだけど、なんてーか、これもまた意図的なのかなこの人、とか疑心暗鬼になっちゃったりしてね。
 というか、文章書く上で非常にテクニカルなことをやりたがる作者だということは何となく理解したので、やっぱりわざとなんだと思うんだけど、それはそれでなんかチープなよーな、もったいないよーな。

 ていうのがちょっと引っかかったくらいで、後は全体的に……この人はホントにとことん、人を驚かすとか楽しませるということが好きなのだろうなと。子供っぽい無邪気さを感じてしまう作家なのですよ。憎めないなー。
 一番びっくりしたと共に笑えて仕方なかったのは「37回」ですね。この人、バカなんじゃないの!?(←もちろん、最大級の褒め言葉)

 蛇足。シリーズ全部見てみないと判断つかないかもだけど、龍宮くんはピエロだなあ、この話では。可哀想なくらいだ。

さてと。========== ネタバレ結界スタート ==========

・ここは作者の想像です(意訳)

 これを章の冒頭に書いてしまう意図だけは解せないデス。ここまで「読者を驚かす」ことの好きな方が、なんでそんなおいしいネタをわざわざ「ネタバレ」しちゃうのでーすかー!? これ、章のラストに置けば、少なくともそこまでは、読者は、「彼」の「結末」を知らずに読めるのに。それ最初に書いてしまったら、読者は「彼」がどうなったかその時点で判っちゃうじゃん。読む楽しみを奪っちゃめーなのよー。
 (文庫では変わったかな?)

・キャッチボール

 なんでわざわざ書くんだろうとは確かに思っていた。絶対に意味があると思ってた。ホントに意味があった。で、ミスディレクションだった。
 すごい綺麗に騙されて爽快な気分になりましたよええ。
 ……とともに、ははあこれはこういう物語なのねという覚悟が出来たというか。
 (ただし、今回は前回と違って九十九が何を語るのか考えるまでは行かなかった。彼と彼女が過去に関係はあったかも、くらいはなんとなく匂ってはいたけど、親子まではさすがに。)

 ていうか、なんでこんなにマトモにミステリーの構成を取ろうとしているんだろう、というのにも少し驚いたかも。ちゃんとフーダニットさせようとしているというか(その「フー」がアレなのは置いておくとしても)。
 前作で、この人はフーダニットを書かない人なのかなと思っていた。
 次も読みますですよ。ええ。

固定リンク / 2011.9.24


ソラテナ

 かわゆす。

 気象系コンテンツって、日本で生活する限りは結構必要な情報だったりするけど、必要な情報なだけにタダで提供しているサイトもメディアも多いわけで、良い情報であっても有料化しづらい、っていうのがあるように思う。
 そんな中で見つけた「ソラテナ」は結構やられたって感じがしました。これはいい発想なのです。擬人化の国の人だものね。
 しかし情報内容が微妙に曖昧で全く厳密じゃない感じがまた。必要だから見る天気予想ではなく、エンターテインメントとして見る気象情報って感じなんですけど、果たしてそういう狙いなのかどうか……。開発者の思いとはかけ離れちゃってますか?スミマセン。

 だってさあ。気温30度で「あつくない」とか言うのよ? 暑いに決まってますよ東北人にとっては(笑)。東北に立ってるアンテナさんならもっと暑がってくれなきゃだめですよ30度。北国育ちは暑さに弱いんすから。
 あと、それぞれセンサーが単体だからその辺も「体感をつぶやく」って言うワリに体感になってない気がするのも惜しいかな。気温が30度切っていても、湿度100%だと体感はかなりつらいです。汗が全く蒸発しなくて、歩いているだけで水中を泳いでるみたいなこの感じは、真夏の暑さとはまた別個の気持ち悪さがあります。
 キャラクター化して人格を持たせているんだったら、快/不快の感情をもう少し、人間の体感に近い言葉にならないものかなとはちょっと思う。思うけど、温度計、湿度計、紫外線、とか、それぞれのデータをバラバラで人格化するシステムだから、そういう方向は無理なんだろうなあ。せっかく「人格化」したのに、ただの数字に毛が生えた程度の羅列になってしまってるのはもったいないなぁ。

 まあどっちにしても。うーん、なんていうか、データとしては全く役に立ちそうもないのね(笑)。あ、有料登録するとまた違うのかも知れないけど、無料版で見ている限りは。あと、全員の「つぶやき」が過去に遡って見られたりしないのもちょっと寂しいかも(仙台近辺だとずんだばぁばはtwitterのTLありますけれど)。

固定リンク / 2011.9.18


FTP冬の時代、なのかなあ

 FFFTPが開発終了アナウンスを出しました。が、かつて色んな名作ソフトウェアが似た道を辿ったように、SourceForge.JPでオープンソース化されたようです。

 というか、こういう道筋が今は本当は「正当」なのかも知れないですね。
 便利なソフトウェアはいろいろ出てはいますが、結局、良いソフトで広く使われていればいるほど、その開発を個人が本業以外のところで担わなければいけない、という環境はいびつだと思うし、長く続かないものじゃないかなと。
 最悪、本人が亡くなられたら、全てが闇に葬られてしまう。で、人間、永遠に生きることは無理なわけで、いくら頑張ったって遅かれ早かれ寿命は来るのだし。

 私自身は、これを機会に、人生2度目のFTPソフト乗換え(ちなみに1回目はこの辺り)をしよう、と決意して、ネットの海をうろうろしておりました。
 で、(フリーの)FTPクライアントソフトの少なさに絶望するハメになったわけです(大袈裟)。

 そりゃ、今やWebサイト作るっつったらブログかソーシャルページでしょうけど、で、ソーシャルページ自分で作ったら判りますがマジでFTPいらねーし、どーしてもドメイン取って自社でやりたいとかゆーニーズでもない限り、中小やお店なんかはソーシャルページ1つあればWebサイトとしても役割はもう充分過ぎるし(よーするにgoogleが拾ってくれさえすればいいわけだしー)。
 ……FTPという技術は本当に開発者のものになってしまったのだなー、という感慨です。

 ソフトを作っている方はいるにはいるのですが、ちゃんと最近まで開発が続いていて作者の目が届いていそうなもの、という基準で考えると選択肢は異様に少ない気がしています。
 時代だ、と言えばそれまでなのですけれどね……。
 自分が開発者だった頃にお世話になったWinSCPか、ESTsoftさんのALFTP(※既にサービス終了)のどっちかでしょうかね。
 ALFTPはただのFTPクライアント以上に多機能過ぎるので、久々にWinSCPを触ってみようかなと考え中。言語ファイルが別なのはちょっぴりめんどくさいですけどね。

固定リンク / 2011.9.11


とりあえずmixiページ作っといた

 Facebookページも持ってますけど、やってることは何処でもほぼ同じなので、mixiページも同じような感じになると思います。
 一応各サービスのIDは全部ここで公開しているのだけれど、mixiにIDがあることを知らなかった、と言う方がたまにいらっしゃったりするので、googleで引っかかればまあいいかなと。

 Facebookのページは、誰もファン登録がないせいだと思いますが、毎日のように非公開ページに転落させられてます(笑)。まー諦めてますけど。ただ、毎日ログインを強制させられる仕組みたいに感じて結構げんなりしますね…。
 自分みたいに、休みの日にだけまとめていろいろやってるというユーザーは、アメリカにはいないのだろうか。1日中Facebookに張り付いてるようなユーザーは問題になったりはしないものなのか。リアル生活大切にしようよFacebookユーザー(偏見)。

 日本のスマフォもFacebook押して来ていますが、文化が違うところによく知らないユーザーを簡単に誘導し過ぎてやしないかってヒヤヒヤする…。
 広告とかチラシとかで、FacebookのwallをTwitterみたいに使っている例とか載せてるの怖くてしょーがない。実名主義のFacebookでwallに「渋谷なう」とか書かせちゃっていいのかと。Twitterで位置情報つきでつぶやき続けて個人情報特定されちゃった誰かさんみたいなの量産されそうだなあ。スマフォの小さい画面でFacebookのあのめんどくさいプライバシー設定やるの嫌じゃない? 誰もやってないんじゃないか。みんなデフォルトのままか。怖いなあ。

 とはいえ、Facebookページは色んな意味で「有用」な仕組みではあったと思うのです。ある種、数の論理っぽくてもやもやはする部分はあれど。Twitterほど「流れ」ないで、ある程度のstaticさを保てる部分とかね。
 それが日本ネイティブで出来る、という一点に於いてはmixiページはいいのかも知れないですね。
 特に、ちっちゃいお店なんかが、簡単に自分のお店の紹介ページを作りたい、なんて時に紹介し易いサービスではあると思う。
 …mixiアプリは完全に迷走しまくってますけど。

2011.11.5追記
 Facebookページ消しました。すっきりした。
 元々、Facebook内で「textnerd」という単語(?)での検索で自分に辿り着いて貰える手段がないのが嫌で、ページ名として「textnerd」という言葉で立ち上げた、という経緯だったのです。が、プロフィールのURLをカスタマイズする機能が出来ていたので、それ使うことにしました。
 ここで既に公開済ですが、「www.facebook.com/textnerd」で行けるようになりました。はー。これで非公開ページに転落しなくて済みます(プロフィールページだからね)。

固定リンク / 2011.9.3


Teas' Tea New York

 伊藤園が出してる紅茶のシリーズ商品。サイトはここ
 最近よく飲んでます。
 あの大震災以降です。

 というのも。
 一部こんな報道がされてました。てこと前提で。

 被災地に配布されたものだけでなく、物販ルートも伊藤園が一番早かったと思います。実感で。自動販売機も、小売店も、飲み物系は軒並み売り切れ続出で何も買えなかった中、一番最初に並び始めたのは伊藤園系だったと思います。
 で、お茶・水はさすがに並ぶ端から売れて行くのですが、最後まで残っちゃってたのがTeas' Tea New Yorkのシリーズなのです(笑)。

 紅茶、と言うには甘すぎるんだぜ伊藤園様。だもんで震災前には、紅茶として飲むには全然紅茶じゃないしなーというのもあってそんなに興味がないシリーズだったのですが、何せあの当時はそれしか残ってなかったりしたわけで。で、ないよりは全然マシなわけで。水は生活用水に確保しないといけないのでなるべく飲まないでいようと頑張っていたのもあって、自販機で売り切れランプ真っ赤の中でも唯一ぽつねんと残っていたTeas' Tea New Yorkのベルガモット&オレンジにすんごい助けられたのです。仕事中はもちろん、家にも買って帰って、耐えられない時に少しずつ飲んでました。

 当時は、「この状態でも在庫あるって、よっぽど売れてないんだな……」という見当違いな心配をしていたのですが、後になって考えたら、上記のニュースで報道されていたようなことがあって、倉庫にあった在庫商品を、本社判断を待ったりせずに、見境なく出来る限り物流に乗せようという努力もしてくれていた結果なのかなと。
 支援物資のことだけしか報道されていないけど、販売ルート側も同じような努力をしてくれていて、その結果、(他に比べれば)売り切れの少ない状態を保てていたのではないかなと。あくまで素人の勘ぐりですけれども。
 それとも単に売れてなかっただけなのかな? いやまあ、どっちにしても私はすごく助かったことは変わりないのですけれどね。

 以来、店頭でTeas' Tea New Yorkシリーズを見かけたりすると、震災直後の、水が飲めなくて大変だった記憶がセットで甦るようになっちゃってるパブロフの犬状態。伊藤園もそんなことで条件セットされちゃ迷惑でしょうけれども。
 でも、紅茶らしくない紅茶として微妙に敬遠していた商品シリーズの先入観を取り払えたのだし、まあ良しとしましょうか、と思ってます。

 今は割とファンです。紅茶だと思わなければいいのだ。
 てかホントに、味に疎い自分には、全く紅茶に思えないんだよなこのシリーズ。甘いよ。フルーツの方が強いよ。今の新商品のダージリン100も、名前からするとダージリンなんだろうなと思ったら、マスカットが強過ぎるんだよ。飲んだ瞬間に別のもの買っちゃったのかと思ってびっくりしたんだよ。方向性がよく判らないんだよ。新商品が出るたびに、何がしたいんだよ? とか思っちゃうんだよ(笑)。
 ……いや、楽しませてもらってますけどね。恩返しの意味も込めて、これからも楽しませていただきますです。

固定リンク / 2011.8.27


彼岸花の咲く夜に第1夜

 とらで買って来ましたが、予約していないのに予約特典ごと強制的に渡されちゃうのはめんどくさいなあ(笑)。この手のグッズを集めることには全く興味が沸かない方なので。唯一、紙袋は大きさ的にOLさんにとっては割に実用的ではありますけれども。

 で、中身。
 こりゃまた。元々こういう過剰に現実的なドロドロ系は得意な人だとは思ってましたが、そこだけ濃縮されるとこうなるんだなあ、という感想。

 小説もコミックも読んでないのですが、話がどういうものなのかはちらっとは知ってました。ので、予想通りと言えば予想通りなんだけど、やっぱりサウンドノベルにされると濃いですねえ。色んな意味で。小説やコミックみたいにチャンネルが少ないメディアの方がまだ、世界に余白があるだけ逃げ場がありそうな気がしますが。

 これは別の意味で年齢制限があった方がいい作品なのかもですね。現役のいじめられっこにはキツくないかしら。元いじめられっこ的には、自分が受けた仕打ちってやつは限りなく(悪い方に)「美化」されてるもんなので、その辺りは、ま、現実はそんなに判り易くないですよね、なんて思って終わりなのですけれど。

 物語の作り方をあえて「狭く」したのは、うみねこの展開にうんざりしちゃったからなんでしょうかねえ、となんとなく。
 今まではゲーム、というか作品を媒介にしてコミュニケーションの場を形成することにかなり重きを置いていた作風の人だった、と思うので、「ファン」の人はこれからも同じようなモノを求めてしまうのだろうなと。
 ひぐらしもまぁそうだったけど、うみねこに至っては結局それしかなかったというか、読者側にあまりにゲタを預け過ぎてしまっていて、世界観を作る側が構成を放棄するって凄い構成だなあ、とは思っていたのです。
 でも、この作品の元になった学校妖怪の話もそうだけれど、今回は逆ですね。ストーリーテラーとしては、物凄く真っ当な、というか、当たり前に、物語を物語るというところに落ち着いているわけで。選択肢のないノベルという形を選んだ時点である意味でアイデンティティだったかも知れない「ゲーム性」は消す方向ですよね。読んで終わるだけで余地がない物語。
 多分、ひぐらしの頃から、コミュニティという「ゲーム」を07th Expansionに求めていた層には受けないのだろうなとは思う。
 どっちに行きたいんだろう、とは思うけど、まあ同人なんだから好きな方向に行ってみていいんじゃないですかね。ヘタに「読者受け」を狙わなくなった、っていうのは割と評価してたりします(笑)。

 ただまあ、意外かも知れないですが、これ、ひぐらし・うみねこよりよっぽどアニメにはし易いと思うがどうだろうその辺。特にうみねこは、ネットコミュニティに蓄積された膨大なあれやこれやの方がむしろメインディッシュだった感があるので、それナシにストーリーをただ辿るだけのメディア展開はあまり意味がなかった、と思うのですよね…。それに比べたら、箱庭としてのパーツがそれなりに揃っているだけ「体系化」し易いというか。そんな気がします。

 あと、この手の怪談系は実は電脳機器やネットとはかなり相性がいいと思われるので(ケータイ小説由来の「王様ゲーム」とかまさにそうですが)、変な昭和っぽさはなくても良かったような……。マンモス校という設定からそうしたのかしら。少子化の今だと確かにここまで大きな学校はないのかも知れないけど。

 あと、お疲れ様会的なものは絶対あった方が良かった。話が話だけに、お芝居でしたみたいな「虚構感」が最後にあった方が多少救われるような気がしないでもないです。多感な少年少女の皆様(笑)にはあれで終わってしまう読後感はちょっと…可哀想な気も。文字読むのがめんどくさい現代っ子は資料室の記述だけでは足りないかもです。
 今回はコミュニティ方向には広がりようがない話だから、キャラクター的な広がりをもう少し作り出してあげても良かったような気はします。

 最後に音楽。ひぐらしでもうみねこでもアップテンポ系にきゅんきゅんしていた自分にとっては残念ながら曲単体ではあまり引っかからなかった…けど、世界観とは合ってます。学校チャイム歪んでるの最高。あれはいいねえ。裏テーマソング。

固定リンク / 2011.8.20


新本格魔法少女りすか3 / 西尾維新

 今回は密室気味というか、範囲が狭かったですねえ。動いてないっすねえ……(笑)。というか、バトルもの(?)に行かなかったのは、そういうのに耐性がない私には有難い限りだったのですが、それにしてもあっさり勝ち過ぎだろうという気がする。ツナギもりすかも。
 ものすごくあっと言う間に片付いちゃわないかこれ。六人の魔法使いさんが中ボスにすらなってませんみたいな?
 それと、やっぱり一部風呂敷は畳まないまま終わってしまう予感がふつふつと。
 あと、りすかの口調があまりヘンじゃなかったですね、今回。日本語を学んでしまったのでしょうか。

 すごい所で切れているから保留としか言いようがないな。
 …と言ってもまだ続編出ていないのですね。ううむ。

固定リンク / 2011.8.13


C

 やっと見たであります。
 ごめんなさい。期待値が高過ぎたかも。というか、期待していたのとは違った、と言うべきなんだな。多分。

 ギミックはことごとく面白いし、言葉面は聞いてるだけで変にワクワクするんだけど、でも。うーん。
 私には少年マンガ的バトルもののレセプタがないから理解出来なかった、のかも知れない。

 そもそも公麿がどーして強いのかが理解出来ないんだよね。主人公補正だということ以外に。アセットも新人という設定だし、ディールに於ける原資はカネしかなさげだし。だとしたら特に金持ちってわけでもない公麿は強くなりようがないじゃん、と思っているうちにあれよあれよと勝っちゃうのですごく変な感じがする。

 あと、技の名前はいちいち楽しいけど、でも、ディールの進行が素人には判りにくい、というのもあるかも。ゲーム用語を引っ張って来るなら、HPゲージらしきあの円(?)も、どっちがどっちのものかが判らなかったり。ダメージはミダスマネーの「流出」として表現はされているけど、やられた方が目に見えて弱らない(?)感じがするので、見ていて流れが見えづらいというか。
 いや「ディール」なんだから身体的ダメージが表現される必然性は、確かにないっちゃーないんだけど、でも、表現としてバトル進行がパワープレイだから違和感なのですよね……。

 私には、最後の最後で竹田崎(金歯の情報屋さんね)が金融街を破滅させる「戦い」に勝っちゃった方が変な爽快感があったかも。というか、あーいう情報戦トリックバトルの方が経済バトルっていう「実感」があるのですよね。カネは「物理的な力」じゃねーだろ、と。殴り合いや魔法戦を求めてはいなかった、というか。

 うん。コンセプトやら細かい言葉とか経済用語転用は小ネタとして楽しかったんだけど、こっちに解釈出来るだけのレセプタがなかったですごめんなさい、ということかな……あ、あと、金融街の画面の色使いは超好みでしたウフフ。エンディング映像もぼんやり眺めてるの楽しかった。でも本編に入っていけなかった。解釈出来ないこっちが悪いのでしょうけれど。ちょい残念。
 映像面での突き抜け方が最初からもっと異様だったら(空中ブランコみたいな)、多分、そんなことすら気になってなくてただ溺れるような楽しみ方も出来たのかも知れないなとはちょっと思う。(レセプタある人にとっては)判りやす過ぎた、のが難だったのかも知れない…。

固定リンク / 2011.8.6


残酷号事件 / 上遠野浩平

 久し振りに戦場調停士シリーズ。
 と言っても今回は本当に番外編でしたね。主人公チームほぼ出番なし。
 あと、さんざん色んな人が書いていることですけど、イラストの人変わったのはどうしてでしょう。事情が判らないのでちょっとびっくり。この手のシリーズもので途中から変わるって珍しいような気がして。

 あと、今回ちょっと不思議に感じたのは。
 どうも登場人物たちの描写がなんとなく足りないような。見た目の。
 仮面とか白衣とか鎧とかトゲトゲとか、ものすごく外見的に特徴のある方々はまあいいのですけれど、今回、そういう「いかにも」な人たちじゃない「普通の」人たちが割と大活躍していた話だったような気がするのです。が。イラストがついているのに、頭の中で人物のビジュアライズが全く出来ない……(笑)。イラスト描きさんも、誰を描いてあるのか、が、咄嗟にパッと見、結びつかないのなんの。
 これはイラストの方が悪いんじゃなくて、小説側で人間の外側描写が、今回、極端に少な過ぎる感じがしたのですけれど……。
 と思ったけど、そういや上遠野せんせはラノベだった頃からあんまりそっち方面は書かない人だったような気がして来た。
 ただ、使い捨てるにはちょっともったいない人が今回は多かったような気がするので(まあ正確には残酷号近辺の人たちは前作から引き続き登場しているのですが)、これで終わらないのかな、ひょっとして。とちょっとだけ。ロザンのあの設定もなんだか唐突過ぎたような気もするし。

 シリーズ重ねる毎にどんどんミステリーっぽさが薄れていきますね。というか、ここまで来ると、前作まででどういうわけか犯人探しを念頭に置いて読んじゃっていたのが逆に不思議だ。
 まだ緩やかに続くのかしら。
 シリーズ全体を貫く芯のようなものがあまりない物語なので、これからはとことん群像劇化して行ってしまうのかしら。
 EDが(色んな意味で)「戻って来て」しまうと、本筋がまた姿を現すのかも知れないですけれども。

固定リンク / 2011.7.30


<< これより昔の日記 | この後の日記>>
textnerd@mind内検索 by google

カテゴリ一覧

年月一覧

other contents

contact