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39

 登場する人物がみんなヤバい……。別に血とかのスプラッタ的な要素以外で、純粋に「気持ち悪い」映画。映像がグラグラするので「DOOM酔い」に似たような状態になっちゃったのもあるけど(笑)、ここまで「銀残し」の技法が心理面に働きかけられてるなあと自覚したのも初めてかも。あと登場人物がみんな離人症一歩手前みたいに現実感がないというか、壁の向こうから話しているみたいなのが、意図的な演出とは言え、逆に嫌ぁな現実感が……人間というものの描き方、やっぱり何か変わってるかも。森田監督。
 解離性人格障害の描き方はリアリティ・ゼロなんだけど、それはつまりああいうことだからそうかって感じです(?)。
 堤真一さんという役者さんはすっごくよい素材ですね(褒め言葉です、もちろん!)。

 パンフレットに、解離性人格障害豆知識みたいな解説部分があって、とっても大雑把だけどとてもよく出来ていて読んでて面白かった。解離性人格障害が抱える「別人格」の分類とかね。まあ、映画中に法廷シーンがかなり多くて、専門用語もバシバシなので、あった方がいいと思ってつけたのかも知れないけど。

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アヴァロン

 おぉ、凄い。アニメ眼という言葉、とても言い得ている。こういう作り方は、実写「だけ」の畑の人には確かに出て来ないイメージのような気がする。というか、ここまでよくぞ出来たもんですなぁ……妥協なしに。んーっチープ、と思う部分もないわけじゃないけど、進んで行くに従って、それが「ゲームであること」の一表現と奇妙な納得は出来ました。
 最初からずぅっと色を殺ぎ落としたダークな世界が続き、それに私の目がすっかり慣れていて、それが世界の色だと思っている時に突然やって来る「クラス・リアル」の世界。どぎつい。この逆転感覚は何だろう。「現実」と書いて「フィールド」と読ませたキャッチフレィズはこの逆転現象を端的に表現したのかも知れないですね。
 「現実」でのアッシュはとてもカッコいい。「ゲーム」内の戦士姿はもちろんだけど、ベッドでシリアル(多分)ぼりぼり食べてたりとか、眼鏡かけて画面に向かう姿とか。でも、「クラス・リアル」ではあまり美しくない。目の下に微妙なクマがあるような気がする。とても疲れて見える。そう作ってあるわけだと思うけど、象徴的だなぁと。
 あ、「デフォルトの装備」とやらが、あのロングワンピと拳銃ひとつというのはちょっとツボ。戦士のデフォルト防具がワンピか! ワンピ!(ちょっとウケた)
 ゲーム端末はちょっと一昔前という感じはしましたけれども。まあ、構想は10年前からだそうなので、まあ、いいか。ミリタリー系の火器戦闘RPGならあれでもアリか。肉体の細かい動きまで伝える必要なさそうだし。
 あと特筆すべきは音楽かも知れない。オーケストラの「Avalon」は聞いてて久々にぞわっと(いい意味で)来ました。でも、シーンを繋げてリフレインしながら音楽が前面に出て来るようなシーン、多用されてたけどちょっと中だるみっぽくしか思えなかったな。明らかにアレがこの映画からスピード感を奪い去っている。ただこれはそういう演出なのかも知れないんだけど……。戦いに放り出されるんだからもう少しピリピリしたもんがあってもいいような気がしたけど、全体的には何かまーったりしてますからねえ、この映画。低テンションでじわじわ来る感じの。

固定リンク / 2001.1.22


アンドリューNDR114

 原題:Bicentennial Man(200年生きた男、という意味のようです)

 この邦題は、スタートレックのサブタイトルで綿々続いて来た「邦題に固有名詞つけたがり主義」みたいでかなり嫌。でも原題そのままだと日本人受けしなかっただろうなあ。でもロビン・ウィリアムズで泣き度高そうなシナリオだってだけで、もう充分なような気がしないでもないんだけど……。
 ロボットモードの時って動くの眉だけなんだけど、すっごい表情豊か。このロボットスーツ・チームがやっぱり凄いとしか! 確かに中にロビン・ウィリアムズが入る必要があるのかどうかは疑問ですが、やっぱりオーラなんでしょうか、ロビンだなーって(笑)。そんな風に感じさせられるのはやっぱり彼の魂なんでしょうかね。
 ちなみにガラテアちゃんもご本人が中に入ってるんですよね。彼女も凄い。あれであれだけ激しく踊るの大変だったろうなあ。

 特殊効果系ではロボもだけど人工皮膚(?)の造形もかなりキてましたね。顔の表面に粘土みたいにぴたんとくっついた素材が、くにゅくにゅされてる間にだんだんロビンの顔になってく所が印象に残ってます。

 あの結末、悲劇的って言う人がいる方が不思議。私はあんなハッピーエンドはないと思うんだけど。To HeartのマルチEDやハルトキの泰明EDに疑問を感じる人だったら、きっと共感していただけると思うんですけど、この感触。

固定リンク / 2000.8.20


イグジステンス

 スプラッタだめだし流血だめだしグロ苦手だし、友達からクローネンバーグという人がどーいう映像作家なのかは聞いていたので(ちなみにもちろん彼女は大ファンであるわけだが)、多分一生見ることはないだろうと思っていたのに見てしまった……。何か、鼻の奥に生魚の匂いが住みついたような感覚で、やっぱりちょっと……。でも、思ったより人間がグロくなかったのが救い。クローネンバーグってそういう人なんでしょうか。死体の描き方とか血の色に全然リアリティがない(あ、その目で確かめろとか言わないで……(^_^;)、もう懲りてる、ホントに)。
 登場する「リアリスト」たちの過激なテロ意識って、クローネンバーグ自身が何処かで思っていることだったり……しないのかな。すげー悪意的、ゲームってシステムに対して(笑)。「待機モード」とかはかなり笑えたけど。でもまあ、何というか、舞台装置としての使い方はうまいですね。ぐーの音も出ない。ラストのドンデン返しも、ムチャクチャありがちなんだけど、でもすかーっとしちゃったのは何なんだろ……。
 多分、ゲームという素材に対する入れ込み具合が違い過ぎるせいか、シナリオ自身は上で書いたけどありがち過ぎ、と思ったです。でも何か多分、そういうところを面白がる映画じゃないのかも、と思った。グロいの嫌い意識を排除すると、骨の銃で歯が弾、とかいう発想は純粋に「すげぇ」って思っちゃったし、あんな得体の知れないグロ世界で、あんなハンサムさんと美人さんを初めとして、人々がみんな淡々としているのも、映画全体が変に「沈まない」というか、いい意味で緩やかな軽さを感じたというか、で不思議、と思ったし。

 ゲームのインターフェイスに生き物の神経系統を使うという発想は、そのグロさは別として、実は一番正しい発想なのではないかと思う。しかも、脊髄に直接、あのヘソの緒みたいなケーブルと来たら……。多分、現実にあんな体感ゲームが始まるとしたら、もっと洗練された何かになるんだと思うけど、発想の原点ってあんな感じかも、とちょっとだけ。そこはかなり共感。あの「起動方法」はちょっと困るけど。

固定リンク / 2000.5.16


A.I.

 ……いやあ何がいけないんだろう。何がいけないんだか判らないけどさっぱりピンと来ないんだ……。
 多分、感動のしどころっていうのは、デビッドくんが、どんな辛い目にあっても一途に母親を愛し、本物の人間になりたいと願って旅をするということなんだと思うんだが、コンピュータ屋のせいかしらん、つまりインプリンティングなんでしょ? という感慨しか出て来ないのがつらい。どうしてかな。オスメント君の「ロボットとしての演技」が上手過ぎるせいなんでしょうかね。だからこう、血を吐くような愛への渇望、みたいな感じは伝わっては来ない。そうプログラムされているからそう動いているように見えるだけ。
 おとぎ話にしてはエログロが過ぎるし、近未来SFとしては子供じみた感傷が多過ぎるし、どっちにも転べていなくてすごい中途半端に感じてしまうんですが。そのくせ舞台装置は大仰だし。金は確かにかかっているなと思うけど、かかっているなあって冷静に見られるようなかけ方じゃ、ちょっと(笑)。
 母親がデビッド捨ててしまう所はちょっとほろっと来たけど、後は泣きポイントも見つからず。ううむ感動大作ではなかったのか。見る心構えを失敗したのかも知れない。

固定リンク / 2001.7.22 / wikipedia


COWBOY BEBOP 天国の扉

 ラスト惜しいなあ……もー少し、もう少しなのに。数秒の余韻ケチったばっかりに唐突な印象が拭えない。結局何も解決してないじゃーん、という気がします。ビバップに完全な勧善懲悪めでたしめでたしを要求しているわけではないんですが、せめてエレクトラさんとヴィンセントさんの間にもーちっと視線の絡みとかがあれば良かったよーな気がするんだけどなあ…。クールでハードボイルドでかっちょえーのがビバップだけど、あーいう時ぐらいはぬちょぬちょにろまんちーくにしてもいいのよ、ホントに。
 でもまあ、そこに至るまでの追い詰め方のパーツの1つ1つがもう、ビバップ! きゃー! かっちょえー! な連続でして、何っつーか、結末どうでも良かったのかも知れない、作る方としては(言い過ぎ)、と思えるぐらいの綿密さ。どーしてくれよう。無駄なパーツ1つもない。こんなに計算され尽くして張られている蜘蛛の巣でじたばたさせられるのは快感です。ぐもー。TVシリーズもTVシリーズとは思えないクオリティでしたけど(……失礼な……)、いやー、映画にするだけのことはあるよホント。スタッフの皆様ご苦労様でした。この労がちゃんと報われることを願います。ホントに。

固定リンク / 1999.8.14 / wikipedia


CURE〜キュア

 日本の映像作家が描くキ印さんたち、私にはリアリティを感じられないっす。目をひんむいたり頭抱えてうなったりするのは正常(と思ってる人)のお仕事であって。ねえ。私が選ぶ日本の映像の中のリアルなキ印さんランキング初登場一位です、間宮さん。当分揺るがないでしょう。めっちゃカッコいいっす(実際いたら会いたいという意味ではないぞ、断じて!!)。
 あとはエンディングロールの後にやって来るタイトルバックっ!!このタイトルの意味するところが全部解けた後にスッと現れると、効きます。すんごいカタルシス。最後にタイトルバック出る映画ってのも初めてなら、そこで「うっわー!」とか悲鳴上げちゃった映像も初めて。
 その2つがあまりに強烈で総合評価を押し上げてるんですが文句は山のようにあって(ひでぇ)、まずは間宮の行動原則が何なのか判らない(心理学? 宗教? 超能力?)。やっていることの一部は明らかに心理学の範疇じゃないんだけど、話が催眠療法を中心に展開してるので、心理かじった人なら「うーん」って感じです。脚本、判ってやってるならいいんだけど、心理学とオカルトの境界線をはっきり引けないだけとも取れるのでちょっと削がれます(高部に対してやったことは心理学の範疇で出来ることなのがまたやっかいなんだな)。
 んで「血」という演出アイテムの使い方が浅くて何となくいや。これは好みの問題なんだけど。流せばいいってもんでもないさね。これば極道系Vシネマ的伝統なのかなとちょっと思ったりもした(悪い意味ではないよ。そういうものなのかな? ってだけで。いや監督さんそういうのたくさん撮ってるみたいだから)。
 あとは結末。間宮殺してどうなるわけえ? 佐久間先生の部屋にXがあったあたりでは物語ポイントめっちゃ高かったのにこれで一気に冷めちゃった。どうせならXに切って欲しかったな。そうすると佐久間先生の「伝道師」の一言がすっごく怖くていいかんじ。
 そうそう、あの「邪教」の本の中の顔写真とあの部屋のことは、もうちょっと突っ込んで欲しかった。消化不良気味(これはひょっとして映倫カットか何かで不本意に浅くなっちゃっただけかも知れないけど)。
 うーんでも間宮さんの存在感で全部チャラ。あのレポートの訂正具合とか筆跡までが人物の輪郭をきっちり作り上げている感じがして、なーんとも言えない存在感。萩原聖人氏がまたうまいんだなこれが。

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ケーブルガイ

 一番よくないのは変にメッセージ性が強すぎるトコだ。ジム・キャリー採用の時点であっさり笑い系サイコに特化しちゃえばよかったのに。ケーブルガイに込められたダブルミーニング(配線屋/TVっ子)とか、ケーブルガイが飛び降りることの意味(「ケーブルガイを殺さなきゃ」)とか、掘れればまだ掘り下げられるのに宙ぶらりん過ぎてとてももったいない。っていうかこのジム・キャリーだと全然掘れそうもないのでない方がいいかも。そのメッセージ性やケーブルガイの孤独描写もそれなりにリアルなので、いくらケーブルガイが道化師化しても笑うに笑えない。楽しみ方に戸惑う。
 どうでもいいけどジム・キャリーってさみしがりやさんの表情似合いますね。雨に濡れてたりするともう完璧。小犬みたい。

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催眠

 パラサイト・イヴの時も思ったけど、落合監督って何で必要以上にゴテゴテさせちゃうんだろ。直前に見たサイコホラーものが「39」だったせいもあるんだけど、画面のつくりが何かテレビっぽい感じがする。過剰演出、って変な言い方だけど、そこまでぶつけなくたっていいやん、「余裕」のない映像だなあ……カルいなあ……という印象が。まあ、それは予想範囲内、ではあったんだけど。
 結末に至るまでの二転三転がスゴくて、桜井さん死んじゃった時はもぉどーしようかと思っちゃったり、最後また甘ったるいハッピーエンドかケッ、と思ったらあんなことになっちゃうし(?)、原作はきっと全然違うんだろうけど、展開が飽きないでいられたのでまあエンターテイメント的にはよい感じなんだろうな。でも折角、「催眠が誤解されている」とか嵯峨に喋らせるんだったら、最後まで心理戦だけで行って欲しかったのに。何でオカルト入れちゃうかなあ。ああするんなら「理解」してるフリすんなよって感じ。そういう意味で言うんなら「39」の方が数倍マシだったと思う。
 しっかし、似たような時期に松竹系と東宝系がサイコな映画を公開するってのは、単なる偶然なのかな?

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少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録

 物語を解説するのなんてうざったい……。
 参りましたな。よくこういう映像にお金をかけることが出来たものです。日本の映画界(というかアニメ界?)は凄いところまで来てしまった。洗車ブラシが出て来た時にはどうしようかと思っちゃいましたが終わってみたら何かすんなり飲み込めちゃっている自分がもう既にヤバし。
 説明不能。ちゃんと自分の中では帰結してるけど、その帰結しちゃったことが既に変な領域に足突っ込んでる気分。
 評価分かれそうだなあ。
 好きとも嫌いとも言えず、いいとも悪いとも言えない。ただ、よくこういう映像の存在を世間が許したなあという感嘆はある……。

 ミッチーだけが目当てで見た人はとってもかわいそう。声優としてはちょっとダメダメかも。ただ、暁生のキャラクターがもう見かけからミッチーモード(笑)に書き換えられちゃってるし、物語自体もテレビ編とは別物だから、まあ、いいか。
 あんまり出番なかったしね。

固定リンク / 1999.8.14 / 公式


スタートレック 叛乱

 スタートレック劇場作品は奇数のヤツはイマイチで偶数の時が出来がいい、などというジンクスがあるそうだ。ところでこれ、9作目である。
 今回から宇宙のシーンがCGになった、という話を聞くと、普通の感触では「まだ模型だったの?」ということになるのかも知れないですね。でも、うーん、そんなにこだわっているつもりではなかったけど、いざCGになってみるとやっぱり何か「奥行きがない」感じがしてしまいます。綺麗過ぎるのかも。
 未だ劇場版ではTNGメンバーが活躍してます。と言うか、「叛乱」は次回作との2部作という噂も聞くのでもう少し登場するのかな。しかし特にディアナ・トロイとかはさすがにちょっとお年を召して来て。ピカードさんはもともと髪がないからそんなに違和感ないんだけど(笑)。
 私はスタートレックは「連邦が正義」という物語は基本的にあんまり好きじゃなくて、「誰が正しいのかわからない」という混迷があるストーリーの方が好きです(だもんでDS9好きですよーかなり)。だから今回のストーリーは悪くなかったと思っているのだ。
 バクー族のように、いったん行くとこまで行きついて自ら進んで後退した文明、というのは、実は一番「未来的」なモチーフですよね。今までスタートレックに登場しなかった方が不思議だったと思う。バクー族とソーナの間の「溝」はひょっとしたら結構リアルな人類の未来だったりするのかも。
 さて次回作は「叛乱2(仮題)」らしいですね。その後はもうさすがにTNGメンバーは出ないだろうなあ。彼らは好きなんだけど(特にデータ、当然!)、そろそろ限界という気がします。その次となるとやっぱりVGRかな?DS9は、長〜いスパンの物語として面白いので、単発の映画でやっても面白さは半分って気がするし。
 ところでパンフレット。ちと高いけど、資料性の高さを重視していると言うだけあってかなり充実した内容になっています。スタートレックシリーズのファンとしては、持っていて損はしないものに仕上がっていると思います。「トレッカーファイル」のアイデアは座布団一枚って感じですね!
 あと字幕ぅ。ケトラセル・ホワイトの話はちゃんと字幕になってないのでパンフ見ないとわかんないのに、この話がないとなんで連邦がソーナに協力したのか動機がわかんなかった。字数制限とか厳しいのは判るんだけど、何とかならなかったのかなあ。

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The Straight Story

 みんなで「リンチらしさ」を探し回ってるけど、そういうの抜きにして純粋に楽しむ方がいいような気もするけど…。
 仙台では最初、2週間で上映終了というスケジュールだったので「デヴィットリンチもここまでマイナー扱いか……」とちょっとため息出てたんですが、東京の映画ランキングでベスト10入りしているのを見て慌てて入替制で延長してたのが笑えました。
 映画館関係者に映画マニヤはいなかったのかな。リンチの、っていうより、1本の物語として立派にメジャー指向の映画だ、と思ったんだけど。泣けるし。
 時々リンチらしさが紛れちゃうのは、リンチファンにだけ許された贅沢で、例えばコーヒーのマニヤな人だけがわずかな酸味を舌で探し当てて「くすっ」とか思っちゃうような、ヒップホップマニヤがサンプリングされている原盤に思い当たって「おぉっ?」とか思うような、フツーの人にはどーでもいい部分だったりするんじゃないかと。何も考えないで泣いちゃう方がきっと楽しい。
 私は、酒場で仲間を殺しちゃったことを打ち明けるシーンとかボロボロでした。
 でもリンチファンでもあるから「鹿の角」(やっぱり、食べたんだよね、あれ……)とか「突然消防実験」シーンとか、それなりにくすくすしてるんだけど(笑)。

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接続

 韓国版「(ハル)」、という感じでしょうか。Webレビューを見ていたらユー・ガット・メールと比べている人がいましたが、ちょっと違うような。(ハル)の方が近い感じ。2人の生きている舞台に劇的な設定が何もないという意味では。
 人物の描き方がものすごーく日常的で、この映画をきっかけにして韓国で通信サービスが流行し出した、という逸話がすんなり受け入れられる出来。日常の中に溶け込んでいる度は(ハル)より上かも。ラジオという小道具も実はかなり好きなので、たまたまツボにハマったという説もあります。はい。
 2人とも、現実の恋愛ではうじうじと小心者で、さっさと一歩踏み出さんかい! とどつきたくなる感じがまたよし。実際世の中うまく行かんのよとこれでもかとばかりに悲劇的に落とされて行く様がまたよし。でも描き方はかなり淡々としていて冷静なのもよし。ちまちました伏線がちょっとずつちょっとずつ解きほぐされて、最後に全く謎を残したりせずに綺麗に終わっているのもまたよし。
 主人公2人の「現実」が両方悲劇に終わる分だけ、なかなかほわっとするラストシーン。至ってフツーな恋愛映画でした。でも、ネットというやつが「ただの道具」としか使われない、手段の1つにしか過ぎない、そのさりげなさが上手かも。

固定リンク / 2002.6.1


千年の恋 ひかる源氏物語

 源氏を映像化するのは大変だと思う。何処に重きを置くかのポイントを決めないと絶対散漫になってしまうし。五十四帖使わないと語れなかった物語を2時間半で説明しようなんて無謀な試みですからな。
 その点、この脚本って、うまくやったなぁと思います。そうか「『源氏物語』物語」ですね、確かに。源氏物語がどうして紫式部の心に宿ったのか、が語られている映画なわけで、源氏物語の映画じゃありませんでした。
 だから、まあ、いいです。源氏物語という小説の切り取り方に関しては不満たらたらですけど、そこがメインストリームじゃないと思えば割り切れる。私は却って、紫式部が源氏物語を通じて、彰子に「男ってのは結局みんなマザコンなのよ(意訳)」とか「この時代、女なんてどうせ子供生産マシーンだから(意訳)」みたいなことを少しずつ「教育」して行く過程の方が何だか面白かったかも知れない。
 源氏物語の中の描写では、「結局カラダだけが目当てなのねっ(意訳)」を紫の上に言わせるっつー発想は面白かったです(意訳だからね、そんな言い方はしてないっす)。
 しかしもう、この演出の1つ1つは私には苦痛でした。明石の君の描写にせよ、揚げ羽の君の唐突さにせよ(……パンフ読んでやっと意図が判るような演出ではねえ……)、変に中途半端に入り込むアクションシーンにせよ(←これはもう嫌で嫌で嫌で嫌で)、室内でも女性たち立って歩いてるし、御簾もなしであけっぴろげに自分の姿見せ過ぎだし……ああああもうキリがない。ぶつくさ。まあ、私の中の源氏物語って、かなり淡々とした物語であるという印象が強いものですから、ええ。ちょっと豪華過ぎたのかも、色々と。

固定リンク / 2001.12.29 / wikipedia


誰も知らない

 どうしてこんなに泣けるんだ。何処が泣けるんだ。わけわからん。自分の目に見えない堤防を(壊されて初めて)発見した気分です。目が腫れちゃってて視界が変だ。ああ参った。

 しかしこれほど感情と理性が真っ二つに裂かれる気分になる作品って初めてです。
 理性では、もう、どう考えても長男・明は罪人でしょう。兄弟4人で暮らしたいって何だよそれ? 自身の生活力を省みれば、このまま生活して行けば破綻にしか辿り着かないことは見えてるはずだし(というかそのくらいの分別はあるだろう)、一時期の感情に流されるより先に助けを求め、生活が落ち着いた後に外で会って一緒に遊ぶなり何なり、もうちょっと小ずるく立ち回れる術はいくらでもあるだろうに。
 まあ助けを求められた『父親』も、母親いなくなったって子供が無心して来た段階で児童相談所に通報でも何でもしろやって言いたくなるけど、事件の背景(1988年? 89年?)当時だと匿名通報が出来なかったかも知れないから、責任取らされたくなかったのかな(したら多分「お前引き取れやゴルァ」言われちゃうよね、当時の児童福祉行政なら……多分)と解釈は出来なくはないけど。
 あと、フィクションだから仕方ないと思いながら、長男・明の服が異様に汚れ・破れが激しい割に他の3人は綺麗過ぎ(笑)。これだけはどうも解釈し切れなくて謎。

 理性ではそういうことですが、
 そんな冷静に頭の片隅で考えながら、涙止まらないんですよ……。援交辺りから怪しくなり始め、お年玉の辺りからほぼ泣きっばなし。何がこんなに泣けるんだか判らないけどぼろぼろでした。
 子供たちが「それでも母親を信じている」のが切ないのかな。兄弟4人で暮らしたい、もそうなんだけど、子供たちは、あそこを離れたら母親が帰る場所を失うことを恐れていたというのはなかったのかな?(母親の服を売ろうとする明を止めに入る京子ちゃんとか見てると……)。

 元になった事件では長男が死体遺棄で逮捕されてるので、ちょっと理性は納まりつきました。柳楽くんでスウィートにカバーされてるけどあらゆる意味でオマエが悪いぞ明。あの状況だと彼が明らかに命運握っちゃってますからね……。

 登校拒否の彼女は、全体的にセミドキュメンタリーっぽくリアリティを追求する中で唯一フィクションくさいので何とも。物語としてのインパクトや電車賃調達先としての必要性(←ヤな見方)としてはいて貰った方がいいんですけど。

 ええととにかく。これ、正統に評価されて良かった。これ評価されなかったら嘘だ。色んな方向に凄い映画だ。柳楽くんにはもちろん脱帽。でもコレを引き出した監督の手腕にはもっと脱帽。
 アラ探しはいくらでも出来ちゃいますが、そんなアラは映画としての作品性でねじ伏せちゃいましょう。だって映画なんだもん、それでいいじゃん。それでいいと思える作品に久々に出会った感じ。

 blogの感想見て回ってると、社会性やメッセージ性をこの映画に求めている人があまりいないのは、
 ……いやはや。実に正しいなあ。私は映画鑑賞のプロとはとても言えないけど、これだけはそれが正しい鑑賞姿勢ではないかと思えたりします。
 この背景にある事件の抱える社会的な問題提起なんかはまた、この映画とは別の話ですよ。うん。この映画を引き合いに出してネグレクトとか語ってはいけないと思います……なんとなく。

固定リンク / 2005.8.8


DEATH NOTE 前編

 テレビで見たわけですが。

 個人的に原作(初代L編)で印象に残っていたシーンのほとんどが再現されていたのでニヤニヤ。カメラ死角でTV in ポテチとか、当然来るだろう思ったものはまあ大体あったし。逆に角砂糖タワーは予想外に出て来て嬉しかった。あれは、物語的には別になくてもいいトコだけど、何気ないシーンながらLの嗜好表現として激烈に秀逸だと思ってたシーンだったんで。

 Lは、脳使うから甘い物やたらと摂取するという設定じゃなかったのかな?? だと思ってたので、ポテチがっ。その手前でスナック菓子系食べてるだけでも既に違和感だったのに、あんな決めシーンに持って来るなんて。がっくり。コンソメポテチを宣戦布告のメタファーに使うのは、映画の演出としてはグッと来るんだけど、でもキャラ設定からすると違和感。

 Lのキャラは物凄く記号化されてるから、ある程度無表情顔作れて、目の下にクマ描いて、猫背で足をずるずる引き摺って歩けば、誰でも割とLっぽくなれると思うのですが(笑)、それでも松本さんはハマってると思った。同じ大学に通うトコは全面カットなんですよね? あれ。そのせいか、人と距離感つかめてません的な慣れ慣れしさがなくなっちゃったのはちょっと残念だったかも。原作は常に地面or床にしゃがんでるイメージがあったから、椅子に座っているシーンが多過ぎたのも残念(笑)。

 CMとか、話に聞いてる程度だと月=藤原さんは「へー、そーなんだ」程度だったけど、実際見てみたらちょっと微妙。
 デスノは心理戦メインだから、実写で、人間が表情変化で演じて行くこと自体はいい方向だとは思っていたのですが、どーも藤原くんは可愛過ぎて甘過ぎて違和感だった、かなあ。基本的な作りが可愛いんだから仕方ない部分もあるけど(つまり彼の演技力じゃなくて見た目ってことね……)。
 あと感情表現が全体的にwet過ぎるかな。もーちょい内にこもってくれた方が。外に大っぴらに攻撃性が出て来るタイプじゃあないのではないかと、月は。ただ藤原さんの感情表現が「過剰」になっちゃったのは、映画オリジナル要素の詩織絡みのシナリオ展開のせいなのかもー。あれはなあ。Lのポテチと同じ表現になっちゃうけど「物語としてはいいけどキャラとしては違和感」の類。

 ただまあ。月はもっとクール系で。内面に堕ちる暴力性、というか、そーいう昏い表情作れる役者さんの方が合うんじゃないだろうか、とは思ったのですが。誰という候補があまり浮かばないけど、……玉木宏さんとかダメですかね。最近の有名どころだと一番近いのはなんとなくあんなイメージ。「昏い」演技している所を見たことないんだけど、なんとなく。

 ライト父は若くなっちゃったなあみたいな(笑)。ミサミサはあんなもんじゃない? 後編の方がメインだろうからまだ判断には時期尚早。
 死神連中をCGにしたのは正解だったと思います。
 変にアクション要素入れたりしないでくれたのも良かった(笑)。
 全体的には思ったよりよく出来てる感じが。原作のディープファンにはご不満でしょうけど。Lが月に辿り着くまでの過程のうち、情報が伝わり過ぎている=警察関係者を疑うという過程を端折っちゃワカランでしょうとは私も思ったけど(……ひょっとしてTV版に落とす時にカットされただけだったらゴメン)。

 まあ、物語の整合性とか原作重視とか、その辺との兼ね合いを最大限尊重してはあったと思いますですよ。前後編で約4時間でやるとしたらあんなもんかと。
 だらだらした心理戦はコミックでやる分には全く問題ないんだけど、実写映像でアレ本気でやったらダレるだけでしょうし、ねえ。

固定リンク / 2006.11.2 / 公式


Toy Story 2

 ディズニィ大嫌い(いきなり)。でもこのシリーズだけは何か許せる……。やっぱり脚本がいいです。皆様言ってるけど、1を越えてますね。まあ、越えるものを造らないとならないですけど、こーいう映画は。ただ、ウッディに「プレミアもの」という設定を付けちゃうことは、今後続編が出るとすれば、何か足枷になりそうでちょっと不安だった。
 多分評価が分かれているであろう吹替版声優ですが、私は唐沢さん、いいと思います。声優ってある種ふっ切ることが必要な商売と思うけど、いいふっ切り方をしているような。却って所さんの方が何だか大人になっちゃって、今イチぶち抜けてない感じがします。特に偽バズはもっとイカレてるんじゃないか? 何となく。
 1の時も今回も、登場する文字が全部日本語に書き換えられていて、CG映像だからそういうの簡単なのかなあと思うと同時に芸が細かいなあと思っていたのですが、ひょっとして字幕版は書き換えなし??
 実は映画館で思ったよりお子様度が低いのもちょっとびっくりなんだな。ガングロな女子高校生とかもいたし。
 ……あー内容のこと全然書いてないけど(笑)、えーと、全世界的に「おもちゃマニア=日本」ってレッテルがあるのかなあとちょっと思ったり、推理とサスペンス部分はお子様にはちょっと難しいかも、と思ったりしました。
 泣きどころはカウガール人形ちゃんが昔の持ち主に捨てられてしまうシーンかなあ。ただ現実的にはそんなこと言ってたらキリないんだけど。ANDYだっていつかは……(それがこの映画の完結編なのかも)。
 NG集は最高。特にバグズライフからの特別出演のヤツが大好き。よくこういう部分にお金かけられるよねぇ。それだけはディズニィに感謝せねば。

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渚のシンドバット

 ……監督の、そうは生きられなかった17の夏の補完物語でもあるような気がしないでもないです。
 まだ「ハッシュ!」と2本しか見てないけど、橋口監督の映画って、とっつきにくいですね。とりあえず最初は「どうなるんだろう」って不安になるぐらいとっつきにくかった。登場人物の区別がつきにくいのが一番でしたが。ただ、女の子は不思議と個性が最初からはっきりしていて、男の子たちが全体的に抑個性的。でもこれはそう意図して作られているような気もしましたが……。
 浜崎あゆみは女優ですね、この映画では…。今はもうこんな風には生きられないのでしょうか、彼女は。彼女演じる相原の「揺れ方」が実はこの映画を引っ張ってる、と私には見えました。そう、またもやストーリー上のキーパーソンは「女」(に見える)。何故ですか監督……。
 登場人物たちの「自然さ」は凄いですね。2人のキスシーンがやたらにメディア露出していましたけど、私は、「あいつ(=伊藤)みたいな変態じゃない」と言う吉田に泣きながら食ってかかる相原のシーンが印象に残ってます。

固定リンク / 2002.5.6 / wikipedia


ネメシス/S.T.X.

 個人的には「S.T.X.」という略称はツッコミ入れたいです。「MIB」とかと同じノリをわざわざ持ち込まんでも……。
 それも含めて、ハリウッドのアクション映画を得意とするスタッフさんがいる、と後から聞いて「あーなるほどねー」と中途半端に溜息が出ました。
 えーと何と言うか、娯楽大作なんです、とっても。
 かつてスタートレック映画史上でここまで単純なストーリーだったことは今までないんじゃないかと思うぐらいに単純極まりないストーリー展開で…。
 叛乱の時にもちらっと書いたんですが、スタートレックって、単純な勧善懲悪で割り切れない所に面白さを見出してしまう方なので、何かこう。そういう問題じゃないんじゃないかなあ、と思える部分もありーの。
 一番残念だったのは、「敵」であるシンゾンがピカードのクローンであるという設定がストーリー展開に殆ど生きてないってことで。「自分の暗黒面(ダークサイド)」というキャッチコピーの言葉は何処行ったんだ。ちったぁ苦悩するとかそういう「心理戦」要素はあっても良かったんじゃないかと思うのですがー。
 TNGメンバー最後の映画ということで殉職者が出てしまいましたが…まあ、これで終わる、ということを考えると、良かったのかもね。「彼」が後のシリーズに全く姿を現さないのは確かにシリーズのつながりを考えると不思議だし。
 うーん。うーん。あれですね。スタートレックのファンに向けて、というより、一般のスタートレック知らない人に対して門戸を開こうとしたのかも知れない。記念すべき10作目というのも手伝って。心理描写やセリフはげっそりするほど削られているという噂なので、コアなファンはDVDかノベライズで補完しろということなのかも。うーん。

固定リンク / 2003.4.19 / パラマウントのDVD公式


Hush!

 ゲイの人たちが出て来る映画/ドラマがあると知るたびに片っ端から見まくってしまっているのですが、見た中で一番ナチュラルだと思いました。今までどうして知らなかったんだろう、橋口亮輔監督。反省です。既作の2本、絶対見させていただきます。
 それはともかく。
 まさにドキュメンタリーを見ているような、登場人物たちの生々しさが印象的です。いや、もちろん実際には朝子みたいなこと言い出す女性はいないかも知れないですが。ゲイカップルに「恋愛なしで家族になりたい」と持ちかけるというそのシチュエイションの突飛さはひとつの事件だけど、その事件を中心に展開する枝葉の1つ1つが、なーんかリアルで生々しくて印象的。ゲイカップルの2人は、その悩みっぷりがいちいち異常にかわいいし(すねるとアイスクリームとか……)、それに反して女性陣の強いこと強いこと。
 朝子がどうして子供を産みたいと思ったのか、その理由は全然言葉では説明つきません。でも、産婦人科で新生児をガラス越しに眺めながら微笑んでいる片岡さんの演技で「うわ説明要らないっ」と思えてしまったりとか。…監督自身もゲイだというお話でしたけど、女性の描き方に全然いい加減さを感じなくてちょっと驚きです。嬉しくもあり。ゲイの男性映像作家でこういう視点を持っている人ってホントに初めて知りました。
 あ、あと、生々しさの一因は多分BGMにもあります。というか、BGM、本編中には全くなかったです(……よね?)。でもそれだけにオープニングとエンディングで流れる「ハッシュ・リトル・ベイビー」の鮮烈なことったら……。やられました。

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ヒマラヤ杉に降る雪

 この工藤夕貴の演技は賛否両論のような気はするなあ。過剰、と思う人もいるかも知れないけど、あれは監督の趣味だからねえ(笑)。
 画面の作り方のディテールももちろん凝りまくりなんだけど、やっぱりこの画面から溢れ出て来る情緒が凄い。ここまで圧倒される感情表現を見せてくれる映画って珍しいと思う。
 唯一の悩みは私が日本人だということで……。出て来る「日本」の表現がいちいちチャチいのが気になって死にそう、とか、中国と分離出来てない、とか、そういうのが気になると集中出来ませんでしたな。
 前半がそのエモーショナル攻撃で後半が法廷推理ものになっちゃってて二部構成状態なのが「各テーマに対して突っ込みが足りーん」って思う人はいるかも知れない。私は、例えばJAP迫害問題とかって、この映画で監督が描きたかったことにたまたまマッチした単なる舞台装置、と割り切っちゃってました。
 いや、普段の私だと迫害とか人種差別問題ってすっごく敏感なんですけど、この映画に関してだけは、工藤夕貴の眉根見に行ったんで(大マジです)。圧倒的な感情。それをどう映像に焼いてくれるか。それがね。メディア見てて「見てみたい」と思わせる要因だったから。そういう意味ではねっとりした感情表現、満喫しました。もー最初の「go away」から既にせつないモード大爆発で。
 工藤夕貴さん、まだハリウッド的には真っ白だけど、これから活躍の機会があるなら悲劇の日本人みたいな役柄ばっかりにならないことを祈りたいな。Ally McBealのリン・ウーみたいな弾けたアジアンを演じてくれたら面白いんだけどなあ。

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ベルベット・ゴールドマイン

 ……いやー色んな意味で凄い映画だった。ここまでやっちゃっていいのか、ホントに。曲提供しなかったのは正解かも > デビッドボウイ
 そっちの方は別としても。
 グラムロックって基本的にはポップスという気がする。私は当時の音楽シーンをよく知らないまま、その『空間』が好きな人、であるわけですが、音楽自体にあんまり魅力を感じられないというか……。やっぱり『スタイル』なんではないかなグラムって。音楽は、そのトリガー。単なる。ファンの人ごめん。
 監督自身のゲイな自分補完計画だという解説は言い得て妙だ。ここまでゲイ色の強い映画だったとは大誤算だった。
 ブライアン・スレイドが記者会見でバイセクシュアルを告白するシーンで、マンデイのナレーションで「……今(1984年)、ゲイは権利のために闘っているが、あの頃は自由だった」みたいなくだりがあって、その言葉はどんがらがっしゃーん!! な大ショック。うーんうまく言えないけど。私は今でもセクシャル・マイノリティって自由だと思っているんだけど。うーん。闘わなければ、悩まなければホンモノじゃないみたいな時代風潮って確かにある。1984年どころかまだ今も。好きなように好きになりゃいいじゃん、みたいなイイカゲン・セクシャリティの私を肯定されたようで嬉しかった。やっぱり10年早く産まれてたら色々違ったのかなあ私。
 タウン誌とかの紹介でも一応ブライアン・スレイドが主役扱いだけど、どっちかと言うとブライアン・スレイドって単なる『記号』であり、真の主役はカート・ワイルドですよね? > 見た人

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ボーイズ・ドント・クライ

 ……痛い……。
 で終わらせちゃいたい気分なんだけど(苦笑)、それじゃ何だから。

 ヒラリー・スワンク大拍手。もぉ、この映画について語るべき第一のことはこれです。ヒラリーを最初に知ったのは90210のカーリー役としてなんだけど、別人に見えるよ。うーん「男の子」だー!! 街を歩いて女の子をナンパしてみたりしたんだって? すごいすごいすごい……。もう文句なしの大絶賛。

 セクシャル・マイノリティ問題を描く映画って賛否両論が出やすい世界だけど、この映画は人間の「気持ち」的な部分はあえて深入りしないで淡々と描いている感じがします。独白系のシーンがなくて、いつも冷静に第三者の視線を崩さずに切り取ってる。
 だから、「こういう事件が起きました。……で、だから何?」って思わなかった?(笑)
 そういう感想を持つ人がね、何か、いそうな気がしたんですよ、凄く。

 でもね、それでいい気がするよ。うん。この映画からメッセージを受け取る人はきっと痛いし、事態だけを知る人はそれはそれで意味があるし。何せ実際にあった事件が元になってますからね。
 自由だと思われているアメリカよりも、昔から男色の世界に寛容だった日本の方が実は『安全圏』だ、というパンフレットの解説に、ちょっと目からウロコ。恐るべしヘイト・クライム。すごいぞ日本(?)。

 まあそんなこたーいいとしてだ。
 私は…痛いです。はい。ちくちく。

 でもラナはあんまり魅力的には感じなかったなー。何でブランドンが惚れちゃったのかはよく判らない。

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ぼくのバラ色の人生

 リュドヴィックかわいくない。髪切った後は特に。でも、それはプラス評価です。いかにも〜な少年だと逆にダメな感じがします、こういうのは。ココに真剣さが感じられてグッドなんですの。基本的にセクシャリティ問題をふざける作品はキライ。
 色彩感覚が凄く独特なので、セクシャリティどうでもいい人でも、デザイン系な人たちにも面白いのではないかな。「パムの世界」(日本で言うリカちゃん、アメリカでいうバービーのような女の子人形のTV番組)にリュドくんが「入っちゃってる」シーンの色使いったら絶景。その他のシーンでもそれぞれの場に明らかにテーマ・カラーを決めてあって、その光加減が微妙にリュドくんの内心とシンクロしてる辺りも絶妙。
 物語は基本的にはプロット勝ち逃げって感じです。女の子になりたい! のそれ以上でも以下でもなし。
 登場人物ですが、同じ立場の人(クリスティーヌ)、嫌悪の人(御近所さん)、内心そうでもないけど世間体的嫌悪の人(ジェローム)、完全ニュートラル(おばあちゃん)、「女の子の自己」の象徴(パム)と、一通り揃ってるあたりはいいですね。特にジェロームの立場がかなりいい感じです。でも各人物描写はちょっと浅いかな……。ジェロームを好きになる過程とかも、いきなりって感じで。ただおとぎ話度高いので(それを担うのもパムの役目)、わざとさらさらさせてるのかな? という意図も感じます。
 クリスティーヌの存在が救いを見せてはくれますが、基本的には救われない話ではある。せつないっす。

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MIND GAME

 惜しいなあ……。心理学系の話の描き方としてはいい感じなのに。スタッフにそれっぽいアドヴァイザーの名前が見えなかったけど、監督さんが勉強したのかしら。
 ロールシャッハの画像を画面に映すのは禁忌っすよ。「田嶋」じゃないけど、あれは人によっては人格崩壊のトリガーになりうるくらいヤバい凶器なんだから。軽く扱って欲しくないっす。これが最大の汚点。
 逆に嬉しかったのが田所くんの人格スイッチする瞬間の描き方なんだな。結構、「いきなり変わる」瞬間が多いじゃないですか。ぶっ倒れるとかケイレンするとかいう前触れなしに。特に最初の方で街角にぼーっと座ってた状態からいきなり「ここはどこわたしはだれ!」状態でキョロキョロし始める辺りとか。
 あと「田嶋」が他人を人格崩壊に追い込む手口は、演出過剰なのはしょーがないとしても「やれる」範囲なのでウソっぽくなくてよいです(世の中、他人の心ぶっ壊せる人、マジでいます)。
 あとは柏原「サイコモード」崇氏で決まりですね(何がだ)。ちょっと泣き叫び過ぎだけど(ごくろうさまです)。彼がこういう役やってるのを見てるのが好き。狩られる側の内的暴力っつーか、そういうの表現出来る役者、と思っている。逆に田辺誠一氏はサイコ系似合わないような気がしているのですっごくやめて欲しいんだけど(演技が下手なわけではなくて……今イチどろどろし切れない王子様体質というか……)。この片山、どーも偽善者っぽくて。最後の田中家でのシーンはクライマックスのひとつのはずなんだけど笑っちゃったよ。あの程度で「田上」は生まれないぞ、絶対!

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The MATRIX

 うー、やっぱり「アクションもの」に分類されちゃうんですかねえ。この世界観が物凄くて、キアヌのアクションとかは実はさほど重要とは思っていなかったんで、何か半信半疑で見に行ったら……ひぇー。
 もう途中から、「ブレット・タイム」(俳優がゆーっくり動いている周りを高速でカメラアイが動き回っている感じの映像)の部分で、「こっこれどーやって撮ってんだぁ?」とかそういう方に頭が向いてしまった。ちっくしょー、はめられたぁって感じ。「映像美」を楽しむものだと言っていた人たちの気持ちがよく判った。

 ホントは嫌だったんだけどね、ハリウッド資本の映画をリアルタイムで見るって。でもこの世界の創り方が良くって。サイバーパンクとは何かっていうのをここまで具現化した映像は珍しいのではないか。ギブソン先生には悪いけど、JMは「かっこよすぎた」から。
 船の内部にせよ、「イカ」にせよ、機械がジャンクなんですよ。誤解を承知で平たくいうとキタナイのだ、色んな意味で。極度にコンピュータ化された未来だったら、機械だってもっと洗練されていいはずなのに(私のイメージだと、スタートレックの世界がそういう「洗練されたキカイ」の代表)、あんな部品剥き出しの組立途中みたいな外観である必要はないと思うんだよ。「進化」して行けばね。でもそこに行かなかった辺りがサイバーパンク。変な解釈かも知れないけど。

 キアヌのカンフーは、ダメ。私は。そんなにカンフーアクション見慣れているとは思ってなかったけど、でもダメだった。やっぱりジャッキー・チェンをはじめとして、「本場」が近くにあると、意識しなくても目は肥えちゃうのかもね。もさもさしてる感じがした。シャープさが足りない。もっと刃物っぽいと思う。カンフーって。
 あ、でも、ネオのキャスティング自体はキアヌ以外には全く考えられないんだけどね。

 パンフレットに、マトリックスと現実を行き来するのにケイタイが使えないのは何故? って話で、脚本の時代背景と言っていたけど、単に場所をロックオン出来ないと「転送」出来ないからではないの? と思うのはスタートレックの見過ぎ?
 電話と言えば、何でみんながみんな「じりりりりん」なのかって方が私には不思議だったが。「ぴろぴろぴろ」とか「とぅるるるる」ってのもあるじゃない、今は。「でもそこに行かなかった辺りがサイバーパンク」なのかも知れないけど。やっぱり。そういう意味では、こだわってるねえ監督。

 アクションは派手なんだけど、ハリウッド資本が入るからどうにか派手にせざるをえなかっただけのようにも……。後半かったるくて(苦笑)。ほんっとどうでもいい。戦う理由はあるんだろうけど、それだけメインに語る宣伝媒体を信じてたら見てなかったな。ちゃんと「世界観」を伝えてくれりゃあいいのに。無理なんだろうけど。

固定リンク / 1999.9.20


ムトゥ 踊るマハラジャ

 ここまでストーリーがちゃんとしている映画だとは思っていなかったのでびっくりしたよ(って見た人みんな言ってることだけど)。
 仙台でこの春やっと劇場公開だなんて、遅すぎるにもほどがあるが(もうレンタルで並んでいるじゃないのさ)、逆にここまで来てまで劇場に足を運ぶ人というのは、この映画をスクリーンで見ることの価値を知っている人であるということだよね。劇場の外で必死にラップトップを打っているお兄さんがいたけど、うふふ、同類、とか思ってしまって何だか嬉しかった。周りは不気味がっていたようだけれど。
 音楽いいっす。ここまで映画音楽で、見た後も頭から離れないのは珍しい。インドのコムロとかいう枕詞は必要ないですよ。あと言葉もいいよね。詞書いてるのもラフマーンですか? まあ仏教の教えがベースになっているとは思いつつも、「金は少なければ使えるが多ければ使われる」とか「菜食主義の鶴」のやつとか(しゃっくりをパーカッションにするなんてcoooool!!)、頭にこびりついて離れないっす。何故か。いい感じ。
 アクションとかミュージカルシーンとかはちょっと長過ぎて飽きるところはありますね。本場と同じようにちょっと休憩挟んで二部構成で見た方がいい気はしたな。
 公開期間短過ぎるよ。もうちょっとやってても良かったのに。まあ旬を過ぎたものという意識があったせいなんだろうけど、やっぱり劇場で見ないとねえ、これは……。

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モーリス

 「アナザー・カントリー」が仙台で何故か上映されていたのを見に行った時、某友人からこっちの方が「王道」かも、という話を聞いたのが最初だったけど、ようやく現物をビデオで見ました。restored versionというのは多分無修正ってことなんだろうな。いや無修正だったので。何がってそりゃああなたごにょごにょ。
 うーん確かに王道。というかベーシックというか。わっかりやすいというか初心者向け(何の初心者だ)というか。同性愛、という事態に付随することみんな一通り書いちゃってるし。教則本のようだ(何のだ)。
 原作の小説では書いてるのかも知れないけど、結局クライヴは隠し通すことにしただけなの?それとももうノンケさんなのかしら。
 なんでスカダーくんは2人の関係を知っていたんだろう。
 という訳でちょっと浅いかも。まあ流れている時のスパンが長いせいもあるのかも知れないけど。
 クイーンズイングリッシュ綺麗ですね。
 今の時代だったらこの「続き」の方が物語として書き甲斐がありそうではあります。あのまんまのエセハッピーエンドなんて「ホンモノ」の皆様にはかったるい偽善じゃありません?

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模倣犯

 原作未読の人間にも、「これは多分原作ファンが怒るな」と判ってしまうのは何なんだろう。
 映画監督の中には、原作つきのものを映画化っていうパターンに向いてない人種ってのがいると思うんです。森田監督とか森田監督とか森田監督とか。
 …申し訳ないけどこの映画については「森田さん節」が全部悪い方に作用している、ような。ああ。原作ファンの人が可哀想だ。私が悪い訳じゃないのに申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまった。
 何がどう、って具体的に挙げつらうとますます悲しくなって来るので、とりあえず頭下げたい気分です。ごめんなさい。

 で、ネットで色んな人のレビューを読んでると「映画としてはダメ。中居(正広)を見たい人だけ見てればいいんじゃない?」という論調のレビューが結構あったのは、
 …そーいう意味だったのか。
 ちょっとびっくり。公式の中のテキストでも「いつもの中居正広じゃない」という一文があったけど。
 うわぁ。これ誰。すげぇ。これ何の効果なんだろう。演出ですか。プリンに醤油かけたらウニになるとかいう都市伝説のような驚き。何と何がどう化学反応したら「こういう中居正広」になるんすか。これ1度きりですか。
 別に全然ファンでも何でもなかったんですけど。いや別に今もファンって訳じゃないけど。
 中居正広という役者の素材感に負けました。本人の実力とかいう部分じゃなくて、これは周りが引き出してしまった類のものだと思う。
 なんなんだろう。演技上手いとも思わないし、声は実は苦手な部類なのに、この映像の、この空間の中の、この実在がなんだかオーラ出してる。
 ああすげぇもったいない。もったいなさ過ぎる。
 これ観て以来、バラエティとか歌とかやってる中居正広を見るたびにもったいなさで泣きそうになるようになってしまった(笑)。
 いいなー。「冷静な狂気」を滲み出せる役者って大好きなんだよ。でもまさか「中居クン」がこう化けるとは本当に予想外でした。何も心構えがない所にズボッと杭打ち込まれた気分です。確かにこれって「中居(正広)見てればいい」映画かも知れない。

固定リンク / 2003.12.29


ユー・ガット・メール

 ヲタクな皆様はオープニングだけ見て帰るが吉。オープニングはちょっとしたもんです。非常に、なんというか、インターネット未体験者を夢の世界へ連れてってくれるよな感じです(誇張200%当社比)。
 本編は、私には「メグライアントムハンクスロマンティックラブコメディ消化酵素」がないので全然消化出来ません。それは予想していたけど。
 あんまり絵的に残らないですね。ただ空間は残る感じがしました。スターバックスコーヒーにやたらと行きたくなります(行ける距離にはないですが)。NYのライフスタイルを描く、というところに結構なポイントが置かれていて、あちこち登場するカフェの光景はなーんかいい感じっす。パンフにも地図載せるくらいだらか多分この感じ方は間違ってないと思う。
 あと音楽は「Dreams」(恋する惑星でも使われたやつねっ)はツボなのでちょっとどきどき。オールディーズの使われ方もさすがにおっしゃれーな感じ。Splish Splash、いいっすね〜。
 んでAOLなんで、その、生活感の中に溶け込んでる「軽さ」が表であって全然サイバーではない。でもそれは今の現実には非常に「正しい」描写なんだけど。
 面白かったのは、2人のキーを打つスピードとか、打ちながら考える図とか、メール校正する間とか、普段メールやってても相手がどんな感じで文章作ってるかなんでわかんないけど、それを覗き見た感じがしてちょっとくすくすしちゃいました。やっぱりネットの向こうは人間だよなあって。「With Love」はこの辺が浅過ぎてリアリティのカケラもありゃしなかったので、ちょっとカタルシス。

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ラン・ローラ・ラン

 このヘンなタイトルは米国版譲りだったんですね。原題は「Lola Rennt」(ローラは走る)。
 ジャーマンテクノが青春だった(笑)私にとって、この映画との出会いは音楽からでした。で観てみたら……。
 わおぅ。凄い。斬新だ。映画というメディアでしか出来ないことをしている作品に出会ったっ! という感慨が。
ローラの文字通りの疾走感と音楽との融合はもちろんですが、その脚本も……。恋人を救うための20分の話と聞いてて、その20分をどう引き伸ばして映画にしてんのかと思ったら……。
 3パターンの「if」がこの映画の肝だったんですね。
 短い映像の中に未来を詰め込むポートレート連写のシーンとか、画面を分割してそれぞれの時間の経過を同時に見せるシーンとか、秒単位で計算し尽くされたスピード感覚が絶品。
 ゲームをリセットするように繰り返されるローラの20分間。最終ラウンドでは、ゲームをプレイしているがごとく、どんどん「フラグが立って行く」感触。ゲーム好きな人なら多分快感だと思う。
 エンターテインメントとして面白い。鑑賞より体感の映画ですなー。でも好き嫌いはきっぱり割れそうな感じだけど。

固定リンク / 2004.1.2 / wikipedia


猟奇的な彼女

 「接続」もそうだったんですが、私、もしかして韓国製ラブストーリーとはかなり相性がいいのかも知れない。自分でもちょっと意外な気分がしてたり。
 2人の距離が近づいてくまでの過程が丁寧で良い。ただちょっと余計なエピソード入り過ぎだし、「彼女」のシナリオをわざわざ映像化してしまうのは……必要?(苦笑) とかちょっと思ったりしたんですけど。好き嫌い分かれてるのはよく判るなあ。
 半分以上実話、ネット掲示板の連載が初出、という周辺事情までもがネタの塊のような作品だし(笑)。

 キョヌが「彼女」の見合い相手に語る「彼女」との付き合い方講座(?)で、目からウロコがすとーんと落ちる感じがしました。ちょっとやられたって感じ。
 最初は、完全に「彼女」のキャラクターで勝ち逃げの映画だと思ってましたが、キョヌの心構えの勝利なのだなあとしみじみさせられたシーンでした。なんていうか、彼女が殴っているのではなく、キョヌが殴られてあげてる、痛がってあげてるんだなと。
 フツーのラブストーリーに収まらず、奇妙で新しい男の甲斐性を示したドラマなのかも知れない。猟奇的=ちょっと変わった、という意味らしいので、そのぐらい軽い意味で使うなら、キョヌの方こそ充分に猟奇的な彼氏だと思った(笑)。

固定リンク / 2003.11.5 / wikipedia


リリィ・シュシュのすべて

 ……そんなに痛かったかなあ……。監督本人は優しい映画のつもりと話していたけれど、ひょっとして私の感性はそっちに近いのかも知れません。いじめられることなんて所詮は閉塞感だし、救われる手だてはないし、まあ、ああいう世界になってしまうのは当然かも、ある意味。
 映画としての完成度が高いのかどうかは謎。エンタイテイメントとしての出来は最低(でも褒め言葉かもな…)。こういうの抵抗なかったはずの私でもあのカメラワークは酔いました。胃袋に食べ物入ってなくて良かったです。いやホント。
 詩織ちゃんの笑顔はちょっと哀しい。久野ちゃんの強さはブラボー(かっこいいよね……)。雄一はとても透明な存在として描かれていると思う……監督自身の、というか、「視点」の役割なのでしょうね、彼は。星野は…演じている忍成くんの「星野は雄一が一番好きだったのかも」の言葉が印象的(※腐女子な意味ではありません)。
 非常に映像が淡々としている分だけ、リリィ・シュシュの存在感があまりに希薄過ぎるのは……狙いなのかなあ。もう少し音楽をリリィ責めにしても良かったような気がします。あとリリィの語る言葉とかも増やしても良かったのかも。

固定リンク / 2001.11.17 / wikipedia


The Ring

 つい日本版リングと比べてしまいます。原産国(笑)の宿命って奴でしょうか。
 思ったより変わってなかったことにまずびっくり。ストーリーの大筋もオチもそのまんまで、ここまで忠実で良かったのかと逆に拍子抜けするぐらいだったよ……。
 逆にらしいなあ、と思ったのは貞子ならぬサマラの扱い。
 貞子さんは割とその背景がしっかり説明されていましたが、サマラの場合、彼女がどうして井戸に放り込まれてしまったのか、その背景が明らかに説明不足だなと。ぶっちゃけて言えば、はぐらかしてる。
 島の医師が言っていたことが全てなのかな。何が起きているのかなんてどうでもよくて、とにかくサマラがいなくなって平和が戻ったことが全て。起きてしまったことの真の原因なんかどうでもよくて、とにかく「何かの犠牲」を出してコトが治まりゃそれで良かったという。
 スケープゴート理論、とでも言えばいいのかな。島の人達が「真実を見ないようにしてる」感じ。そこに凄くアメリカっぽさを見出してしまった。

 それと、演出手法。こればっかりは監督の個性の違いでもありますが、リングってグロ・スプラッタで語る物語じゃないと思うんだよなあ。もちろん、その手のシーンはごく一瞬だけに使われているに留まり、本格スプラッタ映画のごとくババーンとはやってないけど、でも「それやらなきゃならなかったの?」って首を傾げたくなる。特殊メイクも流血も、ハリウッド映画的には少ないけど、この物語に限ってはアレでも多過ぎだと思うわけで。
 ハリウッド版見ると、日本版貞子の「白目を向く」あの一瞬のぞわぞわした怖さの特殊さに改めて気づかされる。
 怖がらせることの意味合いの違いが際立った感じです。ハリウッド版はお化け屋敷っぽいんですよね。怖がらせるんじゃなくて、驚かしてるだけ。

 ハリウッド版の良さは、いい意味で説明的なトコ。ビデオ映像のハエを先に実体化して見せたりとか(あの映像からモノが実体化して出て来るのだということを予め見せておく→ラストのサマラ)、「何故7日間だったのか」とか(これ公式設定にして欲しいぐらいストンと納得……切ない)。

 余談。based on 鈴木光司「リング」、ではなく、based on 高橋洋脚本(映画版)「リング」だよねえ。クレジットに高橋洋さんの名前が何処にも出て来ないのはちょっとだけ不公平な感じ。

固定リンク / 2003.11.15


ロリータ

 すごい、「文学作品」であります。
 監督さん、「ナイン・ハーフ」とか「危険な情事」とかの過去の作品の名前を聞いて、んでロリータを撮ったと聞いた時、まーさーかーこんなに「美しい」映画になっちゃってるとは思いもよらなかった。
 非常にきっちりまとまっていて下世話さが全然ない。この恋愛は異常性愛としてのロリータ・コンプレックスには分類したくないなあ。何というか、少女と大人の男、というより、(映画の中でハンバートが何度も呟くように)ニンフェット(小悪魔)とそれにとりつかれた哀れな男の物語、それだけじゃない?
 というか……多分、ナボコフの描きたかった世界はそこなんじゃないか、と思うのだけれど。年齢が12歳なのは、単に演出パーツのひとつ、というか。
 ドロレス役の子が、実年齢15歳なんだよね。だから、悪いけど全然「少女」じゃないんだよなあ。演出的にはちゃんと少女なんだけど、やっぱりきちんとカラダが成熟してしまっている(と言っても全然「セクシー」ではないよ。つるぺただし)。お母さんを失ったことで泣いたりする姿にコドモとしてのリアリティがない感じがしたし。それがますます異常さを感じない原因でもあるんだけど。
 変態系を期待したい人は見に行ってはだめ。

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